表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/8

第8話:万華鏡の終止符と、共鳴する銀河

 五月の風は、少しだけ湿り気を帯びていた。

 路地裏の『星屑遺品整理店ほしくずいひんせいりてん』の窓からは、初夏の匂いが入り込む。それは、瑞々しい若葉の香りと、アスファルトが焼ける都会の匂いが混ざり合った、生命の息吹そのものだった。

「浅野、準備はいい? 今日は体力勝負よ」

 ステラさんは、いつもの黒いエプロンではなく、機能性の高いタクティカルベストを身に纏っていた。その腰には、銀色の研磨機ポリッシャーが複数、鈍い光を放っている。

「準備できてます。……でも、現場が『駅前再開発地区』って、かなり広いですよね。特定の遺品があるんですか?」

「いいえ。今日の依頼人は、この街そのものよ」

 ステラさんは、古い地図を広げた。そこには、明日から取り壊しが始まる老舗の百貨店『三輝みつき屋』が記されていた。

 昭和から平成、そして令和へと、三つの時代を跨いで街の象徴だった場所。

「何十万人という人間が、そこで喜び、泣き、大切な誰かと待ち合わせをした。建物が消える時、その膨大な『記憶の残滓』が暴走して、悪いよどみになることがある。それを私たちが『広域整理エリア・クレンジング』するの」

 ***

 閉鎖された百貨店の吹き抜け。

 かつては華やかなシャンデリアが輝いていた場所は、今や埃と沈黙に支配されていた。

 けれど、僕が足を踏み入れた瞬間、鼻の奥を突き抜けたのは――凄まじい情報の奔流だった。

「……っ、これは……!」

 香水の匂い、おもちゃ売り場のプラスチックの匂い、大食堂のお子様ランチの甘い香り。

 それらが何層にも重なり合い、巨大な「目に見えない万華鏡」のように空間を埋め尽くしている。

 

「浅野、耳を塞がないで! 聴くのよ、この建物が奏でている『最後の合奏グランド・フィナーレ』を!」

 ステラさんの叱咤が飛ぶ。

 見上げると、吹き抜けの中央に、ソフトボール大の**『七色の石』**が浮かび上がっていた。

 それは、特定の一人の想いではない。この場所を訪れた無数の人々の「小さな幸せ」が集まってできた、極彩色の星屑。

 けれど、その表面は、取り壊しの恐怖と「忘れられる寂しさ」によって、ひび割れ、黒い煤がこびりついていた。

「あれを放置すれば、この街に数十年は消えない『憂鬱の霧』が立ち込めるわ。……行くわよ、共鳴研磨レゾナンス・ポリッシュ、最大出力!」

 ステラさんが跳躍し、空中で銀色のポリッシャーを起動させる。

 キュイィィンという鋭い音が響き、七色の石の表面を削る。

 しかし、石はあまりにも巨大で、ステラさん一人の技術では表面の煤を払うのが精一杯だった。

「浅野! ぼさっとしないで! あなたが『核』を支えて!」

「わかってます……!」

 僕は軍手を捨て、吹き抜けの二階の手すりから、宙に浮く巨大な石へと手を伸ばした。

 触れた瞬間、掌を焼くような熱と、無数の声が僕の意識に流れ込む。

『お母さん、あの人形買って!』

『ここでプロポーズしたんだっけ』

『定年退職の記念に、自分にご褒美を……』

 それは、ありふれた、けれど尊い「人生の欠片」たち。

 僕はそれらすべてを肯定するように、阿久津先生から譲り受けた『銀色の光』を、自分の心臓の鼓動に乗せて送り込んだ。

「……聴こえる。みんなの声が……!」

 僕は自分の内側にある「不採用通知を握りしめていた頃の孤独」を、あえて燃料に変えた。

 孤独を知っているからこそ、誰かと繋がった瞬間の輝きがわかる。

 

 シュッ、シュッ――。

 僕の手から放たれる銀色の波動が、ステラさんの超絶技巧と混ざり合い、巨大な石の「ひび割れ」を埋めていく。

 

 その時、閉鎖された入り口のドアが開いた。

 現れたのは、革ジャンを着た男――カイだった。

「……おいおい、二人揃って派手にやってるじゃねえか」

 カイは鼻で笑いながらも、その手には漆黒の研磨布を握っていた。

「ステラ、お前の『綺麗事』だけじゃ、この規模の絶望は浄化しきれねえ。俺の『闇の研磨ダーク・シェイビング』で、古い層をごっそり削ぎ落としてやるよ!」

 カイが参戦した。

 ステラが磨き、僕が共鳴させ、カイが不要な執着を削ぎ落とす。

 

 三つの異なる仕事観が、吹き抜けの中で完璧なトライアングルを形成した。

 

 不協和音は、いつしか壮大な交響曲へと変わる。

 

 ――バリンッ!

 

 石を覆っていた黒い煤が、一気に砕け散った。

 後に残ったのは、百貨店の吹き抜けを太陽のように照らす、透明な**『万華鏡のダイヤモンド』**。

 それは、街の記憶そのものが昇華された、究極の星屑だった。

「……やった」

 三人は同時に、床に倒れ込んだ。

 息を切らし、汗まみれになりながら、僕たちは天井を見上げた。

 

 ダイヤモンドの星屑は、ゆっくりと上昇し、建物の屋根を突き抜けていった。

 それは夜空に消えるのではなく、街全体に降り注ぐ「光の粉」となって散っていった。

 明日、建物が壊されても、ここにいた人々の想いは、新しい街の礎として、人々の心の中に残り続ける。

 それこそが、広域整理の本当の目的だった。

 ***

 夜の事務所。

 カイは「貸しだぞ」とだけ言い残して、闇の中に消えていった。

 ステラさんは、ボロボロになった自分の手を見つめ、ふっと笑った。

「浅野。……あなた、いつの間にか私を超えようとしてるわね」

「まさか。僕はまだ、ステラさんの背中を追いかけてるだけですよ」

 僕は、自分のデスクに置かれた新しい名刺入れを見た。

 中には、今日出来上がったばかりの、真っ白な名刺が一枚。

『星屑遺品整理店 整理士 浅野 湊』

 肩書きはまだ、どこか気恥ずかしい。

 けれど、僕の履歴書を汚していた「無価値」という文字は、もうどこにもなかった。

「ステラさん。……僕、気づいたんです。星を磨くっていうのは、過去を終わらせるだけじゃないんですね。……未来を、少しだけ明るくするための作業でもあるんだ」

 ステラさんは頷き、首元に揺れる『銀色の栞』の欠片に触れた。

「ええ。私たちは、想いの翻訳家。そして、未来の設計士……かもしれないわね」

 彼女は窓を開け、夜の空を見上げた。

 そこには、第1話から第7話までに僕たちが打ち上げた、数々の星たちが輝いている。

 孤独な老人の黄金。ダンサーの真紅。先生の銀色。そして、兄・シオンの茜色。

 それらの星々が繋ぎ合わさり、今、新しい「星座」を作ろうとしていた。

 名付けるなら、『整理士たちの座( constellation of cleaners)』。

「さあ、浅野。明日の依頼は何だったかしら?」

「えーっと……『初恋のソーダ』の整理、でしたよね?」

「そうだったわね。……甘酸っぱい仕事になりそうね。気合を入れなさい、相棒パートナー

 相棒。

 その響きが、胸の奥で心地よく反響した。

 僕はポリッシャーを手に取り、明日へと続く刃を研ぎ始める。

 焦げた砂糖の匂いに包まれながら。

 誰かの人生を、世界で一番美しく完結させるために。

 

 僕たちの星屑研磨は、終わらない。

 この宇宙に、一つでも磨かれるべき想いがある限り。


(第8話・完)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ