断罪回避のために鍛え続けた悪役令嬢、ゴリラと呼ばれて追放されましたが魔王様に溺愛されています
「ロザリンド・ベルンシュタイン公爵令嬢!貴様との婚約を破棄し、国外追放を命ずる!」
シャンデリアが煌めく夜会会場。第一王子エドワードの鋭い声が響き渡った。
私は、驚きのあまり、手にしていたリンゴを握りつぶしてしまった。即席のリンゴジュースの完成だ。
「……婚約、破棄、ですの?」
私はゆっくりと振り返った。
その瞬間、会場にいた貴族たちが「ひっ……!」と短く悲鳴を上げた。
無理もない。今の私は、公爵令嬢らしい優雅なドレスを纏ってはいるが、その下には「いかなる暗殺者の刃も通さぬ鋼の肉体」が詰まっている。
(ああ、ついにこの日が来たのね……)
私の前世は、日本の冴えないアラサー女だった。
彼氏いない歴=年齢。唯一の趣味は乙女ゲーくらい。一人暮らしのマンションと会社を行き来するだけの毎日。
そんな私が、やり込んでいた乙女ゲーム「ロイヤル・エンゲージメント」世界に、悪役令嬢役のロザリンドに転生したと気づいたのは、5歳の時だった。
『ロザリンドは王子に振られ、処刑されるか野垂れ死ぬ』
そのことを思い出した私が導き出した答えは、あまりにもシンプルだった。
「愛される努力をしても、どうせヒロインには勝てないわ。なら、死なない努力をすればいいじゃない」
処刑人の斧が振り下ろされるなら、僧帽筋で弾き返せばいい。
国外に放り出されるなら、素手でクマを倒して冬を越せばいい。
そんな強迫観念に突き動かされ、私は10年間、自分を追い込み続けた。
お茶会の代わりにベンチプレス。ダンスの練習の代わりにスクワット。
プロテイン代わりには、タンパク質の豊富な魔物の肉を摂取。
私はいつしか「公爵家のゴリラ」……もとい「剛腕令嬢」と呼ばれるようになっていた。
「そうだ! ミアを階段から突き落とそうとし、さらにはその凶暴な肉体で彼女を威圧した罪、万死に値する!」
王子の隣で、ヒロインのミアが「怖いですぅ……」と震えながら、小鹿のように王子の腕にしがみついている。
いや、待ってほしい。
突き落とそうとしたのではなく、階段の中腹で転けそうになっているミアを助けるために、彼女の襟首を掴んで、上の踊り場に軽く投げただけ(実際、私の精密な筋力コントロールによりミアは無傷)。
それに、私が彼女を威圧したというのも誤解だ。彼女が私のサイドチェストを見て、勝手に腰を抜かしただけなのに。
「殿下、一つよろしいかしら?」
「何だ! 往生際が悪いぞ!」
私は一歩、前へ踏み出した。
ズゥン。
大理石の床にヒビが入った。
しまった…動揺のあまり、力が入りすぎちゃった。
周囲の令嬢たちが「地震!?」「地鳴りよ!」とパニックになる。
「私はただ、自分を磨いていただけですわ。女性が美しくあろうとする努力を、貴方は否定なさるの?」
「努力の方向が垂直に間違っていると言っているんだ! 見ろ、その腕! ミアの太ももより太いではないか! ドレスの袖がはち切れそうで、見てるこっちが怖いわ!」
確かに、今日のドレスはちょっとだけタイトだったかもしれない。
特に広背筋周りが。
「貴様のような、可愛げのかけらもない『人型重機』は我が国には不要だ! 今すぐ出て行け! 追放だ!」
エドワード王子の罵倒に、私は深く溜息をついた。
…ああ、終わったんだわ。
10年間の努力。それは王子のためではなく、ただ「生き延びるため」だった。
でも、もういい。こんな狭い王宮で、筋肉を隠して淑女のフリをするのにも飽き飽きしていた。
「……分かりましたわ。お望み通り、消えて差し上げます」
私はお辞儀をしようと、少しだけ膝を曲げた。
その瞬間。
バリバリバリッ!!
「キャーーーーーーーッ!!」
悲鳴が上がる。
私のドレスの背中が、まるで爆発したかのように弾け飛んだのだ。
露わになったのは、幾重にも重なる筋肉の鎧。
光を反射して鈍く光るその背中には、まるで憤怒の形相を浮かべた「鬼」が宿っているかのようだった。
「ひ、ひいいいっ! 背中に……背中にバケモノが住んでいる!!」
「失礼ね。これは広背筋と大円筋が織りなす芸術ですわよ」
私はボロボロになったドレスの裾を引きちぎり、自慢の脚を露わにした。
そして、唖然とする王子とミアを尻目に、壁に向かって歩き出す。
「出口はあっちだぞ、ロザリンド!」
「あら、わざわざ遠回りするのは筋肉の効率がよろしくありませんわ」
私はそのまま、ホールの厚さ50cmの石壁に体当たりをした。
ドゴォォォォォン!!
爆音と共に壁が粉砕され、夜の王都に巨大な穴が開く。
私は立ち上る煙の中から、呆然とする一同を振り返って微笑んだ。
「さようなら、殿下。……どうか、魔物にはお気をつけて?」
私はそのまま、月明かりの下へと躍り出た。
100kgの重りを付けているかのような軽やかなステップで、私は自由を求めて走り出したのだ。
◇
数週間後、私は、国境付近の険しい山脈にいた。
「ふんっ! はんっ! ……ふぅ、やはり標高が高いと酸素が薄くて、心肺機能がよく鍛えられますわね」
私は今、「巨大な岩を背負いながら片足でスクワットをする」という、前世の漫画でよく見たようなトレーニングに励んでいた。
ドレスはすでにボロ布となり、自慢の大腿四頭筋(太ももの筋肉)が月光を浴びて、彫刻のように美しく波打っている。
「さて、プロテイン代わりにその辺のキマイラでも狩りましょうかしら…鳥系の魔物の方がタンパク質含有率が高いのよね」
そう呟いた時だ。
背後の空間がゆらりと揺れ、漆黒の霧の中から、一人の男が姿を現した。
禍々しい角、夜の闇を溶かしたようなマント。
魔界を統べる王、大魔王閣下その人であった。
私は反射的に戦闘態勢を取った。
その瞬間、大円筋が大きく広がり、広背筋が牙を剥く。
「……ほう」
魔王の目が、驚愕に見開かれた。
私は覚悟を決めた。魔王の超魔法、受けて立つわ、私の腹筋なら核爆発以外なら耐えられるはず。
だが、魔王が発した言葉は、予想だにしないものだった。
「……なんて、キレているんだ」
「えっ?」
「その僧帽筋の盛り上がり……。三角筋から上腕三頭筋にかけての、見事なストリエーション(筋繊維の溝)。貴様……いや、貴女は、一体何者だ?」
魔王は戦う意志を見せるどころか、うっとりとした表情でロザリンドに歩み寄った。
彼は、私の周りをぐるりと一周し、ため息を漏らす。
「素晴らしい。人間界にこれほどの『バルク』が存在したとは。我が魔族において、強靭な肉体は至高の美。だが、これほどまでに洗練された機能美を持つ者は、我が魔界の歴史を見渡しても一人としていない」
「あの……私、人間界では『ゴリラ』とか『人型重機』とか言われて追放された身なのですが」
私の言葉に、魔王は激昂した。
「何だと!? そのような審美眼を持たぬ愚か者共が、この至宝を捨てたというのか! 盲目にも程がある! 貴女のその大腿筋一筋に、我が国の国宝を全て投げ打っても惜しくはないというのに!」
魔王は跪き、その硬く鍛え上げられた手を取った。
「美しき剛力の姫よ。我が魔王城へ来ないか? 貴女が望むだけのプロテイン、そして最高級の重り(ダンベル)を用意しよう。貴女のその美しさを、我が隣で永遠に輝かせてほしい」
前世から通算して数十年。
「可愛い」とも「好きだ」とも言われたことのなかったロザリンドの心(という名の胸筋)が、激しく高鳴った。
「……よろしいのですか? 私、本当に可愛げなんてありませんわよ? 隙あらばサイドチェストを決めますし、感情が高ぶると服を破いてしまいますけれど」
「構わん! むしろ、毎日私の前でポージングしてくれ! 貴女のダブルバイセップスが見られるなら、魔界の半分を差し出そう!」
私は生まれて初めて「自分を受け入れてくれる場所」を見つけた。
「……喜んで、お供いたしますわ。魔王様」
二人は手を取り合い(ロザリンドの握力が強すぎて魔王の手が少しミシミシ言ったが、彼は幸せそうだった)、魔界へと消えていった。
◇
一方、ロザリンド追放後の王城では。
王宮の会議室には、エドワード王子の絶叫が響き渡っていた。
「……何だと!? 北の街道がオークの群れに占拠された!? 騎士団は何をしているんだ!」
報告に訪れた騎士団長は、真っ青な顔でガタガタと震えていた。
「そ、それが……。今までは、ロザリンド様が『朝のジョギング』と称して、街道沿いのオークを片っ端からラリアットでなぎ倒していたらしく……。彼女がいなくなった途端、結界が解けたかのように魔物が溢れ出してきたのです!」
「なっ……あいつ、ジョギングであんな化け物を退治していたのか!?」
エドワードは戦慄した。
さらに追い打ちをかけるように、別の伝令が飛び込んでくる。
「殿下! 西の森のエンシェント・ドラゴンが目覚めました! 王都に向かって直進中!」
「ドラゴンだと!? 聖女ミア! お前の祈りでどうにかしろ!」
縋りつかれたミアは、真っ白な顔で首を振った。
「む、無理ですぅ……。私の聖なる力は、切り傷を治す程度で……。そもそも、今までドラゴンが大人しかったのは、ロザリンド様が『広背筋を鍛えるのにちょうどいい重りだ』と言って、毎日ドラゴンの尻尾を掴んでジャイアントスイングしていたからだと聞き及んでおります……」
「……何だと?」
エドワードの脳裏に、かつてのロザリンドの姿が浮かぶ。
「殿下、今日のドラゴンの重量感は最高ですわ」
と、血まみれ(返り血)で微笑んでいた彼女。
ただの悪質なジョークだと思っていたが、まさか、本当だったとは…
「そんな……。あいつがいなければ、この国は……!」
その頃、王都の外壁には、ロザリンドがぶち抜いた「人型の穴」から次々と魔物が侵入し始めていた。
皮肉なことに、彼女が自由を求めて開けた穴が、王国の終焉の入り口となってしまったのである。
◇
人界と魔界の境界付近。そこには、最新のトレーニング設備の整った美しき「筋肉の聖域」があった。
私が魔王ゼノス様と、互いの広背筋のキレを褒め合いながら「サイドチェスト」のポーズで夕日を浴びていた、その時だ。
「……はぁ、はぁ……見つけたぞ、ロザリンド……!」
ボロボロの馬車から転がり落ちてきたのは、かつて私を「ゴリラ女」と罵り、夜会で婚約破棄を突きつけたエドワード王子だった。
かつての煌びやかな面影はない。泥に汚れ、怯え、見る影もなく痩せこけている。
「どうしたのですか、殿下。そんな細い足でここまで歩いてくるとは。カーフ(ふくらはぎ)の筋持久力だけは認めて差し上げましょう」
私が優雅に(大胸筋をピクつかせながら)一歩踏み出すと、王子は悲鳴を上げて後ずさった。
「黙れ! お前がいなくなってから、王都は魔物の巣窟だ! お前がダンベル代わりにしていたドラゴンが、今や王宮の屋根で昼寝をしているんだぞ! 責任を取って戻ってこい! 戻って…俺のために戦わせてやってもいい!」
……驚いた。
この男、私の僧帽筋の盛り上がりを見てもまだ、そんな寝言が言えるのか。
その時、私の隣で静かに「ラットスプレッド」を決めていた魔王ゼノス様が、重厚な声を響かせた。
「おい、その貧相な骨組み(スケルトン)。我が愛しきロザリンドの『バルク』を前にして、その無礼な態度は何だ?」
「ま、魔王……!? なぜロザリンドと並んでポージングを……!?」
「愛だよ。筋肉と筋肉が共鳴し、魂がプロテインを求めて引かれ合ったのだ」
ゼノス様は私の腰を抱き寄せた。その前腕筋の硬度は、もはやオリハルコンを凌駕している。
「ひ、ひぃっ! 助けてくれ! 追っ手が、追っ手が来たんだ!」
王子の指差す先。超巨大魔獣「終焉を喰らう者」が、王子の執念深い匂いを追ってきたのだ。
山のような巨躯。全てを飲み込む顎。
だが、私とゼノス様は顔を見合わせ、深く頷いた。
これは、私たちの愛の共同作業に相応しい。
「ロザリンド、仕上げだ。最高のパンプを見せてくれ」
「はい、ゼノス様。今日の私は、過去最高にキレています!」
私たちは王子を無視し、魔獣に向かって猛然とダッシュした。
地面が、私たちの脚力に耐えきれずクレーター状に爆ぜる。
「「――愛の共同作業!!」」
私とゼノス様が、魔獣の眉間で同時に渾身のポージングを決める。
放たれたのは魔法ではない。
極限まで圧縮された筋肉が、弛緩する瞬間に放つ「衝撃波」だ。
ドォォォォォォォン!!
空を覆っていた暗雲が吹き飛び、超巨大魔獣は文字通り、一瞬で「挽肉」へと変わった。
その衝撃の余波だけで、王子の着ていた高級な服は木っ端微塵に弾け飛び、彼は生まれたままの姿で遥か彼方の王都まで吹き飛んでいった。
「ふぅ……良い汗をかきましたね」
「ああ。今の収縮、100点満点だ」
キラキラと輝く汗を拭いながら、私は空を見上げた。
王都に戻るつもりはない。
私を認めなかった小さな世界よりも、この筋肉の美しさを愛してくれる魔王様と共に、私はさらなる高みを目指すのだ。
「ゼノス様、次はスクワット1万回、付き合っていただけますか?」
「もちろんだ。愛しているよ、私の鋼鉄の乙女」
魔界に、鉄のプレートがぶつかり合う心地よい音が響き渡る。
私たちの恋は、まだパンプアップし始めたばかりなのだから。




