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伯爵令嬢はへこたれない ― 社交界中間管理職の婚活は本日も受難です ―

作者: 牧之原うに
掲載日:2026/01/22

伯爵令嬢というものは、大変である。


上を見れば侯爵、公爵。全方位にマウントを撒き散らすモンスター。


下を見れば子爵、男爵。目が笑っていない全自動ゴマすり機。


そしてその()()


「偉そうにしても失礼、かといって遠慮しても舐められる」


そんなジリジリしたポジションに立たされるのが――

我らが、伯爵令嬢。







「はぁぁぁぁぁぁぁ……」

「お嬢様、また地面に向かってため息を無駄打ちなさって」


執事のリューが、眼鏡をチャッとかけ直しつつ、心配している()に私を見下ろしてくる。私は椅子に座ったまま、極めて優雅に項垂れていた。


「この角度、私的には“死にかけの白鳥”ポーズなんだけど、どう?」

「どちらかと言うと監査前夜の帳簿担当にしか見えませんね」

「そうそう、それ。社交界で伯爵令嬢が日常的になるやつ」

「社交界はずいぶんと残業が多いのですね」


リューの無感情なぼやきが、書斎に響く。




私はロゼリア・ブランシュ。ブランシュ伯爵家の長女にして、社交界歴三年目。

品行方正、才色兼備、お嬢様界のベンチウォーマー。


その実態は――


「上にも下にもペコペコしながら笑顔で胃を痛め、将来のために良縁を探す中間管理職……!」

「さながら課長といったところですかね」


正直言って、公爵令嬢や侯爵令嬢が羨ましい。

どれだけ毒を吐こうと「あら素敵♡」で済まされる破格のスペック。


そして、逆に子爵令嬢や男爵令嬢なら「まぁまぁ下位貴族なんてそんなもんよね」程度でやり過ごされる。


その点、伯爵令嬢に対する評価は──異常に細かい。


「カーテシーの角度が浅いってだけで育ちが悪いことにされるのよ。深くしすぎたら地面とキスね」

「お嬢様、前にも同じことを仰せでしたよ」

「でも、いつまで経っても変わらないのよ? 空間把握に厳しすぎなのよ、あの人たち」

「角度に生き、角度に死ぬ世界ですね」


ちなみにリューは忠実で誠実、たまに刺さるツッコミを放つ、私の周りの数少ない『常識人』。商会を営む男爵家の次男で本名はリュート・ルシアー。


彼のツッコミに妥協はない。

ねぇ、お前本当に私を主だと思ってる?


「ちなみにお嬢様、今夜のご予定はお忘れではないですよね?」

「忘れようとしてたのよ? 必死に。なのに思い出させるなんて、あなたってば非情」

「ご予定をお伝えしただけです」


夜会、それは職場飲み会。

上司に誘われたからには行かないと「協調性がない」と言われ、嫌々行ったら行ったで「態度が悪い」と言われ、冷や汗かきかきどれだけ気を遣っても、ミス一つで評判が地に落ちる。


「ちなみに今日の会場はどこだったかしら?」

「エリシオン公爵家の別邸にて、主催はマグノリア様です」

「ああ。『王都の高笑いマイスター』の異名を持つマグちゃんね」

「お嬢様。それ、世に出してはいけないタイプの異名です」

「安心して、今のは心の声だったわ」

「完全に物理的な声でしたよ」


マグノリア・ド・エリシオン公爵令嬢。

『生まれながらの社交界モンスター』

気位が高く、鼻も高く、ついでにヒールも高く、そして心が狭い。


「……って言ったら、また心の声がダダ漏れ?」

「もはや声に出すことが前提でしたよね」

「まぁ、伯爵令嬢として、私は今日も()()で微笑み続けるだけよ」

「お疲れさまでございます。ヨッ、『夜会の潤滑油』」

「摩擦で燃え尽きる未来しか見えないわね……」







エリシオン公爵家の本邸に着いた瞬間、私はため息をついた。

今日の獣たちの顔ぶれを想像しただけで、脳が逃避を始めている。


「深呼吸を。お嬢様、また顔が『逃げ出したいです』になっています」

「なってた? もう顔だけでも隣国に亡命したかった」

「首が胴とグッバイしても良いのでしたら」

「嗚呼、無情……!」


ちなみに婚約者がいない私は、リューに護衛も兼ねてエスコートしてもらっている。

一歩、また一歩とダンスホールに歩みを進める私は、リューの無表情を横目に、社交モードにギアを入れた。


(そう! 微笑み八割、感情二割、我慢は十割!)


十割オーバーな覚悟を決めて、最初の一歩を踏み出したその時――


「オーーッホッホッホッホ!」


空気が震えた。


エリシオン公爵家の本邸に響き渡るこの笑い声は、音ではなく衝撃波。

登場前から存在を主張してくるこの方――マグノリア・ド・エリシオンである。


「まぁまぁ、ロゼリアさんではなくて? よくいらしてくださったわねぇ」


マグちゃんは私に気づくと、縦ロールをバウンドさせつつ、高いヒールをカツカツ鳴らしてこちらにやって来た。


「マグノリア様、本日はお招きいただき光栄ですわ。こうしてお声がけいただけるなんて……」

「貴女、こういった夜会は、慣れていらっしゃるでしょう? どうしてそんな隅のほうにいらっしゃるの? 婚約者のサポートも不要でしょうからお時間にも余裕がおありでしょうし、もっとこちらにおいでなさいな」

「まぁ、お気遣い、痛み入ります。おかげさまで時間に余裕だけはございますの(チッ)」

「ふふっ。いつか、あなたにも相応しい方が現れるといいですわねぇ」

「はい、マグノリア様のように先を歩まれるお方を見習って、わたくしも日々研鑽を積みますわ(ぜひその道に地雷がありますように)」


背後でリューが声を落とす。


「お嬢様、笑顔が表情筋の限界を超えて痙攣し始めております」

「大丈夫、あと三往復くらいならいける……たぶん」


その後、マグちゃんときっかり三往復のやり取りをし、リューの心配通りに表情筋が仮死状態になったところで「では私は愛しのダーリンの元へ行ってまいりますわ、楽しんでくださいませ。オーーーッホッホッホ!」と声高らかに宣言した彼女に解放された。


「最後の一発で、耳がなんだか詰まってしまったわ。それよりリュー、あなたもよくあれを至近距離で浴びて平気ね」

「大丈夫なはずないじゃないですか。今、ほとんど何も聞こえてないですよ」

「え、でも会話できてるじゃない」

「読唇術……と言いたいところですが、お嬢様の考えることくらい大体わかります」

「頼むから心を読むのはやめてくれないか」


できる執事の無駄遣い……とくだらない事を考えつつ会場を見回す。ざっと見た限り侯爵クラスの貴族は居ないようだ、次に爵位が高いのが我らが伯爵家である模様。


(ということはこちらから声をかけなきゃならないのね……。マグちゃんはいいわよね、見境なく高笑っとけばいいのだもの。)


ちなみにそんなマグノリアは愛しのダーリンにエスコートされて別の伯爵令嬢と話していた。


彼女の婿は隣の公国の元第二公子だ。少々ふくよかだが素朴で柔和な相貌、見るからに『善』な彼は、マグノリアの事をいつも微笑ましそうに見守っている。


(控えめに言って超羨ましい。相貌がぱっとしないから変に羨望を集めることはないし、でも超お金持ちだし)


思わず横目でリューを見る。


リューの実家であるルシアー家は、飛ぶ鳥を落とす勢いで急成長中の商会だ(今は男爵家だが、そのうち子爵に昇爵されるだろうなんて噂もある)。

かつて商会が傾きかけた際、私の祖父が個人的に融資をしたことから、両家には深い縁がある。

その恩義からか、リューの父である現商会長は、今も経営センス皆無な父の顧問役を引き受けてくれているのだ。


そういった繋がりもあり、当家に幼い頃より丁稚奉公をしていたこの男。そう、我が家からの融資額なんてとっくに返し終わっているにも関わらず、なぜか私の執事をしているこの男。


爵位こそぱっとしないが、護衛のために鍛えられた細身の体躯と怜悧で整った顔。何より王国で珍しい黒髪黒目は会場中のご令嬢の目を惹く。


(そりゃあそうよ、男性諸君はリューと比べられたくないもの! 私には声をかけづらいよね! 誰からもお誘いを受けないのも納得よ! 胸部以外ぱっとしない強面の私が、この男を連れてたらそりゃまともな男は遠巻きになるわ!)


そもそもこういうパーティーにおいて、普通は親戚筋の年が近い男性にエスコートしてもらうものなのだ。ただ、うちの家系が恐ろしいほどの女系なだけで。


意図せずプンスカしている私を心配してか、リューが無表情のままこちらを覗き込む。


「お嬢様、怒りが収まらないのでしたら六秒間かけて深呼吸すると良いそうですよ」


(本当、無駄に顔整ってんな)と思いながら言われたとおりに素直に深呼吸をしてみる。なるほど。少し心が落ち着いた気もする。


「お嬢様がすると特大のため息のようですね」


――前言撤回。







「デュフッ」

「ねぇ、リュー。今変な音がしなかった? 何? 空調壊れてる?」

「いえ。空調にしては、あまりに湿度が高すぎる音かと」

「そう、気の所為ね」


認めたくない現実がそこにある時、人は思考を停止するのだ。


「デュフフ……フフフフ……!」


聞き覚えしかない、狂った音階の笑い声が、私の背後から響く。


(まさか! いや、今日はいないはず……)


しかし、現実は非情だった。


意を決して振り返ると、認めたくなかった彼女がいた。


アリメラ・パッシオーネ。

我が伯爵令嬢界の異端児にして、妄想癖が些か強すぎるこの令嬢。


「ロゼリアさまぁ……今日も極上の『悪役(ヴィラン)』ですわぁ……!」


彼女はうっとりと目を瞑り、周りの酸素を全て吸い込む勢いの鼻息で近づいて来た。


「ヒエッ」

「リュー様を従えて歩くその姿……まさに、忠実な黒騎士を引き連れた金髪縦ロールの悪役令嬢!」

「アリメラ。目をかっぴろげてこっちを見て。私の髪は赤茶のストレートよ」

「そしてリュー様。嗚呼、無表情に隠された忠誠心は誰よりも熱く……その忠誠心で恋心を自制して……。デュフッ」

「忠誠することも仕事のうちなので」

「発言がもう『寡黙な黒騎士』ッッ!!」


いや、リュー。仕事を理由に忠誠しないでくれ。あと、今のやりとりのどこが寡黙な黒騎士かはわからんが、うっかりそういう『燃料』を投下しないでくれ。


「婚約者を追いかけるロゼリア様を恋心に蓋をしてサポートするリュー様。なんてときめく展開なの!尊死――!」

「アメリラ、お願いだからそんな恥ずかしい理由で昇天しないで。あなたのお兄様に泣きつかれるこちらの身にもなって。あと婚約者はいないから。だからここにいるから」


アメリラの兄は私の幼馴染である。最近、妹の度重なる奇行により()()()()()()()()()()()気弱な次期伯爵家当主だ。


「ああ、ロゼリア様に御兄弟がいらっしゃれば、私が嫁いで、お二人の姿をもっと間近で見られましたのに……。滾りますわ! あぁっ! 滾ってしまいますわッ!」

「あなたが妹だったら、私はあなたを一歩も外に出さないわ。あと、シンプルにあなたが義姉妹なんて嫌よ」


アメリラと話をしていると普段の十倍はエネルギーを消耗している気がする……あっ、そう言えば。


「リュー。何、さりげなく気配消してるの? ちょっと! ずるいでしょうが」

「いや、私は『寡黙』がウリのようですので」

「ねぇ、あなた。ちょっと楽しんでない?」


ちなみに、アメリラの暴走にもリューは表情一つ変えることなかった。なんか悔しい。







「もう、私のヒットポイントはレッドゾーンよ……」

「お嬢様、世界観がいくらなんでも崩れるかと」

「そ・も・そ・も! 私はね、お婿さんを探しに来てるのよ! このままだと我が家は断絶まっしぐら! はぁーっ、どこかにちょうどいい感じの人はいないかしら。そりゃマグちゃんみたいに公国の王子をお迎えする度胸も器量もないけどさぁ……」


属性が渋滞を起こしているご令嬢どもの相手に疲れて忘れていたが、本来社交界は大婚活パーティーなのだ(決して上司に嫌々誘われた職場飲み会ではない)。


マグちゃんほどの高位貴族であれば、縁談はガッポガッポ来るし、そもそも政治的な意味合いで幼少期から婚約者が決まっていることが多い。しかし、うちのような中庸凡々とした貴族はそうはいかない。


(ここ最近は本当にデートにもなかなか繋がらないし、繋がったとしてもなんかうまくいかないし)


最近の戦績はそりゃ酷いもので連戦連敗。

これだったら木剣しか知らない子どもが、王国最強の騎士に一太刀入れるほうが、まだ望みがありそうだ。


ちなみに中庸凡々くらいの爵位だと親戚筋から養子を迎えることも多い。しかし、何度までも言うがブランシュ家は女系だ。親戚筋の同世代令嬢は皆さん血走った目でお相手を探している。


(……鍬振りたい)


夜会会場の壁際。シャンデリアの輝きが私の疲れた網膜に突き刺さる。私は扇子で口元を隠しながら、領地の青空と畑に想いを馳せた。


「お嬢様、また心の声が漏れてます。あと収穫の時期はもう少し先ですし、どうせ収穫期の後は『もう二度と振りたくない』になります」

「リュー、あなたには分からないのよ。この『誰かに声をかけられたいけど、自分からガツガツ行くのも品位が下がる』という、絶妙な待ち加減を維持する苦痛が。そりゃ鍬でも振りたくなるわよ」

「それはそれは。ちなみに、お嬢様。あちらから視線を送っている『作物』にもお気づきでないと?」

「え?」


リューの視線を追うと、会場の入り口付近に一人の男性が立っていた。色素の薄い茶髪に、少し垂れ気味の甘い目元。仕立ての良いスーツ。派手さはないが、そこはかとなく漂う育ちの良さ。


(……あれは、ダリウス子爵家の次男、ギルバート様!)


私の脳内データベースが高速で検索をかける。


あ、ヒット。

『ギルバート・ダリウス』


長男がすでに家督を継ぐ予定。性格はキザだが温厚と評判。顔は……うーん、リューの「美の暴力」みたいな顔を見慣れていると薄味だけど、毎日食卓に並ぶならこれくらいのほうが胃に優しい。


(優良婿入り候補!!)


向こうから熱い視線が届く。よし、これは行けるはず。


「あら? あなたは?」

「失礼。壁の花になりきれていない大輪のバラに水をやりに来たと言ったら、笑われるかな?」


声をかけたら彼が近づいてきた。セリフは案の定キザだけど、笑顔が爽やかだから許容範囲だ。


「いえいえ。(マグちゃんとアメリラの相手で)少し疲れてしまったので、それは光栄ですわ。ロゼリア・ブランシュですわ。ギルバート様でしょう? 有名ですもの」

「いやいや、そこの美しい執事クンに比べたらボクなんて! でもボクを知っていてくれたとは光栄だ。それにしてもキミのような美しい人がこのパーティーで一人でいるなんて、まるで王国の七不思議だね」


(よし、食いついた!)


私は心の中でガッツポーズをとる。


高望みはしない。侯爵家のドロドロした後継者争いも、貧乏男爵家の借金返済も御免だ。程よい家柄、程よいルックス、程よい性格。これぞ伯爵令嬢たる私が目指すべき、平穏な老後への切符!


「今度、よろしければ街へ遊びに行かないかい? 美味しいカフェを知っているんだ」

「ええ、喜んで!」


トントン拍子だ。私は満面の笑みで頷きつつ、背後のリューに(見たか! 私の営業力!)と目配せを送る。リューは無表情のまま、しかしその声はどこか楽しげに、恭しく一礼した。


「……それでは、日程の調整は私が承ります」


その眼鏡が、キラリと怪しく光ったことに浮かれた私は気づかなかったのだ。







そして迎えた初デート。結論から言うと、()()の連続だった。


場所は王都で人気のオープンテラスカフェ。天気は快晴。ギルバート様のエスコートも(少しキザではあったが)完璧だったはず。


「ロゼリア嬢、キミの瞳は本当に綺麗だね。まるで宝石のようだ」

「まあ、お上手ですこと」


いい雰囲気だ。彼が私の手を取ろうと、テーブル越しに身を乗り出した、その瞬間。


ズシャァァァン!!


「ああっ! 申し訳ございません!!」


ウェイターが派手に転び、トレイに乗っていたアイスコーヒーが、ギルバート様の白いシャツに直撃した。美しい茶色のシミが、前衛芸術のように広がっていく。


「つ、冷たっ!?」

「お客様! 大変申し訳ございません! 足元の石に躓いてしまって!」


平謝りするウェイター。帽子を目深にかぶり、やけに声が低いそのウェイターを私は凝視する。


(……ん? あの猫背、どこかで見覚えが。タウンハウスの庭師のボブに似てない? いや、まさかね)


彼は今頃、タウンハウスで私が丹精込めて育てているカブの間引きをしているはずだ。


「……ついてないな。着替えてくるよ」


ギルバート様は苦笑いで席を立った。いい人だ。怒鳴り散らさないなんて、ポイント高い。


けれど、悲劇はそこで終わらなかった。







二回目のデートは植物園。今度こそは! と意気込む私と彼。温室の中、色とりどりの花に囲まれて、私たちはベンチに座った。


「ロゼリア嬢。ボクはキミとの将来を真剣に……」


彼が私の肩に手を回そうとした、その時だ。ヒュンッ、と何かが空を切る音がして。


「うわあああああっ!?」


ギルバート様が情けない悲鳴を上げて飛び退いた。見ると、彼の手の甲に、毒々しい色の毛虫が着地していたのだ。


「む、虫! 虫ぃぃぃ!」

「まあ、ギルバート様。落ち着いてくださいまし。こんなの赤子みたいなものですわ」

「無理だ! ボクは虫だけは生理的に無理なんだ!」


半泣きで逃げ回るギルバート様。


その姿を見て、少し萎える。いや、相当に萎える。


今も自宅で黒い物体『G』が現れたら、役に立たないお父様の代わりに私がはっ倒しているというのに。例えこの人と結婚しても、この調子じゃその役目は私のままになりそうでだ。そう、()は迅速に滅する必要があるのだ。執事を呼んでいる場合じゃない。逃さない、ゼッタイ。


なので正直、毛虫に関しても食害になる前に鍬の刃でプチっとやるのが私のセオリーだ。私は優しいので見つけたらひと思いにヤる。今、手元に鍬がないことが悔やまれるくらいには手さばきが良いと自負している。


それにしても、毛虫にしては随分とおかしな登場だった。毛虫というのは大体が高い枝などからポトンと落ちてくることがほとんどである。しかし、今回の毛虫ときたら随分と加速度のついた効果音で……何なら空中を飛んで来た気がする。


そんなことを考えていたら、ふと、温室の陰に人影が見えた。黒い服。長い棒を持った、長身の男。


(……リュー? まさか。彼は今日、タウンハウスでお父様の補佐をしているはずよね。幻覚を見るほど、私も疲れているのかしら)







そして三回目のデート。正直『毛虫事件』は、十分に私を萎えさせるものであったが、よくよく考えてみると、人には得手不得手があるものだ。ギルバート様にとって、それがたまたま虫だったというだけで。


決して「きゃー!」とか「こわーい!」とか可愛く声を上げてみたかったというわけではないのだ、決して。


その日、ギルバート様はなんだか焦っていた。前回の毛む……の失態を取り戻そうとしているのか、やけに強引に私を高級レストランの個室に連れ込んだ。


「ロゼリア、単刀直入に言おう。ボクと婚約してほしい」


(プロポーズキタコレ! 私もついにゴールテープを切れるのね!)


でも、なんでだろう。全然ときめかない。彼の目が、私ではなく、私の胸元を見ている気がするからだろうか。


「嬉しいですわ。でも、お父様の許可が必要ですから……」

「許可なんて後でいい! 実はね、ボク……いや、ボクたち二人の愛の巣を建てるために、少し投資をしていてね。その……一時的に資金が必要なんだ」

「……はい?」

「キミの名義で、少し融資を受けられないかな? もちろん、結婚すればキミの家の資産はボクのものになるわけだし!」


私の脳内で、警報ベルが鳴り響く。


(いやいや、駄目でしょ)


(くだん)の『毛虫事件』でロマンスは消えてなくなっているし、実際に婚約すれば詐欺とは言えないけども。


(ロマンス詐欺ではない……。いやいや、駄目でしょ)


「あの……ギルバート様? 私、ちょおっと自宅に……」

「頼むよ、ロゼリア! キミしかいないんだ!」

「ヒエッ」


彼が私の手首を掴もうとした、その時——


ガチャリ。


個室のドアが、ノックもなく開いた。


「お食事中、失礼いたします」


氷のような声と共に現れたのは、燕尾服姿のリューだった。手には銀のトレイ。そこには料理ではなく、一枚の分厚い書類が載っている。


「なんだキミは! 今大事な話をしているんだぞ!」

「ええ、存じております。裏カジノでの借金返済計画についてでしょう?」


リューは冷ややかな微笑を浮かべ、書類をテーブルに叩きつけた。


「なっ……!?」

「ルシアー商会の情報網を甘く見ないでいただきたい。ギルバート様、あなたの負債総額は金貨二千枚。担保は実家の子爵家のタウンハウス。お嬢様を騙して婚約し、それが王家の耳に入れば、ブランシュ伯爵家を敵に回し、お父上が降爵になる可能性もありますが……。よろしいのですか?」


ギルバート様の顔色が、めまぐるしく変わる。青、赤、そして白へ。


「き、貴様……たかが男爵風情が!」

「ええ。我が家はたかが男爵家ですが、あなたの借金の債権の一部は、我が商会が買い取らせていただきましたので。つまり、今の私はあなたの『オーナー』のようなものです。ですので、きっちりと子爵家に請求させていただきますね」


リューの目が、笑っていない。あれは、私が最も恐れる商売人(ヤクザ)の顔!


「ひぃぃぃっ! お、覚えてろよ! この性悪女と悪徳執事がぁぁぁ!」


ギルバート様はリューが来てからはほぼ喋っていない私までついでに貶し、三流役者のような捨て台詞を残して、脱兎のごとく逃げ出した。


シーンとする個室。残されたのは、私とやけに生き生きとしたリューのみ。


「……行っちゃったわね」

「ええ。ゴミの分別回収が早く済んで何よりです」

「顔は……程よくイケメンだったのに」

「メッキが剥がれれば、ただのトタン板でした。資源ごみです。我が家で再利用(債権回収)します」


リューは淡々と毒を吐きながら、私の前の冷めたスープを下げ、温かい紅茶を差し出した。その手際は、憎らしいほど完璧で優雅だ。


「どうして私の周りには、まともな人間が寄ってこないのかしら」

「お嬢様がまともじゃ……コホン。単に見る目がないだけでは?」

「今、言いかけた先の言葉は聞かないでおいてあげるわ」


私は紅茶を一気に煽る。悔しい。今回こそはイケると思ったのに。でも、不思議と涙は出なかった。


(あそこで借金の話に乗せられていたら……。いや、ここまで詰めが甘いと乗せられることもないだろうけど)


それでもそんな男と三回もデートをしたことがバレれば、少なくともお父様はキャンキャンうるさい。


「……助かったわ、リュー。ありがと」

「お礼には及びません。お嬢様が路頭に迷えば、私の給料も出なくなりますから」


(さすがにそこまでひどくなることはないと思うけど……)と思ったが、今回のこともある。


私はパン!と両頬を叩いて気合を入れ直した。


「よし! 切り替えましょ! 今夜は侯爵家主催のダンスパーティーよ! 次こそは誠実で、程よく金持ちで、私の角度に文句を言わない人を見つけるんだから!」

「……そのバイタリティだけは称賛に値しますね」

「当たり前よ! 伯爵令嬢はね、そう簡単にへこたれていられないの!」


私はドレスの裾を翻し、颯爽と部屋を出ていく。背後で、リューがため息をついたのが聞こえた。


「……本当にお嬢様は、見る目がないですね」







元気に廊下を歩いていく主人の背中を見送り、私は小さく息を吐いた。


「……やれやれ。本当に、世話が焼ける人ですね」


私は懐から懐中時計を取り出し、時間を確認する。完璧だ。庭師への変装指示、毒虫の手配、そして借用書の買取。すべての日程、すべての行程が、私の描いたシナリオ通りに進んだ。


ギルバートのような、顔だけの有象無象に、あの方を渡すわけにはいかない。


いや、その顔だって百点満点で言えば六十点程度。何なら『お嬢様の胸部に夢中で鼻の下を伸ばしている顔』なんて、私から言わせれば二十点である。


ロゼリア・ブランシュ伯爵令嬢。王国南部の穀倉地帯を治めるブランシュ伯爵家の一人娘。赤茶色のストレートヘアに猫のようなヘーゼルの大きなツリ目、つんとした鼻先に小さくちょこんとした口。控えめに言って美人である。何より、豊かな胸部と折れそうなウエストが男たちの視線を集める、社交会の高嶺の花。


(発育がよろしいのは領地の豊富な穀物をしっかりと召し上がっているからであり、引き締まった身体であるのは領民に混ざって農作業をしているから……と、ご存知なのはパッシオーネ伯爵家次期当主くらいですかね)


正直、あの美しい人は自分の美しさに頓着していない。よく見ると鍬を持ち慣れた手にはマメの跡があるし、日焼けしていないのは、メイドたちに懇願され、農作業中に帽子とほっかむりを被っているからである。


(ほっかむり……個人的には可愛らしいと思いますが)


ということで、あの方は少々……いや、かなりユニークなところがある。


そして何より「王国の食料庫」の呼び声高い領地を「ただの田舎だからねぇ」などと言い、本人のガバガバ基準に照らし合わせた『程よい物件』で妥協しようとするから、あのような頭がすっからかんのハイエナが寄ってくるのだ。


「それにしても……」


私は先ほどの個室に戻り、ギルバートが座っていた椅子をハンカチで拭った。


(汚らわしい。あの方の視界に二度と入らないでいただきたい)







その日の夜、屋敷の執務室に戻ると、厳重に鍵のかかった引き出しを開けた。 そこには、一冊の分厚いファイルが入っている。


タイトルは――『害虫駆除マニュアル』。 その実、私が個人的に進めているとある計画の記録だ。


ページをめくると、あの方に近づいた男たちのリストが並んでいる。


『財産目当て』『女癖悪し』『隠し子あり』


お嬢様は本当に引きが悪い。まるでダメ男の見本市である。


「……ギルバート。顔だけの男でしたね」


私はペンの先で、リストの最新の行を突き刺すようにタップする。


今回もブランシュ伯爵家への報告は簡単だ。


「ロゼリア様がお会いになっているギルバート氏ですが、調査の結果、多額の負債が発覚しました」


それだけで、当主様の福々しい笑顔は一瞬で凍りつき、「絶対だめだ! リュー! 何とかしてくれ!」と泣きついてくるだろう。


というのも今のブランシュ家があるのは、現ルシアー商会の経営手腕があってこそ。


現在は豊かなこの領地も、先代が亡くなってからは販路を広げることができず、真面目な農民たちによって収穫量だけが増えた結果、作物を腐らせていた。


我が商会は先代に多大な恩があり、現当主様も経営センスのなさを補って余りある人徳の持ち主だ。だからこそ私は、少年の頃から父と共に泥にまみれ、この領地を改革してきたのだ。


そんな中で出会ったのがロゼリア様だ。


お嬢様が初めて鍬を握った日も、疲れて動けなくて泥だらけで泣きじゃくった日も、初めて収穫の喜びを知った笑顔も。


そのすべてを、一番近くで見てきたのは私だ。


『リュー、君の目は確かだ。ロゼリアの相手も、君が良いと思う男なら安心だ』


当主様はそう言って、全幅の信頼を寄せてくださる。まさかその信頼を利用して、私が「私が通れる隙間だけを残して、他の入り口をすべて塞いでいる」とは夢にも思っていないだろう。


ぽっかりと空いた彼女の「夫」の座。


そこに座る資格があるのは、お嬢様の表面的な美しさや、ブランシュ伯爵家の資産に群がる有象無象ではない。


泥にまみれた掌、そのマメの硬さと、豊穣を喜ぶ無邪気な笑顔を知る者だけだ。


「お嬢様が『もう結婚なんて無理! 一生独身でいい!』と諦めるまで……あと三回といったところでしょうか」


どうせあの方は簡単には止められない。なんだかんだ変わったご令嬢たちにも愛されている、少し苦労人の彼女。そんなあの方に最後に残った選択肢が私であればいい。


「……貴女を守れるのは、私しかいないのですから」


私はリストの『ギルバート』の名前の上に、赤インクで二重線を引いた。 そして『進行状況』のバーを、一メモリ分、黒く塗りつぶす。


進行率、八十五パーセント。チェックメイトは近い。


「さあ、お嬢様。今日も元気に、無駄な努力をしてきてください。最後には、どうせ私の腕の中に落ちてくるのですから」


私は鏡の前で、完璧な執事の仮面を貼り付け、ネクタイを締め直した。 今夜のパーティーでは、どこの馬の骨をエスコート(排除)しようか。 楽しみで仕方がない。

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