第48話 綿雲のマカロンと高貴な白霧の落とし子【後編】
「まあ、なんて愛らしいお菓子……! まるで雲を食べているみたい」
サラベスは、銀のフォークで綿菓子を少しずつ口に運びながら、花が綻ぶような笑顔を見せた。マカロンのサクッとした食感と、薔薇のクリームの芳醇な香り。舌の上で儚く溶けていく綿菓子の甘さが、彼女の心を優しく解きほぐしていくようだった。ゼノンもまた、妻の喜ぶ姿を見て心底安堵したように目尻を下げている。
「よかったね、姫さま。エリスの腕は、王都の宮廷菓子職人にも引けを取らないよ。さすがは僕の従姉妹だ」
「ええ、本当に……。きっとエリスさんが作るものには回復効果もあるのね。わたくし、元気が出てきたもの」
サラベスは大きく息を吐いた。少し苦しそうに胸のあたりを押さえた。
「大丈夫かい、姫さま」
ゼノンはしきりに旅の疲れを案じた。聞けば、サラベスは出産後もなかなか回復せず、何ヶ月も床についたままだったと言う。乳の出も悪かったので、急遽領内で乳母を探し、リラに白羽の矢が立ったということだった。赤ん坊は置いてきたが、今回の旅には医師も伴ってきたという。
「大丈夫。少し興奮してしまって。……懐かしいわ。昔、『落下の貴婦人』のところへ遊びに行くと、必ずお茶菓子で綿雲のマカロンが出てきたの。わたくしはそれが楽しみで……」
サラベスが何気なく呟いたその瞬間、ゼノンの顔が強張った。彼は即座に頬を緩めたが、私は見逃さなかった。
落下の貴婦人。それは、ヘスティン辺境伯の妻であり、私の祖母であるマーゴットの二つ名だ。
高位の重力魔法【落下】を操り、とある戦線では敵軍を地盤ごと陥没させて殲滅したという武勇伝を持つ祖母。貧しい小作農の娘でありながら、己の才覚と魔法一つでのし上がった女傑。
彼女は長らく王宮で暮らし、宮廷に隠然たる力を持っていた。すでに亡くなったけれど、ヘスティン家においては……禁忌なのかもしれない。
サラベスも、ゼノンの沈黙にハッとした。
「ごめんなさい、ゼノン。あなたを傷つけるつもりは」
「いや、僕は……」ゼノンは困惑したように目を泳がせた。
「……許して。マーゴットおばさまは、わたくしにとっては恩人なの。……わたくしのような『役立たずの落とし子』を助けてくださったのは、あの方だけだったもの」
落とし子。その単語が、私の脳裏で奇妙な符合を見せた。本来は「庶子」「隠し子」という意味だが……おそらくそういうことではない。嫡子だろうが、非嫡出子だろうが、母親の貴賤はさして問題にならない。ゼノンが彼女を「姫さま」と呼ぶこと。王都から遠く離れた辺境の地に、大切に隠されるようにして暮らしているという事実。
「まさか……サラベスさまは……」
私が声に出しかけた推論を、ゼノンが重く遮った。
「……そうだ。姫さまは現国王陛下の御息女。正真正銘の、王家の血を引く姫君だよ」
私は息を呑み、沈黙した。
王女が身分を隠して、なぜこのような辺境の当主の孫に嫁いでいるのか……。思い当たることは一つだ。
口を開いたのはサラベスの方だった。彼女は皿の前に手をかざした。
「……【噴霧】」
ぶわっと白い霧が噴出し、辺りに漂う。霧そのものは薄く、お互いの顔がぼやける程度のものだった。
「十二歳の時に固有魔法が発現したの。……『噴霧』よ。でも、これはただ周囲に薄い霧を出すだけの下位魔法。攻撃力も防御力もないし、生活においても役に立たない。すぐに上に報告が行って、審議にかけられたわ。一年後に出た結果は『落とし子』にするというものだった……」
「……ひどいもんだ」
ゼノンの声には、抑えきれない怒りが滲んでいた。サラベスは悲しげに俯いた。
父である国王の失望、家臣たちも彼女をあっさりと見限った。きょうだいからは嘲笑を浴び、王宮での生活は針のむしろであったという。
役立たずと見なされたサラベスは、王族の系譜から事実上抹消された。放逐される運命となった彼女に示されたのは、修道院へ行くか、王宮に出入りしていてすでに妻子のいる郷紳、富裕な商人の妾になるかの二択だった。
サラベスは絶望の淵で泣き暮らした。その中で、声を上げてくれたのは「落下の貴婦人」マーゴットただ一人であったという。
『だったら、うちの孫の嫁にもらいうけるわ。歳も近いし。ヘスティン家の氷と、王家の霧。案外、面白い子が生まれるかもしれないじゃない』
祖母の鶴の一声で、サラベスはヘスティン家の養女になることが決まった。ヘスティン家からすると、王女を押しつけられた形にもなるが……。彼女は密かに東部へ送られ、祖父カズンの養女になった。そして、数年後にゼノンと結婚した。
「わたくしの魔法……霧がもっと濃くて広範囲に出せるとか、猛毒のものが出せれば、お父さまたちのお役に立てたのに。そうなれば、捨てられることもなかったわ……」
サラベスの瞳から、涙がこぼれ落ちた。自らの無力さを呪い、家族から愛されなかった悲しみが彼女の細い肩を震わせている。
ゼノンは彼女の肩を強く抱き寄せ、その涙を自らの指で優しく拭った。
「馬鹿なことを言わないでくれ。毒の霧なんて出たら、姫さま自身がその毒で死んでしまうじゃないか」
「死んでしまえばよかったのよ……。王の娘に生まれたのに、こんな生き恥を晒して。お兄さまやお姉さまは立派に務めを果たされているのに」
「やめてくれ。君は僕の妻で、子供だっているんだよ? 王家が何と言おうと、君は僕のたった一人の姫さまだよ」
ゼノンの言葉は、純粋でひたむきで、狂おしいほどの愛に満ちていた。戦場で死ぬかもしれない運命を背負った彼にとっては、政治的な力を持たず、ひたすら守られるべき存在のサラベスこそが唯一の希望なのかもしれない。
王女であろうとも、才がなければゴミのように捨てられる現実。その冷たい世界の中で愛を育む二人。
私は目の前の従兄弟夫婦の姿に、胸が締め付けられるような切なさを覚えた。
「サラベスさま」
私は歩み寄り、彼女の小さな両手を包んだ。
「あなたさまの霧は、決して無力ではありませんわ。霧は、乾いた大地を潤し花々を優しく包み込む生命の息吹ですもの。ゼノンやご子息の心を癒すことができるのは、あなたさまのその優しい霧だけですわ」
それに、案外祖母のいうことは正しいのではないだろうか。氷と霧、両方とも水の魔素だ。相性はいいはず……。むしろ、なぜ私に「静止」の魔法、時の魔素が発現したのだろう……?
私が微笑みかけるとサラベスは涙で濡れた瞳を瞬かせ、やがて泣くのをやめた。
「……ええ。ありがとう、エリスさん」
ゼノンは深く息を吐き、私に向かって言った。
「エリス。いつかまた、君の料理を食べに来てもいいだろうか」
「ええ、もちろんですわ。いつでもお待ちしております」
大型馬車が遠ざかっていくのを見送りながら、私は自分の掌に微かに残る、従兄弟と王女の温もりを感じていた。
権力も魔法も、結局のところは綿菓子のような儚いものなのかもしれない。それだけあっても、人を幸せにしてくれるとは限らない。
私は青空を見上げ、二人の幸せが末長く続くことを祈らずにはいられなかった。




