第46話 零落した郷紳の親子と猪肉のハンバーグ煮込み【後編】
外に出ていたガルドが戻って来た。客がいるのを見ると、店の奥のテーブルの前にどかりと腰かけた。
私は親子に食後の温かいお茶を出し、なんとはなしに娘の方に話しかけた。
「リリィちゃんといったかしら。これからパパとどこへ行くの?」
「森に行くの」
リリィは無邪気に答えた。
「えっ……森へ?」
「うん、パパが森にお散歩に行こうって」
私はキース氏の方をまじまじと見てしまった。この辺りの森とは、魔の森しかない……。まさか。
キースは私の視線に気づくと、観念したように項垂れた。
「……実は、ここへは死ぬつもりで来たのです」
その言葉に、ガルドがピクリと動いた。カウンターにいたコリンも息を呑んだ。
「私はこれでも……郷紳の端くれでした。家族で何不自由なく暮らしていたのですが……」
「郷紳」とは平民の富裕層のことだ。貴族のような称号や領地は持たないが、その多くが魔法を使うことができ、中には高等魔法を操る人もいる。
彼は王都で魔力で動く魔導機械の製造業を営んでいたが、共同経営者の裏切りに遭い事業は破綻。多額の負債を抱えて破産してしまった。屋敷や財産を失い、さらに不運なことに心労が重なった妻までもが倒れ、呆気なくこの世を去ってしまったのだという。
「在庫の綿菓子製造機だけを持って、逃げるように王都を離れました。もう、私には生きる気力が残っていなかった。だから、この子を連れて魔の森へ入り、そのまま……」
「心中するつもりだったと、そうおっしゃるの?」
私は思わず声を荒らげてしまった。テーブルに両手をついてキースを睨みつける。
「自分が絶望したからといって……罪のない子供を巻き込むなんて。酷すぎますわ!」
リリィは大人の会話が理解できないのか、ポカンとしている。
彼女にとっては父親と一緒の休日、森でのピクニックか何かのように考えていたのだろう。
「やめてください。私の店を最後の晩餐になんて……。お願いですから、そんなことは」
私の剣幕に、キースは顔を覆って泣き崩れた。
「わかっています。私がどれほど身勝手で、酷い父親であるかは。でも、私がいなくなればこの子は野垂れ死ぬ。それならいっそ連れていこうと……そう思ってしまったのです」
絶望の底で彼が見出した、あまりにも悲惨な救済。
のっそりとガルドが立ち上がった。大股でやってくると、キースの胸ぐらを掴んだ。
「おい、てめえ。ふざけんなよ」
ガルドの黄金の瞳が、獲物を威嚇する獣のように細められる。
「魔の森を、てめえらの都合で自殺の名所にすんじゃねえ。俺は毎日、あの森に入ってんだぞ。そりゃ入れば死ねるだろうさ。狂暴な魔獣、底なし沼、毒の瘴気となんでもござれだからな。でも楽には死ねないぞ。魔獣どもに生きたまま手足を食いちぎられて、地獄の苦しみを味わいながら死ぬんだ。……俺はな、お前らの無残に食い荒らされた死体なんか見たくねえんだよ」
ガルドの言葉は荒々しく、森の現実を容赦なく突きつけるものだった。死は、決して美しい眠りではない。魔の森におけるそれは特に。
キースは恐怖に顔を歪め、ガルドが手を離すとその場に崩れ落ちた。
「パパ! パパ……泣かないで」
リリィが椅子から降り、父親の背中を小さな手で撫でる。
その無垢な仕草が、死に魅入られたキースの心を揺さぶったようだった。彼は娘を強く抱きしめ、「すまない、すまない」と声を上げて咽び泣いた。
「……夕方に定期の駅馬車が来ます。それに乗って南の街へ行ってください」
私は抱き合う親子に、静かに声をかけた。
「大きな街へ行けば、魔導機械の修理や整備の需要があるはず。工場を経営されていたのでしょう? あなたの腕なら、必ず再起できるはずですわ」
私は厨房に戻り、残っていたパンにたっぷりのバターを塗り、厚切りのハムとチーズ、野菜を挟んで、紙箱に詰められるだけのサンドイッチを作った。リリィのための甘い焼き菓子も添えて、大きなバスケットに詰める。
私はバスケットをキースの手に押し付けた。
「もう変な気は起こさないで。これを道中のお弁当にしてください。……それから、駅馬車の代金です」
私は、彼が置いていく綿菓子製造機の「釣銭」と称して、いくばくかの銀貨を握らせた。機械の価値や値段なんてわからない。とにかくこの親子に死んで欲しくない一心だった。
キースは何度も何度も頭を下げ、リリィの手を引いて南へ向かう街道へと歩き出した。
二人を見送った後、店に戻った私は深く息を吐き出して椅子に腰掛けた。
「よかった。寿命が縮んだわ……」
「まったくだぜ。夜に森に入られでもしたらと思うとな。自分の意志で入っていく奴らはどうでもいいんだよ。勝手に死ねばいい。でも何も知らない子供が犠牲になるのは……寝ざめが悪すぎる」ガルドがぐったりしながら相槌を打つ。
とんでもなく疲れたけど、とりあえず悲惨すぎる心中は防げた。それだけでもよしとしよう。
コリンが、キースの残していった綿菓子製造機を珍しそうに眺めながら呟いた。
「この国じゃ魔法が使えるのが貴族なんだよね。なのに、郷紳……貴族じゃない魔術師もいるんだ」
私は顔を上げると、コリンの方を向いた。
「『郷紳』は、平民と貴族の間に位置する上流階級よ。中産階級とされてるけど、貴族よりも裕福な人は大勢いるわ」
「貴族が増えすぎても困るから?」
「それもあるけれど、当の本人たちが貴族になりたがらないの。過酷な『義務』があるから」
私は、この国の根幹を成す冷徹なシステムを語り始めた。
「貴族は王から爵位を与えられて領地を得る。そこには自治権や徴税権など、平民には到底手の届かない莫大な特権があるわ。けれど、同時に重い代償も課せられるの」
貴族の当主や近親、代理人は必ず武官や文官として国家に奉職しなければならない。それ以上に恐ろしいのは、課せられる軍役である。
「戦争や内乱、反乱などの有事の際、真っ先に徴兵され、最前線に立たされるのは貴族。男も女も関係なく戦地に送られる。魔法が使えるからこそ重要な戦力と見なされる。でも魔法が使えるのは相手も同じ。敵軍も強力な魔術師を揃えている。なので高位の貴族ほど、若くして戦死する確率が高いの」
特権を享受する代わりに、国のために血を流して死ぬ義務を負う。
だからこそ、平民たちは貴族の贅沢な暮らしや利権を見ても、深刻な対立や反乱を起こすことはない。「いざという時、彼らは自分たちの盾となって死ななくてはならないのだから」という無言の納得があるから、この国の階級制度はバランスを保っている。
「貴族であっても、固有魔法が発現しなかったり下位魔法しか使えない者は戦力にならない。養っても仕方ない、ということよ。合理的と言えば合理的ね」
……切り捨てられる側からしたら、たまったものじゃないけど。
「一方で、郷紳は平民だから貴族のような厳しい軍役に縛られることはない。魔法を商売や生活のために自由に使い、財を成すことができる。もちろん、今日の親子のように失敗してすべてを失うリスクもあるけれどね」
私は窓の外の、何重にも重なった馬車の轍を見つめた。魔法が使えるからといって、必ず財を成せるわけでもない。ラハン氏のように使えなくても成功する人はいる。結局は本人の才覚と努力次第か。
「魔法が使えてお金もある。すべてを失ってもやり直す自由がある。たぶん、この国で一番気楽に幸せに暮らせるのは郷紳ではないかしら」
没落した伯爵令嬢の私が言うのはなんとも滑稽だが、紛れもない本音だった。
「貴族が富と権力と名誉を得られるとしたら、郷紳は富のみで満足するってとこか」とガルドが揶揄するように言った。
「俺っちが前に住んでたとこもそうだったのかな? 人間とは接触しなかったからわかんないや」とコリンは首を傾げた。
「どこにいたって俺たちには関係ねえよ。国家も領土も階級も、全部人間が勝手に決めたもんだ」
ガルドの低く、達観したような声――。
私は立ち上がり、キースが残していった綿菓子機械のスイッチを入れた。手をかざすと魔力が流れ込み、歯車が軽快な音を立てて回り始める。淡いピンク色の砂糖を入れると熱で溶け、甘い香りが店内に広がった。
「そうね。人間たちの都合だけど、何にしても生きていてこそよ」
私は甘い香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
それはささやかな希望の匂いのように、私の心を優しく解きほぐしてくれた。




