第41話 妊婦のための大地の黄金リゾットと不思議な縁【後編】
嵐のような一夜から、ひと月ほどが過ぎた。
「とわずがたり」に一通の手紙と、驚くべき贈り物が届いた。
使いの者が運び込んできたのは、最高級の小麦粉に新鮮な乳製品、そして見たこともないほど立派な桐の箱に入ったリンゴだった。そのすべてに、格式高い紋章が入った封蝋が施されている。
「これは……リラさんから?」
私は封筒を開け、美しい筆跡で綴られた手紙に目を通した。
そこには、あの日以来の顛末と、溢れんばかりの感謝の言葉が記されていた。
『エリスさま、ガルドさま、コリンさま。あの節は、本当にありがとうございました。夫のアデルは傷も癒え、今は真面目に働いております。そして……ご報告があります。あの日、夫が死にかけたという衝撃とガルドさまに助けられたせいでしょうか。翌日、お腹の中の子がぐるんと音を立てて回ったのです。逆子は直り、私は無事に元気な男の子を出産いたしました』
「へぇ、ショック療法ってやつか? 荒療治だが、結果オーライだな」
手紙を覗き込んだガルドが、苦笑しながらも嬉しそうに言った。
コリンも、籠にリンゴを移しながら微笑んでいる。
「よかったね。『月の揺り籠』なしで逆子が直ってさ。あの時、エリスのリゾットを食べたのもよかったんじゃない?」
手紙には続きがあった。
出産後、リラはお乳の出が驚くほど良く、その評判を聞きつけた領主から声がかかり、乳母として雇われることになったのだという。だから、こうして高価な食材をお礼として送ることができたのだと。
『現在、私はアマン郷辺境伯爵、ヘスティン家の若奥さま付きの乳母として毎日を過ごしております。夫や息子と共に、お屋敷内に住み込みで暮らしています。ヘスティン家の皆さまはとてもお優しく……実は贈り物はエリスさまの一件を話したところ、当主さまが手配してくださったものです。当主さまは、エリスさまの健在を大変喜んでおられました』
「リラさんはアマン郷の領民だったのね……」
私は手紙を持つ手を震わせた。アマン郷とは、この国の東に位置するアマン渓谷一帯のことだ。国防の要石として、封ぜられているのはヘスティン伯爵家。大規模な果樹園を経営していて、特産品としてはリンゴが有名だ。
ヘスティン家は、私の実母――クラウディアの実家である。元々は男爵で、数十年前に伯爵に昇格した。私が三歳で母を亡くした後は疎遠になり、私が追放された後も何の干渉もしてこなかった母方の祖父の家。当主は、カズン・フォン・ヘスティン辺境伯。
私は下位魔法しか使えない落ちこぼれと見なされていたし、不干渉を貫いたのは当然かと思っていたけれど……。
「どうした、エリス? 悲しそうな顔して」
ガルドに問われ、私はハッと我に返った。
「いいえ、なんでもないわ。……ただ、世間とは本当に狭いものだと思って」
リラが、私の母の実家で新しい命を育んでいる。そして、そのリラを救ったのが祖父の孫である私だという因果。運命の糸は、時として残酷なほど精緻な織物を編み上げるものだ。
ヘスティン辺境伯。会ったことはないけれど、噂では血統を重んじる古風な老人だと聞く。彼はリラの恩人が孫娘「エリス・ヴァーミリオン」であることを知った時、どう思ったのだろうか。これほどに過分な贈り物を送ってくれるなんて……。
そこまで考えて、私は首を振った。違う。今の私は、ただの料理人で「とわずがたり」の店主。
「……立派なリンゴね。ガルド、コリン。これを使って、リラさんの出産祝いに『タルト・タタン』を焼きましょう」
「もしかして返礼品か?」
「そうよ。もちろん【静止】をかけて送るわ。ヘスティン家の人たちにも焼きたてを味わって欲しいもの」
私は厨房へと入った。胸には、嬉しいような寂しいような……不思議な気持ち。記憶にない母。会ったことのない祖父。そして、知らぬ間に繋がっていた血の縁。
私は、送られてきた小麦粉の袋を開けた。真っ白な粉が舞い上がり、光の中でキラキラと輝く。それはまるで、祝福の雪のように美しかった。
――おめでとう、リラさん。そして、ありがとう。あなたが繋いでくれた見えざる糸に感謝を捧げるわ。
私はポットに火をかけた。こことは違う辺境にいる血族へ、心の中でそっと乾杯をしたのである。




