第4話 そのポーション、品質期限はなし
時というものは、残酷な錬金術師だ。万物に等しく「劣化」という名の毒を混ぜ込み、鮮やかな色彩を濁らせ、薬効を鈍らせていく。とりわけ、繊細な魔力配合の均衡によって成り立つ治癒ポーションにおいて、その崩壊は顕著だ。
釜から瓶に移されたその瞬間から、薬液は緩やかな死に向かって歩み始める。王都の騎士団が腰に提げている最高級品であっても、戦場に届く頃には効力の三割は失われている。それが常識だった。
私の店の棚に並ぶ硝子瓶は違う。
私は、朝陽が差し込む窓辺で、一本のポーションを透かして見た。深紅の液体は、まるで切り取られたばかりの心臓の血のように鮮烈で、瓶の中で微動だにしない。
澱ひとつなく、圧倒的な「生」の力が凝縮されている。
「……まるで、液化した宝石ね」
私は満足げに独りごちた。これらにも当然、私の【静止】がかかっている。
薬草の成分が最も活性化し、魔力が最高潮に達した「調合完了の瞬間」。その0.1秒を切り取り、永遠の檻に閉じ込めたのだ。理論上、百年後であっても、このポーションは「作りたて」の爆発的な治癒力を発揮する。
扉に取り付けた真鍮のベルが、涼やかな音を立てた。
「おい、店主! 例の『赤い水』はあるか?」
駆け込んできたのは、常連になりつつある冒険者の男だった。彼の腕は赤黒く腫れ上がり、紫色の斑点が浮いている。 毒だろうか。私は深紅の瓶を差し出した。
「ございますよ。一本、銀貨五枚です」
「くっ、高いが……背に腹は代えられねえ!」
男は震える手で硬貨をカウンターに叩きつけ、瓶の栓を引っこ抜くと、一気に中身を呷った。
その直後。
……ボウッ!
男の身体から、目に見えるほどの白い湯気が噴き上がった。
「ぐ、おおおおっ?」
男がのけぞり、床に膝をつく。
血管が浮き上がり、傷口が時を遡るように塞がっていく。斑点が消え去り、健康的な肌色に戻る。
通常なら寝込むはずの重傷が、わずか数秒で「なかったこと」になったのだ。
「は……はぁ……。なんだこれ、すげえ……身体中が燃えるようだ……」
「成分が一切劣化していませんので。効き目が少々……いいえ、劇的すぎるかもしれませんわね」
私は涼しい顔で、新しいグラスを磨き始めた。
劣化を計算に入れて多めに飲む癖がついている者には、少々刺激が強すぎるかもしれない。注意書きが必要かしら。「用法・用量を守り、飲み過ぎに注意」と。
その時、店内の空気が一変した。
厨房で大人しく骨付き肉を齧っていたガルドが、弾かれたように顔を上げ、低い唸り声を鳴らし始めたのだ。
「……来るぞ、エリス」
「え?」
「俺のナワバリに、不躾な鉄の匂いをさせた連中が入ってくる」
ガルドの黄金の瞳孔が、針のように細く収縮する。
直後、店の前に複数の馬が止まる蹄の音が響き、重厚な足音が近づいてきた。扉が開かれる。
そこに立っていたのは、冒険者特有の薄汚れた革鎧ではない。
陽光を反射して輝く白銀の全身鎧。肩から流れるのは、王家の紋章が刺繍されたサファイア・ブルーのマント。王都を守護するエリート集団、王立騎士団の一隊だった。
先頭に立つ男を見て、私は息を呑んだ。
透き通るような銀髪に、氷河の底を思わせる冷徹なアイスブルーの瞳。整いすぎた顔立ちは彫像のように美しいが、その表情には一切の感情がなく、ただ疲労の影だけが色濃く落ちている。
レオンハルト・ヴァン・アークライト。
若くして騎士団長の座に就いた、王国の英雄。「氷の剣聖」の異名を持つ彼が、なぜこんな辺境に?
「……ここが、噂の店か」
レオンハルトの声は、冬の風のように冷たく、静かだった。部下の騎士が、私に向かって威圧的に告げる。
「店主、 我々は極秘任務の途中である。至急、休息と食事、そしてありったけのポーションを提供せよ。こちらは騎士団長閣下であらせられるぞ!」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ドンッと大きな音がした。
厨房から黒い影が飛び出し、騎士たちの前に立ちはだかった。
「おい、鉄屑ども」
ガルドだ。 二メートルをゆうに超える巨躯が、精鋭であるはずの騎士たちを子供のように見下ろしている。全身から放たれるのは、濃密な殺気。それは、獲物を前にした獣のそれだ。
「俺の餌場で、デカイ顔をするんじゃねえ。ここは俺がエリスから極上の飯を貰うための神聖な場所だ。貴様らの血で汚したくなかったら、さっさと消えろ」
騎士たちが一斉に剣の柄に手をかける。一触即発。店内の空気が凍りつく。
私は冷静だった。むしろ、この野蛮で愛すべき番犬の頭を、どう撫でてやろうかと思案するほどに。
「ガルド、だめ。落ち着いて」
ガルドがピクリと耳を動かし、不満げに私を振り返る。
「……あ? エリス、こいつらは敵だぞ」
「まだお客様よ。少なくとも、代金を払う意志があるならね」
「チッ……。わかったよ。だが、俺の分まで食ったら殺す」
ガルドは舌打ちをして、再び厨房へと引っ込んだ。
一連のやり取りを見ていたレオンハルト団長の瞳に、初めて微かな驚きの色が浮かんだ。
伝説の魔獣とも噂される男を、一言で従える女店主。興味の視線が、私に向けられる。
「……失礼した。部下の非礼を詫びよう」
「いいえ。辺境ではよくあることですわ。それで、ポーションでしたわね?」
私は騎士団長の左脇腹を見た。完璧に見える立ち姿だが、微かに重心が右に寄っている。マントの下から漂う、鉄錆びた匂い。腐敗臭もする。魔獣の毒爪による深手だ。
「かなり悪いようですね。通常のポーションでは、解毒が間に合わないでしょう」
「……傷も見ずにわかるのか。ただの店主ではないな」
「ただの店主ですよ。少し、商品の管理が得意なだけの」
私は棚から、先ほどと同じ深紅のポーションを取り出した。
そして、躊躇うことなくカウンター越しに彼へ差し出す。
「お試しください。ただし、覚悟して飲んでいただきますよう」
「覚悟?」
「ええ。効きすぎますので」
レオンハルトは訝しげに眉をひそめたが、もはや猶予がないことを悟ったのか、瓶を受け取り、一気に飲み干した。
その瞬間、彼の端正な顔が苦痛に歪んだ。カシャン、と空になった瓶が床に落ちて砕け散る。
彼は胸を押さえ、カウンターに片手をついた。部下たちが「団長!」と叫び駆け寄ろうとするが、レオンハルトはそれを手で制した。
「ま……て。これは……」
彼の傷口から、猛烈な勢いで黒い煙――気化した毒素――が噴き出していた。
傷が塞がる際の細胞の活性化音が、ミシミシと聞こえるほどだ。失われていた血色が、蝋人形のようだった頬に戻ってくる。瞳の光が、鋭さを取り戻す。
数秒後。 彼は深く息を吐き、自らの腹部をさすった。そこには、傷跡一つ残っていなかった。
「……信じられん。王宮魔術師の治癒魔法でも、ここまでの即効性はない」
レオンハルトのアイスブルーの瞳が、私を射抜く。
「貴殿、何をした? このポーションは、一体何だ」
「申し上げた通りです。ただのポーションですが、『時間』を止めておりました」
「時間を?」
「ええ。調合された最高の瞬間を、劣化という名の呪いから」
私の説明に、彼はハッと息を呑んだ。
聡明な彼ならば、その意味が理解できるはずだ。戦場において、輸送による劣化がない物資がどれほどの戦略的価値を持つか。それがポーションであれ、食料であれ、軍隊の在り方を根底から覆す革命であることを。
「……貴殿は、一体何者だ? これほどの技術を持ちながら、なぜこんな辺境に?」
「あら、家族に見放され追放された、ただの『役立たず』ですよ」
私は悪戯っぽく微笑んで見せた。
かつて父や異母妹が、私を無能と断じたあの言葉。今となっては、なんと心地よい響きだろうか。
「実家では『冷蔵庫』と呼ばれておりましたの。物を冷やすだけの、地味な女だと」
「冷蔵庫……? なんと愚かな。あなたの能力は、国家予算に匹敵するだけの価値がある」
レオンハルトは真剣な眼差しで、私に一歩詰め寄った。
瞳の奥には、青い炎のような熱情が見えた。これは私への個人的な好意ではなく、有能な人材を得ようとする熱意だ。
「あなたをぜひ王都へ招きたい。我が騎士団の専属として――」
「お断りします」
私は彼の言葉を遮り、キッパリと告げた。
厨房から、ガルドがニヤニヤしながらこちらの様子を窺っているのが見えた。
「私はもう、誰かのための道具になるつもりはありません。ここで、自分の好きな料理を作り、気に入ったお客さまだけに提供して暮らす。それが私の望みですの」
レオンハルトは、拒絶されることに慣れていないのか、呆気にとられた表情をした。
しかし、すぐに小さく苦笑した。その表情は、先ほどの氷像のような冷たさが消えて、人間味のある魅力的なものに見えた。
「……そうか。ならば仕方ない」
彼は腰の剣帯から、紋章入りの革袋を取り出し、カウンターに置いた。おそらく金貨が詰まっている。
「だが、客として通うことは拒まないだろう?」
「ええ、もちろん」
私が微笑むと、彼は相槌を打つように目を細めた。
こうして、私の店には、獰猛な魔獣に続き、王国の英雄という常連が増えることになった。
悪い気はしない。 私のポーションが、私の料理が、彼らの命を繋ぎ、魅了していることは。
窓の外は、いつの間にか雨が降り始めていた。
けれど店の中は、温かいスープの香りとのんびりした空気で満ちている。
流れる穏やかな時間に、私はホッと息をつく。




