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辺境ごはん屋とわずがたり ~静止スキルで至高の味を永遠に~  作者: kiyoaki


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第38話 最高級の羊肉の宴と傭兵ガルドの謎【前編】

 魔の森の朝は、深い霧の底から始まることが多い。

 ところがその日は、霧を切り裂くような威勢の良い馬の嘶きと、荷車の軋む音によって幕を開けた。

「とわずがたり」に横付けされたのは、先日、母の思い出のベリーパイに涙した羊毛仲買人・ラハン氏の使いの車だった。


「へい、旦那さまからの贈り物ですぜ! 『先日は母の魂に触れさせてもらった。これはほんの礼だ』てな!」

 御者が荷台の覆いをめくると、そこにはむせ返るような「生」の匂いが充満していた。丸々と太った羊。それも、ただの羊ではない。西の国から輸入された品種、良質な草と湧き水だけを食べて育ったという最高級の食用羊ムートンが、解体されたばかりの状態で枝肉として積み上げられていた。その赤身はルビーのように深く輝き、脂身は真珠のような乳白色を帯びている。何よりまだ体温を残しているかのような、圧倒的な鮮度。


「まあ……! すごいわ! なんて素晴らしいお肉でしょう」

 私は貴族令嬢としての慎みを忘れ、その肉の塊に頬擦りせんばかりの歓声を上げた。これほどの量の、極上の羊肉は王都のレストランでもそうそう手に入るものではない。ラハン氏の感謝の気持ちと、彼が持つ財力をまざまざと見せつけられた思いだ。


「おいおい、エリス。こんな大量の肉、どうするんだ? 店の保管庫には入りきらねえぞ」

 ガルドが呆れたように肩をすくめたが、その黄金の瞳は肉の山を見て明らかに輝きを増していた。彼の獣人としての本能が、血の匂いに騒いでいるのだ。

「あら、ガルド。忘れたの? 心配無用よ。私には【静止(ポーズ)】があるもの」

 私は艶然と微笑み、エプロンの紐を締め直した。食材の鮮度を永遠に留めること。それこそが、私の固有魔法【静止ポーズ】の真骨頂。私は肉の塊の一つ一つに触れ、魔力を流し込む。細胞の活動を止め、酸化を防ぎ、熟成が最も進んだ「最高の瞬間」で静止させる。私の指先が触れるたび、肉は淡い光を帯び、その鮮烈な赤色を永遠のものへと変えていった。


「といってもさすがに量が多すぎね」

 これは……率先して消費するしかないかも。勿論、食べるのである。それも客の来店を待たずに。

「さあ、ガルド、コリン。今日は店休日(オフ)にして、羊肉の宴を開きましょう。日頃、私を支えてくれるあなたたちへの、感謝のしるしよ」

 私が宣言すると、コリンは「わーい」と帽子を飛ばして喜び、ガルドは「フン、悪くねえ」と呟いた。


 厨房で、私は羊肉の塊を前にして考えた。羊肉特有の、あの野性味あふれる香りをどう御するか。それが料理人の腕の見せ所である。

 私はまず、骨付きのあばらラムチョップを切り出し、クミン、コリアンダー、ニンニク、そして魔の森で採れた香草をすり込み、オリーブオイルに漬け込んだ。


 次に、肩肉をサイコロ状に切り、鉄鍋で焼き色をつける。ジュウウウッという勇ましい音と共に、脂の焼ける甘い香りが立ち上る。そこへ玉ねぎと人参、米を投入し、羊の骨からとった濃厚なスープを注ぐ。これは羊肉のピラフへと姿を変える。

 さらにスネ肉などの硬い部位は、赤ワインとトマト、たっぷりの香味野菜と共に煮込み鍋へ。コトコトと時間をかけて煮込むことで、繊維がほろほろと崩れるような、極上のシチューになるのだ。


「いい匂いだ……。たまんねえな」

 ガルドが待ちきれない様子で、厨房の入り口の辺りをうろうろしている。

「旦那、落ち着きなよ。肉は逃げないって」とコリンがたしなめているのがどうにもおかしい。傍目には大人と子供、ひょっとしたら親子とも思われるような二人なのに。


 私は串に刺した肉を、炭火の上で踊らせた。落ちた脂が炭に触れて煙となり、その燻製香がさらに肉を包み込む。スパイスと肉汁が混ざり合い、官能的とも言える香りが店内に充満した。

 私は澄ました顔で、二人に告げる。

「お待たせしました。『西域の風薫る、極上の羊肉のフルコース』よ」


 テーブルに所狭しと並べられた料理たち。香草焼きのシシカバブ、黄金色のピラフ、そして深い陶器の器に盛られた赤ワイン煮込み。ガルドは喉を鳴らし、コリンは目を輝かせて席についた。

「いただきます!」

 コリンの威勢のいい声。ガルドが串にかぶりつく。鋭い犬歯が肉を裂き、溢れ出る肉汁が彼の顎を伝う。コリンはスプーンでピラフを頬張り、「ほっぺが落ちそうだ!」と足をバタつかせた。私もまた、煮込みを口に運んだ。煮込まれた羊肉は、舌の上でほろほろと崩れ、濃厚な旨味と赤ワインの酸味が口いっぱいに広がる。


「……美味しい。我ながら、完璧な火入れだわ」

 私たちは言葉少なに、ただ貪るように食べた。そこには、同じ釜の飯を食らう「家族」のような温かく濃密な時間が流れていた。窓の外では、魔の森の木々が風に揺れ、私たちのささやかな饗宴を見守るようにざわめいていた。



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