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辺境ごはん屋とわずがたり ~静止スキルで至高の味を永遠に~  作者: kiyoaki


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第35話 淑女の敗走と由緒正しき黄金の鶏肉ソテー【後編】

 スーは、静かにナイフとフォークを動かした。金属音が響き、彼女は切り分けた肉を口へと運ぶ。咀嚼する唇が微かに震え、やがて深いため息を吐き出した。今日初めて見せた、安堵の息遣いだった。


「……美味しい。王宮の厨房で作られたものより美味しいわ」

 ひと息つくと、再びワインを飲む。アルコールと温かな料理が、彼女の冷え切った内臓に血を通わせたのだろう。青白かった頬に、薔薇色の赤みが差し込んでいる。

 王宮……か。スーは王宮に勤めていたようだった。

「クビになったのは仕方ないの。ご主人さまの子を産めなかったから」

 搾り出すような声に、私は息を呑んだ。彼女が「スカウト」された理由。高位の魔法能力と、健康な体。

 それはつまり、次世代に強力な魔力を継承させるための、母体としての役割を期待されたということか。


「……信じられません。男爵令嬢であるあなたさまが……? なぜそんなことに……」

 驚く私に、彼女は首を横に振った。

「お金のためじゃないわ。名誉のためよ」

 彼女は寂しげに、そして味わった孤独を払拭するように毅然と笑った。三年という月日。彼女は、愛なきねやで、あるいは職場の冷たい視線の中で、どれほどの重圧と戦ってきたのだろうか。結果は非情にも「不要」の烙印を押されての帰郷。つまり、何の成果も出せないまま都落ち。その惨めさは、筆舌に尽くしがたいものであるはずだ。


「実家に帰っても、父さまや兄さまに責められるだけ。悔しくて、怖くて、どうしようもなく不安で。でも荷物をまとめて出て行かなくちゃならなくて……。そうしたら、門前でシレイさまに言われたのよ。『どうせ帰るなら、ついでに物見遊山でもしていけ。辺境に寄って美味いものでも食っていけ』ってね」

 ……シレイ。あの謎めいた男は、スーを私の店に紹介してくれたらしい。

 これは喜ぶべきか。喜ぶべきなんでしょうけど。

「おかしな話ね。辛くて辛くて死にたい気分なのに、お腹は満たされて、体は温まっている。……この料理のおかげよ」

 スーは黙々と食べ続け、皿を綺麗に平らげた。食事が終わると、優雅な動作で口元を拭い、立ち上がった。

 その瞬間、彼女の纏う空気が変わった。


「支払いは、騎士団につけておいてちょうだい。色をつけて請求していいわ。彼らも、私を送り届ける任務があるし。上に話は通るはずよ」

 彼女は財布を出そうとはしなかった。 無銭飲食ではない。「私はまだ、守られるべき高貴な身分である」という最後の意地であり、演出なのだと私は理解した。

「承知いたしました。あとはこちらで処理いたします。どうか良い旅を、スーさま」

「ありがとう。いつかは……今夜のこともいい思い出になると信じているわ」

 彼女は背筋を伸ばし、一度も振り返ることなく扉を出て行った。瞳は潤んでいたが、涙がこぼれ落ちることはなかった。泣けば、崩れる。崩れてしまえば、醜態を晒してしまう。

 風のように現れ、風のように去っていった彼女の背中からは、痛々しいほどの矜持プライドが感じられた。


 数日後。「とわずがたり」に、常連客である騎士団長のレオンハルトがやってきた。

 彼はすべてわかっているのか、私が提示した請求書――スーの飲食代――を見ると、何も言わずに金貨で支払った。請求額以上だったが、釣りはいらないと言う。

「やはり、モーティマー家の令嬢はここに立ち寄っていたか」

「はい。シレイさまの紹介とのことでした。レオンハルトさま、彼女はどういう方なのです……?」

「あの方は……少し前までは王宮に勤める女官であられた」

「……女官」

 意外な返事だった。あの方が、一介の女官とは。そんな風には見えなかったけど。

「どなたにお仕えされていたのです」

 少し間を置いて、レオンハルトは答えた。

「……国王陛下」

「……」

 私は重苦しい沈黙の中で察した。彼女が言っていた「ご主人さま」とは、この国の王その人であったのだ。各地から才能のある令嬢を集めて仕えさせ、子が産まれればよし、なさねば去らせるという……。


「彼女の風魔法は、たいしたものだったと聞く」惜しむように、レオンハルトは言った。

「はい。私も見せてもらいました。おそらくはとても強力な疾風の魔法。これほど優秀な方でも……側妃にすらなれないのですね」

「それは……どうなのだろうか。私には奥向きのことはわからない。……わからない方がいいのだろうな」

 レオンハルトは、困ったように俯いてしまった。彼の唇が「あわれな……」と動いたような気がした。


 私は、スーが座っていたカウンターの席を見つめた。

 そこにはもう、彼女の残り香も鋭い風の気配もない。それでも私は、あの夜、彼女が見せた顔と最後まで崩さなかった気位の高さを忘れないだろう。


 ――願わくば、彼女の行く末に、穏やかな追い風が吹かんことを。



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