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辺境ごはん屋とわずがたり ~静止スキルで至高の味を永遠に~  作者: kiyoaki


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第32話 成金男の母の味、西の国から来た黄昏のベリーパイ【前編】

 魔の森が、深い眠りにつく前のまどろみのような、青紫色の夕闇に包まれる頃――。

 私の店、「とわずがたり」の店内にお客の姿はなく閑散としていた。


 今日は店じまいしようかと思ったその時、無遠慮な足音が聞こえてきた。

「おい、ここか? 材料さえあれば、何でも作れる魔法の料理屋というのは」

 扉を押し開けて入ってきたのは、店内の空気を圧迫するような、巨大な肉の塊……いえ、失礼。一人の中年男性だった。上質なベルベットのジャケットは、はち切れんばかりの腹部に悲鳴を上げており、指には大きな宝石のついた指輪が、いくつも食い込んでいた。

 漂ってくるのは、体臭をごまかすために振りかけられたのであろう、鼻を突くほど濃厚な麝香ムスクの香り。

 成金。その二文字が、脂ぎった彼の額に張り付いているかのよう……。


「いらっしゃいませ」

 私が努めて穏やかに微笑むと、男はどかりとカウンターの椅子に巨体を沈めた。椅子が哀れな音を立てて軋む。

「俺はラハン。街の噂で聞いたぞ。ここの女店主は、食材さえ持ち込めばどんな思い出の料理でも完璧に再現してみせるとな」

 それは、どこでどうねじ曲がったのかわからない実に迷惑な誤解だった。私は食材の鮮度や味を【静止ポーズ】で固定することはできるけど、記憶の中の味を透視して再現できるわけではない。

「ラハンさま、それは少々誤解が……」

「金ならある! 払えばいいんだろうが、払えば。勿体ぶるなよ」


 ラハン氏は私の言葉を遮り、懐から革袋を取り出すと、カウンターの上に乱暴に放り投げた。ジャラリ、と重たい金属音が響く。中からこぼれ落ちたのは、目が眩むような黄金の輝き――金貨だった。

「……ああん? なんだその態度は。エリス、相手すんな。こいつは俺が摘まみ出す」

 ガルドが立ち上がり、噛みつくように言った。黄金の瞳が、獲物を狙う猛獣のように鋭く細められている。私は片手を上げてガルドを制した。矜持よりも、財布の寒さの方が身に沁みている。それにラハン氏の横暴な振る舞いには何か、子供のような必死さがあった。


「ガルド、待って。ラハンさま、お話をお伺いしましょう。その代わり、私の腕で再現できないと判断した場合はお引き取りください」

 ラハン氏は横柄に鼻を鳴らし、絹のハンカチで額の脂汗を拭った。

 大切そうに抱えていた風呂敷包みを解いた。

「……これだ。西の国から取り寄せた最高級の『黄昏のベリー』と『嘆きのクルミ』だ」

 現れたのは、血のような赤黒さを湛えた果実と、硬い殻に覆われた木の実だった。甘酸っぱく、どこか切ない香りが漂う。

 

 彼は、一枚の羊皮紙も差し出した。古びて黄ばみ、端が擦り切れていたが、繊細で美しい筆跡が残されていた。

「お袋の……母ちゃんが遺したレシピだ。『黄昏のベリーパイ』。これを、どうしてももう一度食いたいんだ」

 私はメモを手に取った。インクは所々滲んでいたが、内容は驚くほど具体的で奇妙な指示に満ちていた。


『ベリーは、摘み取ってから必ず三日目のものを使うこと。早すぎては酸が鋭く、遅すぎては魂が抜けてしまう』

『砂糖は、月の光を浴びせた銀の匙で三杯半』

『生地を練る時は、氷のような冷たさを保ちつつ、手のひらと同じくらいの温かさで包むこと』


 これは、ただの料理のレシピではない。魔女――あるいは、それに近しい知識を持った者が記した、一種の「調合書」に近いものだった。

「……三日目、ですか」

 私はベリーを手に取り、そっと香りを嗅いだ。まだ摘んでから一日、といったところだろうか。酸味が強く、若々しい香りがする。レシピにある「三日目」の熟成には達していない。通常ならば、あと二日待たねばならない。

 しかし、彼のような客は待つことを知らないだろう。ならば、私の魔法の出番だ。私は不敵な笑みを浮かべ、レシピを胸に抱いた。


「承知いたしました。このレシピと、あなたさまの思い出。挑戦してみましょう」

 ラハン氏は疑わしげな目ながらも、どこか祈るような表情で私を見つめた。私は厨房に入り、エプロンの紐をきつく締め直した。

 さあ、調理の開始だ。まず、ベリーの時間を「進め」なくてはならない。私の【静止】は時間を止めるだけではなく、魔力を逆流させることで、対象の局所的な時間を加速させることも可能だ。


 私はベリーをボウルに入れ、手のひらをかざした。

 イメージするのは、西の国の風、沈みゆく太陽の熱、夜露の冷気。果実の中で酵素が働き、酸味がまろやかな甘みへと昇華し、芳醇な香りが爆発するその瞬間――つまり「三日目」の到達点。

「……今よ、【静止ポーズ】!」

 私は時間を固定した。ベリーは、どす黒い赤から、濡れたような艶やかな深紅へと変貌を遂げていた。 刻んだクルミと合わせて、砂糖やレモン汁、シナモンを入れて煮詰める。

 次にパイ生地。冷たいバターを小麦粉の中で切り刻み、決して練らず、サラサラの砂のような状態にする。そこへ冷水を加え、一塊にする。

「手のひらと同じくらいの温かさ」それは、生地を休ませる際の、絶妙な温度管理のことだ。これも一定の温度を保ったまま時間を進める。

 生地にベリーとクルミを詰めたパイをオーブンに入れる。オーブンの中で、パイが黄金色に色づき、甘く香ばしい香りが店内に満ちていく。それは、ただの菓子ではなく、遠い日の記憶を呼び覚ますような郷愁の香りだった。

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