第27話 鉄血の聖女たちに捧げる美と豊穣のガレット【前編】
霧の日が続いていた。視界が悪いと思わぬ事故に遭うので、私はあまり外へは出ないようにしていた。魔の森が、蒼白な霧を吐き出す午後のことだった。「とわずがたり」の店内は、磨き上げられたカウンターと、古びたランプが落とす柔らかな影に守られ、外界の混沌とは隔絶された静けさを保っていた。私は手元の銀器を磨きながら、窓ガラスの向こうで揺れる木々のざわめきに得体の知れない胸騒ぎを覚えていた。
その予感は、唐突に、血なまぐさい形で現実のものとなった。
大きな音と共に、扉が乱暴に開け放たれた。湿った腐葉土の匂いと、鼻を突く濃厚な鉄錆の臭気――鮮血の匂いが店の空気を変えた。
「頼む! 誰か! 助けてくれえ――ッ!」
叫びながら転がり込んできたのは、数人の冒険者たちだった。彼らが運んできた粗末な担架の上には、もはや生きているのが不思議なほど重症の男が横たわっていた。
私は息を呑み、男に駆け寄った。
「……ひどい」
冒険者の男――おそらく前衛職の剣士だったのだろう――は、魔の森に巣くう魔物にでも食い破られたのか胸は切り裂かれ、右腕は肘から先が消失し、左足は膝下から半ば千切れかけ、皮一枚で辛うじて繋がっていた。傷口からはどす黒い血が噴水のように溢れ出し、店内の清潔な床板を赤く染め上げていく。仲間の一人が寸断された右腕を抱えていた。
「ポーションだ! ポーションを飲ませろ!」
仲間が、戸棚を見て叫んだ。私は、鋭い声で制止する。
「だめです。こんな状態でポーションを使えば、爆発的な回復力の負荷に心臓が耐えられません」
「じゃあどうしろと言うんだ! このままでは出血多量で死んでしまうぞ!」
男たちの怒号が飛び交う。私は絶望的な無力感に襲われた。私の【静止】は人間には効かない。傷口の出血を止めることはできない。
「とにかく包帯を。血を止めないと」
せめて応急手当だけでも……と古い布を探しに行きかけたその時だった。
入口の方から、ザッザッと規則的な靴音が聞こえてきた。霧の向こうから現れたのは三つの影だった。
「――あらあら、随分と騒がしいこと。この辺りじゃ唯一のお店って聞いたから来たのに、漂ってくるのは血の匂いなんて大変~」
扉の前に立ったのは、三人の若い娘だった。純白と漆黒が入り混じった修道服。黒で真紅の裏地がついた外套。腰には無骨なメイスや短剣が吊るされている。その異様な出で立ちは、泣く子も黙る軍部直属の医療部隊「鉄血福音教導隊」に所属する従軍修道女のものだった。
「ラミア、怪我人がいるわ。もしかして野戦病院と間違えた?」と金髪の子が胡乱気に言った。
「見たかんじ状況は最悪ね。カリン、レスティア、配置について。休憩時間中だけど仕方ないわ。辺境に来たのだもの。奉仕活動のついでに、昇天しかけた仔羊の命を地上に戻してあげましょう」
リーダー格と思われる黒髪の美少女、ラミアが冷ややかに、しかし的確に指示を飛ばす。彼女たちは躊躇うことなく、血の海と化した床へ踏み込み、担架の上の瀕死の男を取り囲む。
「ええ、了解。……損傷レベルはA。通常の治癒魔法じゃ追いつかないわね」と真剣な面持ちなのは小柄な金髪の少女・レスティア。彼女は続けて言った。
「私の糸で繋ぐわ。カリン、魔素の供給をお願い」
それは、私の知る「回復魔法」とは一線を画す外科手術のような精密さと、暴力的なまでの魔力行使だった。
「いくわよ。【細胞融和】……開始!」
ラミアが叫ぶと同時に、彼女の掌から青白い燐光が迸り、男の胸と手足の傷口を覆う。 続いてレスティアが、空気中の魔素を極細の糸へと物質化させ、胸部と千切れた右腕、千切れかけた左足の神経と血管を、目にも止まらぬ速さで縫合していく。
「【魔素縫合】、接続完了! カリン、今よ!」
「はいっ! 【過剰増殖】……加圧します。3、2、1……!」
緑の髪で、おっとりとした顔立ちのカリンと呼ばれた少女が、両手をかざした瞬間、男の傷口が沸騰したように泡立った。彼女の魔法は、細胞分裂を強制的に加速させる力のようだった。失われた肉が盛り上がり、骨が軋みながら癒着し、皮膚が再生していく。
それはまさに「奇跡」の顕現だった。千切れた、あるいは千切れかけた手足が繋がるなんて。男の顔が、蠟のような白から生気ある薔薇色へと変わっていく。 数分後、そこには五体満足に戻り、穏やかな寝息を立てる姿があった。
「ああああっ……! ケイン……よかったな! 本当によかった!」
仲間たちが一斉に駆けより、少し前まで重傷だったケインに取りすがる。
「……信じられない。これも回復魔法……なの?」
私は呆然と立ち尽くしていた。 私の【静止】が「物体の時間を止める魔法」だとしたら、彼女たちが繰り出す高等魔法は「運命をねじ伏せ、命を躍動させる魔法」とでも言うべきか。
すごい。すごすぎる……圧倒される。これが……いわゆる『奇跡』なのか。彼女たちは魔術師の中でもエリート中のエリートだ。
「触って圧迫しないで。血を失っていますから。しばらくは安静にしてください」とカリンが心配そうに呼びかける。
ケインの仲間たちは、隊長らしきラミアに何度も礼を言い頭を下げた。
「謝礼は寄付という形で『鉄血福音教導隊』の本部か支部に送っておいて。担当を聞かれたらラミア隊で大丈夫。そうね、相場は……」
と言いながら、ラミアは羊皮紙を小さく切ったメモに何か書きつけて渡した。医療行為は決して無償ではない。軍属ならともかく一般人相手の場合は、きっちり報酬を請求するようだ。
冒険者たちが去ると、ラミアは大きく息をつき、額の汗を拭った。私の方を向き、愛嬌のある笑顔を見せた。
「あ~疲れた。戦場じゃ毎日コレだけど、奉仕活動に来て手術をすることになるとはね。ねえ、そこの綺麗な店主さん」
先ほどの冷徹な指揮官の顔はどこへやら、彼女はお腹を押さえて苦笑する。
「魔法を使うと、魔力をごっそり持っていかれるのよね。もうお腹ペコペコ~。辺境でも、ここならご飯が食べられると聞いて来たのよ。どう? 私たちを労ってくれる美味しいものはあるかしら?」
そこに、事態を静観していたガルドが初めて口を開いた。
「あるさ。ここは飯屋だからな。美味いもんはこのエリスが作ってくれる。……が、その前に掃除だな」
「そうね……」と私は相槌を打つ。
床に広がったおびただしい鮮血を見て、深々と溜息をついた。




