第26話 斥候司祭と清浄なる温野菜料理【後編】
「……信じられません。この人参、口の中で蜂蜜のようにとろけるのに、その芯には確かな歯ごたえが残っている。カブに至っては、飲み込んだ瞬間に喉の奥で春が弾けるようだ」
カイゼル司祭は、祈りを捧げるように目を閉じ、慈しむように味わった。
見習いの少年も、お裾分けされた一口を食べて声を失っている。
「店主殿。あなたの魔法は、時間を止めるだけではない。生命の尊厳を、最も輝かしい形で『顕現』させる光なのですね」
「過分なお言葉ですわ、司祭さま」
私は深く一礼した。全財産を失い、安い食材に縋っていた私にとって、その言葉は失われた自信を補完する最高級の賛辞だった。
カイゼル司祭は温野菜をゆっくりと味わって食べた。完食すると、私は食後のハーブティーを出した。お茶を飲みながら彼は言った。
「……そういえば、店主殿。お伝えし忘れておりました。私は、ある御方の強い勧めでここへ参ったのですよ」
私の背筋に、微かな戦慄が走った。
「ある御方とは……?」
「シレイ殿」カイゼル司祭ははっきりと言いきった。
ああ、やっぱり……。同時にレオンハルト騎士団長への感謝の気持ちがこみ上げてくる。彼はシレイに私の願いを伝えてくれたのだ。
「無作法で、人を喰ったような御方ですが……彼はあなたの腕を、誰よりも高く評価しておりました」
「シレイさまが、司祭さまを紹介してくださったのですね」
「ええ。それだけではありません。あなたもご存知かもしれないが、私の固有魔法は【広範察知】。私は普段はここから八十キロほど南にある町・ホルガの教会支部に常駐しているのですが。実はこの『とわずがたり』も私の察知範囲に入っているのです」
カイゼル司祭の言葉の意味を理解するのに、数秒の間を要した。それはつまり、この店で起きる魔力反応はすべて司祭に把握されているということか。
「司祭さまは、範囲内であればどのような魔力反応も察知できると聞きました」
ハハッと、カイゼル司祭は愉快そうに笑った。
「それはちょっと過剰な評価ですね。魔力の強弱や魔素の濃淡はわかりますが、私も能力や個人まで識別することはできません。それに、魔力を隠匿できる力を持つ魔術師に対してははなはだ無力です。シレイ殿は完璧な隠匿ができる御方。それゆえに……どうにも悪い癖をお持ちだ」司祭は困ったように息をついた。
「悪い癖とは……?」
「彼はうっかりした時や、私に察知して欲しい時にわざと魔力を放出するようでしてね。この店に来た時もそうだったのでは……と考えているのですよ」
そういえば、シレイがここに来てからしばらくして「強力な魔力反応が感知された」と言ってレオンハルトが駆けつけてきた。あれは司祭が察知したものが軍部に伝わり、現地に確認に来たということか。だとしたら、カイゼル司祭も軍部も騎士団長もシレイに振り回されていることになる。
「……ここに騎士団長が来たのは、司祭さまのお力によるものだったのですね」
「今もこの店には、注意を払っておりますよ。シレイ殿のご命令ですのでね」
私は、目の前が眩むような感覚に陥った。……感謝。そう、これは感謝すべきことなのかもしれない。 カイゼル司祭は魔力反応で個人までは識別できないと言った。現地に行くまで、シレイであることはわからなかったはず。人を寄こすということは、加勢、救援が来るということでもある。
「今も。ということはシレイさまは、私を監視していらっしゃるのですか?」
私が微かに震える声で問うと、カイゼル司祭は困ったように微笑み、首を横に振った。
「監視、という言葉は適切ではありません。彼は失いたくない宝物を、誰にも触れさせぬよう隠しているだけなのかもしれません。……少々独占欲が強く、やり方が強引な御方ですからな」
カイゼル司祭は、私の手をそっと握った。その手のひらは温かかった。
「店主殿。シレイ殿の紹介でここへ来る客は、私だけではないでしょう。彼はこれから、あなたが望む客を次々と送り込んでくるはず。……それを『監視』ととるか『恩寵』ととるかはあなた次第です」
司祭は見習いの少年に命じると、袋から数枚の金貨を取り出させた。金貨を私に差し出した。
「お代です」
私は恐縮した。
「司祭さま、お出ししたのは野菜だけです。これはいただきすぎです。一枚でけっこうです」
「私はご覧の通りの目。俸禄をいただいても、たいした使い道はありません。目が見えれば、希少な書物などを集める楽しみもあったでしょうが……かなわなかった。いいのですよ。とっておきなさい」
「……はい。それでは、遠慮なく。ありがとうございます」
正直、お金は喉から手が出るほど欲しい。浅ましいと思いつつも、背に腹は代えられない。
私は押しいだくようにして金貨を受け取った。
カイゼル司祭は見習い少年の肩を借りて立ち上がった。私を真っ直ぐに見据えた。
「私の世界は常に白く薄ぼんやりとしていて、物ごとの輪郭がつかめない。皿の料理がどういうものなのかもよくわかりません。ですが、あなたの料理を口に入れた瞬間、世界が変わった。野菜の色も形も見えた気がしました。それくらい美味しいのです。奇跡とは違いますが、これからも精進なさい。あなたが作る料理は人を幸福にします」
「……ありがとうございます」
カイゼル司祭は柔らかく微笑むと、見習いの少年と共に店を出た。霧の中へと消えていった。
「……チッ。あのじいさん、いいこと言いやがって」
ガルドが少し拗ねたように言った。
「エリス、アンタはどうなんだ? シレイの野郎の手のひらの上で転がされてる気分は」
「……正直に言って、愉快ではないわ」
しかし、シレイの「紹介」があってこその出会いもある。
監視されている不安。守られている安堵。複雑だ……。
「仕方ないわね。紹介に文句を言うのもおかしいし。司祭さまは素晴らしいお客さまだったし」
見られているのなら、見せつけてあげるまで……という開き直った思いもある。
私は気を取り直して厨房に戻った。包丁を持ち、再び食材との対話を始めた。




