第17話 死の淵に咲く百合の根と薬膳スープ【後編】
まずは、「月華の根」を薄くスライスする。切り終わると次に沸騰した大鍋に、森の清水と私の魔法で「最高の浄化力」を保たせていた白銀のハーブを投入する。
問題はここからだ。「月華の根」を鍋に入れ、アクが抽出されるその瞬間――。
通常の料理なら、アクはスープ全体に回ってしまうが……私はその瞬間を逃さない。
「【静止】!」
鍋の中に渦巻く水分子の動きを、極限までスローにする。浮き上がってきたどす黒いアクの成分。その「毒性」がスープに溶け込む直前のコンマ一秒の瞬間を、私は魔法の鎖で繋ぎ止めた。
静止したスープに私はおたまを持ち、毒素だけを丁寧に、外科手術のような精密さで取り除いていく。
これは目に見えない悪魔の爪を一本ずつ抜いていくような、精神を削る作業だった。
額に玉のような汗が浮かんで滴り落ち、そのたびにハンカチでぬぐう。 熱い。辛い。けれど、ここで止めるわけにはいかない。時間をかけて丁寧にアクを抜き、やっと毒素を全て除去すると、濃厚なミルクやバター、調味料の塩や黒胡椒を投入し、純粋な「生命の輝き」が凝縮された乳白色のスープへと仕上げていく。
最後に、私は【静止】を解除し、一気に火を通した。
厨房には、王都の薬草園ですら嗅げないような清冽な香りが満ち溢れた。
「できたわ……。特製薬膳スープ、名付けて『月華の目覚め』」
私はそのスープを、瀕死の青年の口元へ運んだ。
彼はすでに呼吸も絶え絶えだったが一口、二口と飲んだ。
スープが喉を滑り落ちてから少しすると――変化が訪れた。
青年の肌を覆っていた不気味な紫色の斑点が、まるで朝日を浴びた霧のように消えていく。どす黒く浮き上がっていた血管は収縮し、皮膚の表面はなめらかになった。次第に健康的な色を取り戻してゆく。
「……う、うう……。ここは……?」
青年が、ゆっくりと目を開ける。その瞳には、先ほどまで彼を覆っていた死の陰りは見えなかった。
「助かったんだな、お前。運が良かったな。エリスの料理は、死神の鎌さえも錆びつかせるってとこか」
ガルドは大きく息をつき、不遜な態度で腕を組んだ。
コリンが私を見上げながら言った。
「アク抜きのために水分子の時間を止めるなんて、エルフの賢者でも思いつかないかもな。エリスは料理屋じゃなくて『錬金術師』なんじゃないか?」
私ははにかみながら、首を横に振った。
「違うわ。私は料理人で、少しこだわりが強いだけの店主よ。……でも、コリン。あなたが持ってきてくれるエルフの薬草と私の魔法を組み合わせれば、どんな薬よりも強力なものが生み出せるかもしれないわね」
言いながら、手のひらをじっと見つめる。かつては「冷蔵庫」と蔑まれた、物を腐らせないだけの力。
でも応用すれば、素材の「毒」と「薬」の境界線も見極められるみたい。
望まぬ変化を止めることができれば、最高級のポーションも作れるし、猛毒への解毒剤にもなり得る。
……でもまあ、薬屋になる気はないわ。私がしたいのは料理だしね。それに薬も扱ったら、色々面倒なことになりそう。今回は緊急事態なので特別サービスよ。
「エリス。アンタは、また忙しくなりそうだな」
ガルドが、少し呆れたように言った。
「ええ。でも、悪くない気分よ。……私の店で、誰かの時間を守るために、私の時間を使うというのはね。といっても薬膳スープを『とわずがたり』のメニューにする気はないけど」
「そうだな。貴重な解毒剤になるとわかったら『月華の根』は乱獲されるだろうしな。ましてや薬に加工できるアンタは……」
そこで、ガルドは意地の悪い笑みを浮かべた。私は急に不安にかられた。
「……どうなるの?」
「大方、王立の医局か解毒剤で荒稼ぎを企む連中に拉致されて、どこぞに監禁されて強制労働させられるだろうな。毎日毎日、毒草のアク取りだ」
「……やめてちょうだい。ここを離れるなんて、考えたくもないわ」
ガルドの脅かしに、私はゾッとして首をすくめた。けしてありえない話ではないのが、怖いところだ。
数日後。命を取り留めた青年は、涙を流しながら感謝を述べ、滞在費も含めて高額の謝礼をし払った。
念を入れてしばらく療養するとのことで、定期便の駅馬車に乗って仲間と共に去っていった。
彼らを見送った後、コリンが言った。
「俺っち、もっと珍しい薬草を探して持ってくるよ。エリスの『静止の魔法』でどんな奇跡が見られるか、楽しみだしさ」
「そうね、実売はしなくても実験する分にはいいかも。お願いするわ」
辺境の朝はいつになく澄み渡り、私たちの今日は腐ることのない鮮やかな希望に満ちている。




