第15話 いにしえの味、エルフの郷土料理【後編】
供された一皿は、エメラルドの緑の雫を散らした琥珀色の湖のようだった。
「……食えよ、コリン。エリスの飯は、ただの飯じゃねえ。止まった時間の中で、一番いい夢を見せてくれる極上の逸品だ」
ガルドが、ぶっきらぼうに、けれど彼なりの優しさで促した。
コリンは震える手で木のスプーンを取り、その黄金の液体を口に運んだ。
――沈黙。
世界から音が消失したかのような、重密なまでの静寂だった。
「……あ」
コリンの口から、掠れたような声が漏れた。彼の瞳から一筋の、そして次から次へと真珠のような涙が零れ落ちる。それはきっと、失われた故郷の森の記憶。朝露に濡れながら「世界樹の溜息」を摘んだ思い出。祭りの夜に歌った、もう二度と聴くことのできない賛歌。
「……ああ、これだ……。たぶん、百年ぶりかな」
「百年ぶり?」私の声は驚きで上擦った。なんかもう、時間の単位が違いすぎる。
「俺っちも、ずっと忘れてた。……森が、こんなに温かくて、こんなに誇り高い匂いがしたなんて。失ってみて初めてわかったよ」
コリンは、嗚咽を堪えることも忘れて、貪るようにスープを飲み干した。彼の魔素が、食事を通じて私の【静止】と共鳴し、傷ついた魂を癒していく。
思い返せば、私が実家から追放された時に抱いた孤独。それを溶かしてくれたのは、権力でも名声でもなかった。丹精込めて作られた、温かな食事だった。
「……ご馳走さま。……最高だわ、お嬢さん」
皿を綺麗に空にしたコリンは、赤くなった目を擦り、照れくさそうに笑った。
「エリスよ。エリス・ヴァーミリオン」
「ありがとう、エリス。俺っちの故郷の味を再現してくれて」
「どういたしまして」
コリンの顔には、先ほどまでの怯えるような影は消え、エルフ特有の高潔で凛とした誇りが戻っていた。
「……なあ、エリス。決めたわ。俺っちもこの森の近くで、暮らすことにする。あんたの店にも通いやすいし」
「あら、この魔の森は危険よ? あなたがここに暮らし始めたら、私の相棒が魔物を追い払う手間が増えそう」
コリンはガルドの方を見て、にやりと笑った。
「へ~旦那が護衛なのか。じゃあ、腕が鈍んないようにしないとな。……俺っちの嗅覚は特別なんだわ。普通じゃ見つけられない野菜や薬草類を嗅ぎ当てられる。この森に眠る、あんたの料理に相応しい食材を俺っちが見つけてきてやる。それを買い取って欲しい」
「わかったわ。私もエルフの伝統料理を勉強できるし、一石二鳥ね」
ガルドが相槌を打つ。
「俺はそのエルフの伝統料理を食えて一石三鳥だな」
私たちは顔を見合わせて笑った。
「契約成立、だな」
コリンは立ち上がり、私に深くお辞儀した。エルフ式の優雅な礼らしい。
それは、かつての王都の社交界で交わされた虚飾に満ちた礼とは一線を画していた。
「極上の食材は明日から届けてやるよ。その代わり……時々でいいから、俺っちにも森の味を作ってくれ」
「ええ。約束するわ。『とわずがたり』はあなたの憩いの場として、いつでも扉を開けておくわ」
その後、コリンが魔の森で採取して持ってくる食材は、どれも私の想像を絶するものばかりだった。 雷光を浴びて熟した「天啓の林檎」、精霊が眠る泉でしか育たないとされる「水神のセリ」。
それらの食材を、私の魔法で「静止」して、ガルドの舌を満足させる。
追放された伯爵令嬢。獣人の用心棒。 そして、悠久の時を生きるエルフの目利きまで加わって「とわずがたり」はさらなる発展を遂げそう。
「……さて。コリンが届けてくれたこの林檎、どう『静止』させようかしら。ガルド、あなたの意見を聞かせてちょうだい」
「フン。好きにすればいいだろ。……どうせ、アンタの手にかかれば、どんな石ころだって極上の宝石に変わるんだからな」
ガルドの不器用な賛辞に、私は笑い声を上げた。ところで、と私はガルドに尋ねる。
「コリンて、一体幾つくらいなのかしらね? 長命種に歳を聞くのも失礼かと思って」
「ああ、あいつは383歳らしいぞ」ガルドはなんでもないことのようにさらりと言った。
「383歳……? あの容姿で?」
私は仰天し、思わず大きな声をあげてしまった。
「俺もそうだが。エルフの時間の尺度は、アンタたちとは違うんだよ。コリンが人間なら、アンタはネズミか虫みたいなもんだ」
「ネズミか、虫ねぇ……」
ということは、百年ぶりと言っていたポタージュもそんなに昔のことだとは思ってなさそうね……。私たちと過ごすのんびりとした時間も、コリンにとっては一瞬のことなのかも。
私は改めて人外とされる種族の価値観の違いに想いを馳せた。
不意に、窓の外から、コリンの軽快な口笛が聞こえたような気がした。
彼の場合は……一瞬をご馳走さま?




