第13話 王都のエリート魔女とお料理対決
窓外に広がる魔の森は、春を告げる湿った風に揺れ、太古の沈黙を破るように芽吹きの吐息を漏らしていた。
私の店「とわずがたり」の厨房は、今日も磨き抜かれた白銀の調理器具が陽光を撥ね返している。
一陣の刺すような冷気と共に、場違いな華やぎを纏った闖入者が現れたのは、正午を少し回った頃だった。
「――ここね。王都の社交界を騒がせている『魔の森の聖女』の店というのは」
扉が開かれると同時に、鼻を突くような百合の香水の香りが流れ込んできた。
そこに立っていたのは、真紅の外套を翻す、燃えるような紅蓮の髪を持った美女。
王立食料監査局の最年少筆頭食味官にして、高等魔法を操るエリート魔女、コーデリア・フォン・メジテル。凡庸な兄たちを差し置いて、メジテル家の家督を継いだラーゼスト郷女子爵でもある。
彼女の瞳には、貴族らしい傲慢さと、剥き出しの戦意が燃え盛っていた。
「あら、ご挨拶ですわね。当店は『とわずがたり』。本日は、生憎と予約で埋まっておりますの」
コーデリアは、私の言葉を冷笑で切り捨て、一歩前へ踏み出した。
「予約なんて反故になさい。追放された伯爵令嬢、エリス・ヴァーミリオン。あなたの使う【静止】は、食物の自然な変遷を拒む異端の術。……対して私の【加速】は、生命を最高の瞬間へと急成長させ、爆発的な輝きを引き出す。どちらが真の美食に相応しい魔法か、白黒つけましょう」
「つまり……?」
「お料理対決をしましょう」
お料理対決――。
王都のエリートたちが好む、野蛮で、けれどこの上なく官能的な遊戯。
鋭い視線を感じる。私は手を振り、カウンターの隅で殺気を孕んだ笑みを浮かべるガルドを制した。
いいわ、私も退屈していたところよ。
「面白いわ。私の『静止』と、あなたの『加速』。どちらの料理が、お客の魂をより深く揺さぶるか競いましょう」
コーデリアも好戦的に笑う。
「話が早い。あなたのそういうところ、嫌いじゃないわ。そうそう、私の『加速』は脊椎動物に対しても有効なの。人間の持つ運動能力、瞬発力や攻撃力を爆発的に加速させることもできる。『静止』とは汎用の幅が違うのよ」
汎用性であれば、私の「静止」も食品だけに有効なわけではないのだけど――わざわざ手管を明かすこともないわね。
「それなら、さぞかし軍部で重宝されたでしょうに。女子爵ともあろう方が、何も食味官にならずとも……」
私の嫌味に、コーデリアはフンと鼻を鳴らした。
「冗談じゃないわ。なぜ軍で汗くさい男たちに揉まれなくてはならないの? むさ苦しいたらありゃしない。私がこの世で一番好きなのは美食。そして創作料理。地位はたいしたことないけど、食味官は天職なのよ」
「加速」を使えば、兵士たちの戦闘力を増強できる。軍属になれば、出世は思いのままだろうに。
どうやら、コーデリアは誇りをもって食味官をまっとうしているらしかった。
そうね、私もあなたのそういうところ、嫌いじゃないわ。
対決の題材は、春の訪れを象徴する希少食材「極楽鳥の卵」と「銀鈴の白アスパラガス」にした。
コーデリアの繰り出すものは、まさに狂瀾怒濤の魔法演武だった。
彼女が指先を振るえば、アスパラガスの芽が瞬く間に成長し、最高潮の糖度を湛えて弾ける。
極楽鳥の卵は宙に舞い、【加速】の魔力によって黄身の熟成が一気に進み、琥珀色の濃厚なソースへと変貌する。
厨房に満ちるのは、生命を加速させ、引き出された「刹那」の輝き。打ち上げ花火のように鮮烈で――躍動に満ち溢れている。
対して、私は静寂の中にいた。
私が取り出したのは、まだ冬の気配が残る中、ガルドが採取してきた、当時の「最高の瞬間」で【静止】させたアスパラガス。そして、産み落とされた直後の、最も生命力に溢れた状態で時を止めた卵。
「……私の魔法は、最高の瞬間の『固定』ですわ」
私は、魔法の鎖をそっと解いた。春の息吹が、今、この瞬間に解き放たれる。
アスパラガスは切り口から瑞々しい露を滴らせ、卵はまるで今産み落とされたかのような温もりを取り戻す。
私は、ガルドが仕留めてきた「雷鳴鹿」の背脂から丁寧に抽出したオイルで、アスパラガスを丁寧に炒めた。高温の熱を加えながらも、その内部の「鮮度」には一切の干渉を許さない。
魔法によって固定された水分が、熱を帯びることで爆発的な風味の転換を起こす。
私たちは魔法を駆使して、料理を仕上げていった。
審判を務めるのは、偶然にも店に立ち寄ってしまったレオンハルト騎士団長と、私の相棒ガルド。
まずはコーデリアの一皿。
『紅蓮の加速・爆ぜる白アスパラガスのポタージュ』。
一口含んだレオンハルトの瞳が、驚愕に揺れた。
「……これは、凄まじい。生命のエネルギーが、口の中で爆発するようだ。春の訪れというよりは、夏の熱帯夜のような、暴力的なまでの力強さだ」
コーデリアは勝ち誇ったように私を見た。
けれど、ガルドは一口食べると、不機嫌そうに皿を押し返した。
「……不味くはねえが、やたらに喉が渇く。これは食材から無理やり絞り出された悲鳴の味だ。食った先から虚しさが弾ける」
あらあら、辛辣ね……。前から思ってたけど、意外にも詩的なことを言うのよね、ガルドって。
「な、なんですって……?」
憤慨するコーデリアを無視し、私は自分の一皿を差し出した。
『永遠の初恋――白き春の目覚め』。
皿の上には、清浄な空気さえも纏っているかのような、透き通るような白アスパラガス。その上には、半熟に仕上げられた黄金の卵のソースがかかっている。
レオンハルトが、それを口にした。ゆっくりと咀嚼し、呑み込む。
彼の瞳から、一筋の涙が、静かに零れ落ちた。
「……ああ。これは、失われたはずの『あの日の春』だ。……思い出せないほど遠い昔、森で見た、あの清らかな朝霧の匂いがする」
ガルドも黙々と口にし、満足げに喉を鳴らした。
「……これだ。エリス、アンタの飯には『嘘』がねえ。時を止めているからこそ、その素材が持っていた『魂の重み』が一滴も零れずに俺の胃袋に届く」
「バカな……! 私の【加速】が時を止めた食材、死骸に負けるはずが……!」
コーデリアは、奪うように私の料理を口にした。
その瞬間、彼女の顔から血の気が引いた。そう、やっとわかったのかしらね。
あなたの料理は、未来を前借りした「劣化の始まり」に過ぎない。
けれど私の一皿は、過去から届けられた「不変の愛」。
私の【静止】は、単なる冷蔵ではない。世界が最も美しく、生命も純粋だったその瞬間を、私の意志で肯定し、守り抜いたもの。
「……負け、だわ……」
コーデリアは力なく呟き、その場に膝をついた。彼女の自慢の紅蓮の髪が、心なしか色褪せて見える。
彼女は、自分が作り出した「加速された味」が、空腹を満たせても魂を満たせないことに気づいてしまったのだ。
「コーデリアさま。時間は、無理やり奪うものではなく、愛でるものですわ。……もし、本当の春を味わいたいのであれば、またお越しなさいな。予約は不要です」
私は、優雅な仕草で彼女に手を差し伸べた。エリート魔女は、手を取りながらもがっくりとうなだれた。
レオンハルトが軍務に戻り、王都へ戻るコーデリアを乗せた馬車を見送りながら、私は深く溜息を吐いた。
「……疲れたわ。ガルド、後片付けをお願いしてもいい?」
ガルドは、しょうがないとでも言いたげに首を緩く振った。
「フン、いいだろう。人気者は辛いな、エリス」
「ええ、呼んでない面倒ごとばかりがやってくるわね」
「……だが、しばらく休んだら戻って来いよ。あの魔女のポタージュのせいで、俺の口直しが必要だ」
「そんなに口に合わなかったの?」
「いや、そこそこ美味かった。荒っぽいけどな、独特の野趣味は悪くない。『加速』の調整がもっとうまければ化けるだろうな」ガルドはあっけらかんと答えた。
「……」
なんだ、コーデリアの料理もイケたんじゃない。でも、いつも食べている私の料理の方を贔屓してくれたのかしらね。
私は、茶目っ気たっぷりに微笑み返した。
「あなたの夕食は喜んで作るわ。私たちの時間は、私たちだけのものですもの」
辺境の陽は暖かくもゆっくりと落ちていき、夜になれば、また私たちの「美味しい物語」が密やかに始まる。
――永遠を、ご馳走さま。




