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辺境ごはん屋とわずがたり ~静止スキルで至高の味を永遠に~  作者: kiyoaki


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第12話 伝説の黄金トマトと終わらない夏

 窓外に広がる魔の森は、春の予兆を孕んだ湿った風に揺れていた。

 私の店『とわずがたり』の厨房は、今日も磨き抜かれた銅製の鍋が陽光を撥ね返し、静謐で確かな生命の熱気に満ちている。 カウンターの隅では、私の「相棒」ことガルドが、野性味溢れる優雅な仕草で深紅のワインを揺らしていた。黄金の瞳は、私の指先が紡ぎ出す魔法の軌跡を追っている。


 穏やかな昼下がりを切り裂いたのは、不快な金属音と、場違いな権威を纏った複数の足音だった。

「――ここか。辺境で『呪われた魔法』を使い、不当な利益を上げているという不潔な飯屋は」

 扉が荒々しく開け放たれた。

 流れ込んできたのは森の冷気ではなく、王都の裏路地を思わせる陰湿な毒気だった。

 現れたのは、王立食料監査局の紋章を胸に付けた、肥満体の男。その後ろには、数人の衛兵と、全身を漆黒の法衣で包んだ、幽霊のように青白い顔の老人が控えていた。


「あら、ご挨拶ですわね。当店はお客を選ぶ『とわずがたり』。礼儀を知らぬ方に供するものは何もございませんの」

 私は羽瓶を置くような軽やかさで、手にしたリネンを畳んだ。

 男は顔を真っ赤にし、手に持った羊皮紙を激しく振りかざした。

「黙れ、没落貴族の端くれめ!  貴様の使う【静止ポーズ】は、食物の自然な腐敗を妨げる禁忌の術だとの通報があった。王国の食の安全を脅かす『偽りの鮮度』――。それを証明するために、本日、王宮筆頭食味官、バルトロメウス卿をお連れしたのだ」

 バルトロメウス。その名を聞いて、カウンターでワインを飲んでいたガルドの眉が僅かに動いた。

 かつては「神の舌」と謳われた伝説の美食家。けれど、数年前にある魔獣の呪いを受け、味覚の全てを失ったとされる悲劇の老人だ。


「……虚しいな。何を食べても、砂を噛むようなもの。この世の全ては、腐りゆく死骸に過ぎぬ」

 老人が、枯れ木のような声で呟いた。その瞳には、色褪せたセピア色の絶望だけが沈んでいる。

 監査官の男が、下卑た笑みを浮かべて私に詰め寄った。

「さあ、料理を出せ! この『神の舌』に、貴様の魔法がいかに欺瞞に満ちたものかを審判させてやる。もし彼を満足させられなければ、この店は即座に閉鎖し、貴様は魔導犯罪者として王都へ連行する!」

「面白いわ。……ただし、もし彼が私の料理に『真実』を見出したなら……その時は、お引き取り願うだけでは済みませんわよ?」

 私が引き下がらないのを見て、男が一瞬怯む。

 私はガルドを制し――彼は既に、その鋭い爪をテーブルの裏で研ぎ始めていた――厨房へと向かった。


 さて、何を作れば、この死に体の老人の魂を揺さぶることができるかしら。

 味覚を失った者に必要なのは、刺激ではない。それは、生命が最も力強く脈動した瞬間の、圧倒的な「生の記憶」だ。

 私は、地下の「静止貯蔵庫」から、一つの包みを取り出した。それは、魔の森の最深部でガルドが命懸けで摘んできた『太陽の心臓』と呼ばれる、伝説の黄金トマト。

 一年のうちで、夏の盛り、正午のわずか一時間だけが最も甘美な香りを放つとされる果実。私はその「頂点の瞬間」を、一秒の狂いもなく魔法で固定していた。


 包みを開いた瞬間、厨房に真夏の陽光が爆発したかのような、濃厚で芳醇な香りが溢れ出した。   「……っ、なんだ、この匂いは……?  真冬だというのに、夏の熱気が……」

 監査官が狼狽えて後退る。私は構わず、調理を開始した。

 黄金のトマトを、雪解け水で冷やしたクリスタルのボウルに入れ、優しくほどく。

 そこに合わせるのは、私の魔法で「採りたての刺激」を永遠に保ったままの、紫蘇に似た香草。

 メインとなるのは、ガルドが今朝仕留めてきたばかりの、純白の翼を持つ「天雷鶏」の胸肉。その細胞がまだ雷の余韻で震えている瞬間に、私は【静止】をかけ、熱を通しても損なわれない「鮮烈な弾力」を閉じ込めた。

 熱した石板の上で、鶏肉が歓喜の歌を歌う。

 私はそこに、魔法で熟成の極致に固定された、百年もののバルサミコ酢を一滴だけ落とした。

 完成した料理は「黄金の太陽を纏った天雷のグリル――永遠の夏を添えて」。


 皿がバルトロメウス卿の前に置かれた瞬間、店内の空気が一変した。

 失われた季節を強制的に現在いまへと引き戻す、時空の歪みのような――。

「……お召し上がりを、卿。あなたが失ったのは味覚ではなく、明日を信じる力ですわ。この一皿には、世界が最も輝いた瞬間の『今』が、私の意志で縫い止められています」

 老人は震える手でフォークを取り、黄金の果肉に包まれた肉を一口、口へと運んだ。


 ――沈黙。 それは、永遠のようにも、一瞬のようにも感じられる静寂だった。


 老人の手から、銀のフォークが落ちた。

 彼の、幽霊のようだった瞳から、一筋の涙が、そして次から次へと、大粒の涙が溢れ出した。

「……ああ……ああああ……! 温かい……。血が、私の身体の中に、温かな血が流れる音がする……!」

 老人の肌に、見る見るうちに血色が戻っていく。枯れ果てたはずの喉が、熱狂的に咀嚼を繰り返し、その至福を嚥下していく。

「夏だ……! あの、焦がれるような太陽の匂い、大地の咆哮、生命がただ生きようと足掻く、あの狂おしいまでの躍動感。私は、私は、生きている!」

「ば、バカな。そんなはずはない!  味覚を失ったはず……!」


 監査官が絶叫し、皿に残ったトマトの欠片を奪うように口にした。

 その瞬間、彼の顔は驚愕に染まり、膝から崩れ落ちた。

「……ひっ、あ、あああ……! 美味い……。いや、これは美味いなどという言葉では足りない……! まるで、魂を直接、極彩色フルカラーに塗り替えられるような……!」


 ガルドがゆっくりと立ち上がり、監査官の首筋に、冷たい爪を立てた。

「おい、デブ。……これで証明されたな。エリスの魔法が『欺瞞』か、それとも貴様らが一生かかっても理解できない『奇跡』か」

「ま、待て! 悪かった、私が間違っていた! だから、その化け物をどけてくれ……!」

「化け物? あら、失礼ですわね。彼は私の、かけがえのない大切な相棒ですわ」


 私は微笑を浮かべ、監査官の鼻先に、白銀の請求書を突きつけた。

「店主および店舗の名誉毀損への慰謝料。そして……もちろんお料理代。特に黄金のトマトは高いですわよ。王都の屋敷が一軒、余裕で買えるほどの金額になっておりますわ。お支払いは、今すぐ。さもなくば、ガルドの夕食に『監査局の役人のロースト』を加えなければならなくなりますわね」


 監査官は泡を吹いて卒倒し、衛兵たちは彼を抱えて、命からがら店から逃げ出した。

 後に残されたのは、皿を綺麗に平らげ、まるで聖霊に触れた巡礼者のような表情で佇むバルトロメウス卿だけだった。

「……エリス殿。私は、王都へ戻るのをやめよう。この店の皿洗いでいい、あなたのそばで、この『永遠の生命』を見守らせてはくれないか」

「あら、贅沢な皿洗いですね。けれど、当店はあいにく、相棒兼護衛が一人いれば十分ですの」


 私がそう言うと、ガルドが満足げに鼻を鳴らし、私の隣で、誰にも渡さないとばかりにその太い腕を組んだ。

 バルトロメウス卿は寂しげに、けれど清々しい微笑を浮かべて去っていった。

 彼は、王都で私の魔法の正当性と料理の味を改めて喧伝してくれることだろう。


 再び訪れた静寂。

「……エリス。あのトマト、俺が死ぬ気で採ってきたやつだったよな」

「ええ。最高の素材だったわ、ガルド。おかげで、また一つ『永遠』を証明できたわ」

「そうか。……なら、次は俺のためだけに作れ。あんな枯れ木の老人のためじゃなく、俺の胃袋を、アンタの魔法でパンパンに満たしてくれ」

 ガルドの強引な誘いに、私は笑い声を上げた。

 私は、彼の黄金の瞳に映る、私自身の誇り高い姿を見つめる。


「ええ、喜んで。……今夜は、あなたのそのうるさい舌を極上のフルコースで黙らせてあげるわ」


 私はエプロンの紐を締め直し、再びフライパンを握った。


 ――永遠を、ご馳走さま。

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