『復讐の虎』と『あだ名付き』達:ACT 5
「二日後、君達は初任務に行ってもらう」
ミッチェルのその言葉は神谷真理も初耳だった。
彼はミッチェルを睨むようにしてみる。
しかしミッチェルは意識してだろう、彼と目を合わせないように真っ直ぐ『あだ名付き』たちを見ている。
また声がした。
「ガキじゃないか。おままごとで出来る事なのか?」
誰が言ったかまではわからなかったが、あまりいい感情のこもった声ではなかった。
別の誰かが笑いを含んだ声で言った。
「俺は殺せればどうでもいい」
周囲の人間がその声にどっと笑う。
神谷真理は呆れて頭を掻いた。
「これから順番に君達を宿舎に連れていく。自己紹介の時間はない。部屋に戻り休むんだ」
「ミッチェル!」
たまらず神谷真理が声を荒げた。
振り返るミッチェルに神谷真理は詰め寄る。
「編成と運用は違うぞ! そもそも編成すらできていない! これだと三個小隊か?99人で、独りどこかに捨ててきたのか? 数も揃っていないのに運用展開するなどありえない! 」
「君の言い分はわかる」
「なら何故!? 記録では軍務経験も無い奴らも多い!作戦行動など出来はしない!」
「それでもやるんだ」
「どうして!?」
「任務だから」
ミッチェルの言葉に神谷真理は苦虫を嚙み潰したような顔になる。
強く、吐き捨てるように息を吐く。
「作戦指揮は」
「今回は支援合流だ。助力するために先行した部隊と合流し、補助を行う。詳細は当日に」
神谷真理が頷くとミッチェルも頷いて連中に向き直る。
「言ったように各自部屋に案内する。案内はその後に行う。解散だ」
ミッチェルが言うと迷彩服を着た職員たちが彼らを誘導し始める。
何人かが、神谷真理をまっすぐ見つめてなかなか動かなかったが、それもすぐに終わり、皆が去っていった。
あの檻に入った『不明』だけが、他とは違う方向へ運ばれていく。
そしてミッチェルに神谷真理は再度向き直る。
「どんな任務か知らないが死人が出るぞ。全滅もあり得る」
「全滅はしない。君もいるし、君のよく知る者もいる」
「確認した。『超新星爆発』だろ。あいつだけで数の勝負では何にもならないぞ!戦闘能力も高いがあいつの適性は元来開発だ! 手が足らない!」
「そうならないように動くんだ。君なら出来る。これは命令だ」
「全てが許容されるらしい俺に命令だって!?」
「君は根っからの軍人だからな。必ず従う」
神谷真理は再び苦虫を噛み潰した顔になる。
図星と言ったところだ。
「初任務で制度中止にならないと良いな」
「そう願おう」
踵を返してミッチェルの元から離れて、神谷真理は地上へ出た。
兵舎に戻ろうとして廊下を歩いている。
「くそがっ。何を考えているんだ」
神谷真理は悪態をつく。
ミッチェルの言うことは謎だ。
神谷真理が確認した彼ら『あだ名付き』達の経歴は確かに壮絶なものだった。
犯罪歴と言った方がいいだろう。
大量殺人、クーデター、国家反逆行為、そして、テロ行為。
チンピラがやる犯罪にしては度が過ぎているし殺し方や殺した後の行動が常軌を逸している者も多かった。
死体を積み重ねて山にした者もいたはずだ。
中には存在が謎として扱われ、逮捕されるまで実在するかどうかも怪しいと言われていた者までいたときた。
確かそれは、空から降ってきたんだったか。
明らかに普通ではない。
しかしその普通ではない犯罪集団の多くは軍隊経験がないか、浅い。
いくら基礎能力が高くとも戦闘の基礎のノウハウがない人間では作戦行動は不可能だ。
個人がどれだけ強いか、は関係ないのだ。
とそんなことを考えている時だった。
「何だこれは」
神谷真理が立ち止まり、顔を上げた。
その先には何もない廊下が伸びているだけだった。
不思議と誰もいない。
しかしそこは関係ない。
妙に、妙な気配がすると、彼は感じていた。
立ち止まり、胸の所で固定した仏陸軍小銃のバックルを緩めてグリップを握る。
装填し、安全装置を外す。
眼帯も外す。
妙な気配を彼は未だに感じている。
否。
見えている。
禍々しい歪み揺らいだ気配。
彼の左目にはそれが見えている。
その気配が徐々に近づいている。
廊下の、途中の階段へ続く道の陰からその気配が姿を見せている。
それが徐々に濃くなり、接近していることを表していた。
靴音が響く。
階段を昇ってきている。
ゆっくりと、近づき、そこから特に何の気なしもなく角から男が現れた。
なんてことのない男。
平均的な体型に平凡な顔、髪型、服装。
辞書から文字通り引用してきたらこの男が出現するのではないかというほど平凡な顔だった。
特徴がなさ過ぎて、二秒後には忘れていそうな感じだ。
だからこそ彼は忘れていたのだ。
そしてそれを思い出し、気付く。
99人しかいなかったあの『あだ名付き』の列。
そこにいるべきだったのは。
「やあこんにちは」
「『悪魔の王』か……!」
『あだ名付き』No.99。
世界全てを掌握して見せようとした最強格の大犯罪者。
その人だった。
気付く。
彼は手錠も足錠も着けられていない。
完全にフリーの状態だ。
「おや、久しぶりに見た顔だ」
引き金に意識を持っていく神谷真理を他所に『悪魔の王』は世間話を振るように薄い笑みを浮かべる。
「久しぶりだ?」
神谷真理が言う。
『悪魔の王』が頷く。
「君が起こしたフランス軍防衛省への反逆行為並びにその戦い、実に見事だった」
背筋に怖気を感じ神谷真理は一歩下がる。
「……いたのか?」
「見ていたよ。途中からだけどね」
彼は言って、神谷真理に歩み寄ってくる。
神谷真理はまた一歩下がる。
それを見て『悪魔の王』は足を止める。
「随分と嫌われてるらしい」
「何故ここにいる? 他の奴らは下で集まっていたぞ」
「ここに入るのを許可してくれた人に挨拶にね。その人の力があったから私は手錠もなしで出歩ける」
「……見ていたと言ったな?」
「そうだね」
「……お前はあそこで何をしていたんだ?」
「見ていただけ。ただ別件で、ああ君は記録を見ているんだね。別件の、その途中に行き着いた場所で君の戦闘に遭遇しただけでね。本当にそれだけさ。あの時は何だったか、ああ、『蠅の王』と戦った後だったかな。その後たまたま君を見かけただけだ。深い因果はないよ」
「『蠅の王』……」
『あだ名付き』の一人だと神谷真理は思い出す。
確か活動時期が被って双方戦闘になった経緯があったはず。
しかし彼はそんなことは些事だと言わんばかりに吐いて捨てた。
記録上では、それでもかなりの規模の被害が出たはずだが。
「しかし、君は、あの時の『虎』で合ってるかな? 私が知っている君と今の君では、どうも、雰囲気と言うか、別人に見えてしまう」
彼の発言に神谷真理は背中に汗が伝うのと同時に左目の奥が妙な圧迫感を発した。
「同じだ。俺は俺以外には存在しない」
「そうか。……君が、私達の隊長になると聞いた。苦労してここに入ったのは正解だったな」
「どういうことだ?」
「深くは君の上司に聞くことだ。……しかし、ここ暫くで雰囲気は変わったように感じるが、それでもやはり君の美しさは変わらないね。狂おしい程に狂気性を感じるよ。他の『あだ名付き』達は皆確認したが、君が一番だな。あの時私が感じた物は間違いではなかった」
「何を言っている?」
神谷真理の背中には変わらず嫌な汗が止まらず伝っている。
気取られないように努めて平坦な声で話す彼はしかし、目の前の男が放つ独特な雰囲気に吞まれそうにもなっている。
別に腕っぷしが強そうだとか、思考回路が狂っていそうだとか、そんなものはあまり感じない。
ただあるのは、底知れない『何か』だった。
神谷真理には、それが見えている。
どす黒く、闇深い。
それでいて、何かを推し量るように遠くから眺めているような。
なのにすぐ目の前にいるような。
よくわからない距離感を、その存在感をこの世界に叩きつけている。
見た目はこんなにも平凡だというのに、存在だけが異質だと、そう示す何かを、彼は発している。
「一言で言えば、私は君に一目惚れしたんだよ」
一瞬の静寂。
「……お前は、何を言っている?」
絞り出すように言った。
背筋に凍るよな感触を覚える。
「君の持つ狂気性は異常だった。単純な恨みとも違う。不条理と、不合理の狭間で揺れる良心と、しかしそれを是正せねばならないという使命感。そしてそれを世に示さねばならないという君個人の主義主張。そしてジャッカルという存在。それらすべての感情が激突した結果があの戦いなのだと私は感じている」
彼は続ける。
「何より君のその髪だ。白く、細い、まるで銀細工のような美しさがある。そこに目から頬を通り顎にかけて一本。それを割るかのように横から入ったもう一本の傷から形成されるその十字傷。美しさは完璧であるべきと言うが傷が入ってからこその美しさもあるし、傷が入ったからこその完璧もあるだろう。君はきっとそうさ。美しいよ」
神谷真理の脈が上がるのを感じた。
頬が熱くなる。
血行が上がり、全身の体温が上昇する。
「ああ、それだよ。薄いが、以前見たのと同じ発色現象だ」
『悪魔の王』は神谷真理の頬を指す。
先程までは普通だった。
が、今は左頬の傷が赤く、脈打っていた。
まるで新しめの車の流れるウインカーのように、血潮の流れる様が、その頬の傷には映し出されている。
他の皮膚にはそんな症状は見られていない。
傷跡の部分だけ。
喉の火傷痕にも見られない。
「その発色現象が確認されたのは記録の中では君が『復讐の虎』となった時からだ。通説では感情の高まりで心拍数が上がることで、皮膚の層が他より薄く再生してしまったその傷痕が血の色を透けさせているからだという話だね。その怪我を負ってから一年が経過してから、ということだ。不思議だ。その一年でどんな心変わりがあったのか、是非聞きたい」
彼は一拍あける。
「今その現象が起こっている理由もね」
彼は手を差し出してくる。
「光栄だ。伝説の『虎』。たった一人で国家と戦った男。君に会うためだけにここに来たんだ。そんな君が隊長の部隊に入れるとはね。楽しみだ」
神谷真理はその差し出された手を見る。
彼は笑顔だ。
貼り付けたような平凡な顔。
神谷真理はその手を。
「連れないなあ」
取らなかった。
顔を背けて歩き出す。
「キモいぞ」
「辛辣だね。まあなんとなくそんな性格だとは思っていたけど。二日後、楽しみにしているよ」
立ち去る神谷真理の背中にそういう『悪魔の王』に平静を装いつつ無視するがしかし、神谷真理の背中には尋常ではないほどの冷汗をかいていた。
普通ではないと、そう感じていた。
「なんだあいつは」
言いながら仏陸軍小銃のバックルを締めて固定する。
喋りながらも妙な雰囲気を発し続ける彼に、神谷真理は慄いていた。
「あれでは人の皮を被ったなにかだっ」
肌に受けた狂気性を振り払うように彼は早足に自室へ向かった。