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『赤い稲妻』と『カイン』
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『赤い稲妻』と『カイン』 ACT 13

 カインは、神谷真理の左に並んだ。

 神谷真理はしかし、彼を振り返らない。

 額に汗が流れている。

 震える手で、眼帯を外す。

 ゆっくりと目を動かし、カインを視認する。

 カインも横目で目線を合わし、目を閉じて歩き出した。

 五歩分ほど前に出て止まったカインは、そのまま振り返らず口を開く。


「何となくは、気付いていたんだろ?」


 カインは、背中越しに問いかける。

 手元から小さな金属音を鳴らしている。

 恐らく、自身の銃であるG36の安全装置を弄っているのだろう。


「いつからだ?」


 カインは続けて問う。

 変わらず、振り返りはしない。

 彼の声は落ち着いていて、平坦だった。

 神谷真理は、答えない。


「おいおい、だんまりは止めてくれよ。お前のことを信頼して言ってるんだ。お前ならもう、気付いているってな」


 カインは、半身だけ振り返った。

 神谷真理は目を伏せた。


「……『カイン』、神話に登場する人類初の殺人を行った存在、だったか。その存在は多く、嫉妬などの劣等感を象徴する存在として語られる」


 神谷真理はゆっくりと思い出すように言った。

 カインは旧約聖書に登場する人物で、アダムとイブの長男。

 彼は人類で最初の殺人者とされ、その行為によって特別な運命を背負うことになる。

 カインと弟のアベルは、それぞれ農耕と牧畜を生業としていた。

 ある時、二人は神に供物を捧げる。

 カインは自分が育てた作物を捧げた。

 アベルは自分が飼っている羊の初子と脂肪を捧げた。

 神はアベルの供物を喜んだが、カインの供物には目をくれなかった。

 これに嫉妬したカインは、野原でアベルを殺害する。

 人の劣情の結果を表す訓話として、そして、裏切り(・・)を象徴する存在として。

 違和感は最初からあった。

 ミッチェルはカインだと言った。

 聞き違えた神谷真理の「ケイン?」という問い直しにミッチェルは訂正をしなかった。

 どちらも間違いではないからだ。

 ただ、スペルに差があっただけだ。

 人名としてなら「kane」。

 神話のカインなら「cain」。

 発音に限って言えば地域や世代でも解釈は異なる。

 だが、恐らくミッチェルがこれを訂正しなかったのは意図的だ。

 ミッチェルは最初から知っていた。

 カインが、裏切者であることを。


「『あだ名付き』に熱心な宗教者がいてな。そいつの事を知る一環として軽く聖書には目を通した」


「本当に、『あだ名付き』とは思えない程にお前は人がいい。他には? 気付ける要素はあったか?」


 カインが全身を振り返って神谷真理に問う。

 肩を竦めて笑って見せるカインと対象に神谷真理の表情は強張っている。


「あの最初の地下、あの場所で柱の上に隠れていた俺に真っ先に弾丸が集中した時から違和感を覚えていた」


「……」


「そして、単独で追跡した俺に対する追手が早すぎた。あの場にはお前もいたのに、最初から俺だけを狙っていたかのようだった」


「俺がただ捌ききれなかっただけかもしれないだろう」


「だからあくまでも違和感だ。確証なんてない」


「……」


「次は、あの列車だ」


「列車?」


「俺があの列車に飛び乗ったすぐに銃撃が来た」


「それのどこがおかしい」


「天板から大きな音がしたからと言ってすぐに撃とうとする人間はそういないだろ。特に偽装を吹き飛ばして走り出した直後だ、普通は破片が当たった音と捉える」


「確かにそうかもな」


 カインは小さく笑った。


「あとは、やはりお前が端末を操作してることか。情報を送るなら無線でお前の管制官に言えばいい。わざわざ手間の多い手入力を選ぶ理由はない」


「そう……だな」


「列車もそうだが誰かが俺の動きを逐次報告していないと対応出来ない場面が多かった気がする。気付いてはいない。ただ、違和感があっただけだ」


 神谷真理の頬を汗が伝い、首筋を落ちて、迷彩服のパーカーに沁み込んだ。

 神谷真理は目を伏せたままだ。

 現実を、見たくないと言わんばかりに。

 彼の左目が、激しく痙攣する。

 彼の左頬の傷跡が激しく明滅する。


「事実、俺はお前の動きをレヴァン、敵の作戦参謀に伝えていた。あの地下でお前を真っ先に攻撃したのも、核物質を追ったお前を不意打ち出来たのも、俺が全部報告していたからだ。なのにそれを全部やり過ごしてしまうんだからお前は、期待以上だったよ」


 カインは続ける。


「一番恐ろしいのは、今のお前は万全じゃない点だ。肋骨が折れている状態で、敵と近接戦闘を行い、俺よりも早く走り、長い銃撃戦でも正確に敵を倒している。動きに衰えを感じない。お前の真価は狙撃ではない、銃を使った総合的な近接戦闘だ。お前を育てた人間は、相当な軍人だ。相当な、世界でもトップレベルの強さを持つ誰かだろう」


 カインは顎に手を当てる。


「お前の万全な姿を、いや、お前が本当に全力を出して戦う姿が見たかった。……その時はきっと、世界が滅ぶような何かと、お前が戦う瞬間なんだろうが。きっとそれは……今じゃない」


 カインは歩き出した。

 神谷真理に向かって歩き出す。

 神谷真理は仏陸軍小銃を持ち上げる。

 カインは手を小さく振る。

 神谷真理は、ゆっくりと仏陸軍小銃を下ろす。


「『稲妻』、これを受け取れ」


 カインは神谷真理に向けて拳を差し出した。

 訝しむ神谷真理にカインは掌を上向きに開く。

 そこにはUSBメモリが握られていた。

 神谷真理はそれを受け取る。


「これは?」


 USBメモリを裏返してみたりしながら神谷真理が問う。

 カインは何とは無しに答える。


「核発射システムの設計図」


 目を見開く神谷真理に、カインは、「の、コピーだ」と付け加える。

 カインは続ける。


「運用手順も記載されている。奴らは、核物質の取引で得た資金で改良を計画していた。あの取引現場に俺達が現れるのは俺からの情報で連中は把握していた。だが、あの列車をまさか脱線させられるとまでは想定していなかった。結果、第二プランも失敗し、取引相手の予備の受け取り箇所にも間に合わなかった。……正確にはその取引相手もお前らの別動隊が制圧しちまったが、それはいい。だから連中は、急拵えだが報復に動いた」


「それが核ミサイル発射か」


「ああ、奴らは既に発射システムを作動させていた」


「……」


「待てよ行くな。……まだ大丈夫だ、奴らは撃てない」


「……何故だ」


「俺が安全装置を掛けたからだ」


 カインは懐からもう一つのUSBメモリと、端末を取り出す。

 時々、彼が操作していた端末だ。


「半年間だ。奴らの情報を手に入れ、奴らと共謀してからもそれなりに経つ。でないと、その設計図も手に入らない。かなり危ない橋を渡ったが、奴らの認証システムのコピーが取れた。だが、そもそも発射システムも急造で不安定。この安全装置も、電子制御コンポーネントを一時的に遮断しただけだ。この安全装置が動くと発射管理デバイスは管理者権限コードを入力しない限り再稼働できない」


「なら、ミサイルは無力化されたと?」


 カインは首を振る。


「予想通り、多連ミサイルシステムのように車両搭載型の発射システムだ。だがあれも不安定でな、元々は機構だけを作成し、そこに電子制御機能を増設してる。つまり」


「アナログな方法での発射も可能という事か」


「恐らく敵の頭、セルゲイは管理者権限コードを使用しない。システムにロックが掛かった時点でシステムが敵の手に渡ったと考えてアナログなやり方に切り替えようとしているはずだ」


 神谷真理は自身の端末に受け取ったUSBを挿入した。

 敵から受け取った媒体を使用する、というのはあまりにも危険が伴う行為だ。

 だが彼に躊躇は見られない。

 神谷真理は、カインが嘘を付いているとは考えていないようだ。


「詳しいな。そいつはお前の連れか?」


 神谷真理が端末を操作しながら言う。


「違うさ。ただ、一瞬だけ向いた方向が同じだったから、世間話をした程度の仲さ」


「……そうか」


『データを受け取った。危険性はなさそうだ。これから確認する』


 管制官の声。

 神谷真理は返事はせず、カインに再び向き直る。


「どうしてこれを俺に」


 神谷真理が問うとカインは気まずそうに小さく笑った。


「わからない。でも、何て言うかな、俺は間違えた、でもお前なら、違う結果に導ける気がしたんだ」


「……今からでも、やり直せばいい」


「そう……は行かないさ」


 カインは口元を指で撫でた。

 神谷真理は煙草を取り出し、箱ごとカインに投げた。

 受け取ったカインがまた気まずそうに笑った。

 火を点けて、煙を吐く。


「俺も、何かできると思ったんだ。任務にただ忠実で、これが正義だとわかっていながらもどこか納得いってなかった」


「……聞いたな」


「ああ、だから、お前の話を聞いたあの時から、俺もやろう(・・・)と思った。いや、正確には、憧れたのかもしれない。制度や法律、常識、……理性。それらが俺をずっと縛り付けた。だが、お前はその中でも自分に従った。俺も、そうしようとした」


「だから核兵器を使う奴らと肩を並べたと?」


「それは手段だ。目的は、世の中に対するアンチテーゼだ」


「……俺も、そうだった。お前を否定はしない。だが、お前は今、後悔をしてしまっている」


「そうだ」


 カインは煙草を一気に吸い込み、指で弾いた。


「噂だが、お前のあの戦い、最後には核兵器が絡んでいたんだってな」


「……そうだ」


「今は、逆だな。俺の反逆行為の結果の核を、お前は止めようとしている」


「だからお前は、立場が逆だったらどうするか聞いたのか」


「……そうだ。今はどうだ」


「変わらない。俺は核を止める」


「その核は、あと一時間以内に発射体勢に入るだろう」


「なに」


「安全装置は作動している、だが試作段階でのアナログな機構はそのままだと言ったろ? 今、セルゲイと技術者はその移行作業を行っているはずだ」


「どうやって止める」


「それはお前の管制官にでも聞け。あのデータ内に入ってる」


 神谷真理は頷いた。

 カインも、笑って頷いた。


「俺を信じるのか? 嘘かもしれないのに」


「……お前に、嘘を付くメリットがあるとは思えない。どうせお前は、逃げ場はない。俺達からも、『山猫の血脈』からしてもだ。お前はこのまま最後まで任務をやり遂げて、俺が逮捕する」


「……逮捕、か」


 カインは、皮肉気に笑った。

 訝しむ神谷真理に、彼は肩を竦める。


「逮捕はされない」


 言ってカインは小銃(G36)を神谷真理に向けた。

 神谷真理も即座に同じようにする。


「止めろ。意味がない」


 神谷真理が言うが、カインは首を振った。


「意味がない、そうだとも。だから俺は、やったんだ」


「……何を」


「生きる意味だ。俺はもう、正義だとか、そういう事は捨てた。だからせめて、俺の意志だけは貫きたかった。なのに、お前の横でお前の戦いを見ていると、揺らいでしまう。覚悟が、俺の目指した結末が」


「お前が目指した結末は何だ? このままだと世界のどこかに核が落ちるだけだ」


「それは願った事じゃない。言ったろ。手段だと」


「じゃあ何だ。時間がないんだろ」


「自分を、騙さなくていい未来だ」


「……」


「お前なら、きっとそれが出来る。だが、俺には出来ないとわかった」


「わからん。何が言いたい」


「俺だってわからん! 自分を騙し続けた俺の本心などもう俺にだってわからない! だが、それを苦しいと思っている、それだけは事実で、お前は自分に従うだけの覚悟があった! だからそれと同じことをすれば何か違う結果に辿り着けるかもしれないと思った! だが、そのきっかけを作ったお前の隣にいると覚悟が揺らぐ! 俺は自分を騙すしかなかった俺自身に納得が行かなかった! 俺は俺の事しか考えていない! だがお前は違った! お前は! お前の部下の死に対する世間の評価と、それなのに自分だけが生きていることが納得行かなかったと! 俺は、ただ俺の生き方に迷っただけだ! それなのに! こんなことまでしてしまった! 今もなお自分を保っているお前を見てるだけで、俺は罪悪感で死にそうなんだ! 俺よりも若いお前が、今こうしてる瞬間にも戦い続けてるこの現実が! ……その現実を見ても動き出せない俺自身と、俺は向き合えないんだ」


 カインは、銃口をゆっくりと下ろした。

 神谷真理は、躊躇しつつも同じくゆっくりと下ろす。

 カインは小さく口を開いた。


「バディとして、最後の仕事だ」


 神谷真理は、銃を下ろしきった。


「俺を殺せ」

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