『赤い稲妻』と『カイン』 ACT 05
腰のワイヤーの固定を解き、天井に固定した一本だけで一息に柱から降下する。
時間短縮を考えて後ろ向きでほぼ頭から降りている。
柱に当たっている足は体が一回転しないように程度にしか神谷真理は考えていないようで、降下に合せて柱の上を滑らせているだけだ。
直ぐに地面が迫るがワイヤーを掴んだ腕力だけで反らした上体を起こして立て直し、そこでワイヤーを一気に開放する。
地面に足を付けてから彼は胸のバックルを緩めて仏陸軍小銃を握る。
安全装置を解除し、柱に背中を合わせる。
その間にも彼が壁にしている柱には銃撃が集中している。
神谷真理は眼帯を外して左目を露出させる。
四白眼の両眼を晒して、周囲を見渡す。
「囲まれてる。十五人ほどか」
神谷真理はそう呟いて無線を繋げる。
「ケイン、お前尾けられたか?」
『それに答えられるんなら尾けられるようなへまはしないさ。おおかた、俺らが認識してないセンサーやカメラがあったんだろうさ。今は目の前の敵を制圧しよう』
神谷真理は柱から身を乗り出し銃撃を開始した。
右で構えた仏陸軍小銃を左目で狙い射撃する。
敵は各二発ずつ命中し倒されていく。
「三人」
『すげえな。よく当てられるもんだ』
カインは暗視装置越しに神谷真理を見た。
暗視装置はどうしても体積を取るので通常の射撃の姿勢とは異なり、より困難となる。
敵の銃撃時に発せられる発射光が強い光源となるため暗視装置越しに見ると非常に鬱陶しく、射撃の邪魔にもなる。
それでも敵の勢いを抑えるだけの影響のある射撃が出来ている分、彼の優秀さが垣間見える。
しかし、神谷真理は舌打ちする。
「増えたな」
『さすが噂の左目だな。仕組みを後で教えてくれよ。……俺が援護する。お前足が尋常でなく早いらしいじゃないか、突っ切れ。アタッシュケースを抱えた連中が右の角に折れた。中身が核物質なら相当な重量のはずだ。お前ならすぐ追い付ける』
「了解。五秒で出る」
神谷真理は柱からの銃撃を切り上げて弾倉を抜き、新しいものに入れ替える。
これまで一秒。
カインと目配せし、呼吸を整える。
『GO!』
カインの掛け声に一気に飛び出して走り出す。
銃撃が途端に神谷真理に集中する。
だがカインの援護射撃も同時に始まり、敵の攻勢も緩慢となる。
たった一人の援護射撃でもこの暗闇だ、脅威を測るのが難しく慎重になるだろう。
敵はどういうわけか暗視装置を装備していない。
取引場所には人ほどの高さになる工事用の照明があり、連中が到着時に点灯している。
ほぼその明かりだけで神谷真理らに攻撃している。
神谷真理はその取引場所である通路の中心地点を右に折れた。
背中に銃撃が襲い掛かるが、何とか被弾せずにやり過ごす。
しかし妙だと神谷真理は考える。
敵は、神谷真理のいる柱を真っ先に撃ってきたように感じた。
彼は暗闇を利用してただでさえ意識が及びにくい天井に身を隠した。
照明の陰になりやすく、通常時であれば地下通路の高い天井の隅々までは確認しない。
だというのに真っ先に天井にいる神谷真理を狙うのは不自然だ。
もちろんカインが先に撃たれて然るべきだという話ではなく、ここで神谷真理が先に敵に認知されることがおかしいのだ。
カインの言うように敵だけが知りうるセンサーやカメラなどの類があったのかもしれない。
神谷真理は考える事を放棄し、加速する。
後方からの銃撃が向きを変えた。
神谷真理ではなく、カインに向かったようだった。
広い通路だ。
地下施設とはよく言ったもので、人だけではなく車両も十分行き来が出来る程の広さだった。
通路の壁面、足首程の高さで等間隔に薄橙色の照明が点灯している。
その小さな光が神谷真理の陰を作り出す。
その影すら追い抜く速度で神谷真理は通路を走り抜ける。
なかなか追い付けない。
アタッシュケースを持った二人がそれぞれ走っているのだとしたら彼の足ならもう追い付いていても不思議ではない。
だがその足音すら彼には感じられない。
予め車両を用意していた可能性もある。
瞬間、気配を感じて咄嗟に神谷真理は身を低くして地面に足から滑り込んだ。
銃声。
無数の弾丸が神谷真理の頭上を通り過ぎて反対の壁に突き刺さった。
「驚いた。今のを避けられるのか」
声が聞こえた。
神谷真理は滑り込んだ反動で体を起こして仏陸軍小銃を持ってそちらに向き直る。
薄橙に照らされてそこには人影があった。
肩ほどの髪をオールバックに撫で付けた男。
身長は180程だろう。
細身だが、タクティカルジャケットから覗く腕は引き締まっている。
左右を囲むようにマスクを被った男たちが2人ずついた。
皆銃を構えている。
神谷真理は息を呑む。
間違いなく、そこに人はいなかった。
脇道はなく、少なくともこの場所はカーブにもなっていない。
神谷真理目線では'突如現れた'ように受け取れる。
しかしなるほどと神谷真理は舌打ちをした。
この明暗ではわかりにくくよく見ないとわからないが、どうやら彼らの後ろには通路が続いているらしい。
その通路の前には人のサイズほどの工事現場などに置いてある大型の照明器具が二台置いてあり、通路を隠している。
敵を追いながら前に意識を注いでいた神谷真理はそれを見逃したのだ。
いや神谷真理だけではない。
普通なら、まずは見逃す。
こんな光源の限られた場所で全てを把握するなど不可能だ。
特にこんな緊迫した状況では。
だが神谷真理は再度舌打ちした。
「くそ、何をやっているんだ俺はっ」
神谷真理は自分に悪態をつく。
そして仏陸軍小銃を構える。
「おいおいまだ戦うのかよ。武器を渡せ。逃がしてやる」
「核物質はどうした。どこへやった!」
「焦るなよ。それに優位なのはこちらだぞ?」
武装した四人が神谷真理に向けてゆっくりと接近し始めた。
『「稲妻」、ここで逃がすのはまずい。何とか切り抜けて追跡するんだ』
管制官から無線。
神谷真理は仏陸軍小銃から手を放して両手を上げた。
四人は均等に広がり、神谷真理を包囲した。
それぞれが銃を向けて神谷真理に接近する。
神谷真理の正面にいる男が小銃を構えながら神谷真理の仏陸軍小銃の負い紐に左手を伸ばした。
瞬間入れ替わるように神谷真理の左手が男の小銃の銃身を掴み、強く引いて脇に挟んだ。
男は咄嗟に、否、意図せず引き金を引く。
発射された弾丸は神谷真理の後方にいた者に着弾し、その男は地面に倒れて動かなくなった。
一瞬遅れて左右の男が引き金の指に力を籠めるがその時には握り込んだ敵の小銃を振り回すように持ち主である男を左側に放り投げた。
巻き込まれた男は人一人分の体重に押し倒されて地面に沈んだ。
そしてその勢いのまま身を低くしつつ回転し、右側の男からの銃撃を避けつつ腰からナイフを抜き投擲。
敵の眼球にナイフが突き刺さった。
短い悲鳴を上げたきり動かなくなったのを確認し、腰から拳銃を抜き放り投げられた男とそれに押し倒された男に向き直り一瞬の間もなく連続して弾丸を注ぎ込んだ。
そしてまた間髪入れずオールバックの男に拳銃の銃口を向ける。
感嘆の表情を浮かべる男と目が合った。
「四人に囲まれた状態で二秒以内に全滅させるとはさすがに予想しなかった」
しかしそうしながらも男も神谷真理に拳銃を向けている。
余裕というよりは、単純に皮肉屋なのか嫌味らしい笑みを浮かべている。
「核をどこにやった! 目的は何だ!」
瞬間男は引き金を引いた。
神谷真理は首を左に傾けてそれを回避する。
同時に彼も引き金を連続で二度引く。
男は身を低くしてそれを回避。
神谷真理は男に一気に肉薄、再度向けられた拳銃を払い落す。
男の膝蹴りが神谷真理の腹部に突き刺さる。
だが男の太ももを掴みそのまま走り出して神谷真理は男を壁に叩き付ける。
肺の空気が押し出されて苦悶の表情を浮かべる男の顔面を殴り付けようとするが左手で防がれ、カウンターが神谷真理の顎に命中する。
一瞬視界がふらつき、隙が出来る。
その一瞬で男はナイフを逆手で抜き神谷真理の首筋目掛けてその刃を叩きつけようとした。
しかしそれを寸でで掴み取り男を背負い投げする。
男は地面に叩き付けられたが、神谷真理の姿勢が不安定な状態だった故に効果が薄かったのか男はすぐに動き出し仰向けの状態のまま神谷真理に蹴りを放つ。
後退してそれを避けるが男も体を起こす。
双方立ち上がってナイフを構えて睨み合う。
「核物質の輸送位置は! 仲間の数と配置は!」
「俺がそれを聞くとお前は答えるのか? 不公平は良くないな」
にやけ面の男に神谷真理の眉根が歪む。
数秒の睨み合いが続く。
神谷真理は舌打ちをする。
男は口角を上げる。
「時間切れだな」
男の言葉に神谷真理は身を低くする。
銃声が連続する。
神谷真理の胴体があった場所を弾丸が通過した。
彼は男からバックステップで距離を取る。
同時に小銃を構え直し遮蔽物に身を隠しながらも男に向けて銃撃する。
だが男も突っ立ってはいない。
射線から逸れるように動き地面に倒れ込み回避する。
弾丸が飛んできた方向を横目で確認すると8個の明かりが揺れているのが見えた。
銃に取り付けている照明だ。
その照明付近から弾丸が再び飛来する。
だが神谷真理の現在位置は把握出来ていないようで明後日の方向に弾丸は通り過ぎていく。
男は神谷真理を嘲る様にほくそ笑んで大きな照明の後ろの通路に入って行った。
「取り逃がした! 敵の脱出路を探れ!」
『もうやってる。バディと合流後、追跡しろ。別隊が取引相手の制圧を開始。お前達は追跡に専念、別動隊も制圧後に応援に入る。次はバディと離れるな』
無線を切って神谷真理は遮蔽物に身を隠す。
合流してきた敵達は神谷真理を発見できず男の後に続いた。
それを見届けた後周囲をもう一度確認する。
もう1個の足音が遅れて響く。
カインだ。
数秒だけ待ち、合流する。
直ぐに走り出す。
「すまん抑え切れなかった。核は?」
「確認出来なかった。今は追うしかない」
「お前の足で追いつけなかったか」
二人は走る。
敵の照明が遠くに確認出来る。
だが、この速度では追い付けない。
「おい『稲妻』、先行けよ。俺がいると追い付けないだろ」
『ダメだ「稲妻」、バディと一緒に行動するんだ。軍人の基礎だろ?』
カインの言葉を遮る勢いで管制官から無線。
回線が違うようでカインには聞こえていないようだ。
神谷真理はどちらにも返事はせず、速度も変えない。
暫く進むと通路の先から光が差した。
出口のようだ。
『敵は車に乗って移動。車は用意できていない。手配出来ないか探る、出来る限り追ってくれ』
通路から出ると明け方。
とは言ってもまだまだ闇が深い山中で、薄い霧が周囲を包んでいる。
複数の車の尾灯が過ぎ去っていくのを確認。
二人は目を合わせて、また走り出す。
敵は、明らかに市街地を目指している。




