『あだ名付き』達vs『Z』と『赤い稲妻』:ACT 3
翌日、場所は移動して病院。
入院手続き、着替え等の準備、施設説明等を受けて、今は夕方。
病室のベッドに身を預けている妻と神谷真理は椅子に座って話をしている。
普段口下手な彼が世間話をしている姿は相当に珍しい。
「なんか体温が四十度越えの奴がいる。ずっと周りの空気が揺らいでてちょっとおもしろい」
「え、その人は人間なの?」
「構造は人間なんだらしい。ただ代謝だけが尋常でなく高いらしくて、だからそいつ、同業組織の技術者に特注の冷却装置を作ってもらって、それを腰から体内に差し込んでる。すごいよ。腰から機械の羽が出てる」
「空気に触れる面積増やして冷却効率上げてる感じかな」
「そこから内部の熱も噴射する」
「機関車?」
神谷真理は妻に『あだ名付き』の話をしている。
「ずっと水中にいる奴とかもいる」
「死んじゃうね」
「地中に籠ってる奴もいる」
「それも……死んじゃう?」
妻は常識的なリアクションを返している。
子供の荒唐無稽な発言に戸惑いつつも目線を合わせて会話する親のような、そんな感じだった。
神谷真理は鼻を鳴らす。
「他にもいるが、基本は、重犯罪者だ。普通じゃない。俺もだが」
神谷真理の吐き捨てるようなその発言に、しかし妻は笑みを浮かべる。
「君の行動に意味や意義があったように、その人たちにも何かあったのかもしれないし、なかったのだとしたら、探してたのかもしれないね。理由なんてわからないけれど、私だって君の行動の本当の意味はまだわからないけれど、君がいつか話してくれたら分かる事。君がその人たちの事を知るのも、これから。これからの話が出来るようになってから、これまでの話をしても順序が逆なんてことはないよ」
妻は神谷真理にそう言ってまた笑みを浮かべる。
神谷真理は少し考えて「そうだな」と笑わなかった。
暫く、そうやって会話をする。
世間話。
昔話。
お互いがいない間のお互いの話。
少しだけ、長く、話した。
妻の妊娠の経過は順調。
神谷真理の所属する機関の病院というのもあり、普通の医療機関とは違い、医療機器に限定しない検診方式を採用しているので科学的により緻密な予定日がわかる。
その結果の予想では予定日は二日後。
今はまだ、余裕がある。
神谷真理もまだ大丈夫だと考えて、世間話に花を咲かせていた。
神谷真理と妻が出会った頃の話をしていた頃に神谷真理は気付いた。
妻の額に汗が滲み出ていたことに。
「どうした」
神谷真理が椅子から立ち上がって妻に歩み寄る。
「お腹痛い。来たかも」
神谷真理は妻の肩を擦りながらナースコールを押す。
妻の汗は増えて、一気に彼女の体を濡らした。
数分後現れた看護師と医師が簡易的に診察し、妻は移動を開始した。
「軍曹、陣痛だ。君は分娩室には入れないが外から見えるようになっている。そこに案内しよう」
残った医師が神谷真理にそう言って歩き出す。
「これまでの経過を診るに母子ともに健康状態に異常はない。予定日よりも少し早いが、それ自体は個体差だ、心配することではない」
しかし神谷真理の表情は強張ったままだ。
だがそれも無理からぬ。
自分の妻がこれから出産するのだ、それで落ち着いていろと言うのも、なかなか酷だ。
しばらく移動すると『分娩室』とプレートのある部屋の扉の前に来た。
ここに妻が入ったのだろう。
医師はその横の扉に入っていく。
神谷真理もそれに続く。
その中は細い部屋だった。
壁側に長椅子があって、その前に人二人分くらいのスペースを置いて、また壁。
その壁は、ガラスだった。
壁一面の大きな窓だ。
その向こう側に妻がいた。
部屋の中央で、ベッドの上で横になっている。
プライバシー保護のために神谷真理からすると妻の横顔しか見えない。
産婦人科医、看護師が彼女の周りを忙しなく歩き回っている。
妻の顔は汗で濡れている。
いよいよ始まるのだと、神谷真理は拳を握った。
「向こうからもこちらは見えているし、そこにマイクとスピーカーがある。何かあれば、声を掛けてやれ」
神谷真理は頷く。
「私は外にいる。鍵は閉めていくぞ。プライバシー保護のためにな。鍵は内側からも開けられる。トイレとかは自由に行け」
そう言って医師は部屋を出ていった。
神谷真理は窓ガラス越しに妻に向き直る。
どうしていいかわからない状態で、ただガラスに手を当てて彼女を見守るしか出来なかった。
それを歯痒いと思いながら、彼女の出産を見守る。
そんな時間が、二時間ほど続いた。
妊婦は初産婦で十二時間~十四時間以上が平均とされている。
長い戦いになる。
妻は額から汗を流している。
神谷真理も手汗でガラスを湿らせている。
そんな時に、部屋の扉が開いた。
先程の医師が、顔を覗かせていた。
「軍曹、君に客人だ。上司だよ」
そう言って医師は体を避けた。
それと入れ替わるように現れたのは、ミッチェルだった。
「電話は、定期的に確認するようにしなさい」
神谷真理が何かを言うよりも前にミッチェルはそう言った。
神谷真理が端末を取り出すとミッチェルからの着信がニ十件以上入っていた。
状況が状況故に、加えて、病院という場でマナーモードにしていた神谷真理の行動もあり、彼は電話に気付けていなかった。
神谷真理はミッチェルに向き直る。
「休暇中だぞ」
「すまないが取り消しだ。緊急出撃だ。『あだ名付き』は既に現場入りしている」
「ならそのままやらせろ。あいつらなら勝てるだろ」
「もう、ほぼ負けている」
「……なんだって?」
「相手は『Z』だ。再び出現した」
「……」
神谷真理は、ミッチェルから目を逸らした。
ガラス越しに、妻と目が合った。
その目は、不安そうだった。
神谷真理は首を振って見せる。
妻は、明らかに無理をして笑顔を浮かべた。
「ミッチェル。帰ってくれ。俺は今それどころじゃない」
「突如現れた『Z』は小規模だが編隊を組んで○国国境を越境した。国境警備隊では危険だと判断し、我々に対処命令が来た。敵は物資を輸送していると見られ、それを守るように兵士で囲んでいた。『あだ名付き』を先行させたが、苦戦を強いられている。君がいないと、『Z』と戦うことは彼らでも出来ないんだ」
「だとしても、今の状況を考えてくれ。ここから離れろというのなら、俺は、除隊する」
「神谷君」
「早く帰れ」
「『復讐の虎』、敵が輸送している物資は、生物兵器だ」
「……冗談だろ」
神谷真理はガラスから目を離した。
ミッチェルは小型端末を開いて、写真を見せる。
バイオハザード物質のマークが、映し出されていた。
スライドされて表示された別の写真はそのマークを遠くから撮ったもの。
物資をトラックに積んでいる。
生物兵器を、生身で運んでいる。
無知からくる行動か、誇示のための行動か。
どちらでも、どちらでなくとも、あまりにも危険すぎる。
神谷真理は、それを見て舌を鳴らした。
頬の傷跡が、少しだけ赤くなる。
ミッチェルは続ける。
「生物兵器を抱えた彼らに対して大規模な攻撃は出来ない。兵士を一人ずつ倒す以外の選択肢がないんだ。加えて、針路は、我々の支部の一つだ。彼らは、我々を標的にした可能性が高い。ここで止めなければ、テロの矛先はその更に先に向くことになる」
それはつまり、民間人だ。
ミッチェルが数歩進み、神谷真理の横にまで来る。
妻にも、それは見えている。
神谷真理がミッチェルに向き直る。
「脅したいわけではないがここで止めなければ、君の家族が、危険にさらされることになる」
瞬間ミッチェルの体が椅子の置かれた側の壁面に叩きつけられた。
「ミッチェル。自分が何を言っているのかわかっているのか? 命令不履行ではなく、家族を脅しの道具に使うのか!」
あまりにも速い。
左腕でミッチェルの胸ぐらを掴んで、放り投げた。
瞬き一回のまさに一瞬。
その一瞬で彼は、ミッチェルを放り投げた。
神谷真理の頬が激しく脈打っていた。
ミッチェルは、背中を激しく打って蹲る。
呼吸が上手くいかないのか、空気の漏れるような音を吐き出している。
しかしそれでもミッチェルは口を開く。
「脅してでも、君には来てもらわないといけない。今は『鯱』が指揮を執っているが限界だ。指揮能力ではなく、そもそもの戦闘力が不足している。君が一人加われば、きっと拮抗状態を作り出せる。ここで止めるためなら、『Z』を倒すためなら、下衆にだってなろう」
ミッチェルは腹を抑えて立ち上がる。
「『あだ名付き』は皆、君が休暇に入った理由を知っている。それが理由かはわからないが、君を呼ぶと言った時、彼らはそれを拒否した。特に『鯱』は強く否定した。『暴風雨』も同じく否定した。「上の空の人間に来られても困る」と。それが本心かどうかは関係ない。あの考えなしの連中が、君の一大事を明らかに考慮している。しかしその彼らは、このままでは、負けてしまう。このままでは、君は二つの居場所を失うことになる。私は『Z』を食い止めたい。それと同じだけ、君らにもいい生き場所を得てほしいとも思っている。神谷君。これは、命令じゃない。私個人のお願いだ。だから、まだ君に出撃命令は出ていない。君が承諾してくれたら初めて発行する。だから命令不履行は、使えない」
神谷真理はミッチェルを見る。
ミッチェルも神谷真理を見る。
「君しか、彼らを守れない。君にしか、今この世界は救えない。お願いだ。以前話したね。私は『あだ名付き』に『Z』撃破以上の何かを齎す存在であるという期待を寄せている。彼らならきっと何かを、変えてくれる。私は『あだ名付き』の事をもっと知らねばならない。だから、彼らを守りに行ってやってほしい。私が君たちを知る時間を、その世界を守ってくれ」
ミッチェルはそう言って手を差し出してくる。
神谷真理は、妻を振り返った。
妻は、苦しそうに汗を流している。
その目が、神谷真理を見ている。
彼女は笑った。
頷いて。
ガラス越しだから聞こえないが口はこう動いた。
「いってらっしゃい」
神谷真理はガラス越しに頷いた。
そして言う。
「すまない」
彼女は首を振った。
神谷真理は走り出した。
部屋から飛び出して病院の廊下を驚くべき速度で走り抜けて消えた。
部屋に残されたミッチェルは、部屋に備え付けられたマイクのスイッチをオンにする。
「こんな時に、本当に申し訳ない」
その声を聴いた彼女は、首を振った。
ミッチェルは頷き、走り出した。




