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第七話 茶碗蒸し

「へ、へくしょん!」


 情け無いくしゃみの音が響く。


 ここは田所が住むアパートの一室だった。田所はとある女子高で英語教師をやっていた。四十手前だが、独身。職場の近くでアパートを借りて通勤していた。


 教師の仕事は想像以上に多忙だった。部活の指導もある。休日に保護者と面談する事もあった。なので通勤時間はできる限り抑えたいので、このアパートを借りた。築三十年以上で綺麗でもないが、立地の良さには勝てない。それに家賃も安いので、今のところ引っ越すつもりはない。隣人の大学生が騒いだり、風俗を呼んだ音が聞こえてくる事もあるが……。


 隣人の大学生はよっぽど欲求不満なのか、連日風俗の女を呼んでいた。聞きたくもない音が響き、田所は不眠になり、風邪を引いてしまった。


 今年の風邪はしつこいのか、だんだんと酷くなり、まだ治らない。生徒の一人、赤沢東子といいう優等生にも心配されていたが、ついに今朝、発熱している事に気づく。


 今は発熱にうるさい時代だ。昔だったら少し熱があっても上司に無理矢理出勤させられたが、今は普通に休める。田所は、さっそく上司の学年主任に連絡をし、休暇をとったが、元来、根は真面目な男だ。仕事の事が気になってしまい、ベッドの上で書類を開いたり、採点業務を初めてしまった。


「いかん、いかん! せっかくの休日に俺は何をしていたんだ?」


 はっと気づいた時にはもう遅い。ベッドの上でも仕事を半分以上も片付けてしまい、悪寒に襲われた。こんな社畜の田所。今まで付き合った女はいたが、相手に不満を持たれる事が多く、いつも振られていた。気づくと四十前のおじさんとなり、風邪をひいても誰も見舞に来ない現実は、少々涙が滲みそうだ。


 そんな時、チャイムがなった。


「なんか、お騒がせしてすいません」


 驚いた事に隣人が誤りにきた。色が白く、韓国っぽい髪型の若者だ。こうして見ると案外フツーだが、お詫びとして三つ葉をくれた。良い匂いもするが。


「大家さんには言わないでくれますかね? うちの実家の野菜なんですが」

「はあ、今時の若者は」


 こんなセリフを言う自分は、もうおじさんなのか。ため息が出そうになるが、田所は笑顔で三つ葉を受け取った。


「もうしばらく静かに生活してくれよ」

「はい」

「俺は一応学校の先生だから、注意しておくよ。そんな事ばっかりしてないで、勉強やバイトを頑張りなさい」

「はい!」


 意外にも素直だ。これ以上怒る気分にもなれず、隣人には帰ってもらった。


 さて、この三つ葉はどうするか。茶碗蒸しにでもするか。


 田所は料理は苦手だ。コンビニですます事も多いが、今は風邪に効くご飯でも作りたい。


 冷蔵庫には白だしや卵もある。これだったら茶碗蒸しもできるかも。


 もっともこの白だしは、前に付き合っていた彼女が忘れていったものだ。これでよく煮物や野菜炒めなんかを作っていた。賞味期限は一カ月すぎていたが、まあ、死にやしないだろう。


 田所はネットを適当に見ながら、レンジで茶碗蒸しを作った。


 そう言えば、あの彼女・遊子も茶碗蒸しを作って持って来てくれた事があった。プルプルしたプリンみたいな茶碗蒸しだった。海老も入ってた。豪華な一品だった。


「なんか茶碗蒸しってホッとする味だよね?」


 なんて言っていた。確かに出汁がよくきき、柔らかくて美味しかった。


「あれ?」


 その味を思い出しながら、自作の茶碗蒸しを食べてみた。


「あーれー?」


 確かに出汁の味はするが、何かものたりたない。確かに具材は三つ葉だけだが、食感も悪くて、ツルツルしていない。プリンみたいにならない。色もなんか黒っぽいような。


「どうもイマイチだな」


 ネットで調べると、茶碗蒸しは想像以上にめんどくさい料理らしい。卵も漉して作る。こうする事で卵液が滑らかになるらしい。具も舞茸は卵液が固まらない成分が入っているので、適していないとか。


「茶碗蒸しなんか手抜き料理かと思ってた……」


 昔は何も考えずに遊子が作った飯を食べていたが、今は何だか感謝の気持ちでいっぱいになってしまう。


「まあ、元気になったら、丁寧に茶碗蒸しでも作ってみるか」


 田所は不味い茶碗蒸しも完食し、風邪薬を飲みこむ。


 いつもは生徒や保護者のために身を粉にして働いてきた。たまには自分の為に茶碗蒸しでも作っても悪くないはずだ。丁寧に卵液を漉し、レンジではなく、蒸し器で作ってみたくなる。


 その為には、早く元気にならないと。


「はくしょん!」


 まだくしゃみは出ているが、治った日の事を考えていたら、楽しみになってきた。


「ミャ〜!」


 アパートの壁は薄いので、近所の野良猫の鳴き声も聞こえてくる。


 その鳴き声も楽しそうに聞こえてきた。のらの鳴き声を聴きながら、眠りに落ちていた。目が覚めたらきっと元気になっているだろう。

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