第六話 ジンジャーアップルティー
言霊ってあるのかな。
夢子はスピリチュアルや宗教などは全く興味はないが、そんな事を思ったりする。
現在、夢子は毎日仮病で休んでいた。風邪、頭痛、吐き気、体調不調と仮病のバリエーションも増えてきたが、だんだんと毎日憂鬱になり、本当に微熱が出るようになってきた。
そんな夢子も部活のエース。とあるキリスト教系の女子高でテニスを頑張っていた。全国レベルとはいいがたが、そこそこ良い成績も収めていた。勉強の成績もよく、登校拒否とは無縁な生徒だった。
そんな夢子だったが、顧問からセクハラを受けるようになった。外部から呼んでいる顧問だった。見た目は爽やかなスポーツマンタイプだったし、拒否でもしたら、部内にいられない恐怖もあった。今思うとセクハラという言葉では甘かったかもしれない。実際に身体を触られたこともあり、性犯罪と表現した方が良い。
結局、他にも被害者がいたようでこの事件は明るみに出たが、夢子の心の傷は深い。大人も信じらてなくなったし、当時の事を思い出すと、身体がこわばり、動けなくなった。人混みも行けず、電車も乗れなくなり、こうして登校拒否をしていた。夢子のような登校拒否児童や引きこもりもこういった犯罪被害者も多いのかもしれない。
親も教師も何も言ってこない。色々察しているのだろう。それでも夢子は仮病をし続けていた。そうしていれば、自分はまだ「ふつう」だと思い込むことができたし、過去の記憶も考えずにすんだ。一言で言えば現実逃避をしていたわけだが、夢子にとっては必要な時間だった。
「お母さん。今日も何だかお腹痛い。学校休む」
「そ、そう」
今日も仮病を使ったわけだが、母は微妙な表情お浮かべ、さっさと仕事へ行ってしまった。家族はこんな風に腫れ物扱いしているわけだが、もう慣れてしまった。
「何だか本当にお腹痛いかも……」
これも言霊か。わからないが、こんな仮病生活のツケはどこかで払う気はしていた。
そんな夢子は昼間、近所のショッピングモールに行く事賀多かった。
平日の午前中は人も少ないので、夢子でも行こやすい。夢子のルックスは大人びた雰囲気という事もあり、補導される事もなかった。おそらく大学生か若い主婦にでも見られているのだろう。
モールの中は、洋服屋、靴屋、アクセサリーなどのファッション関係のお店も多いが、生活雑貨の店もある。百円ショップはないが、少し高めの三百円均一ショップやキッチン雑貨を扱った店も多く、休日だったら女性客が多く賑わっている事だろう。
夢子はそんな雑貨屋を見て歩く。毎日のように見ていたので、最近はちょっと飽きていたが、新製品も入り、見た目もオシャレな店も多い。
「あれ、お茶類新製品いっぱいでてるな……」
キッチン雑貨の店に入ったが、カップやタンブラーと共にお茶製品もたくさん並べてあった。紅茶やハーブティー、ドリップコーヒーなど種類も豊富。ハチミツ紅茶が一番推されているようで店頭に積み上げられていた。
実はハチミツ紅茶は苦手。添加物に人工甘味料を使っているからだ。いかにもオーガニックでナチュラルな雰囲気のハチミツ紅茶に人工甘味料を添加されていると、勝手に裏切られた気分になる。
ハチミツは特殊な原材料のようで、人工甘味料を使うのが一番良いらしいが、口にすると、ベタベタと味が残るし、血糖値も爆上がりするせいか食欲も変に増えてしまうのも苦手だった。
「ああ、人工甘味料が入ってなければなあ」
そう愚痴もこぼれるが、夢子中心に地球は回っていない。他のハーブティーやドリップコーヒーも見てみたいが、いまいちピンとこない。今の時期は秋だったが、ホッコリして身体が温まるお茶が飲みたいが。
もっとも仮病なんかして昼間ふらふらしている自分に美味しいお茶を飲む権利なんて無いのかもしれないが。夢子は自分で自分を許せないままでいた。
「か、帰ろう……」
重い気持ちになりながら、夢子はショッピングモールを後にした。
その日の夕方。
仮病を使っている夢子だったが、勉強の遅れは気になり、YouTubeを見ながら学習をやっているところだった。今は学習系チャンネルも豊富で、視聴するのも楽しくなってきたところ、チャイムがなった。
ピンポーン。
二階建ての我が家に響くチャイムの音は、やたらと大きく聞こえた。どうせ親が使っている通販サイトからの荷物だろうと思ったが、意外な人物が玄関の前に立っていた。
隣のクラスの高原美帆だった。同じ部活でもない。強いて言えば清掃の委員会が同じで、花壇や校門の掃除を一緒にやった事はあるが。確か優等生グループにいて少し近寄りがたい雰囲気はあった。
制服姿の美帆を見ていると、ドキドキしてきた。仮病を責めに来たのだろうか。変な汗も出てきてしまう。
「何しにきたの?」
「これ、生徒手帳が花壇に落ちていたんだけど。家も近いし、届けに来たんだ」
事情がわかり、安堵のため息が出そうだったが、わざわざ来てくれた美帆をこのまま追い返すのも感じが悪そう。それに美帆は他にも渡したいものがあるというので、家に招き入れた。
「へえ、夢子ちんの家って広いね。綺麗なリビング」
特に親しいわけでもないが、美帆は「夢子ちん」などと呼んでいる。確かに良い優等生グループにいる美帆だが、案外人懐っこいのかもしれない。
「実は、お茶も持ってきたの」
「お、お茶?」
「美味しいの。めっちゃおすすめ。淹れて、淹れて!」
美帆に押されてしまい、お茶をいただくことにした。美帆が持ってきたのは、ジンジャーアップルティーだ。見た事もないオシャレなパッケージに入っていた。黒猫や天使のイラストが描いてあって可愛い。オーガニック製品のよう。添加物も入っていないようだった。
お湯を入れる前から良い香りがした。ショウガのツンとした匂いとリンゴの甘い香りが、いい感じに溶け合う。お湯を注ぐと、さらに良い香り。湯気と香りを吸い込むだけで、身体が暖まりそう。他にも客様のクッキーも添えて美帆のところに持っていく。
いつものリビングに美帆がいると、何だか不思議な気分だが、一緒にジンジャーアップルティーを飲み、クッキーをつまんでいると緊張感がとけていく。美帆が人懐っこいタイプという事もあり、仮病をしている事も全部吐いてしまった。もちろん、顧問からの被害も。
「そっか。だったら、しょうがなくない? ジンジャーアップルティーは生姜入ってるけど」
「ちょっと、冗談?」
「いやいや」
美帆が軽い冗談を言うので、夢子もつられて苦笑してしまう。ジンジャーアップルティーのおかげか不明だが、心も少し暖かくなってきているのかもしれない。
「このお茶、うちの兄がおすすめの無添加のやつ」
「へえ」
「うちの兄は変わり者で、今もコロナは茶番とか騒いでいるのよね」
美帆は深いたらため息をついていた。
「うちの兄みたいな変な人も、何も恥を感じずに生きてるよ。夢子ちんは、逆に何も悪くないじゃん。自分を責めなくてもよくない?」
「そう?」
「うん。もう休め。ちょっと登校拒否したぐらいじゃ死なないから。あんな兄も普通に生きていると思うと、ね?」
よっぽど美帆は兄に困らされているようだ。
少し美帆には同情してしまうが、確かに世に中は広い。美帆の兄の様な変な人も普通に生きている。そう思えば、今は休む時? 必要以上に自分を責めなすぎていたのか?
再びゆっくりとジンジャーアップルティーを啜る。身体の芯も暖まりそう。同時に少し泣けてきた。
「休んでもいいの?」
「それは自分で決めよう? ただ、個人的にはちょと休んだって死にやしないよ。笑われたっていいじゃん。うちの兄よりはマシだから」
「あはは」
泣きそうだったのに、ちょっと笑えてきた。今までは狭い箱の中でぐるぐるしすぎていたんだ。今は外の世界も見えて気が抜けてきた。
こうして夢子は、仮病は使わず、年末年始まで休む事に決めた。意外な事の親や教師もあっさりと認めた。宿題や課題はたくさん出たけれど、もう仮病が現実になる事も無いだろう。
「あ、ジンジャーアップルティー売ってる!」
美帆に教えてもらった自然派スーパーに行きと、本当に売っていた。少し高いが、まあ良いか。
ジンジャーアップルティーを買って帰ると、途中、野良猫と目があった。モフモフの毛が長い黒猫。
「ミャア!」
「うん?」
野良猫はなぜか人間のようにウインクして去っていった。
「え、ええ?」
そんな野良猫に驚くが、何かの見間違いだったのかもしれない。
「さあ、早く帰ってジンジャーアップルティー飲もう」
夢子の表情は、明るく晴れていた。