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第五話 ニンニクスープ

  結局、どこもブラック。


 瑛美はため息をつきたいのを堪えながら、生徒の話を聞いていた。


 空き教室を改装し、今は面談室として使っている部屋。なぜかエアコンも無いので肌寒い。この高校ではエアコンは贅沢だとつけられていなかった歴史があったと聞き、ドン引きしているところだ。一応この面談室にもエアコンをつけて欲しいと上司に言ってはいるが、無理だろう。教室にあるエアコンも壊れかけているのも放置されている所もあるし……。


 瑛美はこの高校の数学教師だ。まだまだアラサーという若い年代なので、各種細々とした雑用も押しつけられる。部活指導も、こうした生徒の面談も。


 今向き合っている生徒は、隣のクラスのものだ。本来なら隣の担任がフォローするべきだが、なぜか瑛美に押し付けられていた。


 もっとも隣のクラスも教師もうつ病気味でよく休んでいるが。この学校はブラックなので鬱やパニック障害で休む同僚も珍しくはない。一応進学校でもこの有様なので、一般的な公立の現状を想像すると冷や汗もでそう。


 前に勤めていた高校も私立。一応、女子校だったが、瑛美は同僚の教員からいじめを受けて転職せざるおえなくなった。


 きっかけは風邪。運が悪い事にパンデミックの最中の事だった。陽性と診断され、一週間ほど休んで職場復帰した後「うつすな!」「バイキン」などと罵詈雑言にあい、校長が陽性となった時もなぜか瑛美のせいにされ、気づくと職員室に居場所がなかった。他にも派閥争いやセクハラ事件もあった。いわゆるブラック高校だと気づいたら、逃げるように転職活動していたものだ。


 こうして今の高校に転職が成功した。幼稚な派閥争いや教員同士のいじめが無いのは救いだったが、業務内容が広範囲にわたり、残業や休日出勤も多く、精神疾患になる同僚が多いと知った。


 そう、結局、どこもブラックというわけだった。


 教師は聖職者?


 ガチのカトリック聖職者が幼児虐待をやっているというニュースを見たことがある。そんな聖職者でも犯罪に手を染めるのだ。市井の教師に聖職者である事を求めるのは高望みというものだが、生徒も保護者もわかってはくれない。


「先生、私、人の目が気になってしまって。マスク外せないんです」

「うん、うん。わかる。その気持ちわね」


 目の前にいる生徒は、容姿が気になってマスクが外せないという悩みを語る。確かに思春期の女の子だったら有りがちな悩みではあるが。


「大丈夫よ。もう五類になったし、外国ではとっくにパンデミックなんて終わってるし、茶番かもよ?」

「いえ、でもここは日本です。それに風邪ひくと、お前のせいでコロナ渦が終わらないって責められた事もありました」


 生徒は泣きそうな顔だった。


 瑛美も泣きたくなる。同じような理由で前職から追放された身分としては、他人事ではない。それに瑛美も職員室ではマスクが外せなくなっていた。この生徒のように人目を気にしているから。本来の目的を無視したマスクの使い方だ。本気でパンデミックを怖がってはいない。「やってる感」と形式だけ。つまりコロナは茶番と突っ込まれても、反論できないマスクの使い方だった。


 前職では医療従事者に手紙や千羽鶴を折るイベントもやらされたが、あれも形式的というか、茶番だった事を思い出し、気分が悪い。医療従事者に必要なのは、「感謝」というふわっとしたものでは無いだろう。まさに形式的、茶番、儀式、やってる感。


「というか、この部屋エアコンが無いから寒いね。風邪ひきそう」

「そうですね、先生。でも今も風邪引いただけでも悪く言われるから怖いです」


 こうして面談を終えた。


 この後も仕事が溜まり、夜の八時過ぎまで残業していたら、本当に風邪を引いてしまった。


 翌日、目が覚めたら頭痛の喉の痛み、発熱、鼻水、だるさとフルコースだった。


「しまった……」


 ワンルームアパートで一人で呟くが、体調不良は悪化していき、栄養ドリンクではごまかせない。


「はあ、風邪ですか」


 上司に電話をかけたが、内心納得いっていないような声を出してきた。


「まあ、お大事に」


 その声はちっとも心がこもっていない。まさに形式的な台詞で余計に具合が悪くなりそうだった。


 仕方がない。


 誰だって風邪をひくと開き直るしかない。


 近所の病院に行き、風邪薬ももらってきた。医者も看護師も受付もどこか嫌そうに対応された。


 医療従事者に感謝などは茶番イベントをやっていた過去が恥ずかしくなってきた。この人達も仕事、ビジネスだ。決して「聖職者」のように高尚な思いではやっていないだろう。瑛美の知り合いや同級生でも医療や福祉に行ったものもいるが、揃いも揃っていじめっ子や気の強いものばかり。また、優等生タイプの友達も「食いっぱぐれないから」という理由で看護師になっていたが、職場でいじめにあい、結局派遣に落ちていた。どこもブラックらしい。「聖職者」である瑛美の夢も希望も無いものだ。


 そんな事を考えつつも今回は陰性だった。「薬を飲んで休んでいれば治るでしょう」と一応医者の言葉ももらった。


 今日一日ぐらいはゆっくり休むとするか。


 薬局から薬を受け取ると、近所のスーパーへ向かう。


 平日の午前中のスーパーは、老人や主婦ばかりでちょっとした異空間に見えた。ブラックな職場では味わえないようなユルい雰囲気が漂っていた。


 惣菜コーナーでニンニクたっぷりのスープや餃子を手に取りカゴに入れる。パッケージからもニンニクのツンとした香りが鼻についていたが、風邪の時はニンニクが食べたくなるものだ。


 人目?


 風邪を引いた今は、人目なんてどうでも良くなってきた。人目が自分の体調を良くする事はないが、臭いニンニクは確実に風邪に良いはずだ。


 レジに持っていくのはちょっと恥ずかしかったが、今はセルフレジもある。さっそくセルフレジにも持っていき、会計を済ませた。


 家に帰ると、エアコンで部屋を温め、手洗いやうがいもする。


 うがいはにがりを薄めてやってみた。たまたまSNSで見た情報を試しただけだったが、ちょっと良くなったような気がする。


 その後に部屋着に着替えて、さらにエアコンの温度を上げると、ニンニクスープや餃子をレンジ調理し、食べる事にした。


 ニンニクスープは、見た目は透き通り、中央部には砕いたパンがトッピングされていた。見た目だけならオシャレな西洋風のスープだが、臭いは強烈だ。ニンニクの刺激的な匂いが鼻についてきた。


「いただきます」


 きっとこのスープを食べたら、口臭もひどい事になるだろう。


 それでも人目より風邪を治す方が先決だ。人目なんて今は全く頼りにならない。いくら気にしても一ミリも健康に関係しない。


 匂いと同じように味も強烈。スパイシーで刺激的な味だったが、飲んでいると汗が出てきた。餃子も一緒に食べてみたが、余計に身体は温まってきた。ニンニクの効果を瑛美は舐めていたのかもしれない。


 夢中でニンニクスープと餃子を食べ続け、汗を拭きつつ、完食した。


 きっと今に口の匂いは酷い事になっているだろう。ゲップも酷い。


 だからと言って誰にも迷惑をかけていない。だんだんと気持ちも強くなってきた。ニンニクは抗うつ薬的な効果でもあったのだろうか。わからないが、今は人目は全く気にしなくなっていた。前職で受けたいじめも、加害者が完全に悪いと堂々と言える気分だ。


「なんだか元気になってきた。もう風邪も治るでしょ」


 そう言うと、本当に良くなってきた。薬を飲んで一晩寝たら、憑き物が取れたようにスッキリしていた。


「そうだよ、人目気にしてもしょうがないね……」


 風邪と同時に人目を気にする気持ちも治ってしまったようだった。


 案外、人は他人の事に興味は無い。瑛美はこの事で自然とマスクも外すようになってしまったは、誰にも何も言われなかった。


「おはよう!」


 今朝もあの生徒に明るく挨拶をしていた。こんな瑛美を見ていたら、生徒も気が抜けたような表情を見せるようになった。


『ふふふ、元気になって良かったね!』


 どこかで声が聞こえてきたが、たぶん気のせいだろう。


「あれ、猫?」


 学校の校門の近くに野良猫がいた。動物好きの瑛美は、猫の写真を撮りたくなったが、この時以来、二度と会う事はなかった。

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