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風邪の時に読みたい物語  作者: 地野千塩


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第十話 クリーム粥

 バイトからの帰り道、夕陽が綺麗だった。ただ、風は強くて寒い。まだ秋なのに、季節は一つ進んでしまったような日。


 そんな小雪は大学生。日本文学をやっている。将来の夢は日本語教室で今、勉強とバイトに明け暮れていた。


 今のバイトは、一人暮らしのアパートの近くにある自然派スーパーで店員をやっていた。名前も自然派スーパー・シマという。大学の授業も優先してくれるし、残業もない。時給も良い。自然派スーパーなので独自な品ぞろいも多いので、客層もちょっと変わった人も多いが、クレーマーなどはいない。店長夫婦もいい人だし、これ以上ホワイトな職場はないだろう。前に働いていた配送センター、牛丼屋、ファミレスなどはバイトでも求められる要求が高く、うっかり病みそうになったが、今は天国。ああ、幸せ。


 そんな事を考える小雪に近くに野良猫が擦り寄ってきた。この辺りの住宅街いる野良猫で、小雪は勝手にモフ郎と呼んでいた。その名前のとおり、気が長く、モップみたいな子。色も黒く、大変可愛い。


「ミャア」

「モフ郎、こんにちは。ああ、こんばんは?」

「ミー」


 モフ郎は目を細めて笑っていた。この表情を見てるとと、ちょっと人っぽい。


「じゃあね、モフ郎。これから家に帰って家事したり、課題やらなきゃいけなの」

「ミー」


 ちょっと拗ねたような声をだす。後ろ髪を引かれるが、小雪は心を鬼にしてアパートへ帰った。


 安易に野良猫に餌をあげたりできない。本当は飼ってあげるのが一番良いと思うが、アパートではそれは無理。


 幸いな事にモフ郎は排泄のマナー良いし、繁殖もしていないようだが……。


 小雪はアパートへ帰って夕飯を作っていたが、モフ郎の事ばかり考えてしまった。いや、正確にいえばモフ郎だけでなく、ララの事も考えていた。


 ララは実家で飼っていたトラ猫だった。ララも元野良猫。子猫時代、家の前に放置されていたんのを拾った。小雪が小学生の時の出来事だった。


 両親や姉はララを飼う事を大反対。世話はもちろん、死んだ時の悲しみも受け止められるのかと真剣にいわれた。たかが子猫。でも命がある事を初めて知った気がした。


 正直、小雪にその覚悟があったのかは不明だが、ララはあまりにも可愛く、両親も姉も折れてしまった。


 こうしてララは家族の一員になった。ララもぐんぐん成長し、かけがいの無い存在になっていたが、やはり命あるもの。無限ではない。小雪が高校二年の秋、病気にかかって亡くなった。


 覚悟していた事だが、心に埋められない空洞ができてしまった。いっその事、ララを拾わなきゃよかったとも思う。モフ郎も可愛いが、ララのことを思い出すと、安易に飼う事なんてできない。


 ララには後悔もあった。もっと早く病気に気づいてあげていたら。もっと苦しまずに死なせてあげられたかも。そもそもうちではなく、別の金持ちの家の子になっていたらとも思う。頭の中で様々な後悔がかけめぐり小雪の心は、グルグルに縛られていた。


 確かに今は、バイトも学校生活も幸せだったが、ふとした時にララの事を思い出し、痛みを感じていた。最近はモフ郎に会う事も多く、自然とララの事を思い出ししまう。


「ああ、本当は前を見なくちゃいけないのに」


 頭ではそう思うが、心はまだララに囚われている感覚があった。


 そして翌日。


 背中や肩、足先が妙に寒い。喉も少しガラガラしているような。


「やば!」


 ベッドからおきてすぐに体温計をく確認したが、発熱していた。最近は冬のように風が冷たい。うっかり油断していたら、風邪をひいてしまったようだった。


 今日は土曜日。バイトも十時から入れていたはずだが、こんな状況では無理だ。早々と降参し、店長に連絡した。


「ああ、休んで。うちはブラックじゃ無いからね。少しでも体調崩してたら、休んでな」

「店長ありがとうございます」


 風邪をひいているせいか、おじさんである店長の声も優しく感じてしまう。


「風邪流行ってるもんな。うちも最近、無農薬も柚子やマヌカハニーの売り上げが妙に良いし」

「そっか」

「まあ、ゆっくり休んで。喉が痛かったらにがりでうがいするのもオススメだ」

「店長、にがりなんて無いですよ」

「そこまで言えるなら軽傷だ。休んでいた治るさ」


 店長は自然派らしく、医療は否定派。怪我や火傷、救急医療の凄さは認めているが、風邪ぐらいでは滅多に病院に行かないらしい。小雪はそんな店でバイトやっているからといっても、風邪薬はほしい派。一応病院に行き、風邪薬をもらってきた。


 風邪が流行っているのか、待合室は混み合っていた。一時間ぐらい待たされ、大学の友達とずっとトークアプリで会話しているほどだった。友達の詩子もなぜか体調不良が続いていて、最近学校を休みがち。風邪が流行っている事を実感してしまった。


 薬局で風邪薬をもらったら、どっと疲れた。やはり店長の言う通り、家で休んでいた方が良かったと後悔しかけたが、アパートのドアに紙袋があるのに気づいた。


 中にはスープジャーや柚子が入っていた。いい匂いの柚子だ。バイト先で毎日見ているもので見覚えがある。中にはメモ帳も入っていた。店長の奥さんがわざわざ持ってきてくれたらしい。


「これは、助かるわ……」


 疲れていた小雪だったが、感謝の気持ちでいっぱいになる。さっそく奥さんの御礼の電話をする。


「いいのよ。風邪なんてみんな引くんだから。気にせず、ゆっくり休んで」


 そんな声を聞いていると、疲れも飛びそうだ。


 アパートに帰ると、スープジャーの中身を食べた。クリーム粥だった。粥といってもお米ではなく、フワフワなオートミールのお粥。ミルクの甘さが舌に優しく、食べるだけで喉の痛みがひいていきそう。温かく、心もホッコリしそうなクリーム粥だった。


「うう、美味しい……」


 美味しいが、あまりにも優しい味で眠くもなる。エアコンで部屋を暖かくし、余計に瞼が重い。


 小雪は食べながらウトウトし、気づくと夢の世界に飛んでいた。


 夢の世界でもアパートで一人、クリーム粥を食べていた。夢の中でも出てくるなんて。よっぽどこの味が気に入ってしまったようだ。


 夢だと気づいたのは、部屋にモフ郎がいたから。モフ郎の事は大好きだったが、家に連れてきた覚えはない。モフ郎の顔を見ていたら、すぐに夢だと気づく。なぜかモフ郎もクリームに舌鼓を打っている。一緒に食事をしていたわけだが、なぜか違和感のようなものは感じない。


「にゃあ、にゃあ」


 モフ郎は機嫌が良さそうな声をだし、お腹を見せていた。相当リラックスしているらしい。


 一緒にいる小雪も思わず笑ってしまう。


「何だか楽しいね……」


 猫と食事しているだけだったが、心は楽しくなってきた。


 なぜだろう。


 ララの顔も頭に浮かぶ。


 ララは死んでしまったが、こんな風に家族と一緒に暮らし、幸せな時間があった事を思い出してしまった。


「それで十分なのかも……」


 心の中では、ララへの後悔はいっぱいある。それでも、こんな時間をくれたララに感謝の気持ちが溢れ、いつまでも心が縛られているのは違う気がした。それこそララに失礼な事をしていたのかもしれない。ララといた時間は、決して消えるものでもなかったのに、「死」に囚われて、大事な過去も無きものにしようとしていた。


「ごめん、ララ。ありがとう。モフ郎も気づかせてくれてありがとう……」


 そう呟いた瞬間だった。


 気づいたら夢の世界から現実世界に帰ってきた。


「ああ、夢か……」


 もう部屋にはモフ郎もいない。スープジャーの中身のクリーム粥はまだ温かい。残りを食べながら、もうララの死も乗り越えてられると思う。ララといた大事な過去は、決して消える事はないのだ。今はそれだけをちゃんと思い出せれば十分だと思う。


 口の中は、クリームの優しい味。風邪の時ぐらいは、もう少し自分に優しくてもいいかも。思えば勉強もバイトも頑張ってきた。今日一日だけは、ゆっくりと休もう。そうすればきっと元気になれる。元気になる為に休むのだ。


「モフ郎!」


 風邪は意外としつこく、完治したのは、一週間後の事だったが、すっかり元気になった。免疫力がついたようで返って風邪をひいてよかったかも知れないと思うぐらいだ。


 今日もまたバイトからの帰り道。モフ郎と出会う。


「モフ郎、ありがとう」

「ミャア?」


 モフ郎は意味がわからないという顔を見せていたが、小雪はもう大丈夫。笑顔でモフ郎に手を振っていた。

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