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風邪の時に読みたい物語  作者: 地野千塩


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第一話 玉子スープ

 風邪ひいた。


 今朝、理沙は体温計を見ながら何度も数字を確かめたが、八度に近かった。身体も怠いし、喉もヒリヒリしている。どうみても風邪をひいてしまった。


 母に報告すると、顔を顰められる。


「ちょっと、うつさなで」


 ひどくない?


 理沙の家は母子家庭だから、彼女と二人きりなわけだが、体調が悪い時にこんな事を言われるとは。


「わかった。学校には連絡しておくから、部屋にいてね」

「う、うん」

「あと薬。薬箱の場所わかるでしょ?」


 理沙の返事を聞く間でまでもなく、母は仕事に出掛けてしまった。


 学校は休めるが嬉しくはない。一応友達の東子と美帆に連絡しておくが、既読のまま返事はなかった。


 ベッドに潜り、ダラダラとスマートフォンを眺めながら考える。仕方がないのかもしれない。


 五類になったとはいえ、まだまだ学校では感染症対策をやっていた。マスクは一応自由だが、している子の方が多い。


 理沙の通う学園はは一応女子高だ。思春期の容姿コンプレックスをこじせているものも多く、感染症などは関係なくマスクを手放せない者もいるが。


 目を閉じ、去年の春あたりの事を思い出す。数学の若い先生が感染症にかかり、何日か学校を休んでいたが、その後に「バイキン」「うつすな」「あんたのせいせ風邪をひいた」とか悪口を言われていた事を思い出す。


 あの先生の泣きそうな顔を思い出すと、恐怖で身がすくむ。理沙が復帰した時もそんな悪口を誰かから言われるのだろうか。


 あの頃は五類ではなかったし、学校全体がピリピリしていた。感染症ではなくても、風邪をひいたものに白い目だった事を思い出す。テレビでは感染症にかかった事を気に病み、自殺したというニュースもやっていた。


「マスクの着用お願いします」

「アルコール消毒をして」

「ソーシャルディスタンスは?」

「ワクチンは?」

「反ワクは馬鹿だ」

「ルールを守れ!」

「守らないヤツは非国民!

「こんなヤツらはいじめてOK!」


 あの頃のそんな圧力を思う出し、どっと身体が重くなる。寒気も止まらない。暖房の温度も上げているのに、ちっとも暖かくならない。


 もし学校に復帰した時にいじめられるかと思うと、怖くてたまらない。後ろ指さされる? 母にも「うつさないで」と言われた。


 いつから風邪は人にうつされるものだという認識が出来ていたのだろう。


 理沙は身体が重い中でも考えてみた。たぶん、あの感染症騒ぎの頃からだろうが、それ以前は「風邪を引いた側」の自己責任だった気が。


 確かに理沙もこの風邪を引く前、夜更かししてファストフードを食べていた。それに受験勉強でストレスを溜めていたのも事実だ。


 人混みや誰かと濃厚接触もしていない。


 つまり、自分の健康の自己管理を怠った結局だ。誰のせいでも無い。自分のせいだ。


 こんな考え方は自分を責めているようだが、返ってスッキリしてきた。


 誰かのせいにするから、余計に苦しいのだ。風邪だってそうだ。誰かのせいにしても人をコントロールしたり出来ない。誰かのせいにしても苦しいだけ。


 身体は怠いが、頭は冴えてきた。手帳を取り出して、こう書く。


 ・毎日早く寝る

 ・ファストフードは控える

 ・受験勉強もほどほどに手を抜く。


 今回の反省点も見えてきて、スッキリとしてきた。


 そして昼過ぎ。驚いた事に母が仕事を早く切る上げて帰ってきた。


「ごめんね。身体の調子が悪い時にうつすななんて言って。それに仕事が残業になった時、ファストフード食べさせたい事も悪かった」


 母が珍しく謝っていたので、理沙は目を丸くしてしまった。


「さあ、お昼ご飯作ったから」


 ご飯も作ってくれた。玉子スープ、おかゆ、糠漬け、それにウサギ型の林檎。どうやら理沙も母にとっては、いつまでも子供らしい。これを見ていたら、目の奥がじんわりと痛くなってきた。


 二人で食卓につき、理沙は玉子スープを啜る。ふんわりとした玉子の優しい味に思わず目が細める。優しい黄色の玉子スープは、花が咲いたようにも見えた。お花畑みたいなスープだ。


 あったかいスープで飲んでいると、身体も熱くなってきた。悪い熱さではない。汗が出そうな熱さで、このまま温かくしていれば治りそうな予感がする。うん、きっと軽い風邪だ。すぐ良くなるだろうと確信が出てきた。


 同時にさっきまで抱えていた不安も解けてきた。あんなに重かった気持ちも今はふわふわしている。こんな平日の昼間に母と一緒に居られるのが珍しくて、父が生きていた頃に戻った気分。あの頃は母もパートで家に一緒にいる事も多かった事を思い出してしまう。


「どう?」

「美味しい。って言うか私と一緒に居たらうつるよ?」

「まあ、いいや。うつっても、うつされてもお互い様かもね。というか風邪も自己責任だわ。人のせいにするのは、よくなかったね」

「そうだね」


 理沙は深く頷いて玉子スープを啜る。もう重い気持ちもなく、寒くもなかった。美味しいご飯を食べ、身体も心も温かくなった。


 夜には熱が下がり、翌日には学校に復帰した。一応念のためにマスクも着用するが。


 いじめられる恐怖も感じていたが、クラスメイト達はあっさりとした態度だった。拍子抜けするぐらいだった。


「バイキンとか言わないの?」

「そんなわけないじゃん。風邪なんてどう頑張っても引くよ」


 東子は笑顔で言う。


「それにコロナは茶番だって。うちのオカルト好きのお兄ちゃんが言ってた。本当かどうかは知らないけどね」


 美帆は小声で教えてくれる。さすがにそう言い切るのは、どうかと思うが、誰かをバイキン扱いするぐらいだったら、茶番説も悪くない気がしてきた。


 こうしていつも通りの学校での一日だった。


 ただ、放課後。学校からの帰り道、真っ黒でもふもふな毛並みの野良猫とすれ違う。


『お大事に。元気でね』


 一瞬猫が話しかけてきたような? そんな声がしたようで首を傾げる。


「うん? 何?」

『玉子スープで元気が出たわね。よかったわ』

「え、どういう事?」


 猫は理沙の戸惑いを無視して走って去っていく。


 辺りを見回したが、いつもの住宅街だ。何かの勘違いだったらしい。


「まあ、いいか」


 理沙は家に向かって歩く。


 そういえば、まだ家には玉子スープの残りがある。今日の夕飯にでも温めて食べよう。今からそれを食べるのが楽しみで仕方がなかった。


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