家出少女とRARの日常
「で、なぜ俺の部屋に来ているのか聞いてもいいか?」
朝食を終え速やかに自室へと戻り、もう一眠りしようと思っていたのだが。何故かフィレネスが付いて来ている。
当の本人は俺の疑問など聞こえていないようで、棚や箪笥の中を無断で物色し始めていた。
「……そんな漁っても、面白い物は出てこないぞ」
そう声をかけると、がっかりしたような顔で見上げられる。一体何を期待されていたのだろうか………。最後に開いた引き出しを閉め、ベットに座る俺の横に腰を下ろした。
「‘なぜ’と言われてものぉ……」
十秒程のタイムラグを経て、ようやく俺の質問に答え始める。聞こえていなかったわけではないらしい。
「強いて言うなら、暇じゃから、じゃな」
「ここに来たって別にすることないだろ」
実際この数日間来てはいるものの、これといって何かするわけでもなくぶらぶらしているだけだった。
「無理してまで来るくらいなら、家に居ればいいと思うけどな」
ここは好かれるような場所でもないし、な………―――だが。
「嫌じゃ」
いつかと同じく即答。
「また強情な、何がそんなに嫌なんだよ?」
「……家に居るとの……周りがうるさいのじゃ。作法がどうとか態度がどうとか言葉使いがどうとか勉強したのかとか」
随分と厳しい家で育ってきたらしい。
……それで逃げ出しても、また叱られるならえらく悪循環な気がするが………。
「お主もないか?家族がうるさく言ってきてムカムカする事くらい」
「―――……………」
―――純然な、他意のないフィレネスの問いかけ。だがその問いに、咄嗟には上手い返答が浮かばなかった―――。
突然黙り込んだ彼の顔を、何事かと覗きこむフィレネス。
―――一応、話しておいた方が良いか………。
「悪いけど、俺にはそういうのがいまいち分からなくてな………」
「………………?」
流石にこれだけじゃ通じないか。なんとか遠回しに伝えておきたいのだが………。
「ほら、この施設の中ってさ、お前のお父さん位の歳の奴って、居ないだろ?」
「………―――ッ!?」
少し遅れて大体の含意を察したらしく、返答に困っている。何か声をかけたいが、言葉が見つからないといった様子だ。
それを待たずに続ける。
「ここにはそういう連中が多くてな、これからもアイツらと関わることがあるだろうから、一応知っておいてくれ」
―――五年前の世界大戦。その時、故郷にあたる場所は火の海だった。家を無くし、家族を亡くし、居場所を失った者も多くいる。
俺も、そのうちの一人だった。それだけ、唯それだけの話だ。
表向きは工業研究機関、その実能力研究所として存在しているRARは、実質的に孤児院のような役割も果たしている。
「それは……悪いことを聞いてしまったの………」
申し訳なさそうに俯く。いつも陽気なフィレネスでも、流石にこんな話の後は沈むらしい。
「こっちこそ悪いな、こんな暗い話しちまって………」
「………………」
「………………」
二人の間に深い沈黙が落ちる。
……おいおいどうすんだよこの空気、気まず過ぎるだろ………。
突如降りかかったシリアスイベント。長閑な食卓から急転、崖から転げたような落差に思考が追い付かない。二人揃って視線を交えては逸らし、何か言葉を探している。
だがそんな沈んだ空気も、バチンッ!と唐突に響いた一つの音でいとも容易く崩れ去った。
開きっぱなしになっていた扉から、黒い一本の線が伸びている。その元を辿っていくと、目の前で床に突っ伏しているフィレネスの弟だというティークが鞭を持った姿が目に写った。
……こちらに近付いてくる足音にも気付いていたし、振りかぶる時間もあったので、当たる前に止めようと思えば止められた。それでもあえて手は出さない。この件に関しては極力首を突っ込まないようにしている。何かしら深い事情があるのだろうから―――きっと、おそらく、多分………。
「はぁ……やっと見つけました」
疲れた声が漏れる。施設中を探し回っていたのが一目で分かった。ティークは息を整え、怒気を多分に含んだ声を放つ。
「姉様、今日の午後は予定が入っていると言いましたよね?」
「はっ!すっかり忘れておったのじゃ!」
その顔を見るに、とぼけや誤魔化しではなく本当に忘れていたようだ。
「朝食まで食べたら帰ると約束したので仕方なく連れて来ましたが、いつの間にか消えていたので焦りましたよ……」
『ほっ』という文字が頭上に浮かびそうなほど、本気で安心した様子のティーク。
「悪いのアルファ、今日はもうお別れのようじゃ」
フィレネスが起き上がり、少し名残惜しそうな声を溢す。かと思えば、呼びに来たはずのティークを置き去りにしてさっさと部屋を出ていってしまった。絶妙なタイミングで現れてくれたシリアスキラーには感謝だ。
「……お前も大変そうだな」
「いえ、もう慣れましたよ」
ため息をつくティークに同情の声をかけると、諦めた表情が返ってくる。
兄弟姉妹というものを持ったことがないので、実際どうなのかはよく分からないが、普通は年上がしっかりしているものなんだろうなと何となく思っていた。眼前の状況からして、どうやらそうとも限らないらしい。
「あと一応言っておきますけど、このムチそんなに痛くないですからね」
念のためと、彼が口を開く。
「ん、そうなのか?」
「特別に作ってもらった物なので、音の割に威力は大してないんです」
どうりで毎度毎度全力で振りかぶっていた訳だ。
……まぁ、問題はそこじゃないような気がしないでもないが。
「最近は家の方が少し忙しいのでこのくらいで失礼します。今日も色々とお騒がせしました」
律儀に一礼し、立ち去ろうとするティーク。
「おう、またいつでも来いよ」
‘いつでも’とは言ってみたものの、どうせ明日も来るのだろうが。
「伝えておきます」
―――その返答に、小さな違和感を覚える。
「いや、確かにフィレネスもなんだけど、お前にも言ってるんだが」
「……自分は姉様の付き添いですので」
そう言い残して、ティークは去っていく。
特段引き留めはしないが、その後ろ姿を暫く眺めていた。少し引っ掛かったものの正体を探る。胃の辺りがモヤモヤする感じだ。
どのメンバーにも気兼ねなく接しているフィレネスと違って、ティークは誰とも妙に距離を取っているように思える。
出会って数日の関係でしかないので、よくよく考えれば普通の立ち振る舞いなのかもしれないが、それとは何かが違うような………。
しかし、その答えを得る前に、次なる来客があった。
彼は半身出ていた俺の体を無理矢理部屋に押し込み、手早く扉を閉め鍵まで掛ける。
「……まったく、懲りない奴だな」
「何の事だか」
思わず反射で呆れ声を送る視線の先、飛び込んできたのは、さっきのティークよりも息の上がったデクトだった。
‘油断していたら廊下でばったり’というパターンだと推定しておく。
「はぁ、はぁ……振り切ったと思ったら前から来るんだぞ、マジのホラーだったぜ………」
「……せっかくテレパシー持ちなんだからさ、ちょっと思考を探ればキレられるってくらい分かるだろうに」
いやまぁ探らずとも分かっていて欲しいものだが。
「俺は必要時以外仲間の頭は覗かない主義なんだよ。お前だってむやみやたらに覗かれたら嫌だろ?」
「それもそうか」
精神感応能力者ならではの配慮なのだろう。
デクトの小さな優しさに微笑みつつ―――それはそれとして。
「そんなに広くないんだから、とっとと出て行けよ」
「なっ!冷てぇなぁ」
各自の部屋があるとは言っても、寝るくらいしかすることがないのでそこまで広いものではない。せいぜい八平方メートルといったところ。
まぁ実際二,三人なら普通に入れるのだが、常時面倒事を纏ったトラブル発生装置に長く居座られたくはない。是非とも御退出願いたい。これで‘匿っていた’などと誤認され、俺までお叱りを受けたらどうしてくれるのだろうか。
そもそも、逃げ込むなら隣が自分の部屋なのだから、そっちで良いと思うのだが。せっかく鍵まで付いているのだし。
何故わざわざ俺を巻き込む?
「いや~しっかし、ホント驚きだよな」
そんなアルファの不満は軽く流され、呼吸を整えたデクトが次なる話題を振ってくる。
「何がだ?」
「女とかに興味無さそうだったお前が突然あんな可愛い子連れてくるとはなぁ、世の中何が起こるか分からんもんだな。ああいう子がタイプだったのか」
「……いや別に、そういう目的で関わったんじゃな―――」
「もうどこまでシタんだ?」
「だからそんな関係じゃないっt―――」
「またまたぁ~」
ヘラヘラと笑いながら見当違いな探りを入れてくる。いちいち食い気味なのがまた腹立たしい。
「あのな、フィレネスとはたまたま,偶然,奇跡的に出会ったってだけで、お互いそんな気は無いんだよ」
「照れなくていいっての」
………今ならリナの気持ちが分かる気がした。殴りたい、この笑顔。
「つーか用が無いならマジで帰れ、お前の部屋すぐ隣だろうが」
これ以上くだらない話に付き合ってやる気はないと退室を促す。
というか、コイツは今追われている身なんだよな………?人をキレさせて逃げ込んだ先でまた同じ過ちを繰り返すとは、なんとも学習しない奴だ。
もっとも、デクトの場合分かった上で面白さを優先しているわけだが。
「自分の部屋じゃすぐ見つかっちまうだろ。それに、一応用事もある」
それでこっちに入って来ていたのか。デクトの場合、一回キツくシバかれた方が良いと思うのは俺だけだろうか。
「用事?」
「昨日言い忘れてたことなんだが、今後の仕事の件でな」
デクトが、つい先程までのヘラヘラとした笑みを一瞬にしてしまい込み、すっと真面目な顔になって報告を始める。こういう頭の切り替えは、そこそこな付き合いの俺からしても大したものだと思う。
……いつもこれくらい謹厳であれば、誰からも不満は出ないだろうに………。
「この前爆発事故があっただろ、お前とサイが近くに居たっていう。あれが事故じゃなく事件なことが判った」
「白昼堂々王都の民家を爆破するとか何者だよ」
そのチャレンジ精神は別のところで発揮してもらいたい。
「まぁ色々と面倒な事になってるんだが、お前も[メネシス]って名前くらい聞いたことあるだろ?」
「……勿論。ここらの地域で暮らしていれば、誰でも聞いたことくらいあるだろうな」
「元はスラム街から生まれた小規模な犯罪組織だったって話なんだが、ここ数年で勢力が拡大して活動が激化してるようでな、治安部隊と騎士団だけじゃ手が回らないんだと。近々これ関係で仕事が入ると思うから、一応頭にいれといてくれ」
「なるほど……わかった」
噂程度にだが、そういう集団が居るというのは知っていた。
いわゆる暴力団やマフィアとでも呼ばれる類いの荒くれ者の集まり。中でも[メネシス]の場合、内情が不明で総規模もいまいち把握出来ていないらしい。クレイラーズ周辺を拠点にしているという話もあるので、自分から遠い話ではない。
身近でなければいいと言うわけではないが、より一層警戒しておく必要はあるだろう。
「で、話を戻すんだが、あの子とはどこまでいった?A?B?それとも―――」
連絡を済ませて満足したのか、途端に元の顔へと戻る。真剣な方に切り替えるのが早いのと同じく、戻るのも一瞬だ。
一分と持たず消え去った真面目な雰囲気さんに一抹の同情を禁じ得ない。
「ったくしつこいな、あいつとは―――」
―――そんな関係ではない。と続けようとするも、唐突に響いた二回のノックに言葉を切った。
部屋の外からこんな声が聞こえてくる。
「リナです。デクトさんに用事があるのですが」
その言葉に二人は目を見合わせ、戦慄した。
繰り返しになるが、ここは俺の部屋であって、デクトの部屋はここの隣だ。だがリナは真っ先にこの部屋の戸を叩いた。つまり―――
「精神感応能力者が逆に思考読まれてるのってなんか面白いな」
―――デクトの小賢しい考えは全てお見通しというわけだ。当然リナにそんな能力はない。
「笑ってる場合かよッ!」
外に聞こえないくらいの小声で叫び、柄にもなく慌てた様子のデクト。上手くやり過ごせと目で訴えてくる。
再び響く二つのノック音、今度は無言だ。この中に居ると確信しているらしい。
もう一度扉からデクトへと視線を移すと、口の前で手を交差させ、必死に首を振っている。それを‘開けろ’という意味だと曲解し、さっと扉に手を掛けた。
「獲物はこちらに御座います」
「まぁ、ありがとうございます」
先程茶化された事への私怨を込めて、断罪者を招き入れる。
青ざめたデクト。これ以上ない満面の笑みのリナ。そしてその様子を嘲笑気味に眺める俺。
「え、えっと。いや、あのぉ………」
何とか弁明しようとデクトが口を開くが、端から聞く気のないリナが後襟を掴み、「失礼しました」と一礼を添えてそのまま引きずって行った。
「すいませんでしたぁぁぁーーーッ!!」
遠ざかっていく悲痛な叫び。これが彼の声を聞く最期の機会にならなければ良いが………。
「うん、今日も平和だな」
一人残された部屋の中、ぽつりそう呟いてみた。
彼等の日常は変化し続ける。世界もまた―――――