3.平穏を望む者達
〈クレイラーズ地区〉東部。賑わう町の直下に在るは地下牢獄。
活気溢れる都市を光とするのなら、さしずめ影の部分とでも呼ぶべき場所。
首都であり王都でもあるこの地区は、当然のように国内最大の人口密集地であった。
人が集まれば知識が集まり、知識が集まれば技術が集まる。より進んだ文明はその分強い光を放ち、強い光は必然に相応の影を作り出す。
政治や行政、技術や文化の中枢であるこの場所は、同時に悪事の中心の一つでもあった。
黒く塗られた壁や天井を淡く照らす蝋燭の光。
‘不気味’という言葉を具現化したような通路は、数メートル先までしか視界がなかった。
ここ地下牢獄は、死刑や終身刑等の極刑に処された重罪人達、そして一部の特別な罪人が収容される施設だ。設置以来数十年の歴史の中ただ一度の脱走,脱獄も許さず、その警備体制は間違いなく国内最高。
そんな場所に入れられている者等も、当然生半可な罪で捕まってはいない。
大量殺人犯や犯罪組織の重鎮,裏社会のトップ等々、聞くからにヤバい面々が揃っている。
罪人にとっての[終わりの地]などと呼ばれ、色々な意味で恐れられているこの場所に、刻下新たな罪人が連れ込まれた。
「グハッ!」
鉄の壁と格子に囲まれた冷たい独房。
そこに放り込まれた者の名はディアル・チェスター。増えてきた白髪と中性脂肪に頭を悩ませるお年頃。
ちっぽけだった会社を瞬く間に大企業へと育てた辣腕経営者だが、Ⅰ国との無断取引という法にない罪によって拘束されてしまった哀れな男だ。
「こんな横暴が許されるとでも思っているのかッ!?」
チェスターが怒声をぶつけるのは、自身を牢へと投げ入れた鎧姿の男―――ではなく、その横でこちらを見下しているまだ幼い少年。自分をこの状況に陥れた元凶―――まぁ大元が自分なのはさておき―――Ⅵ国に向かう直前のシグマだった。
僅かな蝋燭の灯に当てられた顔に、感情の窺えない無表情を宿して返す。
「お前こそ、この国の王家と貴族会に盾突いてどうにか出来るとでも思っているのか?」
ギリッ―――と。チェスターが歯噛みする。
確かにⅠ国がよく思われないのは重々承知していた。事情あって、先の戦争の事も一般人よりは深く知っている。
だがそれは四年以上も前の話だ。たかが小規模な取り引きをしていたくらいで、何も地下牢獄に入れられるとまでは思っていなかったのだ。
その事を察してか、無表情に少しの呆れを浮かべた少年が言葉を続ける。
「お前自身、罪の重さをよく理解してないようだから、今一度説明しておいてやろう」
外見はどこをどう見てもただの子供。そんな子供が、地下牢獄で罪人を相手に平然と、落ち着いた様子で話している。
年不相応なその態度に、チェスターは少なからず違和感を覚えていた。
「取引の情報が漏れて、貴族達が騒いでいるのは知っていただろう?」
「……あぁ、情報は商人の命だからな。そこのネットワークはちゃんとある」
噂程度にだが、そのことは耳に入っていた。
立入捜査でもされると色々マズイので、この手の問題に対応する国軍や騎士団の用意が整うまでには、証拠を消すなり対策をしようと準備していた。
まぁ、突然訪れた能力者共による襲撃のおかげで、全て無駄と散ったが。
「いいか、Ⅱ国の貴族が騒いでいるってことは、もし情報が流れればⅠ国の貴族階級も騒ぎ出すってことだ」
少年は、尚も毅然と言葉を重ねる。
「この先は、大体分かるだろ?」
「……貴族同士の啀み合いはともすれば国さえも巻き込みかねない」
―――つまり、戦争の火種と成り得るということだった。勿論‘最悪の場合’の話だが。
「少しは頭が使えるらしいな」
「………………」
ここにきてようやく、チェスターは己の罪を理解した。今回の件は、界隈の禁忌どころの話ではない。戦争の切っ掛けを作ったともなれば、裁判も省略で即刻処刑。この国に死罪以上の処罰があれば、間違いなくそこに当てはめられていたことだろう。
「……社員達は……どうなった……?」
家族を持たないチェスターにとって唯一の心配事を問うと、こんな時に他人の心配とは大したものだなと苦笑混じりの声が返ってきた。
「全員無罪放免だ、お前の想定通りにな」
その言葉にチェスターはほっと胸を撫で下ろす。自分のせいで、何の罪も無い社員達の人生までも壊してしまっていたら、とても悔やみきれなかった。職を奪っただけでも十分迷惑かけたが。
「職員達に取引の事を教えなくて正解だったな。真実を知って大分驚いていたよ」
「そうか………」
「今は次期社長決めで揉めているようだったよ」
「―――は……?」
続いた思わぬ言葉に、間抜けな声が漏れる。
社長決めで揉めている?いや、それ以前に―――
「『何故解体されてない?』とでも言いたそうだな」
思考を先回りされ、思わず顔が引き攣る。
少年は、そのくらいは能力がなくても読めると笑って。
「彼らには、企業活動を続けさせている。よかったな、彼らの生活まで壊さずに済んで」
「………………」
自分の思惑通り―――いや、この少年の思惑通りに。
………どういうことだ?
いくら知らなかったといえ、取引の一端を担っていたことは言い逃れようのない事実だ。
それに、正確に言えば全員が知らなかったわけでもない。幹部数名くらいなら捕らえられておかしくないと思っていたが、全員が無罪と聞いて驚いたところだ。
なにより、これだけの事をしでかした会社がお咎め無しで存続など………はっきり言ってありえない。
「じゃ、精々強く生きろよ」
チェスターが困惑の答えを得られないでいるうちに、少年は気のない言葉を置いて、くるりと背を向け歩き出した。
「―――待て」
だがその背中を呼び止める。少年は、振り向きはせずに立ち止まった。疑問点は多い、腑に落ちない事だらけだ。
―――だがそれ以前に一つ、気になる前提がある。
「どうせ俺は死刑だろ、何故わざわざこんな話をした?」
これから死ぬ者に何かを教えたところで意味はない。
少年がこの場所に居る必要も、自分の罪や会社の話をする必要もないはずだ。
ならば何の為にここに居るのかと。
―――が、返ってきたのは予想と逆を為す言葉。
「いや、お前にはまだ生きておいて貰う」
………さっきの会社存続の件といい、まるで自分がそう決めたというような言い方だ。一体この少年にどんな権限が………いや―――。
言い残して、少年は今度こそ立ち去って行く。足音が遠ざかっていき、辺りには静寂が落ちた。
「……あのガキ何処かで見たとこがあると思ったら……国軍の………」
話から察するに、ともかく処刑は無いようだし、なんとか命は繋がった。生かしておいてもらえるということは、それなりの生活が出来ることだろう。
ホームレスになるくらいなら刑務所の方がマシだという話を聞いたことがある。これから、退屈で孤独な日々が始まるのか―――
「オイ、オッサン新入りか?」
「ナニしてぶちこまれたんだァ?何人殺ったァ?」
―――どうやらそんなことは無いようだ。
隣と前の牢から物騒な声が聞こえてきた。造りのせいか、やけに反響して聞こえる。暗くてハッキリとは見えないが、素人目で分かるくらいにはヤバい奴等だ。
ここは重罪人が集まる場所。平穏とは真逆の日々の幕開けだ―――。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
アルファとサイロズが正面玄関から外に出ると、そこにはいつも通りの光景が広がっていた。まっ直ぐ伸びた一本道の先に王城を望める大通りは、今日も変わらず大勢の人で賑わっている。
諸所から聞こえる商人の声。世間話に花を咲かせる主婦方の笑声。通りを元気に駆ける子供達の姿。
チルシアの某会社と違い、王都は平穏そのものだった。
そんな昼下がりの道を、ゆっくりと歩き始める。
夏の風がそっと頬を撫でた。少し暑いが、これはこれで割りと好きだったりもする。爆煙や火薬の臭いがないだけ―――――
………あの一件のせいか、今日はやけに過去の事がチラつく。それを振り切るようにして、隣のサイに話しかけた。
「しっかし、シグマってほんと急に出ていくよな」
先の連絡、正直な感想は「またか……」だった。不定期に出て行って暫く留守にしては、いつの間にか帰って来ている。今までにもこういうことは幾度となくあったので、もはや慣れたものだったが。
平気で数ヵ月帰って来ないこともあるので、出来れば事前に話して貰いたいものだ。
「いつも何やってるんだろうね」
「さぁな。あいつはRAR以外にもいろんな団体と関わりがあるらしいし、何かと忙しいんだろうな」
シグマは、俺をRARに勧誘した人物―――というか、当時俺と一緒に居た能力者三名が行く当てを探していたことを機に創られたのがRARだ。
詰まる所初期メンバーであり、シグマとの付き合いはそこそこ長いのだが、未だにあいつのことはよく分かっていない。
「シグマって、メンバーの中でも特に自分の話とかしないから、何て言うか、素顔が見え辛いよね」
「お互いの話とか、あんまりしたことないしな」
働き詰めというわけではないが、小さな仕事があったり各々用事や予定があったりするので、集まって落ち着いて話すような場面はそこまで多くない。
その貴重な休みにわざわざしんみりとした話をする気は沸いてこなかった。
「まったく、いつもいつも面倒事に巻き込まれるよな。まぁそのおかげであんだけ良い設備の中生活できてるからいいんだけど」
他愛ない話。今はこの会話すら心地良い。
人生退屈でつまらないという人もいるが、俺はこの平和な日々が好きだ。仲間と一緒に居る時間が一番気楽で落ち着く。こうした仲間に出会えただけでも、きっと俺は恵まれているのだと思う。
スリリングな人生も楽しいのかもしれないが、やっぱり平穏が一番―――
―――背後から響いた大きな爆発音。嫌なほど覚えのある、平穏とは真逆の音だ。
一瞬体が固まる。何とも分からぬ情景が脳裏を走り、視界が眩みそうになる。
だが、いつまでもそんな過去の心傷に囚われてはいられない。咄嗟に振り向くと、赤い炎を撒いて民家が崩れていく様子が目に飛び込んできた。
辺りを行き交う人々もイレギュラーな轟音に反応するが、状況を理解出来ずただ呆然と立ち尽くすばかりだ。爆発したらしい建物のすぐ近くに居た子供も、その内の一人であった。
崩れた瓦礫が、只人の身体には過ぎた熱を纏ってその子供へと落ちていく。ある者は唖然とし、またある者は目を塞いだ。
何の前触れもなく、突如として起こった爆発。誰も予想だにしないそれによる飛散物の自由落下より早く動ける者などそうそうおらず、救出など不可能に思える。精々「危ないッ!」とでも叫ぶのが限界だ。
だがしかし、瓦礫が人を傷つけることは、ついぞなかった。
いつかの弾丸と同じく、まるで時が止まったかのように、空中で静止している。こんな芸当が出来るのは、それこそ能力者だけだ。
「……やっぱりお前の能力、いつ見ても便利だよな」
ひとまずの安堵に気を新たにして、その異常を成す張本人に声を掛けた。
「使ってる側はそれなりにキツイんだよ、コレ」
サイが応えながら道端に瓦礫を並べる。当然手も触れずに。
―――念動力や超感覚、いわゆる超能力と呼ばれる類いの力。総称してPSI。
接触を必要とせず物体や空間等の対象に力をはたらかせることが出来る、俗に言うところの念動力。常人には探知不能な範囲,精度で物の動きを認識出来る超感覚―――大きく分けて、この二 つが彼の持っている能力だ。
サイという呼び方は、本名のサイロズが若干呼びにくいのに加え、この能力から取っていたりもする。
「大丈夫か?」
サイが辺りを警戒しながら、尻もちついた子供に手を差し出す。子供の方はまだ何が起こったか理解できていないのか、口をポカンと開けたまま彼の顔を見つめていた。
数秒経って、助けてもらったということは分かったのか「ありがとう」とだけ言って手を掴んでいた。
咄嗟にこういう行動をとれるのが彼の美点だろう。
男の子の体を起こしたあたりで、人だかりを押し退け近づいて来る人影が一つあった。恐らくは少年の母親なのだろう。
女性はサイの手から息子を強引に引き剥がすと「勝手に離れるなって言ったでしょ!」と、子供に向けて躾の言葉を一つ。続けて、
「助けて頂きありがとうございます」
とはとても思っていなそうな、怯えた瞳と震えた声で謝辞を入れて、子供の手を引き逃げるようにしてその場を離れていった。
少し周りに目を移してみれば、とても幼い子供を助けたヒーローを見る目とは思えない視線―――はっきりとした畏怖のこもった視線が注がれているのが分かる。
―――なんてことはない、いつも通りだ。
圧倒的な力、絶対的な力を持っていれば周囲から尊敬され、その力で何かを成せば讃えられる―――というのはあくまでもファンタジーの中でのお話で。
現実は、そう暖かいものではない。むしろ特異は嫌煙されるものだ。
自分とは違う超常的な力を持った者。それと相対した時、人間は好奇心や羨望以前に恐怖を覚える。
自分には理解できない、自分には手に負えない強大な力。その‘わからない’に本能的な恐怖を感じるのだ。
丁度、自然災害に直面した時の様な恐怖と似ている。
先の母親にしても、我が子の命を救ってもらって、感謝の気持ちが無かったわけではないだろう。ただ、恐怖心の方がずっと大きかったというだけだ。
特別な力と言えば聞こえは良いが、裏を返せば異様な力。それを持った人間が、持たない人間からどう思われるか。
異端者、異常者。侮蔑や忌避の視線を浴びるのにも、いい加減慣れた。
昼間の町中。人目の多い状況下で能力を使った時点で、こうなることは知れていた。知っていることならば、改めて何かを感じることもない。
勿論これには周囲の雰囲気の問題もある。周りがその力を受け入れているのであれば、尊敬や賞賛の念を送ることもあるのだろう。
ただ現実がそうではないというだけの話だ。
サイも気にした様子はなく、続く危険がないと判断したのか大口開けて欠伸している。
時間経過とともに、その場を離れていく人と、何事かと集まってくる人が入れ替わり、それと共に治安維持組織の制服に身を包んだ者達も近づいて来た。
「俺は事情説明をしてデクトに報告しに行く。アルファはどうする?」
「……もう少し歩こうと思う。ありがとな」
思い違いなのかもしれないが、彼の心使いに感謝して、俺もその場を離れていった。
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こうして、俺は一人町をぶらついている訳だが、今日はいつにも増して災難な日なのは気のせいだろうか。
朝から急ぎの仕事―――それも厄介な問題に当たり、ようやく心が落ち着いてきたというところで謎の爆発事故だ。気晴らしついでの外出で余計沈んでしまった。
いやまぁ、さっきの件に関して俺は何もしていないけども………。
やっぱり、俺は平穏な日々の方が―――
―――そんなことを思った矢先、考え事をして注意が散漫になっていたようで、通行人と肩がぶつかってしまう。
ここまで来ると、もはや俺が厄介事を引き付けてるんじゃないかとまで思えてきた。
軽く詫びを入れて立ち去ろうとするも、直後放たれた通行人もとい少女の言葉によって、その足は引き留められることとなる。
走っていたのか息を荒げて、切迫した声色で。
「た、助けて欲しいのじゃッ!!」
造語癖持ちの意訳ルビ乱用者です。雰囲気で感じ取ってもらえると幸いです。