ヘンドリックの決意3
「ああ、ありがとう。だが二人で話してみるよ。リディが聞く耳を持っていれば良いんだがな」
「そうである事を祈ってるよ。俺は何があっても兄さんの味方だ。忘れないで欲しい。上手くいかなければいつでも声をかけてくれ」
「ありがとう、心強いよ。それと言っておくが、リディとの話し合いが上手くいっても、私はお前と王都に帰るつもりはないよ」
「えっ?どうして?今の話は一緒に帰るっていう流れだろう?何がどうなってそんな結論に達したんだよ」
グレアムは心外だと言わんばかりに、ヘンドリックに詰め寄った。
「すまない。だがこのままお前と一緒に帰っても、父上を始め、誰も納得しないだろう。私が王都への立ち入り禁止と言われてからまだ数ヶ月に過ぎないんだ。たった数ヶ月で平民の暮らしに根を上げ逃げるように帰るなど、とんだ笑い者だ。このまま戻っても軽んじられるだけでお前の役には立てない」
「それは、俺が根回しをするって言ったじゃないか。ウィリアムやスチュアート達も協力してくれるし、フローリア学園の学長にも話はつけてある。兄さんは今、謹慎処分という形になっているんだ。だから処分が解けたら卒業証書を授与する事になっているし、仕事もしばらくは俺を助けて欲しいんだ。わからない事が多いから、兄さんが補佐してくれたら心強い」
「グレアム、私にも意地がある。このままお前にお膳立てして貰って、のうのうと帰るような事はしたくない。誰もが納得するような功績を立てて堂々と帰りたいんだ」
グレアムは尚も、説得するため言葉を重ねようと口を開いたが、ヘンドリックがそれを遮った。
「仲がいいとはいえ、軋轢が生じないとも限らないんだぞ」
「兄さん!!」
グレアムは驚きの声を上げた。
「もしもの話だ。お前に言われるままに帰れば、私はお前に頭が上がらなくなるだろう。そうなれば、お前に対してコンプレックスを抱き恨むようになるかもしれない。目ざとい者ならばそれに付け込み亀裂を入れるために動くだろうな。それもこれも自分で居場所を掴み取れなかったからだ。どうだ?」
サワサワと木の葉がこすれ合う音がしたかと思うと、頭上でいきなりセミが大きな声で鳴きだした。グレアムはビクッと肩を揺らして頭上を見上げた。ヘンドリックもつられて見上げたが、セミの姿は木の葉の陰に隠れて見えなかった。
「もう夏なんだな」
初めて季節に気づいたようにヘンドリックは感慨深げに呟いた。セミの声が重なっていき、しばらくの間、蝉時雨が二人の上に降り注いだ。
その声を聞きながら考え込んでいたグレアムが口を開いた。
「ああ、確かにそうだ。そこまでやると兄さんの立場をかえって悪くしそうだ。だが兄さんの力を信じてない訳じゃないんだ。早く帰ってきて欲しいあまり先走ってしまった。どうか許して欲しい」
「ああ、謝罪を受け入れよう」
「誰もが納得する様な功績と言うが、その算段はあるのか?」
「まあ、考えている事はある。まだ迷ってはいるがな。とりあえず私の気持ちは伝えた。この祝祭が終わるまでには返事をするつもりだ。それでいいか?」
「ああ。まだ迷ってるんだな?なら、いい返事を待っている」
ヘンドリックはスッキリとした顔をして笑った。
二人は固く握手を交わすと、ヘンドリックはリディアを迎えに、グレアムはアンジェリカの元へと向かった。
♢♢♢♢
ヘンドリックが司教の部屋の扉をノックすると、中から重々しい声で入るよう返事が返ってきた。
「失礼する」
短く挨拶をして中に入ると、司教が執務机に祈るような形で肘をつき、入ってきたヘンドリックを厳しい目で見据えた。フローリア学園の学長室に呼ばれた時のような緊張感があり、ヘンドリックは背筋を伸ばして司教の前に立った。
司教は何も言わず、観察するように見ており、ヘンドリックはそれに居心地の悪さを感じた。悪いのは自分達だと思い直し我慢していたが、とうとう沈黙に堪えきれず口を開いた。
「司教、ヘンドリック=アシュレイだ。昨夜は婚約者のリディアが神事を妨害したと聞いた。大変申し訳なく思っている。その、連れて帰ってもいいだろうか?」
司教は大きく溜息を吐いてから、ゆっくりと口を開いた。
「何とお呼びすればよろしいですかな?昔、王陛下と一緒にこの寺院でお会いした時からずいぶんと大きくなられた。王都での残念な噂は私の耳にも届いております。聡明で努力家であられたのに、どうしてこのような事になったのかと心配しておりました」
「私のことを知っているのか?確かにここに父上と来たが、地下神殿以外はあまり覚えてないんだ。だが、その時司教に会っていたんだな」
昔を思い出そうとしたが、その時案内してくれたはずの司教の顔は思い出せなかった。
「心配をかけてすまない。今はただの男爵位だ。ヘンドリックと呼んでくれてかまわない」
「そうですか。では、ヘンドリック様、昨夜の神事にてリディアが何をしたのかお聞きしましたかな?」
「ああ、伝令に聞いた。なんでもグレアムに手を上げ暴言を吐いたとか」
「そのとおりです。よりによって女神様の御前で暴力を振るい、大切な神事を台無しにしたのです。しかもあろうことか王太子殿下と王太子妃殿下に無礼を働いて、ですぞ。見苦しく酷いものでした。王太子妃殿下がいらっしゃらなければ、今年の神事は失敗に終わるところでした」
「それは、本当に申し訳ない」
「ヘンドリック様ともあろうお方が、なぜあのような娘をお選びになられたのか、甚だ疑問に思います。このような事を申し上げたくはありませんが、昨夜の出来事は本当に酷かったのです。あのように無作法で、身勝手な者を側に置くなど信じられませんな」
司教は首を振りながら痛ましげにヘンドリックを見やった。ヘンドリックは恥ずかしさに唇を噛み、黙って司教の言葉を聞いた。
「もう、いいだろうか?リディアを連れて帰りたいのだが」
「お待ち下さい。神事の事とは別に、昨夜、王太子妃殿下が、学園でのリディアの行為に対して謝罪を求められました」
「え?アンジェリカが?それで、リディアは何と?」
「反省もせず、おざなりの謝罪をしました。わしはその態度を見て、これが本当にヘンドリック様が選ばれた者かと目を疑いましたぞ。このまま連れ帰っても同じ事を繰り返すだけだと思いますが、それでもよろしいのですかな?」
「それは、よくはないが、いつまでもここに置いておけないだろう?」
「反省するまで修道院でお預かりする事も出来ますが、どうされますかな?重ねて申し上げますが、このまま帰られても同じことを繰り返すだけですぞ」
「それはそうかもしれないが、修道院に入れるのはいくらなんでも厳しすぎるのではないか?」
それでリディアが反省するだろうか?逆恨みをして余計に恨みを募らせるだけではないだろうか?罰としては逆効果ではと思ったが、他にいい案は思いつかなかった。
「これから先、こんな事が起きないように警備を強化すると共に、神事を冒涜した罰は受けて貰わねばなりません。修道女になる訳ではなく、罰として修道女と共に生活をして貰うのです。週に一度面接を行い、様子を見て期限を決めましょう。どうかそのおつもりで」
司教は厳しい表情でヘンドリックに言い渡した。リディアの反応を想像すると頭が痛くなったが、どうすればいいか考えるのも嫌になり、なるようになればいいと投げやりな気持ちになった。司教は呼び鈴を鳴らし、リディアを連れてくるようシスターに命じた。
「ヘンドリック様、婚約者と言われていましたが、まだリディアと婚約されていないとお聞きしていますぞ。そうなのですかな?」
「ああ、リディの両親が頷いてくれなくてな。先延ばしになっているが、なぜそんな事を聞くんだ?」
「そうですか。差し出がましいとは存じますが、リディアとの結婚は考え直した方がいいかと思いまして」
短い沈黙が流れた後、「それは私の問題だ。司教が口を挟む事ではない」と、ヘンドリックは冷めた口調で答えた。
「そうですな、出過ぎた真似を致しました」
互いに気まずい思いをしていると、扉をノックする音がしてシスターとリディアが入ってきた。
「あっ!ヘンリー、来てくれたのねぇ。ねえ、聞いて欲しいのぉ!」
リディアはヘンドリックを見るなり、ポロポロと涙をこぼして駆け寄った。
「あたし、あたし」
しゃくり上げながら抱きつこうとしたが、ヘンドリックはリディアの肩を掴んで止めた。
「な、何で?ねえ、どうしたのぉ?あ、あのね、グレアム様がヘンリーを王都に連れて帰るって言ったの。嘘だよねぇ?あたしを見捨てたりしないわよねぇ?」
リディアは嗚咽を我慢するように両手で口元を覆った。
その言葉に、ヘンドリックはなぜリディアが突っかかったか合点がいった。捨てられると思えばこそ、身に降りかかった災いを払おうともがいたのだろう。
だが、グレアムの目論見通りに問題を起こしたリディアを、庇う気にはなれなかった。ヘンドリックの沈黙を肯定と取ったのか、リディアは声を荒げて詰め寄った。
「え?まさか本当にあたしを捨てるつもりだったの?ねえヘンリー、何か言ってよぉ!!」
リディアは目を大きく見開き、蒼白になってヘンドリックを見つめた。