ヘンドリックの決意
「兄さん、何を考えてるんだ?」
グレアムの問いかけにヘンドリックは「そうだな」と答えたまま、じっと道の先を見つめていた。
グレアムもその視線の先を追ったが、祭りを楽しむ人混みがあるだけだった。
「とりあえず中に入ろう。リディア嬢を迎えに来たんだろう?」
「ああ。そうだ」
二人は小聖堂に向かって歩き始めた。
「グレアム、お前に話がある。リディを迎えに行く前に、二人だけで話がしたい」
ヘンドリックは決心を宿した瞳でグレアムを見た。
「ああ、それなら中庭に行くか?それともどこか部屋を借りる方がいいか?」
「中庭がいい」とヘンドリックが答え、二人は中庭の木陰の下のベンチに並んで座った。
「こんな風に二人で話すのは久しぶりだな」
ヘンドリックは「ああ」と頷くと、前屈みになり腿に肘をついて浅く腰掛けた。
「話ってなんだ?俺と一緒に王都に帰るって決めたのか?」
グレアムは背中をベンチに預け、木漏れ日の向こうの空を見ながら聞いた。
「そうだな。いや、違う」
「まだ迷ってるのか?」
「・・・ああ、そうだ。誓いと責任が道を阻み、私の思う正義が行き場なく暴れている感じだ」
「それはまた、えらく混乱しているな」
その時、ヘンドリックの迷いを吹き飛ばすように、ザッと一陣の風が通り過ぎた。枝がしなり、木の葉が一斉に悲鳴を上げた。その風の行く先を目を細めて眺めながら、ヘンドリックは懐かしむように呟いた。
「私は夢を見ていたんだ。幸せな夢を・・・」
「兄さん?」
グレアムは風で乱れた髪を手で直しながら、どこか思いつめた様子の兄を心配そうに見つめた。
「私は、学園生の頃にリディから聞いた自由な世界に憧れたんだ。自分自身の全てを自分で決める。素晴らしいと思った。『自由』という言葉は私にはとても魅力的で、決められたレールから外れたくなった。だが、私は気づかなかった。いや、考えなかったんだ。自由には責任が伴うという事を。知っていたはずなのに」
「そうだよ。誰よりも知っていたはずじゃないか」
「そうだな。でも、考えたくなかったんだと思う。私の我儘がどこまで通用するか試したかった。いや、通用すると思ってたんだ。何を根拠にそんな風に思ったのか今となっては思い出せない。たぶん傲っていたんだろう」
「私は王太子教育を受けてきた人間だ。この国の将来に必要な人間だと信じていた。お前は王になる事に消極的だったし、勉強にも力を入れてなかっただろう?だから廃嫡という厳罰を受けても、いつか私が必要になれば、リディ共々許されるのではないかと思っていた。それにリディの言う通りならアンジェリカの振る舞いは王太子妃に相応しくない。婚約破棄は妥当だと思っていた。まさかリディが私に嘘を吐くとは思わなかったんだ」
「ふーん、なるほどね。リディア嬢の言い分が本当であれば、正義感が強く真っ直ぐで、甘いところがある兄さんはそう考えるかもしれないね」
「視野の狭い甘ったれだと言っているのか?厳しいな。だが平民であるというだけでいじめているのを許せるか?それに私が面倒を見るのが気に入らないと言って、陰でいじめていた令嬢達の事も。その上アンジェリカが同じ様にリディを呼び出して嫌がらせをしていると聞いて、余計に腹が立ったんだ。私が庇護しているんだぞ?それを台無しにするような」
「婚約者であれば、兄さんと同じ様にリディア嬢を庇い、令嬢達を叱るべきだとでも考えていたのか?」
グレアムが言葉を継ぐと、ヘンドリックは力を得たように頷いた。
「そうだ。平民であるだけで下に見て、私の庇護下にいるだけでやっかまれるなんてかわいそうじゃないか。それに平民いじめの噂が広まればフローリア学園の名に傷がつく。王国一の学園でそんな幼稚な事がなされているなどあってはならないと思った。だから私と一緒に問題を解決して欲しかった」
「兄さんは、本気でそう考えていたのか?」
「どういうことだ?」
「そもそも、兄さんが一番の原因だと俺は思うが」
「何で私が原因なんだ」
「勉強は出来るのに他人の心の機微には疎いのか?少し考えればわかると思うがなあ」
「馬鹿にするな」
「馬鹿にっていうより驚いてるよ。王太子として影響力のある人間が、婚約者でもない、しかも平民の女に肩入れすればいじめの標的になるに決まっているだろう?しかも相手の女が嬉々として受け入れてる姿を目の当たりにすればなおさらだ」
「いや、リディは遠慮していたぞ?」
「ハア?あれで遠慮していたのか?信じられないな。兄さんの腕に体を密着させて媚びを売る姿は、俺から見ても商売女のようでいい気はしなかった。あれで気を悪くしない婚約者はいないと思うぞ」
「商売女だなんて、言い過ぎだぞ」
「言い過ぎなもんか!まあいい、話を戻すぞ。俺の目には兄さんが婚約者を蔑ろにして平民の女に入れあげているように映った。もちろん学園内ではそう噂されていた。アンジェは婚約破棄される前から陰で令嬢達の嘲りの対象になっていたんだ。アンジェが悩んでいる事にも、そんな状況にも、本当に気づかなかったのか?」
ヘンドリックは顔を強張らせた。
「兄さんが自分の立場を忘れて小さな正義感を振りかざした結果、関わった全ての人を傷つけた。アンジェは婚約者だったんだぞ?本来なら大切にされ、一番に考えられるべき存在だ。兄さんがリディア嬢に適切な距離と態度で接していれば、リディア嬢だって他の令嬢からのいじめは防げたと思うぞ」
「お前は今、私を断罪しているのか?」
「断罪が真実を詳らかにし、罪を自覚させるという意味ならそうなんだろう。俺は罰を与えることは出来ないからな。ただ同じ事を繰り返さないために、自分が何をしたのか自覚して欲しいだけだ。それと、兄さんが卒業パーティーでアンジェにしたのは、断罪ではなく冤罪だ」
ヘンドリックは反論もなかった。
「・・・何度も言うが、リディが私に嘘を吐くとは思ってもいなかったんだ。私にとっては、アンジェリカに怯えて私に縋ってくる、気弱であどけない少女だった。しかも平民であるリディが貴族の令嬢を陥れて平気でいるなど、出来るとも思わなかった」
「まだリディア嬢を信じてるのか?」
「そうではない。いや、そうなのか?もう反省したり考えるのに疲れたんだ。騙された私が悪い。私は初めてリディに出会った時から彼女に惹かれたんだ。アンジェリカではなく彼女を信じた時から、共に歩む道を無意識に模索していたんだと思う」
「兄さんは、本当にリディア嬢が好きなんだな」
賑やかな祭りの音が風に乗って中庭にも届いた。その喧騒の中にアンジェリカの声が混ざっていないかと、一瞬、グレアムは耳を澄ませた。だが、知らない声が楽しげに喋って笑っているだけだった。グレアムは肩を落とすと、またヘンドリックの話に耳を傾けた。
「そうだ、好きだった。廃嫡され、私自身しか残らなかったが、リディは構わないと言ってくれた。私も愛さえあれば生きていけると思っていた。何でも乗り越えられると」
「ああ」
「平民のような暮らしも、仕事も、それなりに楽しかった。自分なりに役に立っているという手ごたえも感じたし、やりがいも見つけた。だが、心の奥底にある本当の願いは、私の使命は、自分の好きなように自由に生き、自分達だけが良ければいいというものではなかったんだ」
グレアムは最後にヘンドリックの部屋で話した時を思い出した。まるで旅行にでも行くかのように楽しげに話していた兄の、今とは真逆の姿を。
「フーン、この数ヶ月でずいぶん考えが変わったんだな」
「ああ、色々と思い出したんだ。私は王国民が平和で豊かな人生を生きて欲しい。そのために出来る事をしたい。王でなくともかまわない。私を育んでくれた国と人々に恩返ししていく人生を歩みたいと、そう思っていた事を」
それは日頃から両親が口にしていた言葉だった。王国民がいてこその王族だと。この国を支えているのは平民である王国民だという事を忘れず、平和を維持し、彼らが暮らしやすいよう、発展していけるよう力を尽くすことが、ひいては王族の力となり、務めなのだと。
「時間が経つにつれて馬鹿な事をしたと気がついた。だが振り返るのは許せなかった。好きに生きたいと考え、己の使命を捨てた。捨てたつもりが捨てられたのだと。使命のない人生は惨めだと気づいたら怖くなった」
「だから今の生活も自分が望んだと、城を追い出されたのではなく自由に人生を生きられるのだと思い込もうとした。リディと一緒に新しい使命を見つければいいと思った。愛していたんだ」
「ああ、知ってる」
「だが、今の生活は私が望んだ未来ではない」
「フーン、仲良く暮らしてると思っていたが、思ってたより上手くいってないようだな」
ヘンドリックは言葉に詰まった。
「どうかしたのか?」
「いや、初めは楽しく暮らしていた。何もかもが新鮮でな。愛と自由に浮かれ、溺れ、怠惰な生活を送った。だが収入がない所為で、爵位はあっても貴族らしい暮らしは出来なかった。貴族とは名ばかりの平民だ」
「それは仕方がないだろう?それが罰だったんだから。それに兄さんがしたかったのは貴族の生活だったのか?」
「いや、たとえ平民になったとしても、私は王族の誇りを忘れたくなかった。私が望んだのは貴族の生活ではなく貴族としての義務だ」
「すればいいじゃないか。そんなの、収入がなくても時間を作れば出来るだろう?」
いつも読んで下さりありがとうございます。
週二回の更新を続けてきましたが、いよいよストックがなくなりました。
次の更新は7月31日0時過ぎの予定ですが、間に合わなければ8月4日0時過ぎになります。
来月で書き始めて一年になります。こんなに長く連載するとは思いもよりませんでしたが、最後までお付き合い下されば嬉しいです。
ロク