それぞれの思い6
「グレアム様、おやめ下さい!!」
アンジェリカが慌てて止めた。
「嫌だ!婚約破棄して良かっただと?お前は人の皮を被った畜生か?人間らしさなど一つもない、犬や猫と同じ己の欲望だけで生きてるのか?貴様の頭の中はどうなってるんだ?事の重大さがちっともわかってないじゃないか!」
「グレアム様のお怒りはもっともですわ。でも、リディアさんとの話はまだ終わっておりません。私はリディアさんがご自分のなさった事を認め、私に対して謝罪して欲しいだけです。私的な感情で、しかも怒りに任せて行動するなど、あってはなりませんわ」
「くそっ!!」
アンジェリカの言葉に、グレアムは歯を食いしばって衝動に堪えた。しばらくリディアを睨んでいたが、握りしめていた剣を鞘に収めた。
「アンジェの言う通りだ。もう少しで兄上と同じ轍を踏むところだった。それに、殺してしまえば反省した姿を見る事もできないな」
グレアムは冷たく言い放つと、全身を預けるようにソファに座った。
リディアはその様子に体を震わせ、逃げ場がないかと室内をキョロキョロと見渡した。
「い、いきなり驚かさないで下さいよぉ。な、ななんで怒り出したんですかぁ?」
今にも泣き出しそうな情けない顔で問うリディアに、アンジェリカが溜息を吐きながら答えた。
「リディアさん、あなた、わざと論点をすり替えているのかしら?それとも聞いてもいない事をペラペラと話して誤魔化していますの? 私は、あなたが毎回ヘンドリック様に嘘をついて私を陥れた事を認め、謝罪して欲しいだけですわ」
リディアは頬に人差し指を当て、考えるように首を傾げた。
「先程、ヘンドリック様のいないところで、と仰ってましたね。私なりに配慮したつもりでしたが、いいですわ。リディアさんは学園の頃と何らお変わりない様子。でもヘンドリック様はどうかしら?次はヘンドリック様も交えて謝罪を求めますわ。それでよろしいですわね」
「え?ちょっと待って!!そんなのいきなり言われても困るわ」
昨夜のヘンドリックの様子を思い出し、リディアは慌てた。今のヘンドリックがこの話を聞くと、どんな反応をするのかわからなくて怖くなった。
「ま、待って、アンジェリカ様。謝ればいいのよね。あたしが悪かったわ。だから許してちょうだい。もうこれ以上、この話は蒸し返さないでぇ。お願いよぉ」
懇願するように両手を握りしめてアンジェリカに一歩近づいた。騎士の剣がリディアの歩みを遮った。
「な、何をするのよぉ!危ないじゃないの!!」
「止まれ。それ以上近づくと斬る」
騎士の凄みのある声に、リディアの足が止まった。
「な、なな、な」
「貴様みたいないかれた女が近寄れるお方ではない」
騎士が首に刃先を当てると、リディアは目を見開いて一歩下がった。
「お前は本当にフローリア学園の試験をパスしたのか?お前の様子を見るに、何らかの不正が行われているのかもしれないな。帰ったら調べてみよう」
グレアムは厳しい口調でリディアの様子を見ながら言葉を続けた。
「これが、お前と我々の本来の関係だ。俺は何度か弁えろと忠告したはずだ。お前ごときがアンジェと向かい合って話をする、いや、同じ部屋で息をしているのすら許されないとな。アンジェの好意で学園の時と同じ様に接してきたが、俺もそろそろ堪忍袋の緒が切れそうだ」
グレアムが胸の前で両手の指先を合わせ、人差し指だけを繰り返しトントンと合わせている。荒ぶる気持ちを落ち着かせるように目を閉じ、深く息を吐いて足を組みなおした。その一挙手一投足にリディアはビクビクと体を震わせた。
グレアムは目を開けると、感情のない、冷酷な目つきでリディアを見た。王族特有の威圧感が部屋に満ちた。司教やエマ、アルトワ男爵でさえ思わず頭を垂れ、グレアムの言葉を待った。
「あ、あたしはどうなるの?許してくれたの?これで終わりにしてくれるの?」
リディアが口を開くたびに、グレアムの眉間のしわが険しくなっていく。
「ア、アンジェリカ様、何か言ってよ。あたしの喋り方が気に食わないの?でも、敬語なんて使い慣れてないんだもん。怖くって頭の中が真っ白になってるのよぉ。ねえ、あたしが悪かったわ。ごめんなさい」
リディアはピョコンと頭を下げようとしたが、剣が邪魔でそのままの姿勢で何度も謝罪した。
「ねえ、ごめんなさいって言ってるじゃない。もういいでしょう?許してよぉ」
先程とは打って変わって謝り続ける姿には誠意の欠片も感じられない。謝れば気が済むのよねという軽い態度に、アンジェリカは溜息を吐いた。
「リディアさん、おやめになって。ヘンドリック様にも声を掛けて、改めて席を設けますわ」
「そんなぁ!それだけはイヤよ、やめてちょうだい!!」
リディアは泣き出しそうな顔でアンジェリカに手を伸ばして、やはり途中でその手を引っ込めた。
「そいつを連れて行け。部屋から出ないよう見張るように」
「ハッ」
騎士がリディアの腕を掴み、部屋を出て行った。
「はああぁぁぁぁ、疲れた」
部屋の扉が閉まると、グレアムは大きくため息を吐いてソファの背にもたれた。
「明日も忙しくなるだろうから、今日はもう帰ろう。いいね?アンジェ。ディラン殿も、ロザリン嬢も、エマ嬢も付き合わせてすまなかった。明日のパレードの後、式典までの間に改めて席を設けよう。できればディラン殿の屋敷を使わせて貰いたいがいいか?」
「ええ、喜んで。どうぞお使い下さい」
疲れた様子があるものの、アルトワ男爵はにこやかに快諾した。
「感謝する。では時間は改めて調整するとして、今日はこれで失礼しよう。皆、遅くまで付き合わせて悪かった。明日に向けてゆっくり休んで欲しい。では司教様もこれにて失礼する。行こうか、アンジェ」
「ええ。ロージー、エマさん、そして皆様、私の我儘に付き合って頂きありがとうございました。では、また明日よろしくお願いしますわ」
アンジェリカは優雅に礼をすると、疲れを見せないよう笑顔を浮かべ、グレアムにエスコートされて部屋を出た。
「では、我々も帰るとするか。ロザリンも疲れただろう?エマも送るから馬車に乗って行きなさい」
ディランの申し出にエマは礼を言い、それぞれ疲れた顔を見合わせて静かに部屋を後にした。
そうして花祭りの神事の夜は、緊張と感動、そしてドタバタのうちに幕を閉じた。
♢♢♢♢
翌日は雲一つない真っ青な空が、これからの一年を祝福するかのように輝いていた。朝から神殿の前の広場には、色とりどりの花々で飾り付けられた山車が、三台並んでいた。
花の乙女達が思い思いのドレスや飾りで着飾り、晴れやかな笑顔で談笑しながらパレードの出発を待っていた。神事でアンジェリカ達と踊った乙女達が合流すると、昨夜リディアがやらかした失態を面白おかしく話し始めた。
ファイナルに残った乙女達は元より、会場で見ていた観客もリディアの主張で論争が起こったことを持ち出して、やはり女王の娘に相応しくなかったんだと言い合った。
そして代わりに踊ったアンジェリカの、神がかった素晴らしい歌と踊りがもたらした不思議な体験と感動を口々に語り始めた。うっとりとした顔で語る花の乙女達の話から、神がかったナルをもう一度見られるかもしれないと、皆の間に期待が広がった。
今日のパレードは聖マリア寺院を出発して町の広場までゆっくりと時間をかけて練り歩く。広場で乙女達のナルがお披露目され、その後、領主であるアルトワ男爵邸に花籠を届け、またゆっくりと時間をかけて聖マリア寺院に戻る予定だった。
乙女達は花の女王と娘が来るのを、今か今かと首を長くして待った。
♢♢♢♢
一方、アンジェリカとロザリンは、朝からアンジェリカが用意したドレスを侍女に着つけて貰っていた。
「まあ!な、なんて素敵なんでしょう!!」
鏡の前でクルッと回ると、風に揺れる花びらのようにフワリと裾が広がった。
「フフ、気に入った?」
「え、ええ、とっても、か、可愛らしいですわ。もしかしてア、アンジェリカ様が、選んで下さったんですか?」
アンジェリカはロザリンの反応に満足したように、微笑みながら頷いた。
ロザリンのドレスは、可憐で優しいヒナゲシの花をイメージしたオレンジ色で、色こそ強めだがシルクにチュールを重ねたフワフワした可愛らしい印象だ。フレア・スリーブの袖から伸びた腕や腰が一層華奢に見えて、思わず支えたくなるような可憐さを強調している。
アンジェリカのドレスはアジサイをイメージしたもので、薄い緑の生地に、淡い青と薄紫、ピンクの立体の花のモチーフが品よく散りばめられている。デコルテにも花のモチーフが施され華やかな印象だが、優しい色合いのためか可愛らしく見える。
「ア、アンジェリカ様のお姿は、は、華やかで、まるで、ブーケのようですわ!とっても素敵!!」
「フフ、ありがとう。ロージーも可憐な花のようよ!そのお色、絶対に似合うと思ったの!」
アンジェリカは嬉しそうにロザリンを眺めた。
「エマさんが可愛らしい人を飾りたいって言ってた気持ちがわかったわ。こんなに楽しいなんて思わなかったもの!道理で殿方が、婚約者を自分好みに仕立てようとなさるわけね」
ロザリンは頬を染めながら頷いた。
「そ、そうですわね。つ、次は一緒に、ド、ドレスを作りませんか?色々と試しながら。き、きっと楽しいですわ」
「まあ、素敵!!約束ですわよ。デザイナーやお店選びから一緒に考えましょうね!フフ、楽しみだわ」
アンジェリカは手を合わせて嬉しそうに笑った。