それぞれの思い5
「そ、それより、アンジェリカ様が話したい事って何よ」
リディアは早く終わらせるのが得策だと考えたのか、恐る恐る用件を聞いた。
「ああ、そうでしたわ。口を挟む隙がなくうっかりしていました。騎士様、リディアさんを放して下さいませ。このままでは話しづらいですから」
「ですが、何をしでかすかわかりません」
騎士は腕を掴んだまま躊躇っていたが、グレアムが目配せをして手を離すよう促した。
「リディア、少しでも不穏な動きをすれば斬るぞ。お前も気を抜くなよ」
「ハッ」
グレアムの言葉に騎士は気を引き締め、リディアは本気を感じて体を震わせた。
アンジェリカは改まった様子でリディアに向き直った。
「もう過ぎた事ですが、私、あなたから受けた冤罪の数々を謝罪して頂いておりません。卒業パーティーの事もです。私はあなたを許しておりませんわ」
「なんでそんな前の事を持ち出してくるのぉ?」
言ってしまってから、リディアは慌てて口を押さえた。斬られるかもしれないと様子を見たが、何事もなさそうなので言葉を続けた。
「冤罪なんかじゃないわ。あたしはアンジェリカ様にいじめられたのよ。あの時の言葉は嘘じゃないわ!それなのに、なんであたしが謝らないとダメなのよ。イヤよ、謝らないわ。それに、なんでヘンリーのいない時に言うのよぉ?」
「私、あなたをいじめた事なんてありませんわ。あなたが何もわかっていないようでしたので教えて差し上げただけです。あなたが私の忠告を無視して突っ走った結果、ヘンドリック様を巻き込んで何をしたのか、あなた、本当におわかりですの?」
「何よ、またお説教?アンジェリカ様のありがたいお話は聞き飽きたわ。それより家に帰してよ。ヘンリーが心配してるわ。それと、あの騎士に睨むのやめてって言ってくれない?気が落ち着かないんだけど」
「はあぁぁぁぁぁ、アンジェ、今更こんな話し合いは必要なのか?こんなまどろっこしい事なんかしないで処罰した方がスッキリするだろうに」
グレアムの言葉に、リディアはヒュッと首を竦めた。
「まあ、グレアム様。口は出さない約束でしてよ」
「そうだけど、アンジェに対して無礼極まりないのだもの。このバカ女は自分を何様だと思ってるんだ?全く聞くに堪えないよ。侯爵家のご令嬢であり、王太子妃の君に対しての礼儀が一切なってない。もしかして学園でもこうだったのか?もしそうなら、アンジェが許しても俺が許さない。ねえ、我慢の限界だ。もう斬っていい?」
「ダメです。お気持ちだけで十分ですわ」
アンジェリカが微笑むと、グレアムはソファの背に身を預け、仕方がないなと肩を竦めた。グレアムの様子を伺っていたリディアは、ホッと緊張を解いた。
アンジェリカは騎士に腕を放すよう指示して、改めてリディアに話しかけた。
「リディアさん、私はうやむやにして流したくないんです。冤罪であればなおの事そう思いますの。よろしくって?」
「よろしいも何も、あたしが何を言ったって通らないくせに」
リディアは腕をさすりながら悔しそうに呟いた。
「アンジェリカ様はいっつもそう、あたしを見下してるのが透けて見えるのよ。あなたと話をするといつも惨めな気持ちになるわ。あたしの夢を貶されてる気になった。どうせ無理だから諦めろって言われてるように感じるのよ!」
「何を仰ってるの?私は見下してもいないし、あなたの夢なんて知りませんもの。貶しようがなくってよ」
「その話し方よ!私は立派な淑女で、あなたは平民。天と地ほどの差があるのよって言ってるじゃない!学園は身分の差がないはずなのに、アンジェリカ様は実家の権力を傘にきて、周りに人を侍らしてヘンリーにも近寄ったじゃない!」
「リディアさんの仰る意味がわかりませんわ。侍らすも何も、彼女達は私と仲良くするよう家の者に言われたのでしょう。あなたには分からないかもしれませんが、それぞれ家の思惑など事情がありますのよ」
「またそうやってバカにするぅ!どうせあたしは貴族様の事情なんてわからないわよぉ。あの人達からチヤホヤされて自分が偉いと勘違いしてるんじゃないのぉ?事あるごとにあたしに難癖つけて力の差を見せつけてきたじゃない!」
アンジェリカは、何を言ってもひっくり返され悪者にされてしまうリディアの弁に、学園生活で頭の痛かった日々を思い出した。
こうなったリディアは、何を言っても、聞きもしなければ反省もしない。何度諭しても最後には泣き出してヘンドリックに庇われて退場した。注意するたびにヘンドリックは離れていき、反対にリディアとの距離は縮まっていったのだ。
そういえば、ヘンドリックがいつも時間を見計らったように助けに来ていた事を思い出して溜め息が出た。
リディアは邪魔が入らないのに気を良くして話し続けた。
「あのね、アンジェリカ様。アンジェリカ様が入学する前から、あたしとヘンリーはとても仲が良かったの。付き合ってるって噂が流れるくらい、いつも一緒にいたの。それなのにあなたが後からやって来てあたしとヘンリーの邪魔をしたのよ」
その言葉にアンジェリカは目を瞠った。
「何を仰ってるの?そもそもヘンドリック様は私の婚約者でしたのよ。それはあなたもご存知だったのでしょう?」
「ええ。でも、そこに恋愛の感情はなかったんでしょう?ヘンリーも妹みたいなものだって言ってたし、形だけの婚約者だったんでしょう?」
「それでも婚約者に違いはありませんわ。不貞を働いたのはヘンドリック様ですし、唆したのはリディアさんでしてよ。王陛下の温情で罪も軽く済んだというのに・・・まだそのように思ってらしたなんて」
まるでアンジェリカが横恋慕したかのように言うリディアに、開いた口が塞がらなかった。
「あたし、色々と思い出してたんだけど、学園では身分差もなく、皆が平等であったはずよね。だったら学園生の間は貴族同士の繋がりや社交だのは一切目を瞑って、純粋に自身の夢や目的に向かっていいはずよ。貴族と平民、お互いを知るためにフローリア学園は平民にも門戸を開いているんでしょ?だから優秀であれば平民でも入学出来るのよ?違う?だったらあたし達平民の生活や考え方を知るべきだわ」
リディアは滔々と持論を展開した。
「あたしには小さな頃からの夢があったの。そのためにフローリア学園に入学したのよ。ヘンリーはあたしの夢に必要な人なの。だからあたしを好きになって欲しかったし、そのための努力もしたわ。ヘンリーはアンジェリカ様の婚約者である前に、フローリア学園の一生徒だったのよ。学園生でいるうちは自由に生きていいはずよ。もちろん恋愛だって自由だわ。そうでしょう?」
リディアの力説を、アンジェリカは眉間に皺を寄せて聞いていた。
「あなたの言い分はわかりましたわ。言いたい事はありますが、リディアさんは本当に、心からそのように考えているんですの?」
「そうよ。学園ではあたしの方が先にヘンリーと仲良くなったのよ。後から来たのはアンジェリカ様じゃない。幼馴染の婚約者でも、お互い年頃になったら色んな事情が出来て別れる事だってあるでしょう?」
「ないですわ。貴族の婚姻、特に王族との婚姻は契約ですもの。そんな市井の方々のような事はありませんわ」
「何それ!やっぱりアンジェリカ様はあたしを見下してるじゃない!市井の方々なんて言って、自分はあたし達とは違うんだって」
「な、何ですって?」
「それに恋愛じゃなくて契約ですって?信じらんない!ヘンリーがかわいそうだわ」
リディアは爪を噛みながら呟いた。
「可哀想なのはお前の頭だ!!」
グレアムは抑えた口調で短く吐き捨てると、リディアに向けて殺気を迸らせた。座ったままだが腰に差した剣の柄に指をかけ、いつでも立ち上がれるよう両足に力を入れた。
静かな剣幕に護衛騎士の一人が首を竦めてグレアムの様子を伺った。アンジェリカもギョッとして、グレアムの右手に手を添えた。
「グレアム様、落ち着いて下さいませ」
アンジェリカが小声で囁いた。グレアムの様子に気づかないリディアは、両手で頬を挟んで床を見つめながら独り言を呟くように話し続けた。
「あれ?でもグレアム様とアンジェリカ様は恋愛してるのよね!じゃあ、やっぱりヘンリーは婚約破棄して正解だったのよ。だって、全部丸く収まったんだもの。ヘンリーもグレアム様も好きな人と一緒にいられるんだし、アンジェリカ様も今はグレアム様とラブラブだもん。みんな幸せになれたのよね」
リディアは顔を上げて、アンジェリカに笑いかけた。
「色々あったけど、こうなって良かったんじゃないですか?アンジェリカ様」
「いい加減にしろ。学園生の頃から何ら変わっていない姿には、もはや怒りを通り越してうんざりする。今までなぜ王都から追い出されたのか考えなかったのか?お前には反省するという思考がないのか?お前みたいな醜悪な奴をそのままにはしておけない。虫唾が走る」
グレアムは感情のない冷めた目でリディアを睨みつけると、立ち上がりスラリと剣を抜いた。
「お前の無礼の数々にはもう我慢が出来ない。俺がこの手で成敗してくれる。許せ、アンジェ」
「ヒッ!!」
リディアは驚いて身を縮こまらせた。