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それぞれの思い2


 アンジェリカが入学してくる前、リディアは常にヘンドリックの隣にいた。最初は先生の指示だったが、その状況を大いに利用してヘンドリックとの距離を縮めた。他の女生徒達から嫌味を言われたり嫌がらせをされても全力でその場所を守り続けた。


 いつものようにランチを終えて談笑していると、ヘンドリックが不意に「もうすぐ婚約者が入学してくるんだ」と言った。

 すぐに「しまった」という顔をして口元を手で覆い、顔を背けたが、気まずい沈黙が流れた。

 リディアは両手をギュッと握りしめて平静を装ったが、本当は心臓が止まるかと思うくらい衝撃を受けた。


「すまない。話すつもりはなかった」と言われ、更にショックを受けた。


「何で謝るのぉ?あたしには関係のない話だから?」


 リディアは涙目でヘンドリックを見つめた。


「いや。言いたいくなかったんだ」


「どうしてぇ?」


「君が嫌な思いをするかと思って。と、すまない。勝手な思い込みだったかもしれないな。そうであればいいのにと、私が思っただけだ。気にしないでくれるとありがたい」


 ヘンドリックの言い訳に、自分に対する好意が見えて嬉しかった。


「ううん。きっと他の人から聞いてたらものすごくショックだったと思う。だって、あたしを傷つけたいって思ってる人はたくさんいて、そんな人は悪意を込めて話すんだもん。それなら他の人から聞くよりもヘンドリック様からの方がずっといいわ」


「ねえ、ヘンドリック様。お願い、あたしに教えてぇ?」


 リディアは寂しげな表情を浮かべ、テーブルに置かれていたヘンドリックの手にソッと手を重ねると、甘えた口調でお願いした。


 ヘンドリックはコホンとひとつ咳払いをすると、赤くなった頬を誤魔化すように話し始めた。


 自分には幼い頃に親が決めた婚約者がいて、将来は王と王妃として互いに支え合いこの国を治めていくよう言われていると。それが王族としての責任だと教えられてきたのだと。そして、


「今でも勉強の傍ら、公式行事への参加や、国家運営の一翼を担っているが、学園を卒業したら本格的に宰相や諸侯らと共に政治に携わる事になっている。そして婚約者が卒業して一年後に結婚式を挙げる。それは婚約の時に約束された事で覆すことは出来ない」と。


「そんな!恋も愛も知らない子供の時に将来の相手を決めるだなんて・・・そんなの酷いわ!横暴よぉ!ヘンドリック様はそれでいいの?それとも、婚約者を愛してるのぉ?」


 ヘンドリックはクスリと笑った。


「横暴だなんて、君は面白い考えを持ってるんだね。でも余所で口にしたらいけないよ。罪に問われるから。でも私にそんな事を言った人は初めてだ。今までは祝福の言葉しか聞いた事がなかった」


「そうなのぉ?余所では言わないね。でも、ヘンドリック様、質問に答えて。婚約者を愛してるのぉ?」


 ヘンドリックは両手を合わせて唇に当て、うーんと言いながらしばらく考えた。そして妹のように思っている、とだけ答えた。


「妹?妹と思ってる人と結婚できるの?」


「本当の妹ではないからな。貴族同士の婚姻なんてそんなものだ。私はまだいい方だよ。恋愛感情はないが情はあるから」


「そんなぁ!ヘンドリック様は好きな人と結婚したくないのぉ?」


「さあ、夢のようだな。貴族でも恋愛結婚をする人はいるが私はそうはいかない。そうできる者達が羨ましいよ」


「ヘンドリック様、かわいそう。恋愛結婚を羨ましいって思うのって、好きな人がいるからじゃないのぉ?」


「そうかな?わからないな」


 ヘンドリックは首を振って答えた。


「ねえ、もし好きな人と結婚できるとしたらぁ、したい人はいるのぉ?」


「さあな。私にはアンジェリカがいるから考えた事もないよ。国の事を考えるとそれが最善だからな。でも、なぜそんな事が気になるんだ?私が王太子である以上は変える事の出来ないものだ」


 ヘンドリックはそう言うと寂しそうに笑った。


 リディアは潤んだ瞳でヘンドリックを見上げた。そして両手でギュッとヘンドリックの手を握り、思い詰めた様子で口を開いた。


「ヘンドリック様、恋愛ってね、好きな人の事を思うだけでドキドキしてフワフワして心が温かくなって、嬉しくって、ムズムズして飛び上がりたくなるものなの。大切にしたいし、幸せにしてあげたくなるの。それでね、そう思える自分も、とっても楽しくって幸せなのよ」


「そうなのか?」


「そうなの。ヘンドリック様はそう感じた事はないの?」


「そうだな、あったかなあ?」


 ヘンドリックは腕を組んで目を閉じ考えていたが、ゆっくりと首を振った。


「やはり思い当たらないな」


「そうなのね。でも、人としてとっても大切な気持ちだと思うわ。大切な人がいると、その人が住む国を何があっても守ろうって力が湧いてくるでしょう?」


「フム。私達王族にとって、国も、国民も守るものだと教えられてきた。そんな風に考えた事もない」


「じゃあ、考えてみてよ」


「そうだな。君はいつも私に物の本質をストレートに教えてくれる。きっと、愛する人を大切に思う気持ちは国を治める者にとって大切なものなんだろう。考えてみるよ」


 ヘンドリックは重ねられたリディアの指を軽くつまんだり、握ったりとその感触を楽しみ、いちいち笑ったり頬を染めたりする反応に気を良くして答えた。


「あたしを平民だって見下さずに意見を聞いてくれるヘンドリック様は、きっと素晴らしい王様になると思うわ。ヘンドリック様ならきっと、貴族も平民もない平等で自由な国を作れると思うの。そんなヘンドリック様だからぁ、あたし」


 リディアはハッとして、言いかけた言葉を飲み込んだ。


「ご、ごめんなさい。気にしないで」


「何を言いかけたか、気になるから言ってごらん」


「ううん、何でもないのぉ。言ったらきっと、ヘンドリック様困っちゃう。だからいいのぉ」


「余計に気になるな。困ってもいいから言ってごらん」


 リディアはためらうように目を彷徨わせていたが、俯くと囁くように言った。


「あ、あのね、あたし、あたしねぇ、ヘンドリック様のこと、ずっと、ずっと好きだったのぉ。初めて会った時からずっと。今もね、今も大好きなの。でもこんな気持ち、伝えても迷惑なだけだってわかってるけど、それでも、大好きなの・・・」


 最後は聞こえないほど小さく呟いた。


 ヘンドリックはいきなりの告白に驚いた顔で、リディアを見つめた。リディアも顔を上げ、目に涙を浮かべてヘンドリックを見つめ返した。


「大好きな人には幸せになって欲しいの。政略結婚なんかして欲しくない。愛して、愛される人と一緒になって欲しいんだもん」


 そして一筋の涙を流すと、唇を噛んで悲しげに目を逸らした。そして握った手を離したくないというように強く握りしめた。


「でも、ヘンドリック様がそう出来ない事もわかった、わ。政治とか言われたら、あたしにはちっともわからない。でも、いっつも我慢して頑張ってるでしょう?一つくらい我儘を言ってもバチは当たらないんじゃないかしら?」


 ヘンドリックの心に、小さな棘が刺さったのはこの時だったのかもしれない。あまりにも小さかったので、刺さった事にも気づかなかった。


「ヘンドリック様が婚約してるって聞いて、あたし、すっごく悲しかった。諦めた方がいいってわかってる。だって、大好きな人には幸せになって欲しいんだもん。でも、好きでもない人と結婚して本当に幸せになれるの?」


 ヘンドリックは黙ったまま、リディアの告白を聞いていた。今まで疑問にも思わなかった、当たり前だと思っていた「国のために生きる」事に、小さな亀裂が入った気がした。


 自由に振る舞えるリディアが羨ましいと感じた。楽しげに笑いながら自分とは違う視点で物事を見ている。あくまでも己の幸せを第一に考えて行動する、自分とは対極にいる人。そんなリディアを見ていて、ヘンドリックも自分自身の幸せとは何かを考えたいと思った。


 リディアは俯いたまま告白を続けた。


「こんなこと言って困らしちゃいけないってわかってる。でも言わずにいられなかったのぉ。だって、本当だったらドキドキして嬉しいはずの話を、大好きな人が、寂しそうに笑いながら話すんだもん。あたしの気持ちを、ヘンドリック様が大好きだって事を知ってて欲しかったのぉ」


 リディアが顔を上げた時、予鈴の鐘がなった。二人は慌てて席を立った。ヘンドリックはリディアと手を繋ぎ、教室へと走った。



♢♢♢♢



 リディアはヘンドリックに婚約者がいると聞かされた日の事を鮮明に思い出した。そうして一通り思い出すと、学園での甘いひと時から離れ、花祭りの最中にメインの神事を邪魔したとして、聖マリア寺院の小部屋に連れて来られたのだと自覚した。


 それでも部屋の中に一人きりでベッドの上に座っていると、また思い出の中を彷徨い始めた。


「婚約者がいるって知ったけど、そんなのどうでもよかった。結婚してるわけじゃないもん。付き合ったり別れたりって、若い男女にはよくある事よ。だからあたしを好きになって貰うために、更に精一杯努力しようと思ったわ」


 リディアは一気に捲し立てると、少し息を吐いた。そして初めてアンジェリカを見かけた時を思い出した。



 アンジェリカが入学して間もなくの頃、リディアがヘンドリックを探して学園内をウロウロしている時に、二人が渡り廊下で挨拶を交わしている場面に出くわしたのだ。


 アンジェリカの華やかな容姿、お手本のように美しい所作、凛とした佇まい。


 自分とは正反対の、非の打ち所がない淑女。ヘンドリックと一対の絵のような似合いの姿を見ると、今までと同じ事をしてたら到底敵わない相手だと感じた




 


 

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