それぞれの思い
その声を無視していると、リディアはしつこく扉を叩き続けた。
「扉を叩くのはやめろ。お前は神事を滅茶苦茶にしたんだ。後ほど王太子殿下から沙汰があるだろう。それまでここで大人しくしていろ。わかったな」
その言葉の後、リディアは叩くのをやめて静かになった。そしてブツブツと呟く声が部屋の中から聞こえてきた。騎士はやれやれとばかり肩を竦めるとホッと息を吐いた。
「あーあ、殿下の護衛が本来の仕事なのに。ついてねえな」
騎士は自分の運のなさを呪った。地下神殿に残ったもう一人の騎士が羨ましかった。本当ならば自分もエマを始め、アルトワの選りすぐった美女達の踊る姿を、しかも今回はアルトワ領の深窓の姫君も含まれているそれを、殿下と共に見られたはずなのだ。
騎士はガックリと肩を落とした後、気を取り直して姿勢を正した。中にいる女は静かになった。このまま何事もなく大人しくしてくれと思いながら、神事が早く終わるように心の中で祈った。
♢♢♢♢
リディアは騎士に怒鳴られて地下神殿での事を思い返した。
「あ、あたし、罰せられるの?まさか!だって、あれはどう考えてもグレアム様が悪いんじゃない。わざとあたしを怒らせるような事を言ったんだもん。あたしは悪くないわ!」
そう自分に言い聞かせたが安心は出来なかった。気が動転して神事を妨げたのは確かだった。
「ああ、どうしよう。何でこんな事になっちゃったの?グレアム様の言葉を教えたらヘンリーは庇ってくれるかなぁ?だって、ほんとに悪いのはあたしじゃない、グレアム様だもん」
「でも、昨夜のヘンリーはあたしに冷たかった。もしかすると助けてくれないかも。自分で何とかしなきゃダメなのかなぁ」
リディアは不安で泣きそうだった。
「それより何であたしはグレアム様に嫌われて、ううん、嫌いっていうより憎まれてる気がする。お城でもイヤな態度だったもん。それにここで会ってからもずっと陰険な目で睨んでくるわ。そもそもグレアム様には学園でも会った事がなかったし、嫌われるような事をした覚えがないのに、一体何でよ!」
リディアは爪を噛みながら部屋の中を歩き回り、今までグレアムと会ったかどうか、その時に何をして、どんな話をしたか思い出そうとしたが、やはり会った事がないため、心当たりは何一つ浮かばなかった。
地下神殿でグレアムに言われた言葉を手繰り寄せようと、眉間にしわを寄せて思い返した。
「あの時、何て言われたんだっけ?ヘンリーじゃなくって、誰だっけ?」
ヘンドリックが連れて行かれると思って暴れたが、何を言ってるの?って思った気もする。リディアはそれを必死で思い出そうとした。
「ええと、ア、アンジェリカ様がどうたらこうたらって言ってた気がするんだけど。何だったかしら?アンジェリカ様が嫌いか?だったっけ。覚えてないわ。ヘンリーを連れて帰るって言われて、あたし、カッとしてグレアム様を叩いたんだった。どうしよう、あたし、とんでもない事してしまったの?でも、あたしからヘンリーを奪うって言うんだもん」
リディアは顔を青くして両手で体を抱きしめた。罰を受けるのは怖かった。でも何度考えても悪いのはグレアムの方だとしか思えなかった。
「あたしは悪くない!それに、お城を追い出したのは王様で、二度と帰ってくるなって言われたのよ。それはグレアム様だって知ってるはず。それなのに何で今更あんな事言うのよぉ!」
「そうよ、確かヘンリーは王都への立ち入りを禁止されていたわ。もし約束を破ったらどうするって言われたんだった?」
リディアは王様の言葉を思い出して思わず両手で口元を覆った。息が止まり、目を見開いて、青い顔をさらに青くした。
「ああ!!ダメよ、ダメ!ヘンリーだけじゃなくて、あたしの家族も全員殺すって言ってたわ。それなのに約束破って王都に行くなんて、ヘンリーはそんな事しない!あたしはヘンリーを信じてる。いくらグレアム様でも無理矢理連れては行けないわよ!」
「それともグレアム様はあたし達が死ねばいいって思ってるの?まさか!でも、じゃあ、何であんな事を言ったのよ!!」
リディアは気が高ぶり、考え続けるのが難しかった。
「確かにアンジェリカ様を傷つけたかもしれない。だけど、グレアム様は、あたしのおかげでアンジェリカ様を手に入れたんじゃない。どっちかといえば感謝して欲しいくらいよ」
自分に都合のいいように考えて肩の力を抜いたが、一瞬の後に、神事を妨害したとして罰を受けるかもしれないと思い身震いした。
「ああ、違う。何であんな事したのか思い出さなくっちゃ。罰せられるなんて絶対にイヤよ!それにグレアム様のせいだってヘンリーに信じて貰えないと、本当にあたしを捨てるかもしれない。そんなの絶対にイヤ!」
悲観的になる気持ちに蓋をして首を振った。
「グレアム様は、ええと『アンジェリカ様が嫌い?違う。憎いか?』だったかしら?そんな事を言ってたわ。でも何でそんな事を聞くんだろう?」
「まあいいわ。とりあえず気持ちの整理をして、どうやって答えるか考えなくっちゃ」
リディアは深呼吸を何度か繰り返してからベッドに腰かけると、枕を抱きしめて気持ちを落ち着けた。そして今ではない、学園の頃のアンジェリカの顔を思い浮かべた。
いつも冷静で、淑女の鑑と言われていた完璧な令嬢の顔を。隙のない、教師のような顔でリディアの言動にダメ出しをし、説教を繰り返した憎たらしい顔を。
「そうね、大っ嫌いだったわ。うるさくって偉そうな女。いつもあたしを下に見て、礼儀がどうとか、弁えろとか言って邪魔ばっかりする。あたしが欲しいもの全部持ってるくせに、その贅沢さに気づきもしない」
「お金持ちの家に生まれて、きれいなドレス着て宝石つけて。美味しいもの毎日食べて。お茶会や舞踏会でお喋りしたりダンスを踊ったり楽しい事ばっかりしてるのよ、働きもしないで。一人娘だから大切に育てられて苦労した事もなくって、周りからもチヤホヤされてさ」
リディアは学園で感じていた世の中の不公平さを思い出してだんだん腹が立ってきた。
「それだけじゃない。ピアノやヴァイオリンも小さい頃から習ってるなら上手で当たり前じゃない。勉強だって家庭教師に教えて貰ったから出来たんでしょ?それなのにみんなから尊敬されて、かっこいい王子様と結婚して将来は王妃になる約束まで」
「あたしだって貴族に生まれてたらアンジェリカ様みたいになれたはずだもん。あたしと違ってたまたま生まれた家がよかっただけで全部持ってるんだもん。好きになれるはずないじゃない」
「あたしだってお姫様になりたかった。小さな頃からお姫様みたいに可愛いねってよく言われたわ。それに頭だって悪くなかった。だからフローリア学園を目指したのよ。あたしがお姫様になれる、ううん、あたしをお姫様にしてくれる場所だって思ったから」
「学園ではみんな平等だって、入学式の時に学園長が言ってたわ。夢を持ち、目標を立て、努力しなさい。そして友好を深め自由に過ごしなさいって。だから思うようにしたのよ。卑屈になって、遠慮して過ごしてたらあっという間に時間なんて過ぎてしまうもん」
「あたしは素敵な王子様と物語のような恋がしたかったの。そしてお姫様になりたかった。それがあたしの夢よ。子供の頃からの一番の夢。それの何が悪いっていうのよぉ?」
「ヘンリーは平民のあたしにも優しかった。それに賢くて、強くて、品があって素敵だった。それだけじゃないわ。この国の王子様なのよ!好きにならない方がおかしいわよぉ!身分が釣り合わないからって他の人みたいに遠巻きにしてたら何も始まらないわ。幸せは自分で掴みにいかなきゃ、誰も恵んでなんかくれないのよ!あたしは自分の夢に手が届く場所を勝ち取ったの」
リディアは必死で勉強した時を思い出した。いきなり変わったように見えたからか周りは驚いたが、リディアは気にせず一心不乱に取り組んだ。その勉強にはゴールがあり、いつか終わるとわかっていたから頑張れた。そしてフローリア学園に通える切符を手にしたのだ。
次は夢を掴む番になった。王子様と恋に落ち、学園を卒業したら本当のお姫様になるのだ。
「ドレスも宝石もお金がないから買えないけど、人の心は変えられるもん。特に男の心は簡単に変えられたわ。すごいねって褒めて、頼りない仕草で寄りかかって、甘えて、無邪気に絡めば、誰だってすぐにあたしを好きになった」
リディアは持論を口にした。物心ついた頃から、相手がどんなタイプを求めているかを本能的に察知し、スッと懐に入るのが上手だった。好きな男が出来ると、その男の好みの女を無意識のうちに演じるようになった。でも、そうやって相手に合わせても長続きするはずもなく、たいていは数ヶ月でボロが出て破局するのが常だった。それでもリディアは諦めなかった。
ヘンドリックを初めて見た時、体中に電流が走った。昔から夢見ていた理想の王子様だった。一目惚れして夢中になった。
だけどヘンドリックはなかなか思い通りにはいかなかった。教授の指示のおかげで一緒に過ごす時間は多く持てたし、接するうちに親しくなったけれど、それだけ。周りが誤解するくらい仲がよかったけれど、ただの友人。
好かれていると感じていたが、どうしてもその先には進めなかった。もどかしかった。好きだと告白されてもおかしくないくらい甘い関係だと信じていた。