花祭り~神事4
リディアは心に浮かぶまま女神に祈った。
(そうよ、あたしだけのヘンリーでいて欲しいのよ。それの何が悪いの?ヘンリーだってあたしを好きだって言ったじゃない!)
(ねえ女神様。邪魔なロザリン様とアンジェリカ様をどこか遠くへやって下さい。二度とヘンリーの前に姿を見せないようにして下さい。そしてヘンリーがあたしをずっと好きでいますように)
静かな時が流れた。
リディアが息苦しく感じた頃、周りの水が大きく揺らめいた。
(ああ、二人が水から出たのね)
そう思ってリディアも立ち上がった。水から出た途端、重力が戻ってきた体が重く感じた。
年配のシスターがタオルを持ってそれぞれ三人の肩にかけた。髪からしたたる滴がタオルに染み込んでいく。シスター達は無言のまま、三人の体を拭いていく。髪も解き、タオルを替えて丁寧に押さえながら水気を拭き取る。ある程度水気がなくなると、シスターは拭くのをやめた。
「ではこちらに」
シスターについて三人は寺院に戻った。案内された部屋には神事のための衣装が置かれていた。
「これに着替えます」
シスターは簡潔に伝えると、濡れたドレスを脱ぐ手伝いを始めた。脱ぎ終わると三人に白いドレスが差し出され、チューブトップの足首までの丈だ。
エマについたシスターが、一つ一つの飾りを丁寧につけていく。まず両足首にシダの葉で編んだ足輪を結び、次にカラフルな刺繍が施されたスカートを腰に巻いた。ウエストのリボンを絞るとギャザーが寄り、ふんわりと裾に向かって広がった。そして葉と生花で作った腰飾りを付けた。葉と花が隙間なく編み込まれ、思った以上にずっしりと重い。
手首にも足と同じ葉で作った腕輪を、首には腰飾りと同じ葉と花を編み込んだ花輪を、最後に花冠ならぬシダの葉冠を頭に乗せて女王の衣装は完成した。葉と花の飾りは、どれもボリュームがあり、それなりに重かった。
女王の着付けが終わると、娘二人の着付けが始まった。基本は女王と同じだが、ドレスの丈がさらに短く、重ねたスカートの刺繍の柄も違っている。
着付けが進むにつれ、だんだんと女王は女王の、娘は娘の顔になっていった。
緑の葉は生命を、花は喜びと感謝の意味が込められているのだと、支度をしながらシスターは話した。
すっかり支度が整うと、三人は寺院の大聖堂に案内された。そこには昨日の「花の女王コンテスト」のファイナルで戦った女達が揃っていた。みな、白いチューブトップと、濃いピンクのふんわりとした、膝が隠れるくらいの丈のドレスを着ている。そして三人と同じ葉や花の飾りをつけ、緊張した面持ちで立っていた。
時計の針はすでに夜の十時を回っていた。
「もうこんな時間!時間がたつのは早いですね、ロザリン様」
エマが小さな声で呟いた。
「準備は整ったようですな。では今夜の流れを説明致しまして、その後簡単にリハーサルを行います。よろしいですかな?」
司教が確認するように言葉を発した。
「始めに祭壇で神事を始める祈りを捧げます。その後、あなた方は女神様に祈りを捧げ、来賓の方々に礼をします。それからナルを奉納して頂きます」
「まず『女神を讃える歌』ですが、これは花の女王と娘のみ。次に『花少女の祈り』を乙女達も含めた全員で踊って頂きます」
「終われば女王と娘を先頭に、海の中を歩き小さな穴を通り抜けて洞窟の外に出ます。そして腰あたりの深さになりましたら、手を繋いで輪になり、ナルの奉納の終わりを告げる『海の彼方へ』を皆で詠唱して頂きます。詠唱後、花冠を海に流してお戻り下さい」
「よろしいですかな?」
皆、心の中で段取りを復唱しながらお互いに頷き合った。
そして司教の言うままに並び方を決め、踊りの出だし、歌の繰り返し部分、掛け声や掛け合いの確認が行われた。
神事の時間が近づくにつれ、皆の間に緊張感が漂った。だがリディアだけは心ここに在らずといった様子で司教の話を聞いた。頭にはヘンドリックの事しかなかった。
(今、ヘンリーは何をしてるんだろう?)
(まだ怒ってるのかな?それとも機嫌が直って、あたしを応援してくれてるの?そうだったらいいな)
(会いたい。会って顔を見て安心したい。甘えて、抱き合って、愛されてるって感じたい)
リディアはただヘンドリックに相応しくありたかった。花の女王になりたかったのも、子供の頃からの憧れもあったが、それよりも「さすがヘンドリック様の婚約者だ」と言われたかったからだ。
(王子様の隣はお姫様って決まってるんだもん。だったらあたしが女王になるべきなのよ。だって、ヘンリーに選ばれたのはあたしなんだから。それなのに、エマのせいであたしの計画は台無しよ)
(こんなこと思いたくないし、信じたくもないけど。あたし、本当に捨てられちゃうかもしれない。昨夜のヘンリー、聞いても答えてくれないし、目も合わせてくれなかった。こんなの初めてだわ!イヤよ!許せない!!どうしたらいいの?花の娘になれたら見直してくれると思ったのに、違ったの?)
「リディア、何惚けてるの?行くわよ」
エマに声をかけられハッとして顔を上げると、注目の的になっていた。司教も厳しい目で探るようにリディアを見ている。
「あんた、本当に大丈夫?不安しかないんだけど」
「大丈夫よ!ちょっとボーッとしただけじゃない」
強がってはみたが、リディアはもう神事どころではなかった。昨夜のことを思い出し、考えれば考えるほどに不安が募った。一刻も早くヘンドリックの元に帰り、気持ちを確かめたかった。
(全部ヘンリーのためなのに。ヘンリーに相応しいって認められたくてがんばってるのに。何で怒ってるの?ヘンリーのバカ!ううん、違う。ヘンリーは何か誤解してるだけよ。誤解を解いたらまた仲良くなれるわ。だってあたしを好きなはずだもん)
「でも、何を誤解してるのかわからない。それとも謝れば機嫌を直してくれる?どうすればいいんだろうか」
(でもねヘンリー、あたしは絶対にあなたを離さないし、誰にも渡さない)
「リディア、何か心配事でもあるんですかな?神事の時は皆で心を一つにして下さいと申し上げたはず。神事を台無しにしたくなければ、今だけでも私心を捨て、女神様の事だけを考えるように。それが出来なければ、異例ではあるが娘を辞退して貰いたい」
司教の言葉に、リディアは顔を歪め「わかってるわよ。心を合わせればいいんでしょ。それくらい出来るわよ!」と吐き捨てるように言った。その態度には司教も眉を顰め、これからの神事に不安を覚えた。
「では参りましょう。地下に行くほどに足元が湿り滑りやすくなっておりますので、くれぐれもお気をつけ下さい」
一同は松明を持った司祭の先導で、大聖堂の裏手にある普段は公開されていない小神殿に向かった。
先に司教が司祭と共に、神殿の祭壇の奥にある階段を地下に降りていった。乙女達は階段で裸足になり、列を整えてから別の司祭と共にゆっくりと階段を降り始めた。始めは建造物の一部であった階段が、途中から自然の岩や土の壁なり、足元も石を積み重ねた石段になった。
しばらく行くと、下から吹き上がってくる風が潮の香りを含み、壁や足元もヌルヌルとして滑りやすくなった。通り抜ける風の中に波の音が聞こえてきた。
壁には一定の間隔で松明が灯され、階段を降りる人の影が長く伸び、不意に大きくなったり、ゆらゆらと揺れて不気味に見えた。時々足元の小石が転がると、その音が地下道内に響いてますます恐ろしく感じた。時々滑りそうになる乙女もいて、ヒヤッとしながら一段一段、足元を確かめながら降りていく。
「ロザリン様、大丈夫ですか?」
エマが囁くように声をかけた。
「え、ええ。な、何だか、雰囲気も、あ、足元も、こ、怖いですわ」
「ええ。でも大丈夫ですよ。それにもう着きますよ」
エマの言葉通り階段が終わり、目の前に神秘的な風景が広がった。まるで劇場のように囲われた空間。頭上には月と星が輝いている。足元には砂浜があり、その先に波が打ち寄せていた。そして小さな海の奥には人が通れる高さのトンネルがあり、絶えず波が打ち寄せては返していた。その向こうは真っ暗な海に続いているのだろう。岩に当たる波音が聞こえる。
この風景に乙女達が驚くのを、ロザリンは肌で感じた。そういうロザリンもリディアも、目の前の風景に魅入られていた。
周りを囲む壁は、洞窟と同じような層になっている。
「これは、海食洞?」
ロザリンの呟きに、司祭が振り返り頷いた。
「よくご存じですな。大昔、この地に女神カナル・ナニが降臨されたと言われている場所です。その時にこの洞窟が出来たのだと」
右手側の天井がある部分の壁をくり抜いて大きな女神像が置かれ、その前に祭壇が設えていた。女神像を照らすようにかがり火が焚かれ、厳粛な雰囲気を醸し出していた。
その近くには椅子席が用意され、グレアムやアンジェリカ、アルトワ男爵と夫人が座っていた。その後ろに聖マリア寺院の司祭達が並んで立っている。
司教が立ち上がると全員がそれに倣った。司教は杖を手に女神像に一礼して開式の言葉を述べた。
「女神カナル・ナニの愛と恵みに感謝し、古の契約により、花の季節の神事を行う」
司教は一同を見回して、さらに祈りの言葉を続けた。
「女神カナル・ナニは、豊漁を願うなら海にない美しいものを捧げるように村の少女に託宣された。その言葉通り、我々は、雨の終わり、花の季節に花と共に感謝の心を捧げてきた」
「そしてまた、今宵が約束の時。花の女王とその娘、そして乙女達によって、誓いを新たに『ナル』を捧げよう。女神カナル・ナニの御心のままに」
神事が厳かにスタートした。