花祭り〜神事2
「ロザリン様、心配なさらなくても大丈夫ですよ。それより中庭に行きましょう。綺麗な花が咲いてますよ。女神様に捧げてお祈りしましょう」
「あ、あの、司教様、は、花を摘んでも、構わないのですか?」
「ええ。女神様もお喜びになるでしょう。そんなに堅苦しく考えなくても大丈夫ですよ。大聖堂には行かず、小聖堂で祈りを捧げて下さい。昼食は司祭達と一緒に、夕食は部屋に運ばせます。まずは部屋に案内しましょう」
司教はベルで司祭を呼び、三人は司祭の後について、それぞれこざっぱりとした部屋に案内された。
リディアは二人と別れて部屋に入ると、窓際にある椅子に腰掛けてぼんやりと窓の外を眺めた。エマとロザリンが楽しそうに白い花を摘んでいた。
「あーもう!なに呑気に遊んでんのよ!イライラするぅ!!」
リディアはカーテンを閉めると、爪を噛みながらベッドに座り直した。枕を抱きしめていると気持ちが少し落ち着いた。
大きく溜息を吐いて部屋の中を眺める。
部屋は机と椅子、ベッドと棚があるだけの質素なものだった。壁には時計とハンガーフックがあり、ユリの花を持った女神様の絵が、机の上の壁に掛かっている。
リディアはその絵を見ながらブツブツと文句を並べた。
「ねえ、何で今までみたいに思うようにならないのよぉ!本当ならあたしが女王になってるはずだったのに。それが娘だって?しかもアンジェリカ様の代わりだなんて納得できない!!あたしがアンジェリカ様に負けたみたいじゃないのよぉ!」
「ねえ、何でよ!学園ではあたしが勝ったじゃない。ヘンリーはあたしを選んだのよ。あれからまだ半年も経ってないのに何が違うっていうのよぉ!おかしいわよ!きっと主催者と結託して結果を操作してるんだわ!許せない!!」
「あたしが娘になったのに誰も喜んでくれない。ヘンリーもなんだかおかしいし、司教様もあたしばっかり怒るんだもん。あたしはなんにも悪くないのに。それもこれも全部、あたしの邪魔をするあの二人が悪いのよ!」
「ロザリン様が来てからあたしにとってイヤな事ばっかり起こってる。あの子さえいなくなったら前みたいに上手くいくはずよ。ヘンリーだってあたしの側であたしだけを愛してくれる。アンジェリカ様も王都に帰って、またあたしの思い通りになるわ!邪魔ばかりしてないで、二人とも目の前から消えちゃえばいいのに」
リディアは悪い事の全てをロザリンとアンジェリカのせいにして自身を省みなかった。溜まっていた鬱憤を言葉にすると少しだけスッキリした。そしてそのまま倒れ込むように横になり、いつの間にか寝てしまった。
一方エマとロザリンは花を摘み終わると、花束を作り、残りの花でお互いに花冠を作った。それから小聖堂に行き、祭壇の女神像に花束を供えて祈りを捧げた。
「ねえ、ロザリン様。リディアの様子がなんだかおかしくなかったですか?」
「え?ああ、何だか、つ、疲れて見えましたね」
「そうなんですよ。余裕がないっていうか、やつれてましたよねぇ。ヘンドリック様と喧嘩でもしたんですかね?だとしたら八つ当たり?ま、本当に喧嘩したかは知りませんが、傍迷惑な事に変わらないですね」
エマは肩を竦めて苦笑した。
「それより今夜の神事で何かやらかしそうで心配だわ。今日のリディアは、なんか危ういですからね」
「そ、そうですね。フォ、フォローできればいいですけど」
「まあ!ロザリン様はお優しいんですね。あたしはフォローなんてしたくありませんよ」
「で、でも、ア、アルトワにとって、大切な、神事ですから」
エマはロザリンの花冠の向きを直しながら優しく微笑んだ。
「そうですね。ロザリン様と一緒に神事に関われるのは最初で最後かもしれませんし・・・。わかりました。あたしも無事に終えられるよう尽力しますね」
ロザリンは嬉しそうに微笑んで、エマの手を取って礼を言った。
昼食の時間になり、エマはロザリンの部屋で一緒に昼食を取ることにした。食事のトレーを持って廊下に出ると、リディアの部屋の前でシスターが困っていた。
「どうかしましたか?」
「あ、ノックをしても返事がなくて」
エマはロザリンの部屋に入りトレーを置くと、リディアの部屋のドアを開けた。リディアはベッドでぐっすりと眠っていた。
「あらまあ、呑気な!!すみませんが、机に置いて頂けませんか?起きたら食べるでしょうから」
「リディア、起きなさい。昼食よ!」
リディアはよほど深く眠っているのか、目を覚ます気配もなかった。体を揺すり起こそうとしたが、壁に向きを変えてモゾモゾと丸まって寝直しただけだった。エマがいくら声をかけても揺すっても起きなかった。
「はあ、もういいわ。起きたら食べなさいよ」
そう言うと、エマは諦めて部屋を出た。
そして二人は、昼食の後にもう一度小神殿に行き、女神に祈りを捧げた。
「エ、エマさん。その、し、神事について、教えて頂けませんか?わ、私には、ほ、本での知識しか、あの、ありませんから」
「ええ、いいですよ。といっても、何も難しい事はありません。衣装の着方なんかは、手伝いに来てくれたシスターが教えてくれますよ。それより神事の行われる場所ですが、寺院の地下に海に繋がった場所があるんですが、そこでなんです。海に浸かったりもするんで驚かないで下さいね。でも、まあ、大丈夫ですよ」
♢♢♢♢
リディアが目を覚ましたのは時計の針が四時を過ぎた頃だった。かれこれ六時間程寝ていたようだ。ベッドに身を起こすと、大きく伸びをした。
「ファーアー!よく寝たわ。ここ、どこかしら?」
リディアはゆめうつつに部屋の中を見回して、アッと小さく叫んだ。
「いけない!今夜、神事があるんだった」
よく寝たからか、この世の終わりのように落ち込んでいた気持ちも少しマシになった。そうするとお腹が鳴り、昨夜から何も食べてなかった事を思い出した。
机の上に昼食のトレーが置かれていた。スープとパン、それにりんごの簡素なものだったが、リディアは椅子に座るとそれらを食べ始めた。冷たくなったスープにパンを浸して食べると、口中に優しい味が広がった。一口食べると止まらなくなり、ちぎっては浸し、浸しては食べてを繰り返すうちに全部食べてしまった。
「これだけじゃ足りないわ。なんで教会って、どこも同じようなメニューなんだろ。祝祭なんだからお肉くらい出してよね!」
リディアは椅子から立ち上がり窓のカーテンを開けた。外はまだ明るく、寝る前とあまり変わっていないように感じた。
そしてまた、昨夜のヘンドリックの様子を思い出して深い溜息を吐いた。
リディアが夜中にソッとベッドを抜け出してリビングに行くと、空のグラスとお酒の瓶が数本テーブルの上に置いてあり、ヘンドリックはソファで横になっていた。リディアがブランケットをかけると一瞬ピクリとしたが、すぐに穏やかな寝息を立てた。
リディアはしばらくの間、ヘンドリックの寝顔をじっと見つめた。
キリッとした眉、スッとした鼻筋と形のいい唇。眠っていてもわかる整った顔立ち。艶やかで柔らかいハニーブロンドの髪が、また少し伸びたようだ。
「剣術大会までに整えないとね」
リディアは触りたいのを我慢して呟いた。
長い手足、鍛えられた体躯は惚れ惚れするほどバランスがいい。簡素な服を着ていても、着崩していても、品位を落とす事なくかえって色っぽく見える。はだけたシャツから覗く胸元は逞しく、ギュッと強く抱きしめて欲しいと思った。
たった数ヶ月だが、王都にいた時よりも逞しく、大人っぽくてドキドキした。
「平民のような暮らしをしても、やっぱり王子様なのね。あたしやルイス、マックスとは全然違うわ」
少し前のリディアなら、躊躇いなくその胸に飛び込んで愛を囁いただろう。そしてヘンドリックもそれに応え、仲睦まじく朝まで過ごしたに違いなかった。
だが最近のヘンドリックを見る限り、リディアは前ほど無邪気に振る舞うことが出来なかった。
最近は顔色を窺い、機嫌を損ねないよう慎重に振る舞っていた。たまに優しく気遣ってくれる時もあるが、ヘンドリックはピリピリとして怒っている事が多くなった。
特にグレアムと再会してからは、当たり前のように不機嫌な顔を向けられるようになった。
「それでもあたし、絶対にヘンリーと別れたくないわ。あたしの王子様なんだもん。ロザリン様にも、アンジェリカ様にも、他の誰にも奪われたくない」
ヘンドリックが寝返りをうつと、リディアはビクッとして慌てて部屋に戻った。
「誰であろうと、あたしの幸せを壊す奴は許さない」
部屋に戻ってからも眠れず、最近のヘンドリックの態度を思い出しては涙を流したり、ロザリンとヘンドリックのデュオを思い出しては、人の男に手を出すなんてと憤ったりした。
アンジェリカやロザリンと孤児院の買い物に行った時は以前のように優しいと感じたが、ローズマリー孤児院では行く前から喧嘩になった。
毎日が天国と地獄を行き来するようで、リディアは息も吐けなかった。
「もうヤダ。ヘンリーは何が不満なのぉ?あたしを幸せにしてくれるって誓ったのにぃ。あたしは全然幸せなんかじゃない!なんでわかんないのよぉ!」
「今日だって、せっかくもぎ取った娘役なのに。ヘンリーにふさわしいって、ヘンリーの横に立った時にお似合いだって言われたくってがんばったのに、おめでとうも言ってくれない」
リディアは日頃から感じていた不安や苛立ちが、積もり積もってハッキリとした形になるのを恐れた。今はまだモヤモヤとして名前もつかないが、自分では抱えられない程大きくなってきているのを感じた。
「奪われないために戦うって、前にサーニンお兄ちゃんに言ったけど、あたしは誰と戦えばいいの?アンジェリカ様はもうグレアム様と幸せだから違うよね。やっぱりロザリン様?あの子を何とかしないと、あたし、幸せになれないの?」
リディアは朝まで答えを出せないまま、グルグルとそんな事を考えて過ごした。