花祭り〜花の女王コンテスト
帰り道の馬車の中でリディアを一瞥すると、ヘンドリックはうんざりした口調で話しかけた。
「リディ、花の女王の事でまだ怒ってるのか?」
「別に怒ってないわ」
リディアは頰を膨らませるとそっぽを向いた。そのまま窓の外を眺め、ヘンドリックとは目を合わせようとしなかった。
その様子にヘンドリックは溜息を吐いた。
「馬車の中で話そうと言った事を覚えてるか?」
「忘れたわ」
リディアは素知らぬ顔で答えた。
「話したくないのか?」
「あたし疲れちゃった。休みたいわ」
リディアは背中にクッションを重ねて衝撃を和らげると、横になり目を瞑った。そして、しばらくするとスースーと寝息が聞こえてきた。
「何もしていないようだったのに疲れたんだな」
「そりゃあ、こんなドレス着てたら、歩くだけで疲れるっすよ」
ヘンドリックの言葉にマックスが答えた。
「ヘンドリック様は疲れてないんすか?」
「あれくらいで疲れるはずないだろう。お前こそどうなんだ?」
「そりゃあ、俺も同じっすよ。遊んだだけだし。慰問て、子供達と遊ぶもんなんすか?」
「いや、要望や支援など必要な話はグレアムがしている。慰問などで与えた支援が適切か、不当に使われていないかをな。ただ視察するだけの者もいるが、私やアンジェリカは子供と話したり一緒に遊んだりしながら、彼らの思いや生活を知るようにしていたんだ」
「はあ、投げっぱなしはダメってことですか。で、なんで孤児院の生活を知ろうとするんすか?」
「それは、ここが私達の生活の真逆だと思うからだ。知らなければ想像もできない。孤児院を含め治安の悪い場所や貧しい地域も知る必要があると思っている。自国の見えにくい部分を知らずに国を治めることは出来ないだろう?」
「まあ、それは、そっすねえ」
「だから直接知ることの出来る視察は大切なんだ。っていっても今更だがな」
ヘンドリックは自嘲気味に言い放った。マックスは何と答えていいかわからずに黙っていた。
「今朝、リディがドレスを着ると言い張った時に、その理由として子供に夢を与えたいと言った。女の子はドレスが好きだと、憧れが目標になると」
「そうっすね。女の子はあのヒラヒラに憧れてるっすね。リディアも子供の頃に着たいって言ってたっす」
「そうか。リディが言う『子供達に夢を与える事』、それは間違いではない。だがどんな夢を与えるのか。本屋でリディが選んだ物語は平民が王子と結ばれる話だという。それがリディが少女に持たせたい夢なのか?この国に王子は二人しかいないというのに?」
「ハッ、それが王子ではなく貴族の令息だとしても、見染められて玉の輿を狙うような?人の力を当てにして幸せを得る?それが子供が持つべき夢なのか?目標なのか?リディアの言葉は詭弁だ。ただ自分の欲望をすり替えただけだ」
ヘンドリックは自問するかのように話し続けた。
「だが私はそれを正しいと思い信じてしまった。リディが口にする欲望が、きれいな言葉にすり替えられているのに気づかなかった。アンジェリカを貶める言葉にもだ。私は真実を見ず、信じたいものを信じて間違いを犯したんだ」
ヘンドリックはブツブツと呟き、もはや何を言ってるのかは聞こえなかった。マックスは邪魔にならないよう静かに座って窓の外を眺めて過ごした。
マックスは、ヘンドリックの呟きがリディアにとって危ういものだと感じたが、部外者の自分にはどうにもならないとわかっていた。せめてこの場で結論を出さないようにと心の中で祈った。
「ヘンドリック様、帰ったら鍛錬の時間を増やして下さい」
マックスはヘンドリックの興味を持つものに話題を変えた。
「あ?ああ、全くだ。この数ヶ月でグレアムに追い抜かれてしまったからな。これでは決勝まで行けるかもわからない。本大会までに何としても勘を取り戻さないとな」
「お、それでは帰ったらすぐやりますか?」
「そうだな。着いたら少しばかり稽古をつけよう」
「そうこなくっちゃ!!今日のあれだけじゃあ、物足りなかったんだ!」
「私もだ。特にグレアムとの対戦は酷かったからな」
「ああ、容赦なかったっすよねえ、グレアム様。桁が違うっていうか、その、集中力の差なのかわかんないんすけど」
「そうだな。以前に比べて投げやりな部分がなくなったな。私という壁がいなくなって、自由に力を発揮できるようになったからかもしれないね」
「またそんな事を・・・。自虐に走るのはやめて下さいよ。こっちまで暗くなっちまうんで」
「あ、ああ。そうだな」
「それより剣術大会で、誰か手強そうな奴はいましたか?」
「まあ、全部の予選を見たわけじゃないが、強いと思う奴は数人はいたな」
「ふーん、対策なんか立てた方がいいっすか?」
「いや、対策より鍛錬と経験だ。誰が来ようと揺るがない自信をつけるのが一番だ」
「そいうもんすか」
「そいうもんだ」
「なら、早く帰って稽古をつけて欲しいっす。体を動かせない馬車の移動は苦痛以外の何物でもないっすから」
「なら馬車の後を走るか?」
「ええ?走れだなんて、笑えない冗談っすねえ」
マックスが引き攣った顔で笑った。
「笑えないか。ま、そうだな」
と言いながら、ヘンドリックは寝ているリディアを見た。
「まあ、稽古は、リディの調子にもよるがな」
ヘンドリックは諦めたように溜息を吐いた。
少しも思い通りにいかないなと思いながら。
もう一台の馬車では、今日の慰問について話に花が咲いていた。
「きょ、今日は一緒に来て頂いて、あ、ありがとう、ございました」
ロザリンの言葉に二人は首を振った。
「こちらこそ連れて来て貰えてよかった。ウォールトン神父とも有意義な話が出来たよ」
「それに生徒会主催の大掛かりな慰問にも助言をいただけて有難かったですわ」
「そ、それなら、良かったです」
「ねえ、兄上とリディア嬢の様子が学園の時と違って見えたが、実際のところはどうなんだろうか?」
「ええ、本当に。私も驚きましたわ。確か、報告書には特に何も書かれてませんでしたよね」
「あ、あの。わ、私がお、思いますのに、その、わ、私がサイラスの店で、働き始めてからのような。リ、リディアさんには、な、何かと絡まれているような、気がしますの」
「ふーん、ロザリン嬢の何が気に入らないんだろう?」
「わ、わかりませんわ」
「そうだな。まともな人間なら婚約者のいる男に手を出そうだなんて思わない。リディア嬢は道理が通らないようだから気をつけた方がいいぞ。護衛は付けているのか?」
「あ、て、店内では、付けていません」
「それは危ないなあ。リディア嬢は直接アンジェに手を上げたりせず、周りを巻き込んで自分に有利に働くよう立ち回るのが上手かったはずだ。そういった事にはなってないか?」
「は、はい。あの、エ、エマさんがま、守って下さるので。それに、み、店の皆さんも。だ、だから大丈夫です」
「そう、それなら良かったわ。でも、本当に大丈夫なの?」
アンジェリカは心配そうにロザリンをジッと見つめた。ロザリンは笑顔で頷いた。
「まあ、リディア嬢はすぐにボロが出るだろう。何といっても浅はかな人だからな。それに、もっとも貴族らしい兄上が、平民のような考え方を持つことは難しいだろう。幼い頃から王となる教育を受けてきたんだ。なのに、なんであんなのに引っかかったのか、未だに不思議だよ」
「それは、私にも問題があったんだと思いますわ」
「あ、ごめん。そうじゃない。アンジェは悪くないよ。俺が言いたかったのは、兄上がリディア嬢のどんなところに惹かれたのか、俺にはちっともわからないって事だ」
「まあ!それは、ヘンドリック様にしか答えられませんわね」
アンジェリカは困ったように頬に片手を当て首を傾げた。
「ああ、そうだな。失言した。アンジェ、君を責めるつもりはなかったんだ。許してくれ」
「ええ、わかってますわ。でも、私も考えるんですの。私がもっとヘンドリック様の心に寄り添えていたら、こんな事にはならなかったのではと。婚約者という座に胡座をかいて統治者としての心構えを求め、肝心のヘンドリック様との心の交流を蔑ろにしたんじゃないかって。育まなかったんじゃないかって」
「そんなことない!アンジェは努力してたよ!!」
「ありがとうございます。でも気づいたのが遅かったんですわ。だから今は、グレアム様から頂くだけじゃなく、私も喜んでもらえるように行動したいなって思ってるんですの」
アンジェリカは頰を染めて俯いた。
グレアムは思わず、目の前に座るアンジェリカの手を掬い取り、その甲に何度もキスをした。
「アンジェ!すごく嬉しいよ。俺はアンジェが側にいてくれるだけで幸せなのに、その上、君の心まで貰えるなんて!!なんて幸せなんだ!今すぐ結婚したいよ」
「まあ、大袈裟ですのね」
グレアムは破顔し、アンジェリカもつられて嬉しげに笑った。
(ヘンドリック様とこんな風にお互いを思い合いながら笑ったのは、いつが最後だったのかしら。私達は王太子と王太子妃教育に追われて心を通わせる努力をしなかった。婚約破棄は本当に辛かったけれど、心を大切にしないといけないって知る事が出来たんだわ)
アンジェリカはようやく、ヘンドリックに会えて良かったと心から思えた。これから先、いつかグレアムと二人で国を治めていく時に、何が大切かを気づく事が出来た。
相手を、お互いを思いやる「心」を根本に人と縁を結び、関係を築いていきたいと思えた。そう、グレアムと心と力を合わせて。
「ねえ、ロージー、もうすぐ花祭りがあるんですよね。どんな祭りなの?」
アンジェリカがこの話は終わりだと告げるように話題を変えた。
「す、素晴らしく、美しい、ま、祭りですわ」
「どんなふうに?楽しみだわ。ねえ、グレアム様、私も見学しに町へ行ってもいいでしょう?」
「ああ、もちろんだとも。私も護衛としてあなた達にお供しよう」