愚かさは罪3
一夜が明け、朝議では昨日のヘンドリック王太子の行いについての話し合いが行われていた。
今までにも何度か二人の関係が報告として上がる度に、大臣達も何か打開策はないかと頭を悩ませていた。だが昨日の出来事が決定打となり、宰相のジェイドと話し合った通りにすんなりとヘンドリックの王太子廃嫡が決まった。そして第二王子であるグレアム=ロートリンゲンが王太子の座に就くことになった。
立太子式は三ヶ月後に縮小して行うこととした。今後は新王太子の側近の選抜、婚約者の内定など新体制を整えることが必要になる。朝議の場は一気に色めきだち、その座を巡り水面下での攻防が密やかにスタートした気配がした。
この数年国内においては、大雨による災害とそれに伴った疫病の流行に奔走していた。ようやく復興の目処がついた最近では、盗賊の討伐や、外交問題にと、日々様々な問題が上がってきている。
その日の議題は王太子廃嫡の件以外にも、先月ロートリンゲン王国の北の国境地帯で起きた隣国との小競り合いについてや、新たに交易を結んだ南の島シャルナ王国への使節団の派遣、王国内の山岳地帯での盗賊団討伐についてなど、多岐に渡って話し合いが行われた。
ヘンドリックも何件か案件を抱えており、勉学の傍ら政治問題等に取り組んでいたが、それは第二王子であるグレアムが引き継ぐことになった。その補佐には一時的だが、ヘンドリックの側近であったウィリアムら三人が就くことになった。
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さて一夜明け、ヘンドリックとリディアはそれぞれのベッドでほとんど眠れぬ夜を過ごした。
朝になり、ヘンドリックの所には、いつものように湯浴みと着替えをするための専属の侍従がやってきた。
一方リディアの寝室の方からは、バタバタと部屋の中を走り回る足音や物音、叫び声が聞こえてくる。ヘンドリックは支度が終わると朝食の用意を頼み、リディアの寝室のドアをノックした。
「リディ、用意はできたか?開けるぞ?」
ドアが薄く開き、女官がさっと出てきて後ろ手に閉めた。
「お待ちくださいませ。まだ準備が整っておりません」
ドアが勢いよく開き、前に立っていた女官がドアに押されて床に転んだ。ドアの向こうから他の女官たちが、慌てて制止する声が聞こえてくる。
「あっ、お待ち下さい。そのようなお姿で出てはなりません」
「ヘンドリックさまぁ、女官の人たちを下げてください。あたし、一人でできます。洗ってもらうなんて恥ずかしくて無理ですぅ」
ヘンドリックはギョッとして慌てて後ろを向いた。リディアは湯浴みの途中だったようで、タオル一枚を巻いて出てきた。濡れた髪や首元、肩から伸びた二の腕やすらっとした足が目に飛び込んできた。ヘンドリックは顔を赤らめて女官たちに指示した。
「リディ、、、の、言う通りにしてくれ」
「畏まりました。では湯浴みが終わったらお声掛けくださいませ」
女官たちは部屋から出ていき、朝食の準備に取り掛かった。ヘンドリックはホッと息を吐き、お茶を飲みながら今後のことを考えることにした。
湯浴みが終わり女官たちが呼ばれ、用意されたドレスに着替えてリディアが寝室から出てきた。
「ヘンドリックさまぁ、素敵なドレスありがとうございますぅ。ピッタリですぅ」
白いブラウスは袖がゆったりとしたデザインで、襟元には紺色のリボン、スカートはピンク地の小花柄で足首までの長さだ。襟元のリボンと同じものがウエストに巻かれ、後ろにふんわりと結ばれている。
髪も簡単にハーフアップに纏められ、飾りの紺色のリボンがピンクブロンドの髪に映えている。とても可憐で清楚で、美しく見えた。
リディアはヘンドリックの向かい側に腰掛け、一緒に朝食をとった。
「リディ、ドレスは私ではない。たぶん母が寄越してくれたんだろう。私の処遇が決まったらここを出る。その時に母に挨拶に行くから一緒に行かないか?」
「もちろん行きますぅ。その時にお礼が言えますね」
リディアはにっこりと笑ってサンドイッチを頬張った。
「これからのことなんだが…、私は全てを失った。持っているものは私自身しかない。それでも共に居てくれるか?」
ヘンドリックは伺うようにリディアを見た。プライドも自信も、今のヘンドリックには何もなかった。
リディアは明るく答えた。
「はい、ヘンドリックさまぁ。一緒に頑張りましょうねぇ」
リディアの屈託ない笑顔と、前向きな言葉にヘンドリックは安心した。
そしてその日の夕方、議会からの廃嫡決定の知らせを宰相であるジェイド=ブランフール侯爵が持ってきた。内容は昨夜父王から言われた通りであった。
ヘンドリックはすっきりとした表情で、リディアの腰を抱きながら聞いていた。
「ヘンドリック様、残念でなりません。婿として、また次代の王として、貴方の成長を見守ってきたのです。どうか王陛下を、私共をお恨みになりませんよう。私共にとっても苦渋の選択だったのですから」
宰相は一瞬、恨みがましくリディアを見てから目を逸らした。ヘンドリックはその様を横目に返事をした。
「わかっています。では明日グレアムとの引き継ぎをした後、リディアと共に母上に挨拶に行きます。一度自室に戻り部屋を片付けたら、明後日には城を出ると陛下にお伝えください。自室にはリディも連れて行きますので、ここは片付けて下さい」
「わかりました。ヘンドリック様、後悔なさらない生き方を願っております」
「ありがとう。精々頑張るよ」
翌日、ヘンドリックは朝から大忙しだった。ヘンドリックの抱えていた案件は思ったよりも多く、グレアム王子の他、側近であったウィリアムやスチュアート、アーノルドにも来てもらい、一つ一つ丁寧に引き継いでいった。
それに王城内を警備する近衛第一騎士団団長のユゼフ=ダンピエール侯爵、城下町と学園の警備を受け持つ第二騎士団副団長のエドガー=トゥールーズ伯爵、国境地帯などに派遣される第三騎士団団長のクロード=ブラサンガ伯爵にも来てもらい、顔合わせと各団の現在の状況説明や指揮系統などを伝えた。
ヘンドリックは第二騎士団の団長であり、ウィリアムたち側近もその団に所属しているため、グレアムも第二団に所属することになるが、当面は副団長のエドガーが団長を務め、グレアムは王太子の叙任後に団長として指揮することに決まった。
諸々の引き継ぎをなんとか終えたヘンドリックは、側近であったウィリアムたちに別れの挨拶をして自室に戻ることにした。
「学園では色々あったけど、おまえとは兄弟みたいなもんだからな。何かあれば頼ってくれ。俺にできる範囲でだが、必ず力になる」
「ありがとう、アル。とりあえず落ち着いたら連絡するよ」
アーノルドはヘンドリックを抱きしめて背を叩いた。他の二人とも握手を交わし、ヘンドリックらは王妃の部屋に向かった。
「王妃様、ヘンドリック様とリディア嬢がお越しになりました」
部屋の前に立っていた騎士が、ヘンドリックらの来訪を告げ、王妃からの了承を得てドアを開けた。
「ヘンリー!」
王妃はヘンドリックに駆け寄りギュッとその体を抱きしめた。そして両手でヘンドリックの頬を挟むと、目に涙を浮かべて見つめた。
「ヘンリー、どうして…とは言いません。起きてしまったことは無かったことにはできませんから。ただ、貴方の迷いや弱さに気づいてあげられなくて…ごめんなさい」
「母上、期待に添えず申し訳ありませんでした。でも、私は今でも間違ったことはしていないと思っています」
ヘンドリックは母の手を頰から外し、そのまま両手を握りしめながら謝った。
「そう…。貴方が選んだ道が正しかったかどうかは、時間が経てば自ずと見えてくるでしょう。後悔がないようにと願っています。母は貴方の幸せを一生祈っていますから」
王妃はもう一度、ヘンドリックの顔を目に焼き付けるように見ると抱きしめた。そして笑顔を作ると努めて明るい声で言った。
「さあ、貴方の良い人を紹介してちょうだいな」
「ええ、紹介します。リディア嬢、私の最愛の人です」
「あの、初めまして、リディアです。お会いできて光栄です。あの、このドレスもありがとうございますぅ」
「初めまして、リディアさん。色々と大変でしたね。王妃として、貴女に思う所がない訳ではありませんが、貴女だけの所為ではないと分かっています。ですが今更言っても詮ないこと。ヘンドリックをお願いしますね」
「はい!ありがとうございます。任せて下さい」
リディアは握り拳で胸をドンと叩いてにっこりと笑った。
「ヘンリー、これからは会うことが難しくなるけれど、母は貴方のことをずっと応援しているわ。町での暮らしはきっと貴方にとって辛いこともあるでしょう。でもリディアさんと、必ず幸せになるんですよ。陛下も心の中では貴方の幸せを願ってるんですから」
「母上…」
王妃が控えていた侍女に軽く頷くと、綺麗な刺繍が施された袋がさっと手渡された。王妃は受け取ると、そのままヘンドリックに渡した。
「少ししか用意できなかったけど、どうか役立ててちょうだいね。くれぐれも体を大切にして…日々を丁寧に、誠実に生きるんですよ。アシュレイの名を名乗ったとしても、貴方は王族の一員です。ロートリンゲンの名に恥じない生き方を。誇りを持ち、やけを起こしたり悲観したりしないようにね」
王妃は、迷った時の道標になるようにとの願いを込めて、ヘンドリックに話した。この先できっと後悔し、自暴自棄になるだろう息子を救いたいとの母の思いであった。
王妃はヘンドリックに、王になるための教育をしてきたのである。平民になったとしてもその教育は必ず生き、道を誤らなければ大きな力となるはずである。その道の先に、再び自分たちと交差し、同じ未来を見ることに繋がって欲しいとの希望を託し、餞の言葉とした。
「母上、ありがとうございます。母上の言葉を忘れず生きていきます。この国を思う気持ちは、父上や母上たちと同じです。私も王家の一員として、陰ながら尽くして参ります」
「あの、あたしもヘンドリック様を支えますぅ」
ヘンドリックは最後にもう一度、母の頰にキスをして抱きしめた。王妃は涙を堪えきれず流れるまま、口元を覆い声を押し殺して泣いた。
「母上もどうかお元気で」
「あの、王妃様、失礼しますぅ」
ヘンドリックとリディアは頭を下げた。ヘンドリックは母を泣かせてしまった自身の不甲斐無さに狼狽え、名を呼ばれたが振り返ることもできず、王妃の部屋を後にした。