ローズマリー孤児院3
メルはアンジェリカとロザリンの手を握ると、プレゼントが入っている箱に近づいた。
箱の中はすでに空っぽで、子供達はそれぞれが気になる本や玩具を手にしている。
「あ、なあんにもない!」
メルが目に涙を浮かべて、今にも泣きそうな顔で呟いた。ロザリンが慌てて他の箱を探すと、一冊の絵本が底に残っていた。
「メルちゃん、あ、あったわよ。ほら、も、物語の絵本」
「でも、メル、よめない」
「じゃあ、お姉ちゃんが読んであげる」
「ほんとう?ありがとう、ロザリンおねえちゃん」
「あ、じゃあ、私はグレアム様と一緒に神父様とお話をしてくるわね」
アンジェリカが場を離れようとすると、メルがスカートをギュッと握って引き留めた。
「ごめんね、メルちゃん。神父様とのお話が終わったらすぐに帰ってくるね」
「ほんとう?」
「ええ。それまでロザリンお姉さんと待っていてちょうだいね」
「わかったあ!アンジーおねえちゃんも、すぐかえってきてねえ」
メルは手を振ってアンジェリカを見送った。部屋を出る時に振り返ると、ロザリンの周りに数人の子供が集まり物語に耳を傾けていた。
アンジェリカがグレアムと一緒に部屋を出ていく後ろ姿を、ヘンドリックは目で追った。二人が神父と話をするのだと気づき寂しさを感じた。
(本当ならば、私の仕事だった。だが、今の私は王太子ではない。呼ばれなければ同席する事さえ叶わないんだ)
ヘンドリックは改めて自身の立場がすっかり変わってしまった事を実感した。
リディアを見ると、先程の少女達に捕まって、熱心に質問をされているようだった。面倒臭そうな顔で答えているのを見ると、ロザリンの楽しげな様子と違いすぎて無性に悲しくなった。
(学園で行った慰問ではもっと楽しげだった)
「ヘンリー、こっちに来てぇ」
リディアに呼ばれ、ヘンドリックは本来の仕事を思い出した。ヘンドリックは子供達の相手をしようと、リディアの所に行った。
「ねえ、あなたが本当はこの国の王太子で、あたしは王太子妃になるはずだったって言ってよ!」
ヘンドリックはその言葉に驚いた。
「ね、町で流行ってる平民の少女と王子様のお話はあたし達がモデルだって教えてあげたのぉ。とーってもロマンチックねぇって、喜んで聞いてるのよぉ。ねぇ、ミチカとアリサ」
「うん!ほんとに素敵!あたしも学園に行ったら王子様に会えるかなぁ?」
「王子様に会ってお姫様になれるんなら、あたしもいっぱい勉強する!」
「ほらね、あたしだって子供達を喜ばせて、やる気を出させる事くらい出来るんだからぁ」
「ねえ、ヘンリーお兄ちゃんは本物の王子様なの?」
「お姫様と結婚して、お城で暮らすの?」
「何を言ってるんだ?そんな訳ないだろう」
即座に否定したヘンドリックに、リディアは目を剥いて怒った。
「なんでそんな嘘つくのよぉ。ヘンリーが頷いてくれないと、あたしが嘘つきになるじゃないのよぉ」
「いや、リディこそ何を言ってるんだ。流行りの物語の読みすぎだ。そんな事を言ってたら不敬罪になるぞ。さあ、とりあえず外に出て話そう」
ヘンドリックは嫌がるリディアを無理に立たせて、引きずるようなエスコートで部屋を出た。
少女達は「なぁんだ、物語だったのかぁ」という顔で二人を見送った。
「ちょっと、痛い!離してよ!離してったら」
「リディ、静かに。せっかく綺麗に装ってるんだ。淑女らしくした方がいいと思うが?」
「こんなふうに引っ張られて淑女らしくなんて出来るわけないでしょう!自分で歩けるわよ。何なのよ、一体!!」
部屋を出て廊下を進み、教会の外に出てようやくヘンドリックは腕を離した。
「ねえ、なんで嘘つくのよぉ!あたし達の物語は女の子が大好きな話なのよぉ。あの子達だってもっと聞きたいはずなのにぃ!」
「リディ、ロザリン嬢に紹介された時、何を聞いてたんだ?」
「何をって何よ!」
「今、ここには王太子も、王太子妃もいないんだ。ロザリン嬢にも友人と紹介された。今日はお忍びで、ただの友人として来てるんだ」
「そんなの聞いてないもん。それにヘンリーはもう王族じゃないじゃない。暴露したって問題なんかないでしょう?グレアム様たちの事さえ言わなかったらいいじゃないのぉ。何がダメだったのよ。」
「そういう問題ではない。何がきっかけでバレるかわからないだろう?それに、仮にその物語が私達の事だったとして、婚約破棄された令嬢の気持ちを考えた事はあるのか?アンジェリカの気持ちを」
「そんなの、あたしをいじめたんだから、自業自得じゃない」
リディアは半分怒り、半分泣きそうになりながら、ヘンドリックに突っかかった。
「ああ、そうだな。私もそう思っていた。いじめた者が罰を受けるのは当然だと。だが、本当にアンジェリカがリディをいじめたのか?」
「そうよ!だって、お小言や嫌味を言われたりバカにされたり、イヤな思いをたくさんしたわ」
「果たして、本当にリディの言う通りだったのか?大袈裟に言ってるんじゃないか?何より私に言う前に、悩んだり友人に相談したりはしなかったのか?」
(思い返せば、そんな素振りは少しもなかった)
「するわけないじゃない。だって、あたしには友人なんかいないんだもん」
ヘンドリックは、リディアの返答を聞いて思い出した。男子生徒とは交流があったようだが、女子生徒と一緒にいるところを見た事はなかった。話題に上る事もなかった。リディアの友人と言える女子生徒を、ヘンドリックは一人も思い出せなかった。
「リディ、同性の友人はいるのか?」
「なんでそんな事訊くのよう。あたしはヘンリーさえ側にいてくれたらいいんだもん」
ヘンドリックは言葉を失い、茫然とリディアを見つめた。
「学園ではずっとヘンリーと一緒だったのよ。女の友達なんて出来る訳ないじゃない。あたしに近寄ってくるのはヘンリーに近づきたい女狐か、気に食わないって意地悪する蛇みたいな女だけだったんだもん。そんな人とどうやって仲良くなるのよぉ」
「それとも何?そんな人とも仲良くしろっていうの?」
「ああ、そうだな。貴族なら表面上だけでも仲良くするさ」
「そんなぁ、だったらあたしは貴族になんてなれないわよぉ」
リディアは絶望を感じさせる声で呟いた。
「とにかく、今はこんな話をしてもしょうがない。とりあえず状況は理解したな?ならば子供達のところに戻ろう」
「イヤよ、戻りたくない。あたし、嘘つきになりたくないもん」
「リディ、我儘を言うのはよせ。不敬罪で罰を受けるのと、子供達に謝るのでは、後者の方がいいだろう?」
リディアは黙って俯いた。
「さあ、行こうか」
ヘンドリックが手を差し出せば、リディアは嫌々ながらも手を乗せて歩き出した。
「ここを歩くだけで汚れちゃった。もう信じらんない。ねえ、いつ帰るの?」
「まだ来たばかりじゃないか。皆と昼食の準備もするし、食後は小さな子を寝かしつけたり、遊んだり、悩みがある子の相談に乗ったりもする。子供達と直接接する事で必要な支援が見えてくるんだ」
「ふーん」
「リディ、これも貴族の義務の一つだよ」
「そうなの?」
リディアは不貞腐れていたが、義務だと言われて溜息を吐いた。
「貴族は義務が多いのね。こんなの、あたしやヘンリーじゃなくても、誰かがするんじゃないの?」
小さく呟いたのを、ヘンリーが聞き咎めた。
「確かにそう思う貴族も多い。義務だと知っててやらない者も、ただ体裁のためにしてる者もいるだろう。だが貴族制の国なのだから『高貴な身分に伴う義務』は必要なんだ」
「授業でも習っただろう?特権には責任が伴う。身分や地位の高い人間は、それにふさわしい品位を保ち、犠牲的精神を発揮して社会的義務を果たさなければならない。グローリア教授の教えを忘れたのか?」
「覚えてないわ。だって興味なかったんだもん」
「私のそばに居たのにか?」
「・・・ええ、そうよ」
「だが、孤児院を慰問した時には、子供達と仲良くしてたじゃないか」
「だって、ヘンリーのそばに居たかったからよ。あなたの喜ぶ顔が見たかったから」
ヘンドリックは唇を噛みしめて、自分が惹かれたリディアを見つけようともがいた。
「今日も同じだ。子供達と仲良くしているリディが見たい。それに一人一人に接すると情も湧くだろう?」
「どうかな?あたしは孤児院の子より、ヘンリーと二人でいる方がいいわ」
「子供達に興味もないのに、なぜ今日来たんだ!!」
「何を怒ってるのよ。もちろんヘンリーの側に居るためじゃない。さっきからずっと、そう言ってるわ」
ヘンドリックは初めて本当のリディアを見た気がした。今まで見ていたのは、自分が描いた理想の女の子だったのかもしれないと思った。
(本当のリディは自分本位で、我儘で、邪魔なものを排除するのに躊躇わない、独占欲が強い、のだろうか?)
(まさか、そんなはずは)
ないと言い切れずに、ヘンドリックは項垂れた。
「あたし、本当にヘンリーの事が好き、愛してるの。ヘンリーの側にずっと居たい。人のために時間使うのって、あたしにしたら損しかないと思ってるけど、ヘンリーと一緒なら別よぉ。イヤな事でも出来るもん。それに、その中で楽しみだって見つけられるわ」
「今日はね、せめてお洒落したい〜って思ったの。綺麗なあたしを見たらヘンリー喜ぶかな?って思ってたんだけど」
「ロザリン様達があんなに地味なドレスで来るって思わなかった。だって、授業で行った時ね、サンタマリア教会の孤児院に、着飾った貴族の奥様が来てたんだもん。あのドレス素敵だったぁ」
「それにね、今日もロザリン様とヘンリーが二人きりになったらどうしようって思ったら気が気じゃなかったの。だって、ロザリン様ったら、ヘンリーに近づきたがってた令嬢みたいな表情で見てるのよ!ねえ、気づいてるの?」
ヘンドリックが黙っているのを、話を聞いてくれてると思ったリディアは、思いつくままに喋り続けた。