買い物に行こう5
市場を出てすぐの脇道を通り抜け、路地の奥へと入っていく。少し離れた場所に赤い屋根に白い壁の、いかにも少女達が好きそうな可愛らしい家があった。扉の両脇には花壇があり、色とりどりの花が咲き乱れている。
「わあ、可愛いお店ねぇ!楽しみだわぁ!」
リディアがヘンドリックの手を離して駆けていった。そして雑貨屋の前で振り返り、花のような笑顔でおいでおいでと手招きする。
「ねえヘンリー、早く早くぅ!」
ヘンドリックは泣きそうな気持ちでリディアを見ると軽く手を振り、ゆっくりと近づいた。
「もう、遅いじゃないのぉ。アンジェリカ様もロザリン様も先に入っちゃったじゃない!」
頰を膨らませて怒るリディアの頭をポンポン撫でると、リディアはさらに目を三角にして怒った。
「すまない。私は外で待ってるから、リディは選んでおいで」
「え〜、一緒に見ようよぉ。ね、きっと楽しいわよぉ」
リディアは怒るのをやめ、ヘンドリックの腕に手を絡めて、甘えた仕草でねだるように笑いかけた。
「いや、私はやめておくよ」
ヘンドリックは扉を開けて、店内に入るようリディアの背をそっと押した。リディアは何か言いたそうにヘンドリックを見たが、コクンと頷くと寂しそうに中に入っていった。
「疲れたな」
ヘンドリックは誰に言うともなく呟いた。
しばらくしてマックスが目を擦りながら店から出て来た。
「いやあ、あんなカラフルで細々した物を見ていると、目がチカチカしておかしくなっちまう。それに狭い店内でワーワーキャーキャー、耳がおかしくなりそうでもう無理っす」
「そうだな」
「ヘンドリック様はどうしたんすか?あんまり楽しそうじゃありませんね」
「ああ、グレアムと一緒にいると疲れるよ」
「お嬢様方の間違いじゃなくって?俺は女の買い物に付き合うのは元々好きじゃないっすけど、時間もかかるし煩くってほんと懲り懲りっすね」
マックスは肩を竦めて、大きく息を吐いた。
「剣を振ってる方が気持ちがいいっす」
「そうだな、私もその意見に賛成だ」
ヘンドリックは腰に履いている剣のつかを握った。
「剣術大会が楽しみっすね。今年は開港式と重なるから賞金も多いだろうし、シャルナ王国の奴らも出るって聞いてるっす。何より強い奴らと戦うのは面白いからなあ」
「お前は本当に剣が好きなんだな」
「俺も騎士になりたいっすからね」
「そうか。だが、サイラス殿が許さないだろう?」
「ですね。ま、商売も嫌いじゃないんですが、そこは兄さんと相談しますよ」
「ん?まさか騎士になるための相談か?それよりサーニン殿と力を合わせれば、きっとサイラス殿も喜ぶだろうし、店もより繁盛すると思うが?」
「そうっすね」
マックスにかけた言葉が自分に返ってくるようで、ヘンドリックは思わず口元を歪めた。
「でも夢を捨てるには、まだ早いと思いませんか?俺はまだ十六歳っすよ。親父の店を手伝うのはまだまだ先でもいいでしょう?」
「・・・そうかもな」
(私とリディアは十八歳。れっきとした成人だ。では、もう夢見る年ではない、のか?私は学園での時間を無駄に過ごしたんじゃないだろうか)
(自分勝手な甘い夢を見て、それに振り回された)
(グレアム達を見ていると、後悔しろと、大切なものを簡単に捨てたのだと言われている気がする)
(だがそんな事はもうどうでもいい。ただ、疲れた)
ヘンドリックは雑貨屋の赤い扉をぼんやりと眺めながら、物思いに沈んでいった。
初夏の風が足元をサラリとすり抜けていく。
雑貨屋から皆が出てきた時、ヘンドリックは表面的には普段と変わりなく穏やかな様子だった。リディアも満足した顔で、どんな物があって何を買ったか。気に入った物を見つけたから、次のお給料日に一緒に来ようと小指を絡めて約束をした。
雑貨屋での買い物も済み、マックスの説明を聞きながら町を歩いた。町は、王都に比べて輸入雑貨や食材、ファブリックなどを扱う店が多くみられた。また、食べ物屋でもないのに、店先に屋台を出して食べ物を売っている店も多かった。
観光客も町の者も関係なく、小腹が減ればその時の気分で、スイーツやスープ類、パンや揚げ物など好きな物を買って食べ歩いている。そろそろ暑い季節に差し掛かってきたからか、フルーツ串や果実水などを片手に歩いている人を多く見かけた。
賑やかな街の雰囲気を楽しみながら歩いていると、リディアが「お腹空いたね」とヘンドリックに小声で話しかけているのが聞こえた。マックスが振り返って皆に聞いた。
「疲れたなら、どこかで休憩しましょうか?」
「あ、ああ」
ヘンドリックは皆の様子を見た。
「いや、アンジェリカやロザリン嬢はどうだい?」
「そうですわね。別に疲れてはいませんが、それなら私、食べ歩きがしたいですわ」
アンジェリカが期待に満ちた表情で答えた。
「えー、それじゃあ疲れなんて取れないじゃないのぉ。ゆっくりお茶が飲みたいのにぃ。アンジェリカ様ったら我儘ばっかり!」
リディアがムッとした顔で小さく呟いた。
「あれ?アンジェは食べ歩きをしたことがないの?」
グレアムの問いにアンジェリカは寂しげに微笑んだ。
「ええ。残念ながらその機会がありませんでしたの」
「そうか。そういえば立太子礼まで色々と忙しかったから、どこにも行けなかったな。王都に戻ったら街に連れて行ってあげるよ。アンジェのしたい事、これからたくさんしよう!」
「まあ!本当ですか?嬉しい!!約束でしてよ」
アンジェリカが満面の笑みで、グレアムの手を両手で握った。
「可愛い!」
グレアムはもう片方の手をアンジェリカの顎に添えて上を向かせると、その頰にキスをした。
「キャッ!」
アンジェリカは真っ赤になってグレアムを睨んだ。グレアムは手を離すと、宣誓するように片手を挙げてニヤリと笑った。
「アンジェが可愛い顔をするからつい!でもキスしたいのを寸前で止めたんだ。褒めてくれよ?」
「もう!知りません!!」
アンジェリカ真っ赤な顔でそっぽを向いた。
「あーあー、そろそろいいっすかねえ?お二人さん」
マックスが口をへの字に曲げて会話に割って入った。
「えーとですねえ。仲が良いのは結構ですが、ちっとは人目を気にして下さいよ。歩く障害物になってるっすよ。で、どうしますか?」
「本当に、お前は遠慮がないんだな」
グレアムが苦笑しながら、マックスの肩をポンポンと叩いた。
ヘンドリックは恋する二人の様子から目を逸らした。
あの堅苦しかったアンジェリカが、お花畑の住人になってキャッキャウフフしている事にショックを受けた。
(私の知るアンジェリカではない。こんなに愛らしい一面があったなんて)
ヘンドリックは複雑な表情でアンジェリカを見つめた。
「ところでアンジェリカ様は何が食べたいんすか?」
「えーっと、串焼きのお肉がいい匂いですわ。それに果実水とフルーツ串も。
それに甘い匂いにも惹かれますわね」
「あ、わ、私は喉が渇きました。か、果実水が、飲みたいです」
ロザリンもはにかみながら希望を口にした。
「で、リディアは?」
マックスがリディアに声をかけた。
「あたしはぁ、足が疲れたから座りたいんだけどぉ?」
「あー、みんなバラバラっすね。ヘンドリック様?ヘンドリック様?大丈夫っすか?」
ヘンドリックはハッとしてマックスを見た。
「あ、と、すまん。聞いてなかった。なんだって?」
「珍しいっすね。お嬢様方は食べ歩き、リディアは座りたいって言ってるっすがどうしますか?」
「あ、ああ。じゃあ、私達はその辺のカフェで待つ事にするよ」
「本当?嬉しい!!ありがとう、ヘンリー」
リディアはピョンと飛び跳ねて、ヘンドリックに抱きついた。
「気が済んだら来てくれ」
ヘンドリックは浮かない顔でさりげなくリディアを押しやると、近くのカフェに歩いて行った。
「あ、ヘンリー、待ってよぉ!もう、恥ずかしがっちゃってぇ」
リディアがピョンピョンと跳ねるように後を追いかけた。
二人はすぐに人混みに紛れた。
夏を思わせる日差しが、通りの隅に濃い影を作っている。
自信に溢れていたヘンドリックの後ろ姿が、グレアムには気落ちし、くたびれて見えた。
(兄さんはえらく気持ちを出すようになったんだな。以前とは大違いだ。こちらを配慮する余裕すらないのか?悩んでるのが丸わかりで、却って心配になるな)
グレアムは口元を手で覆い目を眇めると、心の中で舌打ちした。
(あの女に関わるようになって、すっかり変わってしまった。それともこれが本当の姿だというのか?)
グレアムは振り返ると、心配そうな様子でヘンドリックを見送っていたアンジェリカとロザリンに、安心させるように笑いかけた。
「兄上達はゆっくりお茶を楽しむようだ。俺たちはどうする?分かれてそれぞれ行きたい店を回るか?」
マックスはすかさず分かれましょうと答えてロザリンを見た。
「ええ、そうですわね。私はマックスと回りますので、どうぞお二人で楽しんで下さいませ」
ロザリンがにこやかに返事をすると、グレアムは嬉しそうにアンジェリカに手を差し出した。
「では、お姫様の望むまま。何処へなりともお供しますよ」
差し出された手に手を重ねて、アンジェリカはにっこりと微笑んだ。
「では、また後ほど」
そうしてそれぞれの行きたい場所に散っていった。