買い物に行こう4
しばらくして二人が嬉しそうに笑いながら出てきた。
「お待たせして申し訳ありません。でもおかげ様でいい買い物が出来ましたわ。荷物はサイラスの店に届けるようお願いして良かったかしら?」
「ああ、大丈夫っすよ」
「アンジェリカ、リディに刺繍も出来ない平民は外に出ろって言ったのか?」
「え?何ですって?」
ヘンドリックは強い眼差しをアンジェリカに向けた。
アンジェリカは学園でのヘンドリックを思い出して口を噤んだ。リディアの言葉を鵜呑みにして、アンジェリカが何を言っても取り合わなかった事を。
もう大丈夫、過ぎた事だと思っていたが、睨まれ問い詰められると、一瞬のうちに、信じて貰えなかった悲しみや絶望、一方的に悪だと決めつけられた恐怖が蘇った。
アンジェリカはこの場から、あの目から逃げ出したかった。
グレアムがアンジェリカを庇うようにヘンドリックとの間に立った。
「兄上、アンジェが怖がっている。睨むのはやめてくれ」
「睨んだつもりはない。本当の事が訊きたいだけだ」
「だってさ、アンジェ。言えるかい?」
アンジェリカはフルフルと首を横に振った。
「ヘンドリック様には、何を言っても無駄ですもの」
「アンジェリカ、そんな事は言わないでくれ。本当の事が知りたいだけなんだ」
「何を聞いたか存じ上げませんが、リディアさんとの真実なんて、もうどうでもいい事ですもの。口にしたくもありませんわ」
「それは、そうかもしれないが、私は知る必要があるんだ」
「そうだな。兄上には知る権利がある」
「あ、あの、私でよければ。そ、その、も、申し上げますが」
ロザリンが恐る恐る申し出た。
「ああ、ロザリン嬢。すまないが教えてくれ」
「ヘンリーったら何よぉ!ねえ、あたしの事信じられないのぉ?」
リディアがヘンドリックの腕にしがみついて見上げるように文句を言った。
「ああ、そうだな。リディの言葉だけでは判断できない」
「あ、あの、よ、よろしいですか?」
「ああ」
そこでロザリンはつっかえながらも店内での出来事を説明した。
「あたしは悪くないわよ。刺繍も出来ないってバカにされたって思ったんだもん」
「アンジェリカ、ロザリン嬢、すまない」
「何でヘンリーが謝るのよぉ」
「それに、家族だなどと無神経な事を言った」
「何よ!本当の事じゃない!何が無神経なのよぉ」
ヘンドリックは頭を抱えた。
学園での出来事も同じだったかもしれないと思うと、かつての自身の偏狭さに身震いがした。
ヘンドリックはリディアに返事もせずに項垂れた。
「リディア嬢、人の話を曲解して嘘をついてると兄上に見限られるぞ。ま、俺はその方がいいがな」
グレアムが遠慮のない言葉でリディアを非難した。リディアは口を尖らせてグレアムを睨むと、ヘンドリックの腕をギュッと握った。
「そんな事ないもん。ヘンリーは大聖堂で一生幸せにするって誓ってくれたんだから」
「ハッ!婚約もまだしてないのに何を言うか。そんな結婚式の真似事での誓い、反故しても契約違反にもならないさ」
「何ですって!ねえ、ヘンリー、何か言ってよ!」
「はいはいはいはい。喧嘩すんのはやめて下さいよ。そろそろ次の店に向かってもいいっすかねえ。時間も限られてるんすから」
マックスが二人の間に割って入り、決着がつかないうやむやのまま、次の店に向かった。
玩具屋は大通りに面した場所にあった。赤い扉を開けて中に入ると、お仕着せ姿の人形が、カタカタと音を立てて出迎えた。
「キャア!」
アンジェリカが驚いて悲鳴を上げると、グレアムは慌ててアンジェリカの手を引き自分の背に庇った。
「なんだ、ぜんまい仕掛けの人形じゃないか。怖がらなくても大丈夫だよ、アンジェ」
グレアムは安心させるように笑いかけた。するとアンジェリカは恥ずかしそうにグレアムの背中に隠れた。
「フォッフォッフォッ!当店の看板娘が驚かせたようで、申し訳ありませんなあ」
店の奥からエプロン姿の痩せたおじいさんが、ニコニコと笑いながら現れた。
「これだけ大きくて精巧な人形は初めて見た。作ったのか?」
「滅相もない。東洋の国から取り寄せたものでございます」
「そうか。仕掛けがどうなってるのか気になるな。また今度ゆっくり見てみたいが」
「いつでもお越し下さい。ところで今日はどういったご用件で?」
「あ?ああ。孤児院の子供に贈る物を探しに来た」
「成程なるほど。でしたら適当な物を見繕いましょうか?」
「いや、いい。自分達で選ぶ。決まれば呼ぶよ」
「畏まりました。では、どうぞごゆっくりお選び下さい」
店主は人形と共に店の奥へ戻って行った。
グレアムが身近な棚に並んでいたボードゲームの一つを手に取った。子供の頃にヘンドリックと遊んだものと同じだった。
「お、懐かしいな」
「ええ。兄上に勝てなくて腹を立て、図書館の隅に隠したのと同じゲームだよ」
グレアムは懐かしそうに目を細めた。
「ハハ、隠してるとは気づかなかった。久しぶりに勝負するか?」
「ああ、したいな」
「ではこれも買おう。それと他の種類のボードゲームも。子供達もきっと気に入るだろう」
ヘンドリックとグレアムは数種類のボードゲームを選んだ。ロザリンはおままごとの道具を、アンジェリカやリディアもそれぞれが満足のいく物を選び、玩具屋では特に何事もなくスムーズに買い物が終わった。
「次は本屋にと思ったんすけど、途中に市場があるんでそこを覗いてから行きましょうか」
マックスは威勢のいい声が響く市場へと入って行った。通路は市場特有の様々な食材の匂いが混ざっていて、グレアム達は入るのを一瞬ためらった。
「ここは公設市場でしてね、いろんな店があるんすよ。お嬢様方は何が欲しいんですかね?」
「お、お菓子の中に入れる、ざ、材料ですわ」
「えーと、具体的には?」
「あ、あの、こ、木の実やチョコレート、そ、それにフ、フルーツや、ド、ドライフルーツなどですわ」
「ふーん、ちょっと待って下さい。おーい、おっちゃん、木の実とかお菓子の材料を売ってる店はあるかい?」
「よお、マックスじゃないか。えらい別嬪さんを連れてるんだな、と、失礼しました。貴族様かい?」
おっちゃんと呼ばれた男は、マックスの後に続く人を見て、小さな声で確認した。
「ああ。うちと取引のある田舎貴族だよ。海は初めてらしくて、案内を頼まれたんだ」
「そうか、大変だな。まあ、粗相しないよう頑張れよ。ここにはお菓子の専門店はないが、木の実やドライフルーツを扱ってる店ならこの奥にある。そのまま進めば見つかるさあ」
「おう!おっちゃん、ありがとな」
マックスは人混みをかき分けながら奥に進んだ。
グレアムやアンジェリカはキョロキョロと、興味深げに見ながら進んだ。
「お、リディアちゃんじゃないか。買い物かい?今日は活きのいい美味い魚が入ってるよ!一つどうだい?」
「あ、ありがとう。でも今日はいいわ」
「そうかい?残念だなあ。また寄っとくれよ」
「ええ」
「リディはよくここに来るのか?」
「もちろんじゃない。子供の頃からずっとよ。そういえばヘンリーは昼に来たのは初めてじゃない?」
「ああ。いつも仕事帰りに君の後ろで待ってるだけだからな。なかなか面白い場所だ」
「そうかしら?」
「ああ。そういえば、ここに来てからはリディが侍女の仕事をしてくれてるな。感謝してるよ」
いきなりの言葉にリディアは笑った。
「もう!旦那様の面倒を見るのは侍女の仕事とは言わないわぁ。奥さんの仕事よぉ。それにヘンリーも手伝ってくれるじゃない」
「そうか、そうだな。失礼な事を言った」
ヘンドリックは当たり前のように家を整え、世話を焼いてくれるリディアに感謝の気持ちが湧いた。感謝を伝えると素直に喜ぶ姿が学園の頃と重なって切なく感じた。
リディアとの生活を守る。自分に与えられた役割はそれだけだ。
(リディと暮らしていくなら、それ以上の役割を求めてはならない。私はもう王太子でなく、一介の男爵なのだから)
(自分のできる範囲で貴族としての義務を果たす。国政には関与せず二人の暮らしを守る。それで満足しなければならない。それが私に与えられた、罰だ)
ヘンドリックは城を出て初めて、小さな幸せを守る事を物足りなく思った。それを罰と感じて胸が痛んだ。しかも、それさえ守れない事に打ちのめされた。
「何をやってるんだ、私は」
ヘンドリックは小さく呟いた。
グレアムからの提案が頭の中でこだまする。グラグラと足下が覚束なく感じる。リディアさえ幸せに出来ない自分が、国政に戻ったとして何が出来るのかと胸が苦しくなった。
(しかもリディを犠牲にして)
グレアムと接するうちに、ヘンドリックはすっかり自信をなくしていた。出来るならこの気持ちは誰にも気づかれず、式典や一連の騒動が過ぎ去ればいいのにと思った。
二人が帰れば、元の暮らしに戻れると信じたかった。
その様子に気づかないリディアは、嬉しそうにヘンドリックに話しかけている。ヘンドリックは相槌を打つこともせず、リディアを腕にぶら下げたまま鬱々と歩いた。
ヘンドリックがぼんやりと考えに耽っている間に、ロザリン達は買い物を終えたようだった。
ふと顔を上げると、満面の笑みを浮かべたアンジェリカと目が合った。その横でロザリンも嬉しそうに微笑んでいる。
「お待たせ致しました。お陰さまでいい材料が手に入りましたわ。ね、ロージー」
「え、ええ。お、美味しい焼き菓子を、作りますね」
「フフ、二人とも楽しみにしてるよ」
グレアムがアンジェリカに笑いかけると、アンジェリカも微笑み返す。その笑顔にヘンドリックは胸が痛んだ。
(どこで間違えてしまったんだろうか。いや、間違えてなどいない。私はリディを選んだんだ)
ヘンドリックは買い物が進むにつれて気が重くなっていった。そしてグレアムと二人でいる姿に更に落ち込んだ。
「まだあるのか?」
「買い物の事ぉ?えっとねぇ、この後は雑貨屋さんと本屋さんに行くんだってぇ。雑貨屋さんはあたしが行きたかったのぉ。ね、いいでしょう?行こうよぉ、ヘンリー」
行きたくはなかったが、抜ける理由も見つからなかった。