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愚かさは罪2


 王が紫蘭の間を訪れた時は夕方の五時を少し回っていた。

 扉が開くと、ヘンドリックとリディアは頭を下げて王を迎え入れた。王は近衛騎士や近侍たちを下がらせ、身一つで訪れた。明日の朝議で決定が下される前に、非公式で話をするつもりであった。

 先程の宰相との話し合いで決めたヘンドリックの廃嫡について、まだ道は残されているかもしれないと一抹の希望を捨てられず、王は未だ決断しかねていたのだ。

 

「ヘンドリック、少しは頭が冷えたか?」


 王は鋭い眼光で二人の様子、特にリディアの振る舞いを観察するように見てから、ヘンドリックに声をかけた。


「父上、なぜ、このようなことをされるのですか。私たちは何も悪いことはしておりません。どうか話をお聞き下さい」


 王の視線からリディアを背に庇うようにヘンドリックは半歩前に出た。リディアは王の鋭い視線に首をすくませ、威厳のある態度に小動物のように身を縮こまらせていた。


「父上、リディを怖がらせるのはやめて下さい」


「これくらいで(おそれ)るか。さて両名よ、こちらで話をするとしよう」


 王は部屋の中央にあるテーブルに座り、二人にも座るよう促した。テーブルを挟んだ向側に二人は並んで座った。


「さて、話をする前にそちらのお嬢さんを紹介してもらおうか。パーティーで名前を告げていたようだが、あまりにも突拍子のない内容に驚いたため聞き逃してしまったからな」


 ヘンドリックはリディアを優しく見つめ、背中に手を当てると王に紹介した。


「こちらはリディア嬢。私の最愛の人です」


「あの、初めまして。リディアです。よろしくお願いします」 


 リディアは座ったままぴょこんと頭を下げた。その拍子にもう少しでテーブルに頭をぶつけそうになった。


 王はその挨拶に顔を顰め(しか)大きく息を吐いた。


(ヘンドリックは挨拶もろくにできない娘の、どこに惚れたというのだろうか。オドオドと身を縮こまらせ、ヘンドリックの影に隠れるような先程の態度にも好感は持てぬ)


 王は小さな溜息をついた。


「リディアと呼ばせてもらおう。リディアよ、其方に聞く。先程のヘンドリックの言葉をどう思う?」


「…あの、あたしのことを思ってくれてることでしょうか?」


「そうだ」


「あの、とっても嬉しいです。あたしもヘンドリック様のことを愛しています」


 リディアは赤くなった頰に手をあて、恥ずかしそうに身を(よじ)りながら答えた。ヘンドリックは笑みを浮かべてその様子を見ている。

 王は重ねて質問をした。


「王太子としてのヘンドリックをどう思う?」


「あの、あたし、ヘンドリック様を支えたいと思います。何も分かりませんがたくさん勉強して、できることを増やしていきたいと考えています」


「それは…、其方が未来の王妃になるということか?」


「あの、はい。ヘンドリック様が望まれるなら」


「其方は、己にこの国の王妃が務まると考えておるのか?」


 王は手で頬を撫でた後に顎を手で支えると、眉間に皺を寄せて射抜くような鋭い目をリディアに向けた。


「父上、それはこれから覚えていけば…」


 ヘンドリックは王に挑むように声を上げた。


「わしはリディアと話しておる。口を挟むでない」


 王は声を荒げてヘンドリックの言葉を制した。ヘンドリックは、唇をかみしめ頭を下げた。リディアもその剣幕にビクッと首をすくませた。


「あの、すみません。あの、頑張るしかできないですが、頑張ります」


 王は小さく首を振ると、リディアに諭すように言った。


「其方では無理だ。基本の所作も振る舞いも、知識や機転も、視野の広さも思慮深さも、全てにおいて王妃の資質がない。何より其の方の本質は自分達さえ良ければ良いという、自分勝手で我儘な子供だ。其方では人の上には立てぬ」


「ヘンドリックのことを本当に愛しているのなら、其方は身を引くべきだった。なぜなら其方の行動によって、ヘンドリックの将来がどうなるかを考えたことはあるか?物事を正しく見ることができず、感情を優先させた其方には国は治められぬ」


「アンジェリカやウィリアムが、幾度となく忠告したと報告を受けている。其方らはそれを曲解し、または忠告を聞かずに今回の暴挙に出た」


「父上、アンジェリカはリディを侮辱し、尚且つ脅してもいたのですよ。そのような者にこそ国は治められないではありませんか?今回の行動は暴挙ではありません。熟慮した結果です」


 ヘンドリックは怒りを込めた目で王を見据え、静かな口調で話始めた。何としても説得をしなければ、二人の未来は暗いものになると予見していた。


「アンジェリカはリディを人目のつかない場所に呼び出し、数々の嫌がらせや侮辱、果ては嫉妬から脅迫するなど、約一年にわたって行なってきたのです。私もリディから聞き、再三そのような行いは止めるようにと伝えてきました」


「ヘンドリック様の言う通りです。アンジェリカ様から何度も身の程を知れだの、恥ずかしい振る舞いだの、釣り合いが取れないだの言われてきました。あたしは、嫉妬するアンジェリカ様を恐ろしく思っていました」


 リディアが言葉を繋いだ。


「確かに身分差はあります。でもお互いに愛し合っていれば、それは乗り越えられると思うんです。そしてヘンドリック様を支え、皆のお手本になれるような良き王妃になれるよう頑張る自信はあります」


 リディアは胸の前で両手を組み、決意を込めた口調で真摯に訴えると、女神のような微笑みを浮かべてヘンドリックを見た。ヘンドリックも微笑みを浮かべ頷き返した。


 王はその二人の様子にまた頭を抱え大きく溜息をついた。

 (今日一日で、一生分の溜息をついた気分だ…)


「父上、リディは素直で聡明です。乾いた土が水を吸い込むように、様々なことを覚えるでしょう。私は彼女となら、力を合わせて難局も乗り越えられると思っています」


「あの、あたしも同じ気持ちです」


 ヘンドリックはリディアの手に自身の手を重ね握りしめた。二人が寄り添う姿はまさに幸せそのものだった。


「そうか。どのような困難でも二人であれば乗り越えられると申すか」


「ヘンドリックよ、再度問おう。其方は今回の断罪は暴挙、いや愚挙ではないと申すのだな」


「はい」


 ヘンドリックは躊躇(ちゅうちょ)なく答えた。


「そうか…残念だ。其方は己の行為を客観的に見ることもできず、アンジェリカのリディアに対する配慮にも気付かず逆恨みをした上、わしの信頼と期待を裏切った。その上今回の愚挙で、自身の王としての資質がないと公言したも同じ」


「父上、お待ち下さい」


 ヘンドリックは言葉の続きを遮ろうと声を上げたが、王は構わずに続けた。


「よってヘンドリックは王太子廃嫡とし、其方には男爵位を授ける。領地は与えぬ。資産も没収とする。王都への立ち入りも禁止とする。ロートリンゲンの名を捨て、母方の遠縁にあたるアシュレイを名乗るがよい。今後一切、王家や政治に関わりのない生活を送れ。己の力のみで生きよ」


「リディアとの婚姻は認めよう。だが、政治の中枢に戻ろうとの欲は持つでない。少しでもその兆しが見えた時は、反逆罪として、一家諸共、生涯日の目は見られぬと思え」


「父上!!」


「お前は生涯かけて、己が何をしたのかを問い続けるがいい。傍にいるリディアがお前を慰めるだろう」

 

「アンジェリカの、あれの話を信じるのですか?」


 ヘンドリックは机を叩き、勢いよく立ち上がった。その拍子に大きな音を立てて椅子が倒れた。その音を聞きつけた騎士らが部屋に飛び込み、すかさず王の側に駆け寄った。


「大事ない。控えよ」


「はっ」


 騎士は礼をして扉まで下がり、そのまま待機の姿勢を取る。


「わしも王妃もアンジェリカからは何も聞いておらぬ。王妃は以前、心変わりをした者を振り向かせるにはどうすればいいか聞かれたことはあったらしいが、それがお前のことだとはアンジェリカは申しておらぬ」


「ではなぜ、誰が…」


「誰の言葉でもない。わしは見ていたのだ。お前が道を外した事を危惧したが、その間違いに気付いて欲しいと思っていた。アンジェリカやお前の側近達の誰かが、お前を正気に戻してくれる事を願っていた。わしは、お前がわしの跡を継いだその先を、この国の未来を見ていたのだ」


 王は不満を口にしたヘンドリックを厳しく叱責したが、心中は悔しく、残念で仕方がなかった。


「其方らのことは、セヴァンやレガートらから報告を受けておる。子息のウィリアムやアーノルド、スチュアートからも何度か直接聞いておる」


「何と言って…」


「それは、今までウィリアムたちが其方に言ったことを思い出せばよい。それとアンジェリカの配慮だと言ったのは、アンジェリカが人前でリディアに忠告すると、それに追従する者が出てくるのは必至。誰からも表立って批判や侮蔑されなかったのは、アンジェリカの配慮ゆえだ」


「リディアに身を引くように言ったのも、お前の王太子廃嫡を恐れてのことだろう。とても思い悩んでいたと宰相からも聞いておる。お前はそれに思い至らなかったのか?お前が正しいと、誰がお前に信じ込ませたのだ?」


「そんな…」


「ヘンドリック様も悩んでいたんです。王太子教育が厳しすぎて…悩んで、疲れて。あのままでは病気になってしまいますぅ」


 リディアはヘンドリックを庇うように王に訴えた。


「なるほど、其方のその浅慮な慰めが、ヘンドリックをこのような愚鈍な腑抜けにしてしまったのか。婚約者のいる男に擦り寄り、道を違わせ、堕落させた。其方のような者をこそ、世間では悪女というのであろう」


「父上、言い過ぎです」


「お前に、この父の無念はわからないだろう。共に国を支え、発展させていける人材を失ったのだ!!」


 王は憤懣やるかたない気持ちを、握り拳で机を叩くことで抑え込んだ。何を話しても、ヘンドリックの曇った目は澄まず、その意志は変わらないのだと思えた。


 心の師とはなるとも、心を師とせざれ、だ。

 己を律することができぬ者に国は任されぬ。

 愚かさは、罪だ。


 父としての気持ちを吐露した王の言葉に、ヘンドリックは言葉を返せなかった。アンジェリカと共にあったはずの未来。アンジェリカとリディアを入れ替えれば済む話だと思っていた。でも、そうではなかったのだ。


「だが、裏を返せば、王を継ぐ前に知れてよかったのかも知れぬ、と、思おう」


 ヘンドリックとリディアは、叱られた子供のように項垂れたまま沈黙している。


「其方らの処遇は、明日の朝議で決定されるだろう。追って沙汰する。それまではこの部屋で過ごすがよい」


 王はそう言い残すと椅子から立ち上がり出口へと向かった。挨拶も振り返ることもせず、騎士らと共に部屋を出て行った。

 残された二人は途方に暮れたように、しばらくの間座り込んでいた。











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