買い物に行こう
食事をしながら、ヘンドリックはグレアム達と話していた内容をかいつまんで話した。そして、これから式典まではグレアムと行動を共にすると伝えると、リディアは顔を曇らせた。
「リディ、近々グレアム達が孤児院を訪問するのに私もついて行くが、リディはどうする?」
「え?ローズマリー教会の孤児院に行くの?」
「ああ。どこの孤児院かは知らないがな。アンジェリカとロザリン嬢は学園でも仲が良いそうで、王太子一行としてではなく、彼女の友人として訪問する予定だ」
「あたしも行くわ!」
「そうか、わかった。詳細はまた連絡が来るだろう。私もここの生活に慣れるのを優先して貴族としての勤めを忘れていた。恥ずかしいよ」
「そんなのちっとも恥ずかしくないわよ。奉仕活動より日々の生活の方が大切だもん」
リディアの言葉は少しも慰めにならず、却って貴族ですらないと言われた気がした。
「私は男爵だ。れっきとした貴族だ。しっかりしろと言われこそすれ、慰めの言葉は侮辱された気がする」
「あ、あたし、そんなつもりじゃなかったの。気を悪くしたならごめんなさい。貴族の慣習なんかはこれから勉強するから」
「ああ、そうしてくれ」
リディアに冷たく接したい訳ではないが、どうしても込み上げてくるものがあった。
「アンジェリカとロザリン嬢は焼き菓子を焼くと言っていたな。リディはどうする?もし一緒にしたければ声をかけるが」
「あたしにはそんな時間はないわ」
リディアは慌てて否定した。一緒になんてしたくなかった。
「だって、毎日仕事があるんだもん。それに家の事も」
リディアは仕事があってよかったと心底ホッとした。
「ああ、そうだな。では孤児院に行くのもやめておくか?」
ヘンドリックは気遣うつもりでそう言ったが、リディアは除け者にされたように感じた。
「孤児院には行くって言ったでしょう?なあに?あたしがいない方がよかったぁ?」
「そんなわけないだろう?ただ、忙しいだろうし、気乗りしないのならと思っただけだ」
「そうね。なんでわざわざ行くのかわからないけどぉ、ヘンリーが行くならあたしも行くに決まってるじゃない。その日は休めるか聞いてみるわ」
「ああ。私からも聞いておこう」
リディアは頷き、お茶を飲み終えると、二人は店に帰った。
結局その日、サイラスたちは戻って来ず、ヘンドリックは残りの時間を暇を持て余して過ごした。
♢♢♢♢
グレアムは王陛下から使節団を迎える役目を仰せつかると、抱えていた仕事を出来る限り早く処理した。後を側近達に指示し、護衛と本人達だけで城を出発した。途中の町に寄るのも最小限にして、本来の予定より早くアルトワ領に到着したのだ。
式典に参加する王立音楽隊は出発も遅く、楽器も一緒に運ぶためにゆっくりと移動する予定になっている。
グレアムが急いで出発し、アルトワ領で過ごす時間を多く持つ計画を立てたのは、ヘンドリックを王都に戻す提案をするためだった。その他にもアルトワ男爵領の視察、ディラン卿の人柄や交際関係等、身辺を知る目的も含まれていた。
それは、グレアムの思い描く国の未来に、ヘンドリックも共に支えて欲しいと思っていたからだ。
♢♢
グレアムは幼い頃から兄であるヘンドリックの努力を身近で見てきた。アンジェリカとの婚約こそショックであったが、それすらも含めて兄の努力を認め、王になるのを応援してきた。
だからこそ忠臣の言葉にも耳を貸さずリディアを耽溺し、公明さを失い、衆目の中でアンジェリカを捨てた事に当初は憤り、そして幻滅した。
幻滅はしたが、嫌いになったのではない。兄には王としての器量がないと判断したからグレアムは王になる事を決意した。
そして、次代の王として兄を見た時、それまで努力して積み上げた知識や経験を野放しにするには危険だと考えた。
中枢に戻るなら早い方がいい。変な輩が兄に接触する前に、若気の至りだったと反省し、身辺を整理して臣下に降り、弟が王になる事を支持すると明言する。
そして両親の望み通り、兄弟で力を合わせて国を、民を守っていく。それがグレアムの考えたシナリオだった。
グレアムが計画しているヘンドリックの赦免、政治への復帰は、ヘンドリックの意志とは関係がなかった。戻らなければ監視をつけ、行動を制限しなければならない。謀反に繋がると判断すれば容赦なく切り捨てなければならない。
所詮、王族が自由な平民になどなれるはずがないのだ。
学園で、アンジェリカからロザリンを紹介され、その人柄を知って、グレアムはアルトワ男爵に協力が得られないか打診しようと決めた。そして、国益に貢献したという実績のために式典の補佐を用意した。なるべく復帰後すぐに動けるよう、万全の準備をするつもりだった。
それらは全てグレアムの独断であったが、父である王もまた、ほとぼりが覚めた頃に呼び戻すつもりでいるつもりだと推察した。兄に監視を付けているかは知らないが、好きにさせるつもりはないだろう事も。ただ、その時期が、王とグレアムでは違うだけだった。
グレアムは出来るだけ早く戻って来れるよう手配を進めた。そして父である王もそれを黙認した。
♢♢♢♢
卒業記念パーティーの後、王都では王太子廃嫡の件が新聞で大々的に報じられた。
平民の女とのラブロマンスは面白おかしく脚色され、陳腐な物語にも関わらず、貴族に憧れる少女達に夢を与えた。
だが、道理を知る既婚女性や少女達の親は難色を示し、娘達が道を踏み外さないよう厳しく諭さなければならなかった。
特に学園では、夢見る少女達は現実として目の当たりにしたため、一時的な大混乱に陥った。文学部の少女が匿名で、平民の少女を主人公に、婚約者である悪役令嬢のいじめにも負けず、最後は王子様とハッピーエンドになるという話を発表した。
新聞部はその小説を取り上げて学園での恋愛は自由だと謳い、演劇部は脚本を起こし発表しようとした。
新聞を読んだ教授達は慌てて「学生の本分は勉強である。物語に惑わされないように」といった説教混じりの集会を開き、演劇部の劇は脚本の段階で取り上げられた。
小さな事も含め、様々な場面で学生が「自由と解放」を叫べば、教授が「責任と規律」を問うといった攻防があり、結果、両者の間に大きな溝を作った。
そういった混乱がすぐに収まるわけもなく、学年が変わり新年度が始まると、学園でのアンジェリカの立場は一気に地に落ちた。
学園生達はアンジェリカに王太子妃としての力量を問い、女としての魅力は平民に負けた令嬢として、小説と絡めてアンジェリカを陰で嗤った。
アンジェリカが反論しようにも鼻で笑われ、相手にもされず、居心地の悪い思いを何度となくした。
それは長くは続かなかったが、アンジェリカにとって友人を選別するには十分な時間だった。
それまで誉めそやし友人として振る舞っていた者も、手のひらを返したように遠巻きに様子を伺い、声をかけても迷惑そうな態度を取った。
したり顔で蔑む者や、馬鹿にして笑い者にしようとする者、ここぞとばかり恩を売ろうとする者などもいた。
そして殆どの者は、少数の心ない者達の後ろに隠れてどうなるのかと様子を伺っていた。
アンジェリカの身辺は、卒業記念パーティーの後、一夜にしてひっくり返ってしまった。
アンジェリカは少しでも態度が変わった友人とは距離を置いて過ごした。表面上は普段と変わりなく気丈に過ごしていたが、内心は皆の態度に腹を立て、落ち込み、くじけそうだった。
ただこの状況に腹を立て、怒ってくれる友人もいて、彼女達に支えられて何とか日々を過ごす事が出来ていた。
グレアムもいるにはいたが、その頃はアンジェリカにとって頭の痛い問題の一つでしかなかった。
アンジェリカがロザリンと知り合ったのも、そんな時だった。
子供の頃からヘンドリックと一緒に訪れていたサンタマリア教会の孤児院で、二人はバッタリと出会った。先に声をかけたのはロザリンだった。
「あの、ご無礼をお許し下さいませ。アンジェリカ様ではございませんか?あの、ご、ご機嫌よう」
振り返ってアンジェリカは驚いた。学園で挨拶程度しか交わした事のない令嬢が立っていた。緊張しているのか声も小さく、ビクビクと、まるで小動物のような可愛らしい少女だと思った。
「ご機嫌よう。アルトワ男爵令嬢、で、宜しかったかしら?同じ学園生ですもの。無礼などではありませんわ。どうぞ楽になさって」
「は、はい、ありがとうございます。あ、あの、お、お初にお目もじ致します。ロ、ロザリン=アルトワと申します」
「私に何かご用かしら?」
「い、いいえ。その、こ、ここでお会いしたのも、あの、何かのご縁かと思いまして、ぶ、無礼を承知で声をおかけしました」
「まあ、少しも無礼ではなくってよ。ロザリン嬢はよくここに来られるの?」
「は、はい。ふ、ふた月に一度は来ております」
「まあ、私はここだけでなく近郊の孤児院も訪問していますので、シーズンに一度来れたらいいほうですの。でも今までお会いした事がありませんね」
「いえ、あの、私はお見かけしたことはございますわ」
いきなり声をかけられ、初めは警戒していたアンジェリカも、話すうちにロザリンの人柄に触れ警戒を解いた。
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