王都からの客人5
「甘いことを言うな。お前が望んでも、父上が許さないだろう」
「父上には、既に俺の考えは伝えている。その上で提案しているんだ」
「父上は私を許すというのか?そんな事をすれば政治にも混乱が生じるだろうに。もし俺が謀反を企んだらどうするんだ?」
「兄さんはそんな人間じゃないだろう?」
「それが甘いって言うんだ。利があれば、私とリディを支持する者だっているだろうに」
「兄さんを支持する者はいるかも知れないが、リディア嬢はどうかな?卒業記念パーティーでの振る舞いは、とてもじゃないが支持を得られるものではなかったようだからな」
「うるさい!」
ヘンドリックは声を荒げたが、グレアムは平然と言葉を続けた。
「もし帰って来てくれるなら、皆が納得する何かしらの理由が必要になる。それに根回しもな。だがそれよりも、まずは兄さんの気持ちが大切だと思ってる。だからよく考えて欲しいんだ」
「いや、答えは決まっている。私は頷くわけにはいかない。期待されていた自分の将来を壊し、リディの将来も滅茶苦茶にした自覚はある。私はリディの人生に責任を持たなければならない」
「あのさあ、リディア嬢に責任しか感じられないなら慰謝料を払えばいいじゃないか。俺が上手くやっておくよ」
「責任だけではない。愛情も、ある」
ヘンドリックは拳を強く握りしめ、絞り出すように答えた。
「ふーん、そうなのか?まあ、俺はひと月程滞在する予定だ。その間は兄さんと行動を共にしたいと思ってる。ねえ兄さん、俺は兄さんと力を合わせてこの国を守り、発展させていきたいと考えてるんだ。いい返事を期待しているよ」
「待て、俺は戻るつもりはない」
「兄さんは王族に生まれた者としての、それに騎士としての矜持も忘れて、いや、捨ててしまったのか?本当に?俺達は民衆のための王族であり、貴族だと言われて育ってきた。今までの王太子教育も、学んだことも全て自分だけのために使うのか?」
「黙れ!」
「兄さん、俺は諦めない。必ず兄さんを説得するよ」
「お前も大概しつこいな。私はリディアを捨てたりはしない」
ヘンドリックは苦しそうに顔を歪めた。
グレアムはニヤリと笑った。
「ああ。一度決めたら俺はしつこいんだ。それに負けるのも嫌いだ。このしつこさでアンジェにも必死にアピールして口説い」
「グレアム様!」
アンジェリカはいきなり自分のことを言われて飛び上がらんばかりに驚いた。そして言葉を止めようと、慌てて両手でグレアムの口を塞いだ。グレアムはその手をソッと剥がして掌にキスをすると、蕩けるような笑顔でアンジェリカを見つめた。
「フフ、必死で口説いたんだよ。ね、アンジェ?」
両手を取られたアンジェリカが支えを失ってグレアムの胸にもたれかかると、グレアムは慣れた仕草で膝の上に抱え直し、ギュッと抱きしめた。
「もう、離して下さいませ!」
アンジェリカはグレアムの背中をドンドンと叩いた。恥ずかしさで泣きそうだった。
「グレアム、ふざけが過ぎるぞ。アンジェリカが嫌がってるじゃないか」
「フフ、可愛いだろう?でもねアンジェ、俺はこのままがいい」
「イヤ!お願い、グレアム様」
アンジェリカが瞳を潤ませてグレアムを見上げた。
「ダメだよアンジェ。そんな顔されたらキスしたくなる」
アンジェリカは真っ赤になり、慌てて下を向いた。
「もう!!グレアム様のいじわる」
「そうそう、大人しくそのままでいて」
アンジェリカは諦めて体の力を抜いた。
ヘンドリックは眉根を寄せてグレアムを見た。
「グレアム、紳士としてあまり褒められた行為ではないぞ」
「今は兄さんと俺達しかいないからいいだろう?」
「そういう問題じゃない。お前こそ騎士としての矜持はないのか?貴婦人に対する態度ではないな。それに私は元婚約者なんだぞ。その私の前で見せつけるようにイチャつくとはどういうつもりだ?」
「何、兄さん?羨ましくなった?でもアンジェは渡さないよ。それに、アンジェが本当に嫌がる事はしてないよ」
グレアムは誇示するようにアンジェリカのこめかみにキスをした。
「・・・それならいいが。私にはリディがいる。羨ましく思うわけないだろう?そういう事は二人だけの時にしてくれ。弟のデレた姿は見たくないからな」
ヘンドリックは目を逸らして大きく息を吐いた。
「それよりアンジェリカはいいのか?私がグレアムの元に戻ると、口さがない連中から煩く言われるかもしれないぞ」
「ええ、私なら大丈夫ですわ。そんな言葉に傷つく事はありませんから」
「なぜそう言える?」
「なぜって・・・」
アンジェリカはチラリとグレアムを見上げた。グレアムは微笑みでもって視線を受け止めると、髪を一房手に取り愛し気にキスを落とした。
アンジェリカは頰を染め、グレアムのするままに身を委ねている。言葉にせずとも、二人の間には信頼という確かな絆があるように見えた。
ヘンドリックは胸が軋むのを感じた。当たり前のように、自分がいた場所にグレアムがいる事に苛立った。そして自分には見せたことがない甘い顔を見せるアンジェリカにも。
私は王太子に戻りたいのか?
それともアンジェリカに未練があるのか?
いや、違う。
後悔しない道をと、リディを選んだんだ。
なら、この胸の痛みは何だ。
幸せそうな二人を見たくないと思うこの気持ちは何だ?
嫉妬か?後悔か?それとも羨望?
いや、ただ固執しているだけなのか?
信頼し、幸せそうに寄り添っている二人の姿が、本来なら自分とリディアだったはずだと恨みに似た気持ちが湧き上がる。それと同時に、アンジェリカの隣は自分の席だったのにとも思う。自分でもどうしようもない複雑な思いを、拳を強く握り締める事でやり過ごした。
「兄さん、それともう一つ。ここに来て気になった事があるんだが」
「何だ?」
「ロザリン嬢の事だよ。なぜ吃音が出てるんだ?学園の時にはなかったはずだが?」
ヘンドリックはグレアムから視線を外した。
「彼女に何があった?」
「・・・・・・」
「兄さん、隠しても調べればすぐにわかると思うが、どうせリディア嬢が絡んでるんだろ?」
「なぜ、それを?」
ヘンドリックはいきなり核心をついた言葉に驚き、肯定する相槌を打ってしまった。
「やっぱりか」
アンジェリカはいたわしげな表情を浮かべてグレアムを見上げた。グレアムは険しい表情で頷き返すと、ヘンドリックに向かって厳しい口調で言った。
「あの女ならやりそうだからな」
「あの女なんて言うな!」
「兄さん、ロザリン嬢がああなった原因を知っていて、まだ庇い立てするのか?」
「くどい!」
「自分が選んだ女の本性に、ようやく気づいたんじゃないのか?それとも、まだ愛してるっていうのか?」
「私が彼女を不安にさせてるんだろう。ヤキモチを暴走させてしまうかもしれないと言っていたからな」
グレアムは呆れて頭が痛くなった。
「何を言って・・・。ハッ!開いた口が塞がらないとは、こういう事か。それで兄さんはその言葉を信じて、ただのヤキモチだと思ってるんだな」
「些か度が過ぎているとは思う」
「些かなんてもんじゃないだろう」
「うるさい!」
「グレアム様!もうこの辺で、ね?」
アンジェリカが見かねて喧嘩になる前にと口を挟んだ。
「いや。ロザリン嬢はどう見ても心と体に支障をきたしてるよな。その原因はリディア嬢で間違いないだろう。証拠が欲しければ調べるが?」
「・・・お前の言う通りだ。ロザリン嬢がああなったのはリディが原因だ。調べる必要はない。だが私だって手を打っている」
「どんな手を?」
「私はロザリン嬢に守ると誓った。リディにはこれ以上手を出せば容赦しないと言ってある」
「え?ロザリン嬢を守るだって?え?ロザリン嬢に誓ったのか?で、それをリディア嬢に言ったと?」
「ああ」
「兄さんは、何というか、何気に酷いな」
グレアムは小さな声で呟いた。
「で、リディア嬢はなんて?」
「いじめてなんかいないが、わかったと言ったよ。それからは手を出している様子はない」
「で、兄さんはそれで安心してるんだな?」
「ああ。悪いか?」
「別に悪いとは思わない。本当に手を出してないならな」
ヘンドリックは二人の姿から目を逸らすと、テーブルの上に置かれたカップに手を伸ばし、一口飲んでからベルを鳴らした。
「あ、グレアム様。どうか降ろして下さいませ」
アンジェリカは慌ててグレアムの膝の上から降りようとした。グレアムはもう一度ギュッと抱きしめてから、面白くなさそうにゆっくりと腕を解いた。
アンジェリカはホッとした様子で身だしなみを整えると、グレアムを睨んだ。
「もう、こんな事はおやめ下さい。でないと、」
「でないと?」
「でないと、グレアム様の事、嫌いになりますわ」
アンジェリカは頰を赤くして、そっぽを向いた。
「ああ、またやってしまった!!」
グレアムはおでこに手を当て、芝居がかった仕草で天井を見上げると、大仰に溜息を吐いた。そしてアンジェリカの機嫌を取ろうと手を握り、嫌がる事はしないと誓った。
「先日も誓ったばかりではありませんか!もうグレアム様の言葉は信用しません。本当に怒ってるんですからね!」
「だから、ごめんて。アンジェの事が好き過ぎて抑えられないんだ。これでも我慢してるんだよ?ね、機嫌を直してくれ」
「知りません!!」
ヘンドリックは暗い表情でその様子を眺めた。