王都からの客人3
「兄上、リディア嬢とはうまくいってるんですか?」
リディアが背を向けて走り去ると、グレアムは忌々しげにヘンドリックに訊ねた。
「ああ、見たまんまさ」
「フーン。城での二人と少し違う気がしたんだが気のせいか。兄上の目が覚めたなら喜ばしい事だと思ったんだけどな」
「馬鹿なことを言うな。私が城を出たのはリディと一緒になるためだと忘れたのか?そんなすぐに気持ちが変わったりなどしない」
「それもそうだな。簡単に気持ちが変わるくらいなら、あんな騒ぎを起こしてアンジェを傷つけ、周りを不幸にしなかっただろうからな」
「グレアム様、いい加減になさいませ。過ぎた事をねちねちと蒸し返すものではありません。私、器の小さな人は嫌いですわ」
アンジェリカの言葉に、グレアムは飛び上って驚いた。
「ち、ちょっと待って!アンジェ、冗談だよ、冗談」
「まあ、センスのない冗談ですこと。聞いていていい気がしませんわ」
「俺が悪かった。アンジェの気分を害する発言をしてしまった。許してくれ」
グレアムが必死になって謝る様子にヘンドリックが驚いていると、ロザリンがクスクスと笑っているのが聞こえた。
「ロザリン嬢、二人はいつもあんな感じなのか?」
「フフフ、ええ。アンジェリカ様の前、だけですけどね」
「そうか。大人になり互いに絡む事もなくなってすっかり忘れていたが、そういえば子供の頃はグレアムに対して姉のように振舞っていた。まさか今でもそんな関係だとはな・・・」
「まあ、ヘンドリック様には姉弟に見えるのですか?私にはグレアム様が想い人に振り回されているように見えますが」
「そうか?想い人・・・か。グレアムはアンジェリカの事が好きだったんだろうか?」
「昔の事はわかりませんが、今の様子が昔から変わらないのであれば、もしかするとずっと好きだったのかも知れませんね。グレアム様はいつもアンジェリカ様を一番に置いて行動されてますから」
(子供の頃から好きだったというのか?少しも気づかなかったが、一体いつから?)
ヘンドリックは昔に思いを馳せた。その間もアンジェリカはグレアムを窘めている。グレアムは目を細めてお小言を聞いているが、改めて見ると、その様子は子供の頃と違い、ロザリンが言うように姉弟には見えなかった。
先頭を歩いていたマックスが立ち止まり、ガチャリと扉を開けた。
「はいはい、お話のところすみませんが、部屋に着きましたのでどうぞお入り下さい。聞いてる者はいませんが、廊下でする話とは思えませんので」
マックスの物言いに、グレアムはアンジェリカとのじゃれ合いのようなやり取りを中断してヘンドリックを見た。
ヘンドリックは肩を竦めて笑みを浮かべた。ロザリンはハラハラとそのやり取りを見ている。
王族の話を中断するなど不敬になるはずだが、マックスは気にした様子もなく平然と中へ入るよう促した。
「グレアム、と呼んでいいんだな?それともグレアム殿下とお呼びした方がいいか?」
「グレアムでいいよ」
「そうか、ならグレアム、マックスはこういう奴なんだ。不敬とは取らないでやってくれ」
「ああ。いきなりで少し驚いただけだ」
一同はとりあえず室内に入ると、マックスに促されるままソファに座った。それからマックスはお茶の用意をしますと頭を下げて部屋を出ていった。扉が開くと、初夏の柔らかな風が窓のカーテンを揺らめかせて部屋の中を吹き抜けた。
四人はホッと息を吐き、なんとなくお互いを見た。最初に口を開いたのはヘンドリックだった。
「式典までまだ時間があるのに、早くに来たんだな。学園はどうした?今の時期は生徒会の役員選出と、新メンバーで郊外の孤児院に慰問するんじゃないのか?」
「ああ。生徒会メンバーは決まった。俺が会長になったよ。王族が入学すれば必然とそうなるんだろ?嫌な制度だけど、アンジェが手伝ってくれるって言うからする事にしたよ」
ヘンドリックはガックリと肩を落とした。
「お前なあ、そんな事、思ってても絶対に言うなよ」
「ああ、言わない。アンジェにも叱られたしね。それと孤児院はこの式典が終わって王都に戻ったら行くよう調整した。待たせる代わりに孤児院でバザーを開催しようと学園生に呼びかけている」
「バザーか、それはいいな。具体的にはどういった事をするんだ?」
「今までの慰問は生徒会と有志だけで行ってただろ?それに、それとは別に授業の一環として年に一度、各学年が勉強で行く。後は家によって関わり方は自由だったが、その関わり方を変えたいと思っているんだ。孤児院だけでなく奉仕活動に対して」
「どんなふうに?」
「受動ではなく能動に」
「まるで教授のような事を言うんだな」
「ま、人は楽しければ喜んでやるだろう?その楽しみを作ろうと思っただけさ」
「それがバザーなのか?」
「バザーと言っても学園祭の縮小版みたいなものを考えている。クラスや有志で店を出したり、出し物をしたり。その場所が学園でなく孤児院になるだけだ」
「それはまた、教授や学園長の許可は取れたのか?生徒全員が入るには孤児院では小さいだろう?移動や警護はどうするつもりだ?それに保護者や近隣の住民にも声をかけるのか?」
グレアムがやろうとする事に対しての問題点が次々に思い浮かんでくる。それをいちいち訊ねるが、明確な返答が即座に返ってくるのに驚いた。
「それは、ただの慰問ではないぞ。生徒会主催の行事にするのか?それも学園や孤児院のある村を巻き込んだ大ががりなものだ。そんな大変な事、お前が卒業した後も続いていくとは限らないぞ」
「そうだな。学園の協力も必要だ。それに続けられるようマニュアルを作るつもりだ。そして一番大切なのは意義付けだ。何のためにやるのかを徹底して伝える」
「何のためだ?」
「兄上なら言わなくてもわかるだろう?」
「買いかぶるな。私を試すんじゃない」
「奉仕は貴族の義務、だろう?」
「ああ」
「だが、義務というだけでは人は動かない」
「そうだな」
「では、どうすれば動く?名声か?利益か?それとも罰か?」
「さあ、どれだろうな?」
「俺はそれを楽しみと喜びを根本に出来ればいいと思ってるんだ」
「それはまた、理想だな。ありえない」
「そうだな。だが、俺らはまだ学生だ。大人達より純粋な気持ちで動けると思うが?」
「どうだろうな。だが、成功することを祈ってるよ」
「ありがとう」
「兄さんは以前、平等な社会を目指したいと話してただろ?そのために遠回りのように思うかもしれないが、まずは教育の平等化を図りたいんだ」
「それが今の話とどんな関係があるんだ?」
「まあ、聞いてくれ。平等な社会と言っても漠然としていて俺には想像もつかない。だが、平民でも教育を受けた者はそれなりに良い仕事についている。だから裕福な者は教育を受けさせようとする」
「そうだな」
「まずは教育だと思うんだ。国を守るのも、発展させるのも。政治も奉仕活動も、開発も消費も、生活も、全てが。俺が王位を継いだらまずは教育に力を入れるつもりだ。識字率を上げ、平民でも望めば中等教育、高等教育への門戸を開きたいと思っている。それとは別に平民のための専門性のある学校も建てたいと思っている」
「お前は理想主義者だったのか?」
「そう言われても仕方がないが、理想で終わらせるつもりはない。ハードルは高い方がやり甲斐があると思わないか?」
「ああ、そうだな。それと今回の孤児院の慰問と、どう結びつくんだ?」
「それは、もちろん孤児院の子供達も学びたい子供は受け入れるつもりだからだ。父上も教育に力を注いできてるが、今の子供達の水準を見たいんだ。特に地方のな」
「孤児院の子供達の実力か?」
「ああ。今の初等教育は孤児院の子供も含め領主や教会に任せきりだ。そこも改革したいと考えている。まずは教育を底上げしていく。そして学生の時から俺の考えを示し、共に形にしていける人材を生徒会や学園で育てるつもりだ」
「グレアム、それは、お前の考えなのか?」
「ああ。どうせ王になるなら、俺は、自分の思うように変革していきたいからな。現状維持では進歩はないだろう?」
「そうだが」
(だが私は、そこまで先を見据えて生徒会を運営していなかった。行事を滞りなく完璧に行う事に力を注いでいた。提案を受けても、失敗するかもしれないものには手を出さなかった)
「お前は、生徒会をどう捉えてるんだ?」
「そうだな、小さな国家、かな?自分の力を試すにはちょうどいいだろう?ここで受け入れられなければ、王になっても誰もついて来ない。違うか?」
「ああ、そうだな」
「特に俺は急に現れたに等しいからな。俺の考えや理想を、実際に見せるにはちょうどいいと思ったんだ。そして俺と共に国を動かしていく奴を見極め、育てる場所だ」
ヘンドリックは言葉を失った。ずっと自分の後からついて来ているとばかり思っていた弟が、あっという間に自分を追い抜き、先を歩いているような気がした。
「俺達は民衆のために働けと教えられてきただろ?」
「ああ」
「俺は兄上達の後をついていきそれを学んだ。兄上とアンジェは、よくそんな話をしてたじゃないか」
「そうだったな」
「俺は兄上のために働くのが、ひいては民衆のために働く事だと思ってきた。俺は民衆より兄上の力になりたかった」
「ああ」
「あの女が出てくるまでは」
「グレアム様、その話はおやめになって?」
雲行きが怪しくなりそうな気配を察して、アンジェリカが口を挟んだ。