王都からの客人
翌日、ヘンドリック達が仕事場である店に行くと前日の予選の話でもちきりだった。
雨の中にも拘わらず、数人の男達も応援に来ていたようで、ヘンドリックの戦い方を身振りを交えて話していた。
雨のせいで十分に力が発揮できなかっただの、騎士が多かったように感じただの、ヘンドリック達が見つからず結局はすぐに負けてしまっただのと、予算について大いに盛り上がっていた。
「あっ!ヘンドリック様が来られた!!おめでとうございます」
「予選通過おめでとうございます!僕、昨日見に行きました。すごくかっこよかったです」
「ああ、ありがとう。でも予選を通過しただけだからな」
「そうですよ!エマさん達はご存じないでしょうけどぉ、剣術では学園でヘンリーの右に出る人はいなかったんですからねぇ。予選ぐらい通過して当たり前なんですよぉ。フフ、とおーってもかっこ良かったでしょう?惚れちゃダメですよぉ。あたしの婚約者なんですからねぇ」
リディアが出しゃばって話に割り込みその場にいた人の不興を買ったが、ヘンドリックは気にした様子もなくサーニン達を探した。
「サーニン達を見かけなかったか?ネイサン卿や、他の予選通過者の事を知っている者は誰かいるか?」
「それは、まだわからないわねえ」
エマが申し訳なさそうに答えた。
「なら仕方がないな。サーニンだけでなくサイラス殿も見かけないがまだ来てないのか?」
「ええ。お二人とも朝から見かけてねえなあ。でも奥さんが事務室に来られてるみてえだよ。それより剣の稽古はいつから始めるんですかい?俺は剣が使える様になりてえんだ。次こそは絶対に予選を通過してえよ」
オリバーが事務室の方を見ながら言った。オリバーはヘンドリックの剣の稽古の参加者で、三十歳手前、剣よりも拳で戦うのが得意で、力があり余っているような大柄の筋肉質な男だ。武器の扱いに慣れたいと言っていたが、案の定、前日の予選では途中で剣を放り投げて戦い、槍の男に負けたと嘆いていた。
「予選は残念だったな、オリバー。サイラス殿が許せば、剣術試合が終わったら稽古を再開しよう。では私は今日の仕事が何か聞いてくるよ。ロザリン嬢を見かけないが来てないのか?」
「それが、ロザリン様も今日はまだ来られてないの」
エマが残念そうに肩を落として店の扉を見つめた。ヘンドリックはそうかと答えると奥にある事務室に向かった。リディアも後に続こうとしたが、ヘンドリックに自分の担当する場所に行けと言われてしぶしぶ店舗に戻った。
事務室では婦人とマックスが向かい合って立ち話をしていた。扉の開く音に振り返りヘンドリックを確認すると、慌てた様子で話を打ち切り、誤魔化すように笑った。
「ハハ。ヘンドリック様、どうかしたんすか?」
「マックス、そちらの方は?」
「あ、ああ、俺の母のミリアだ。普段は家で仕事してるんだが、今日は父も兄も急用で、その、俺一人ではまだ不安だと言ってついて来たんすよ。大丈夫だって言ってるのに」
「そうか。まあ、そのように言わなくてもいいじゃないか。心配する気持ちは私にもわかる」
「ちょっ、そんなに頼りないっすかねえ?自信失くすなあ」
「ハッ、自信があったのか?それは失礼したな」
「あの、ご挨拶が遅れて申し訳ありません。ミリアと申します」
「私はヘンドリック=アシュレィだ」
「存じております。あの、不調法ですので失礼があれば申し訳ありません。ところで、その、私に何かご用でしょうか?」
「ああ、今日の予定を聞きたかったんだが。サイラス殿やサーニン殿はどこに行かれたんだ?」
「あの、それは、申し訳ありませんが私にもわからないんです。たぶん昼前には帰ってくると思いますので、それまでお待ち頂けますでしょうか?」
「ああ。それは別に構わないが、急用とはどんな用事で出かけられたんだ?」
「それが、早朝にアルトワ様に呼び出されて出て行ったきり帰ってないから、母も俺も知らないんすよ」
マックスがミリアの代わりに答えた。
「そうか。なら誰かの手伝いでもしながら待つとしよう。では失礼する」
ヘンドリックは軽く礼をすると部屋から出ていった。裏の倉庫に行き、手伝いがないか聞いたが皆にないと言われ、仕方なく素振りをしながらサイラス達の帰りを待つことにした。
どれくらい素振りや鍛錬をしていたのか。無心で剣を振っていると時間の過ぎるのが早く感じた。
店舗の方から騒がしさを感じ、ヘンドリックは剣を鞘に収めて店へと向かった。
ヘンドリックを見つけたリディアが慌てた様子で近寄って来た。そして腕を掴んでそのまま奥へと引っ張っていこうとする。
「リディ、一体どうしたんだ?」
「いいから来て!!」
リディアはグイグイと腕を引っ張るが、ヘンドリックは訝しんで立ち止まった。
「リディ?何を慌ててるんだ?私には言えない事か?」
「あ、あたし、びっくりしちゃってぇ。それに、ヘンリーに会って欲しくなかったのぉ。ね、何があったか話すからこのまま奥の倉庫に行きましょうよ。ねえ、お願いだからぁ」
リディアは腕を引っ張る力を緩めずに、小声でヘンドリックに言った。
「そうだ!ねえ、鍛錬してたんでしょう?喉渇いてない?あたし食堂でお茶が飲みたいわ。ね、お茶を飲みながら説明するから。ねぇ、お願いよぉ、ここを離れましょう?」
ヘンドリックは折れて、リディアに引っ張られるまま食堂に行く事にした。
食堂でレモネードを頼むと、手近な椅子に座ってリディアが来るのを待った。リディアはお茶とレモネードを持ってヘンドリックの向かいに腰掛けた。ヘンドリックはゴクゴクと喉を鳴らして飲むとリディアに訊ねた。
「それで?一体あの人だかりはなんだったんだ?」
「えーと、ね。その、王都からお客様が来てたの」
「王都から?」
「ええ。それで、そのお客様がきれいな人達だったから一目見ようと人だかりになってたのよ」
「そうだったのか」
ヘンドリックは興味が失せたかのように黙り、残りのレモネードを飲んだ。
「なんで私に会って欲しくなかったんだ?知り合いか?」
「え?あたし、そんなこと言ったぁ?うんとねぇ、きれいな人だからやきもち焼いただけよぉ」
「そうか。それならばいいが。嘘ではないだろうな」
ヘンドリックは疑わしそうにリディアを見たが、追及するのを諦めて溜息を吐いた。それよりもサイラスやサーニンの急用が何かを考えた。
(ディランに呼ばれたという事は式典か祝祭の件だろう。店の事ならマックスやミリア夫人がもっと慌てているはずだ。ならば、何か急な変更があったのか?いや、それよりもロザリン嬢も来ていない。という事は、アルトワ男爵家に誰か、使者か?が来たのではないか?)
「いや、違うか。使者なら早朝からサイラス殿達が呼び出される事もないだろう」
「何?何か言った?」
「ああ。なぜサイラス殿やロザリン嬢が来ていないのかを考えてるんだ。その急用とやらをな」
「べ、別にそんな事どうでもよくない?」
「気にかかるんだ」
「そんなぁ。サーニンお兄ちゃん達に教えて貰わないとわからないんだから、気にしたってしょうがないじゃない」
「だから可能性を考えてるんだ。リディ、集中できないから話しかけないでくれないか」
「もぉ!わかったわよぉ。教えたらいいんでしょ。今、店にグレアム様とアンジェリカ様が来てるのよぉ」
リディアは泣きそうな顔でヘンドリックに告げた。
「何?グレアムが来てるのか?今ここに?」
ガタンと音を立ててヘンドリックが立ち上がった。リディアはヘンドリックを引き留めるように腕をギュッと握った。
「そうよ。式典に来るのはわかってたし、会っても大丈夫だと思ってたけど嫌なの。今は会いたくないのぉ。来るのはまだ先だと思ってたのに、なんで急に来るのよぉ。ねぇお願い、行かないで!」
「なぜ会いたくないんだ?」
「それは・・・」
「なぜだと訊いている」
「あ、あたし・・・」
ヘンドリックはリディアの手を振り解き、足早に食堂を出て行った。リディアはその後ろ姿を見送りながら顔を歪めた。
「・・・あたしだってわからない。なんでこんな気持ちになるのか」
リディアは小さな声で呟くと、立ち上がってヘンドリックの後を追った。惨めな気持ちが湧き上がるのをどうしょうもなく思いながら。それでもヘンドリックの隣には自分がいるのだと知らしめる為に。
「グレアム!!」
人混みを掻き分けて前に出ると、グレアムとアンジェリカがロザリンに案内され、楽しそうに品物を見て回っていた。
「あっ!兄上」
ヘンドリックを見つけたグレアムが、嬉しげに笑いながら歩み寄って来た。アンジェリカも微笑みを浮かべて、かつての婚約者であるヘンドリックを見ている。その隣でロザリンが心配そうにしていたが、ヘンドリックも微笑みを浮かべてグレアム達を迎えた。
グレアムの「兄上」という言葉を聞いた店の者達は、驚いてヘンドリックとグレアムを交互に見つめている。
「グレアム、久しいな。息災だったか?」
「ええ。兄上も。驚かせるつもりでアルトワ男爵にも伝えずに来たから朝から大変だったんだ。王太子という立場は大変だと改めて感じたよ。ロザリン嬢にも迷惑をかけたな。すまない」
「い、いいえ。と、とんでもご、ございませんわ。それより、へ、ヘンドリック様に、お伝えで、でで、出来ずに申し訳、ありませんでしたわ」
「いや、構わない。それよりグレアムが迷惑をかけた」
「と、とんでも、ございません」
ヘンドリックはロザリンに話しながら、グレアムの背後にいるアンジェリカを見た。