剣術大会予選5
その週は何事もなく平穏な毎日だった。
仕事場での訓練も、普段の鍛錬に加え、マックスやサーニンに予選の時の状況や動き方、気をつけるところなど口頭で説明して貰う事もあった。
「とにかく落ち着いて周りをよく見る事だ。怖がって闇雲に突っ込むと、あっという間に地面に転がるだろうよ」
マックスはニヤリと笑って皆を見回した。皆真剣に聞いている。
「どうやったら落ち着けるんですか?」
「おっ、そうだな。ルイスは初めてだからなあ。不安に思うのも仕方がない。ま、慣れるしかない、という事は、実戦あるのみだな」
「そんな乱暴な。マックスさんのは全然助言になってませんよ」
「ルイス、大丈夫だ。予選が同じ回であれば、共闘する事が出来るはずだ。私についてくればいい」
「ヘ、ヘンドリック様!!ありがとうございます。心強いです」
「全く、ヘンドリック様も甘いな。そんなだと、共倒れしますよ。戦いは一瞬一瞬が勝負なんすからねえ」
「マックス、これから戦う人間に不安を煽るような事は言うな。それに私なら大丈夫だ。共倒れにはならない。これでも近衛騎士団を率いていたんだからな。新兵の一人や二人、面倒を見ながら戦うくらいわけないよ」
「お!大きく出ましたねえ。こりゃあ、ヘンドリック様の戦いっぷりをぜひとも拝見しないといけないっすねえ」
「確か、ヘンドリック様は近衛騎士団の隊長でしたか?腕前もさることながら、指揮をする手腕も大したものだと噂で聞いた事があります。実際に間近で見る事ができるなんて本当に楽しみです。店のみんなと応援に行きますよ」
「わわ!サーニンさん、みんなでなんて来ないで下さい。緊張で動けなくなりそうです。サーニンさんとマックスさんだけでも緊張するのに。他には声をかけないで下さい。お願いします」
ルイスが情けない顔をして、慌てて口を挟んだ。
「ハハ、遠慮するな。みんなでドンと応援に行くからな。ところで兄貴もルイスに何かアドバイスしてやったらどうだ?」
「そうだな。特にいう事はないが、ルイスにとって初めての試合だ。恐れずに力を出し切れるよう応援している。勝負は時の運だが、運を掴むために鍛錬を怠るな。悔いが残らないようにな」
「はい!激励ありがとうございます。がんばります。ヘンドリック様もよろしくお願いします」
「ああ、わかった。そのかわり私の指示に従わないようであれば切るからな」
「えっ?僕、ヘンドリック様に切られるんですか?」
「コラッ、よく聞け!離れてしまえば助ける事が出来ないという事だ。お前を守りながらは戦わないから、しっかりついて来い」
「あっ、そういう事ですか。もちろんです。わかりました」
そして、いよいよヘンドリック達の予選の時がきた。
その日は朝から小雨が降っており、視界も足場もあまりいい状態ではなかった。控室でルイスは鎖で編んだベスト、革の手袋とブーツを、ヘンドリックは念のため革製の胸当ての上に革のベストを着て、手袋とブーツを身につけた。雨のため二人はなるべく軽装で参加しようと、余分な防具を身につけることはやめた。
神官の祝福の後、銅鑼の音と共に予選の火蓋が切られた。
「ウオオオオオーーーー!!!!」
「ワアアアアアーーーー!!」
鬨の声が上がった。
その渦の中にいると、雄叫びがグワングワンと耳の奥で反響し一切の音が消えた。ルイスは戦いの雰囲気に気圧され、剣を構えることも出来ずにいた。
「ルイス!!」
ヘンドリックが声をかけても気がつかないで立ち尽くしている。
「チッ!ルイス!!いい加減にしろ」
ルイスに斬り込んできた男から庇うように、ヘンドリックが前に出て相手の剣を凪いだ。続け様に別の男が斧を振り下ろそうとするその膝を思い切り蹴飛ばした。ヘンドリックはすかさず相手の首元で剣を寸止めした。男はよろけて座り込み失格となった。
「いつまで惚けてるつもりだ!」
その言葉にルイスは我に返った。その途端、あちこちで剣がぶつかる音が戻ってきた。
「す、すいません!!ありがとうございます」
「礼はお前が決勝に残ったら受け取るよ」
ヘンドリックは剣を止める事なく、二人の周りに集まってきた男達を次々に倒していった。
「ルイス、いけるか?」
「はい!」
ルイスはヘンドリックと背中を合わせ、剣を構えた。
「そうだ。まずは目の前の敵に集中しろ。私から離れるなよ」
「はい!」
ルイスは話の途中に斬り込んできた男の剣をまともに受けた。ビリビリと腕が痺れたが、押し返すように剣を跳ね除けた。
「まともにやり合うな。持たないぞ、受け流せ」
「はい」
ヘンドリックの言葉に、ルイスは少しずつ調子を取り戻していった。それに伴うように周りを取り囲んでいた輪が広がっていく。
雨が染みた衣服がジワジワと体に重く纏わり付いた。顔を伝う雨が目に入り、剣を握る手も滑滑りやすくなった。足場も時間が経つ程にぬかるみ、動く妨げになった。
夢中で戦っているうちに、気が付けば大半は退場しており残すところ数人になっていた。
「ルイス、残っているのは実力者ばかりだ。気を引き締めろよ」
ヘンドリックの言葉が終わらないうちに、ヘンドリックと同じような格好をした男がルイスに斬りかかった。
「ハッ!」
ルイスは教えられた通りに踏み込んで男の剣を止めた。
(力比べでは負けない!)
その横でヘンドリックも騎士風の男と剣で戦っている。
「クソッ!見えにくいし足場が悪い。雨とはついてないな」
何合目か打ち合った後、ヘンドリックは相手の剣を飛ばして脇腹を横殴りに斬って終わらせた。
他の男達を見れば、それぞれ相手を見つけて戦っている。ルイスはというと、思うように動けず苦戦している。
「ルイス、何をしている。早く終わらせろ」
「で、でもヘンドリック様。雨のせいで思うように動けません」
「甘ったれるな、戦場ではそんなこと言ってられないんだぞ」
「わかってます。でも」
「ルイス、退け!」
話してる事で集中力の切れたルイスは、一瞬隙を作ってしまった。そこを男が突いてきた。痺れを切らせたヘンドリックは、割り込んでその剣を払い、あっという間に終わらせてしまった。
「あ、ありがとうございます」
ルイスは肩で息をしながら礼を言った。
「グズグズと戦う程体力を消耗すると言っただろう。次からは気をつけろ」
周りはヘンドリックを敬遠して近寄って来なくなった。
「ルイス、目の前の相手がいなくなったからと油断するなよ」
ルイスはヘンドリックの言葉に頷きながら周囲に目を光らせた。
「ヘンドリック様、この後はどうすれば?」
場内にはまだ十数名が残っていた。皆、この雨で動きが鈍くなり疲れているように見えた。そして進んで剣を交えようという者はいなかった。
「仕方がないな。こちらから仕掛けよう。大丈夫か?」
「はい。まだいけます」
「よし、では近くにいる奴らから片付けていくか」
ヘンドリックは甲冑を身に付けている男に近づいた。男は剣を構え、荒い息を吐きながら周囲を警戒している。足音に振り返るとすかさず斬りかかったが、ヘンドリックには少し届かず空振りした。
背後がガラ空きになったところでルイスが背中を蹴ると、面白いように転がった。ぬかるみの中で立ちあがろうとするが、甲冑が重く動作がゆっくりになる。ルイスは相手の首筋に剣をあて降参を促した。男は抗うのを諦め、剣を鞘に収めると肩を落として退場した。
見回すと、皆早く終わらせたいのか、近くの相手に挑んでは、徐々に勝敗が決まっていく。
ヘンドリック達が次の相手を探していると、不意に背後の空気が動いた。ルイスは振り返りざまに、打ち下ろされた剣を己の剣で受け止めた。
相手はバイキングのような出立ちの大男だ。ジリジリと力でねじ伏せてくる剣を、跳ね返すことも受け流すこともできず、必死で堪えた。額に浮かぶ汗を雨が流していく。
「ルイス、これくらいで膝をつくなよ」
ルイスに意識を向けていると、右横からいきなり剣が現れたように見えた。ヘンドリックは慌てて剣をかわした。
剣を突いてきた男は勢いが止まらず数歩進んでから止まり、振り返り剣を構え直すと、もう一度突っ込んできた。
動作が大きく無駄が多い男だった。
「それでよく残れたな」
「うるさい!死ね!!」
男は突っ込みざまに斬りつけてきた。ヘンドリックは避けようとしたが間に合わず剣で受け止めた。そして力比べの形になったまましばらく睨み合った。
「カシャン!」
隣で剣を合わす音がして、そのまま続けざまに打ち合う音が響いた。力の均衡が破れ、剣で決着をつけるようだ。
その音に引き摺られるようにヘンドリック達も力比べを止め、互いに剣を弾いた。男は一歩踏み込みながら上段から剣を振り下ろした。ヘンドリックがその剣を受け止め、剣を滑らせながら刃の向きを変えて流す。その姿勢のまま胸元目掛けて突くが、相手はそれをかわして数歩下がり体勢を整えた。
(改めて見ると軽装だな。鎖帷子に脛当て。騎士か?年齢も私より十は上に見える。経験を積んでそうだが雑だな。私を甘く見てるのか?フム、早く終わらせるか)
「ハッ!」
ヘンドリックは掛け声と共に踏み出した。
右上段から斜めに剣を振り下ろし、続けて左、右、左と一気に踏み込みながら攻撃を繰り出した。最初は防いでいた相手もだんだんと手が追い付かなくなり、後ずさりながら背後を気にするそぶりを見せた。ヘンドリックはその隙をすかさず突くと、男は避けようとよろめき尻もちをついた。
「はあああ、負けた」
男は溜息を吐きながら呟くと剣を放り出し、ヘンドリックに向かって左手を差し出した。ヘンドリックが剣を鞘に収めてその手を掴むと、男は思い切り腕を引いた。
「しまった!」と思った時にはすでにヘンドリックもぬかるみの中に膝をついていた。
「兄ちゃん、肉弾戦といこうや」