剣術大会予選3
そういえば
ヘンドリックは学園でリディアと過ごした時のことを思い出した。一緒に食べたランチの後、美味しく出来たからと言って授業で作った焼き菓子を口元に差し出されたのだ。受け取ろうと手を伸ばすと、可愛らしく笑って「アーンてして?」と口を開けた。
真似をして口を開けると、甘い焼き菓子の味が口中に広がった。小さな子供のように扱われた恥ずかしさと照れ臭さが甘い記憶として蘇った。
それを懐かしく思いながら、いくら仲が良くなったとはいえ、貴族の令嬢らしからぬロザリンの姿に、思った以上にエマに心を許しているんだなと驚いた。
「あー、ロザリン嬢は構いたくなる可愛らしさがあるようだな、エマ。だがそれは令嬢に対して失礼じゃないか?」
ヘンドリックはエマを嗜める言葉を口にしたが、美味しそうに菓子を頬張る姿には笑みがこぼれた。
ロザリンは真っ赤になりながらも両手で口元を隠し、慌てて飲み込もうとモグモグと口を動かしている。
「食べさせたらダメなんですか?可愛いのに?もう、何でもしてあげたくなるくらい構いたいんですよ!わかってくれます?」
ロザリンが答えられないでいると、エマが身を乗り出して思いの丈を口にした。
「この可愛さ!素直で疑う心をどこかに置いてきたような純粋さと可憐さ。控えめだけど芯はしっかり持っていて、謙虚で努力家。あたしの知る中で、これ程可愛らしい人はロザリン様を置いて他にはいません。ハッ!そうだわ。ロザリン様が学園に帰られる前に、絵姿を描いてもらわなくっちゃ!!」
「絵姿を・・・?エマは、何というか、その、ロザリン嬢をとても大切に思ってるんだな」
「ええ。もしあたしが男なら、ロザリン様にプロポーズしていますよ」
「それほどなのか!」
「ええ。ロザリン様を生涯の伴侶に迎える方は本当に幸せでしょうね。ああ、なんで女に生まれてきたのかしら。残念だわぁ」
「あ、あの、エマさん、その、ほ、褒めすぎです。じ、自分の事とは思えません。恥ずかしいですので、こ、この辺で、勘弁して下さいませ。そ、それとヘンドリック様、このように、し、親密なのは、その、初めてで。戸惑ってはおりますが、い、嫌ではありませんの」
ロザリンは恥じらい真っ赤になって俯いている。ヘンドリックはそんな姿も可愛いと感じた。
「そうか。でもエマ、人前で今のような事は控えた方がいいぞ。場合によってはロザリン嬢の評判にかかわるからな」
俯いていたロザリンがそっと顔を上げた。
ヘンドリックと目が合うとポッと頰を赤らめ、急いで手で隠そうとする。それがまた可愛らしかった。一度可愛いと認めれば、ロザリンの仕草全てが可愛く映る事に戸惑った。
(可愛いと思うのも、出会った頃のリディアを思い出すからかもしれないな)
ヘンドリックはそう思い、自然と笑みが浮かぶのを咳をするふりをして誤魔化した。
(いや。私は一体何を考えてるんだ。出会った頃のリディアを思い出して構いたくなるのか?いじめられていると訴えて泣いていたのを重ねているのか?わからないが、なぜか守ってやりたいと思ってしまう。ただ単に庇護欲をそそられているだけかもしれないがな)
ヘンドリックは考えに夢中で、三人の話を上の空で聞くともなしに聞いた。自分の気持ちが大きく揺れ動くのを感じた。
「あなたのロザリン様への愛はわかったわ。でも今日はサーニンさん達の予選通過のお祝いでしょう?」
サリアが呆れたようにエマに訊いた。
「そ、そうですわ。エ、エマさんもサーニンの戦う姿に、み、見惚れていたでしょう?」
「フフ、その通りよ!今日の予選の二人は本当に格好良かったわあ。特にサーニンさんは普段とは違って、とってもワイルドだったもの。汗を拭く様子もたまらなくセクシーで、あたし、本気で夢中になっちゃいそう!」
エマはあんなに力説していたにも拘らず、あっさりと話題を変えた。
「まあ、エマったら大袈裟ね。でも本当に騎士様のようだったわ。これじゃあ明日から女の子達が放って置かないわよね、きっと」
エマとサリアはサーニンの話で盛り上がっている。
「サ、サーニンがあんなに、強いなんて思わなかったわ。ヘンドリック様の訓練にも、さ、参加した事が、なかったんですよね」
「ん?ああ。私も今日初めて見たが、基本に忠実で美しい剣術だった」
「ええ。き、騎士のようだと、私も、お、思いましたもの」
三人は興奮冷めやらぬ様子で、サーニンやマックスがいかに格好良かったかについて、口と手をフルに使いお喋りに花を咲かせた。話は尽きる事がないようで、飲んだり食べたりしながら次から次へと話題を変えて続いている。
ヘンドリックは話についていくのにも疲れ、適当に相槌を打ちながらぼんやりとロザリンの様子を見ていた。
(ロザリン嬢も心から楽しそうにしている。可愛らしいな)
「でも、サーニンさん、本当に素敵だったぁ。あの人の奥さんになれたら幸せだろうなぁ〜」
「あら、エマはサーニンさんを狙ってるの?てっきりヘンドリック様の事を好きなんだと思ってたけど」
「ブフォッ!!」
いきなり自分の名前が出たのでヘンドリックは驚いて咽せてしまった。だがエマはそれに気づかずサーニンへの思いを語っている。だいぶん酔いが回っているようだった。
エマは頰だけでなく胸元にも赤みが差し、潤んだ目で気だるげにグラスを口に運ぶ。ゴクリと喉を鳴らして飲む様は妖艶そのものだった。店の男達がチラチラとエマを気にして視線を向けている。
「本当にヘンドリック様の事は気にならないの?」
サリアが確認するように同じ質問を投げかけた。
「フフ、そりゃあヘンドリック様を格好良いとは思うし眼福よん。それに貴族とはいえ男爵位なら手が届くかもしれないけど、こうしてじっくり話してみるとあんまりタイプじゃないのよねえ。見かけは好みなんだけどなあ」
「エ、エエ、エマさん!な、な、な、なんて事を」
「エマ、今度こそ黙って!!」
ロザリンとサリアの声が重なった。エマは気にした風もなく言葉を続けた。
ヘンドリックは女性にタイプじゃないと言われた事がなくギョッとしたが、歯に衣着せぬ物言いがおかしく黙って聞いていた。
「それに、ヤバいリディアもいるしねぇ。あたしはサーニンさんが本命よ!!」
「えっ!そうなんですか?本当にサーニンさんが本命なの?」
ロザリンも止めようとしたのも忘れ、思わず口走って慌てて口元を押さえた。
「し、失礼しましたわ」
「もう、あたしの本命が誰かなんてどうでもいいでしょう?それより、リディアよ。ねえヘンドリック様、貴方の婚約者を止めて下さらないかしら?」
エマはお酒の勢いに任せて、一番言いたかった言葉をヘンドリックにぶつけた。
「エ、エマ!本当に飲み過ぎよ。さっきからヘンドリック様に対して不敬罪に問われても仕方ない事を連発してるわよ!いい加減この辺でお開きにしましょう?ね、お願いだから」
サリアが慌てて止めに入った。
「イヤよ、まだ飲むわぁ。イケメンを眺めながら飲むお酒は、とっても美味しいんだもの。ね、いいでしょう?ヘンドリック様」
「エマ、いい加減にしなさい!後悔するわよ」
「エマ、リディを止めろってどう言う事だ?」
「そうよお、よくぞ聞いてくれました!」
「ヘンドリック様、エマは酔っ払ってるんです。相手にしないで下さい。もう、エマも黙って!」
サリアが慌てて止めようとするが、エマは気にせず話を続けた。
「ヘンドリック様はぁ、リディアをどんな娘だと思ってるんですかぁ?」
ヘンドリックは眉を顰めたが、エマは気づかず話を続けた。
「見た目は可愛いですがぁ、あの娘は毒花ですよ。しかも花でなく根に毒がある種類のね。普段は見えないですがねえ、自分の欲望を叶えるために邪魔だと思えば、その毒でもって相手を蹴落とすために何でもするでしょうよ。ああ、怖い」
エマは両手で自身の体を抱きしめて身震いして見せた。
ヘンドリックは剣呑な眼差しでエマを睨んだ。エマは怯むどころかテーブルに手をつくと、身を乗り出してヘンドリックに詰め寄った。
「リディの何を知ってると言うんだ?」
「ヘンドリック様の知らない事も知ってると思いますよ。どんないじめをしているかもね」
「何を!」
「ロザリン様にやってるいじめはみんな見てるんですよ、それこそヘンドリック様以外はね。ま、あれで隠れてやってるつもりならリディアも抜けてますよねえ。そういった所が可愛いんですかねえ?あたしにはわかりませんが」
「エ、エマさん!あ、あの、私はそ、そろそろ、か、帰ります」
エマは立ち上がりかけたロザリンの手をギュッと掴んで座らせた。
「ロザリン様にも聞いていて欲しいの。あたし、とっても怒ってるんだから!!ヘンドリック様はリディアの婚約者なんだから、知ってないとダメなのよ!」
「エ、エマさん!わ、私は、い、いい、いじめられてなんか、い、いませんわ」
ロザリンが泣きそうな顔で、必死にエマに訴えた。
ヘンドリックは立ち上がりロザリンの前に跪くと、その手を掬い取って口を開いた。
「ロザリン嬢、リディアは今でもあなたに害を加えているんですか?私はあなたを守ると誓った。どうか正直に言って下さい」
エマはギョッとして口をつぐんで二人を見た。
「え?な、どういう事なんですか?」
「私はロザリン嬢を守ると誓いを立てたんだ」
ヘンドリックはロザリンを見つめながらエマの質問に答えた。
「お、お断りした、は、はずですわ」
ロザリンもすかさず返答をした。
「私はそんなに頼りないですか?」
「い、いいえ。そ、そう、では、ありません。で、ですが、結構ですわ」
ロザリンはヘンドリックの視線から顔を逸らせて答えた。
エマは溜息を吐いてヘンドリックに話しかけた。
「ヘンドリック様、どうぞ席に戻って下さい。ここでそんなことをすると目立つので、ロザリン様がかわいそうです」
ヘンドリックは慌てて席に戻った。