転落の序章
読んで下さりありがとうございます。
本編を再開します。楽しんで頂けたら幸いです。
「さあ、お二人はこちらへどうぞ」
案内されたのは店舗の二階にある応接室だった。異国情緒溢れる装飾や原色のファブリック、籐で編んだ家具、観葉植物が海辺の部屋に似合っていた。
「どうぞおかけ下さい」
ヘンドリックとロザリンは勧められるままソファに座った。すぐに柑橘の爽やかな香りの果実水が運ばれてきた。
ネイサンはにこやかに二人を見ると、ドサリとソファに座った。
「さて、サイラスからの手紙を預かっていると思うんだが」
「ああ」
ヘンドリックは懐から手紙を取り出して手渡した。ネイサンは軽く頷くと失礼しますよと断りを入れて手紙を読み始めた。そして少し考え込んでから口を開いた。
「フム。サイラスからの提案を伝えても宜しいかな?」
「私達に関わる事なのか?」
「そうですね。結論から言うと、お二人をうちで働かせて欲しいという事です。もちろんお二人の希望を訊いてという事ですが」
「理由を聞かせて欲しい」
「やはりより規模の大きい方が良いだろうという事ですね。ヘンドリック様が仕事を探していると噂が立った時、うちがお引き受けしようと話し合ったんですよ。ジャック殿が思った以上に早く手を打った結果、サイラスの店で引き受ける事になりましたがね」
「そうでしたか」
「お二人を受け入れる用意は整っておりますが、どうされますかな?」
「あ、あの、私も、こ、こちらで、という話に、な、なってるんでしょうか?」
「ええ。あくまでもお二人の意思を尊重させて頂きますが」
「もし私がここで働くと決めた場合、リディアも一緒にここで雇って貰えるのかな?」
「残念ですが、うちの妻がリディア嬢を雇う事に反対でしてね。無理を通してもリディア嬢にとって良い結果にはならんでしょう」
「そうか、夫人がリディをね。では私は・・・、そうだな、リディアと離れる事は考えていない。今まで通りサイラスの店で働くよ。ロザリン嬢はどうする?」
「あ、私は、その、ち、父に、相談、したいと思い、ます」
「ええ。まあ即断しなくていいですよ。それと、今から私の店を案内しましょう。ヘンドリック様の気が変わる事を願ってますよ。きっとうちの店の方が面白いですから」
それからしばらくの間、二人はディランの案内で店の中やら倉庫やらを回り、商品の説明や手掛けている事業の話の説明を受けた。
「いやあ、さすがアルトワ一と言われるだけあるな。商売の展開が幅広い。それにアマディーナ港はロートリンデン王国でも有数の港だ。この港の活気や町の華やかさは話で聞くよりも素晴らしい。良いものを見せてもらった」
「本当に!お、同じ港町、ですが、ザ、ザフロンディとは、違ったみ、魅力が、ありますね。と、とっても、素敵な、ま、ま、町ですわ」
ロザリンも感心して溜息を吐いた。
「ありがとうございます。国王陛下が様々な国と友好を築き、港を開き、関税を明確にし、そして自由に取引できる体制を整えて下すったおかげですよ。ヘンドリック様の言葉は、そのまま国王陛下に捧げたく思いますよ」
「そうか。それは、陛下もお喜びになるだろう。私もザフロンディでその一端を担うはずだったが、途中で放り出すような事をしてしまった。私の手を離れた案件だったがグレアムが引き継いでくれ、皆が力を貸してくれたおかげでこうして形を結ぶ事ができた。本当に感謝している」
「そうですな。老婆心ながら言わせて貰いますが、ヘンドリック様には熟考する事をお奨めしますよ。特に仕事に関しては一人ではありませんからな。慎重なくらいが丁度いい。足元も固めず一人で立ち回ると上手くいくものも上手くいかず全て無駄になってしまう。そうなると後を引き継いだ者が大変です」
「ハハ、今更だが、忠言痛み入るよ」
ヘンドリックは苦笑しながら、ネイサンの言葉を受け止めた。もっと早く、ウィリアムやアンジェリカの言葉を素直に聞くべきだったとの思いが胸をよぎった。
(リディとの事も、突っ走らずに事を進めれば今とは違った結果になっていたのだろうか?ハハ、それこそもう遅いがな)
ヘンドリックはチリっと痛む胸を手で押さえ、気になっている事をネイサンに訊ねた。
「ところで開港式典はザフロンディで行うのか?」
「ええ。アルトワ領第二のアマディーナ港を作ろうとの意気込みを持って、ザフロンディのシアトロン港で行いますよ」
「そうか。では祝祭イベントはザフロンディがメインなんだな?」
「そうですな。何か気になる事でも?」
「いや、私もグレアムやディラン卿と共に使節団を迎えるよう仰せつかったが、恥ずかしながら詳細を知らないんだ。ちょうど学園で色々とあって、交易に関してはウィリアム達に任せていたからね。報告も途中までしか受けていないし、何がどうなってるのか知りたいんだよ」
ネイサンはやれやれとばかり肩を竦めた。
「おやおや、ディラン卿は説明をしなかったのか?それとも後日するつもりなのかな?イヤ、まあいい。私から説明させて貰いますよ。では一度事務室に戻り、詳細を説明しましょう」
「あ、あの、先日、し、詳細をせせ、説明するために、き、来て頂いたんですが、つつ、ついピアノをひ、弾いてしまった、ので」
ロザリンが恥ずかしそうに、小さな声で言い訳をした。
「いや、あれは私がヴァイオリンを弾きたいと話したから、それで説明を簡単に済ませてしまったんだ」
「いや、そうでしたか。確かに晩餐会でのお二人の演奏は誠に素晴らしかった。なるほど、なるほど。それは私も聴きたかったですな」
ネイサンはにこやかに笑いながら、先頭に立って事務室に引き返した。部屋に入るとソファに座るよう促して、詳細を記した書類を机の引き出しから出すと、二人の目の前に広げて説明を始めた。
「まずはシャルナ王国籍の船の入港を記念して、使節団の団長、グレアム殿下とアルトワ男爵のリボンカットがあり、その後に王立音楽隊による演奏と、我が国の歌姫と言われているヘレーネ=デュボイと男性歌手のヴィセント=ガルシアによる、それぞれの国の歌が披露されます」
「ま、まあ!あ、ああ、あのヘレーネですか?そ、それに歌の貴公子と、な、名高いヴィンセント=ガルシアだなんて!!な、なな、なんて贅沢なのかしら」
ロザリンは赤く染まった頰と口元を手で隠すように覆い、うっとりとした目でネイサンを見つめた。
「ハハハ、ロザリン嬢、私はヴィンセントではありませんよ。そのような目で見つめられると勘違いしそうですな」
「ま、まあ!!し、失礼しましたわ。あ、あまりにも驚いてしまって。ふ、二人の、ファ、ファンなので」
ロザリンは両手で顔を覆い、恥ずかしさのあまり俯いてしまった。
「ハッハッハ、かわいらしい事だ。冗談ですよ。アッハッハッハ」
「ネイサン卿、笑えない冗談ですよ。ロザリン嬢、気にしないで話の続きを聞きましょう」
ロザリンは両手を解いて泣きそうな顔を上げた。
「ネイサン卿、謝罪を」
「そうですね。ロザリン様、まだうら若き乙女に対して失礼な物言いをしました。どうかお許し下さい」
ネイサンは立ち上がり、深々とお辞儀をした。
「ま、まあ、あ、頭を、上げて、下さいませ。しゃ、謝罪は、う、受け取りました、ので」
ロザリンは困ったように笑った。
「まあ、説明より書面をお読み下さい。その方が早いでしょうから」
そう言うと、ネイサンは二人の前に書類を置いた。まずはヘンドリックが読み、ロザリンに手渡していく。
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◉シアトロン港開港式典
・シャルナ王国籍船の入港
・歓迎演奏 ロートリンゲン王立音楽隊
・使節団入場
・開会宣言 アルトワ男爵
・歓迎の挨拶 グレアム殿下
・条約に署名 二枚用意 署名後それぞれに手渡す
・テープカット グレアム殿下、ブランフール令嬢、
アルトワ男爵、
ガリード殿下、カレン夫人
・シャルナ王国国歌 ヘレーネ=デュボイ
ロードリンゲン王国国家 ヴィンセント=ガルシア
伴奏 ロートリンゲン王立音楽隊
・ダンス 月の光歌劇団
・使節団団長挨拶 ガリード=ベレン=シャルナ第二王子
・閉会宣言 アルトワ男爵
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「以上が開港式典の式次第ですよ」
「私は何をすればいいんだ?」
「表立ってはないですが、控え室での応対をお願いしたいのですよ。グレアム殿下は指揮を取られてお忙しいので」
「ああ、なるほど。グレアムの代わりに相手をしろという事か」
「ヘンドリック様、そうではありませんよ」
「ああ、わかっている。嫌な言い方をしてしまった」
「全く、貴方様は今は王太子ではなく男爵なんですよ。しかも王陛下から政治に携わるなと言われた身。その辺のところを踏まえて、私どもの思いを汲み取って頂きたいですな」
「ああ、わかってるよ。失言した」
ヘンドリックは顔を歪めて書類を見るフリをした。わかってはいるが、つい三ヶ月前までは表に立つのが当たり前だったのに、との思いがやりきれなさを強くする。
「他にも何かあるか?」
「その前に確認したいんですが、この式典にリディア嬢は出席されるんですかな?」
「ああ、そのつもりだがそれが何か?」
「いや、ヘンドリック様には、今回の式典が王国にとって大切なのはおわかりだと思います。その、こう言っては何ですが、リディア嬢が参加しても大丈夫だとお思いですか?」
ネイサンにしては珍しく歯切れが悪い言い方で訊いてきた。貶めるのではなく、純粋に心配をしているように聞こえたため、ヘンドリックも素直に返答した。
「ネイサンの懸念はわかっている。私も心配だからな。だが本人が出席すると言ってるから、まあ、言い聞かせるつもりだ」
ネイサンはその返答に呆れた。
「恥ずかしいが、リディアの場合、尊重しないでいると悪い方に転がるのでね」
ヘンドリックはチラッとロザリンを見て肩を竦めた。
「ああ、そういう事ですか」
ネイサンもロザリンを見て深い溜息を吐いた。
ロザリンは下を向き書類に目を通していたため、二人の目配せには気づかなかった。
「ねえ、ネイサン、わ、私は、何をすれば?」
「ええと、ロザリン様はアルトワ様にお聞き下さい。ですが、人前に出る事はありませんよ」
ネイサンの言葉に心底ホッとしたような様子で微笑んだ。
「も、もう少し、あ、お役に立てれば、い、いいんですが」
「ロザリン嬢、そう卑下しなくていいよ。あなたの価値はそんな事で測れないんだから」
「あ、ありがとう、ございます」
「続きをお話ししても?」
「ああ」
「その後シアトロン港からザフロンディの町へ行く大通りでパレードを行います。先頭はアルトワ男爵、そしてグレアム殿下、使節団団長の順に馬車をゆっくりと走らせる予定ですよ。そして翌日からアルトワ領の各地で、一斉に祝祭がスタートしますが、これほどの規模の祝典は近年なかったですから、領をあげてのお祭り騒ぎはとんでもなく賑やかになると思いますよ」
「そうか、それは楽しみだな」
ヘンドリックはロザリンと顔を見合わせて微笑んだ。