婚約破棄から始まった4
卒業パーティーの会場で一方的な断罪が行われた後、楽しみに集っていた皆は、不穏な空気そのままに成り行きを伺っていた。
王陛下の指示で、ヘンドリックとリディアが衛兵に引き摺られるように退出した後、卒業パーティーは中止となった。
生徒と保護者は突然の中止に不満を抱きつつも、不満を抱えて仕方なく屋敷へと帰って行った。
最終学年の教授陣は急遽、ヘンドリックが断罪した理由についてーーまずは教授たちがどれだけ把握しているかーーを学長と共に会議室で話し合うことになった。
王陛下と宰相は別室へと下がり、そこで二人して頭を抱えていた。
「ヘンドリックの阿呆が…」
「…陛下、申し訳ありませんでした。娘であれば、ヘンドリック殿下の自覚を促せるかと思っていたんですが、力不足でした…」
アンジェリカの父であり、この国の宰相であるジェイド=ブランフール侯爵はガックリと肩を落として謝罪した。
彼も王陛下や王妃とともに、二人が幼い頃から育んできたものを温かく見守ってきたうちの一人であった。正義感が強いが優しく流されやすい気質のヘンドリックを支えるため、アンジェリカには一歩下がって視野を広く持ち、思慮深くあるよう促してきた。
高等部に入り、自信をつけてきたヘンドリックは、リディアと関わるようになってから、正義感が強いのはそのままに、頑固で思い込みの激しい部分が表出するようになったと、ウィリアム達からの報告で上がってきていた。
「いや、其方のせいでも、アンジェリカのせいでもない。あやつは王太子として自らが選択した結果を知る必要がある」
「また、自身が何をしたのかを知る必要がある。起こしてしまったものは仕方がない。愚痴や文句を並べるよりも、これからのことを話し合わなくてはならぬ」
「ええ。それでも、いったい何故このようなことになってしまったのか…悔しくてなりません」
「そうだな。わしもそう思う。ウィリアムたちの報告ではリディアは理想主義者で浅慮で短絡的な人物だという。振る舞いも褒められたものでなく、言動も浅ましく、ヘンドリックと親しくなるにつれ、学業も疎かになっていたようだ」
「それに引き摺られるようにヘンドリックの成績も落ちていき、忠告されても頑として聞かなかったそうだ。お互いに足を引っ張り合う関係は、ただの友人だとしても害悪でしかない。ヘンドリックは道を誤ったのだ」
「全くです。ヘンドリック殿下はリディア嬢のことしかお認めになっていないのだと娘から聞いております。殿下はリディア嬢のどこに惹かれたのでしょうか…残念でなりません」
「はああ〜」
二人は大きく溜息をついた。
「さて、ジェイドよ。本題に入ろうではないか。此度のこと、其方はどう思う?」
「そうですね。約一年、いや三年間、殿下は周りの忠告も聞かず行動し、いくら学生とはいえ、婚約者のある身で不貞とも言われなかねない付き合い方を大っぴらにされてきました。今更アンジェと元のように落ち着いたとしても、この三年間の出来事は、後々の政策にも、殿下に対しての不信感として影を落とすことになるでしょう」
「ふむ…。そうであろうな。気に入らぬ者を切り捨て、気に入った者の言葉しか聞かぬとすれば、そこに付け込む輩が出るか。それを矯正できなかったアンジェリカは王妃としての力量を問われ、社交界でも侮られるかもしれぬな」
王陛下は顎髭を撫でながら思案した。
ヘンドリックと同じ深い瑠璃色の瞳が今は憂いに翳り、見えない先を模索するように静かに閉じられた。
重い沈黙が続いた。
王陛下は眉間に手を当て、眉根を寄せて思案していたが、顔を上げると、ジェイドを見据えて口を開いた。
それは父ではなく、統率者としての顔であった。
「ジェイド、わしは決断せねばならぬ。できればヘンドリックの更生を信じたいところだが、あまりにも軽慮浅謀。情状酌量の余地もない」
「わしは、ヘンドリックを廃嫡しようと思う。そしてリディアと娶せ、一代限りの男爵位を与えることとする」
「王宮と関わりのある仕事はさせぬ。王都への立ち入りを禁ずる。ヘンドリックに手を差し伸べることも許さぬ。爵位はあってもなんの力もない、己の力のみで暮らすが良い。それをヘンドリックとリディアに対する罰とする」
それはなんの後ろ盾も、伝もなく市井に放り出されることを意味していた。今までと同じ暮らしはできない。平民の暮らしなど想像もできないヘンドリックにとっては、未知の、険しい挑戦になるだろう。堕ちないことを祈るばかりだ。
「では、アンジェとの婚約は白紙に戻し、王妃教育も中止にさせていただいてよろしいですね」
宰相であるアンジェリカの父は、確認のために聞いた。
「いや、それは待て。わしはアンジェリカを気に入っておる。あれは王妃の器だとな。ヘンドリックの事では苦労をかけたが、わしにはアンジェリカ以上の、王妃に相応しい令嬢は思い浮かばぬ」
「…過分な褒め言葉です」
「アンジェリカが嫌でなければ、第二王子の婚約者となってはくれぬだろうか」
ジェイドはハッとして陛下の顔を見た。
「第二王子、グレアム王子を王太子とされるのですね」
「そうだ。其方も知っての通り、わしに側室はおらぬ。王太子候補は第二子のグレアム、わしの弟であるヴェッティン公爵家のルイス=ヴェッティン、レオン=ヴェッティン。異母弟のシャロン公爵家のモーリス=シャロンがいる」
「だが、グレアムは幼い頃からヘンドリックとともに同じことを学び、報告では性格の違いはあれど、どちらにも王となる素質はあると聞いておる。」
王陛下は言葉を続けた。
「それにグレアムはアンジェリカと同学年であったな。年齢的にもちょうどいいと思うが、どうだ?アンジェリカとグレアムに繋がりはなかったか?」
「そうですね…。ヘンドリック殿下のことで落ち込んでいる時にお慰めいただいたことが何度かあったようです。グレアム殿下と一緒にリディア嬢の説得に当たったこともあったようでした」
「そうであったか」
「全く…何がヘンドリックの目をああまで曇らせてしまったのか。恋というには一欠片の純粋さも、相手に対する思いやりもない。あまりにも身勝手で、欲望を隠そうともしない醜悪な妄執にしか、わしには思えぬ」
二人は最後に大きく溜息をつき、改めて朝議を行う際に議論をすることとし、この話し合いを終えたのだった。
王陛下と別れ、王都にある屋敷に帰った。一足先に戻っていたアンジェを執務室に呼び出した。
軽い食事とお茶を用意してもらい、食べながら話をすることにした。
「アンジェ、大丈夫かい?今日は大変だったな」
ジェイドは優しく労うように声をかけた。
「お父様…」
「気に病んで何も食べていないのだろう?何も心配しなくていいから食べなさい」
ジェイドはローストビーフと野菜のサンドイッチに手を伸ばした。
「…お父様、ヘンドリック様はどうなるのですか?」
「…廃嫡されることになった」
アンジェリカは目を瞠り両手で口を覆った。驚いて言葉も出なかった。廃嫡されるかも、とはウィリアムやアーノルドと話してはいたが、今まで期待されてきたヘンドリックである。王陛下も説得を試みると思っていた。
「まさかそんな!ヘンドリック様とお話をされたのですか?廃嫡とは、厳しすぎるのではありませんか?」
「いや、ヘンドリック殿下とは話し合われていない。ただ、これまでの三年間の行動を鑑みて、王として相応しくないと判断されたのだ。王とて間違えることもある。その時に周りの声を聞き、正しい道に軌道修正できなければ、国は衰退していくだろう。殿下はこれまでに忠言を受け入れる機会は何度もあったはずだ」
「…そうかもしれません。でも、せめて話し合われてから判断されては?」
「我々から説得されて殿下が従ったとしても、それは殿下が判断されたことにはならない。命令に従っただけと考える。殿下は周りにいる者を信頼し、忠言を聞き、自省し、最上の行動を取らなければならなかった。それができないなら、それは独裁者であり暴君と同義であろう。違うか?」
アンジェリカは口を噤むしかなかった。
ヘンドリックは全く周りの声に耳を傾けなかった。誰もヘンドリックを止めることができず、最後まで一人で、いやリディアと二人で突っ走ってしまったのだから。
「お父様、申し訳ありません。私の力不足でした」
アンジェリカは悔しさに口を引き結んで頭を下げた。
「もう仕方のないことだ。明日の朝議でヘンドリック殿下の処遇は決定されるだろう。そしてお前との婚約も白紙に戻るが、それでいいな」
「…はい」
アンジェリカは俯いてその話を受け入れた。今までの道のりを思い出して泣きそうになったが、ギュッと唇を噛んで耐えた。
(ヘンドリック様…一緒にこの国の未来を見つめていたかった。貴方を大切にしたかった。燃えるような恋ではなかったけれど、穏やかでお互いに思いあっていると信じていたのに。…私はどうすればよかったのかしら…わからないわ)
「それともう一つ、陛下からアンジェに打診されたことがある」
「それは、、、なんでしょうか?」
「その、第二王子の、グレアム殿下とおまえとの婚約だ」
アンジェリカはまたも目を見開いて驚いた。父の話は驚くことばかりだ。心臓に悪い。
「その、今すぐという訳ではないが、ヘンドリック殿下が廃嫡になれば、すぐに新しい王太子擁立と王太子妃の話が出るだろう。陛下はできればアンジェをグレアムの婚約者にとお考えだ」
「どうだろうか。アンジェの胸の内を、包み隠さず話して欲しい」
アンジェリカは珍しく言い淀んだ。
「あの、お父様、では素直に申し上げます。私にはヘンドリック様がダメだったからグレアム様と、とは考えられません。というより、今は誰との婚約も考えたくありません」
「そうであろうな。では、陛下にはそのように伝えておく」
「はい。…でもお父様、今は考えられませんが、私はヘンドリック様と育んできた、国や国民たちへの思いは無くすことはできません」
「そうか、そうだな。国に尽くすこと、殿下を支えることがおまえの使命だと教えてきたのだからな」
「はい」
アンジェリカは頷き、冷めてしまった紅茶を一気に飲み干した。
話が済むと、急にお腹が空いていたことを思い出し、二人はお喋りもそこそこに、並べられていたサンドイッチやスコーン、フルーツなどをパクパクと食べた。
アンジェリカは父に退室の挨拶を済ませ部屋に戻った。
波乱に富んだ、長い一日がようやく終わった。