螺旋3
翌朝、いつものようにルイスがやって来た。鍛錬を終え、剣を交えた後、ルイスは緊張した様子でヘンドリックに向き合い、畏まった口調で口を開いた。
「ヘンドリック様、お願いしたい事があります」
「どうしたんだい、ルイス。改まって」
「あの、僕、剣術大会に出場するまでにもっと強くなりたいんです。せめてヘンドリック様に師事している事を誇れるくらいに!簡単に負けて終わりたくないんです。お願いします。夜、仕事が終わってからも僕に稽古をつけて下さい。どうかお願いします、ヘンドリック様!!」
ルイスは頭を深く下げたまま、ヘンドリックの返事を待った。長い時間ではなかったがルイスは緊張した面持ちで神妙にしていた。
「ふむ。強くなりたい気持ちはよくわかる」
ルイスはヘンドリックの言葉に顔を上げて続きを待った。
「そうだな。ルイス、剣術大会に出る事をジャック殿はご存知なのか?」
「いえ、まだ、話してません」
「ならば、まずはジャック殿の了承を得てからだな。それと夕刻からの稽古は薄暗い中で行うから怪我に繋がりやすい。稽古で怪我をしてしまうと本末転倒だから軽く手合わせするだけだ。それに毎日は出来ないがそれでいいか?」
「はい、ありがとうございます!よろしくお願いします」
ルイスは深々と頭を下げるとガッツポーズをして喜んだ。二人は井戸で頭から水をかぶり汗を流した。
リディアは二人にレモネードを渡しながらルイスに声をかけた。
「ルイス、よかったわねぇ。父さんに話をする時、一緒にお願いしてあげようか?」
「いや、大丈夫。自分で話すよ」
「そぉ?もし反対されたら言ってねぇ。説得するのを手伝うからぁ」
「ありがとう姉さん。それと、いつ言おうかと思ってたんだけど、姉さんのレモネードはすっぱすぎるよ。もう少し甘い方が絶対に美味しいよ」
「まあ、生意気ね!これくらいすっぱい方が美味しいわよぉ!ねぇ、ヘンリーもそう思うでしょう?」
「ああ、そうだな。美味しいよ」
「ヘンドリック様、嘘は姉さんのためになりませんよ。姉さん、ヘンドリック様の作ってくれるレモネードはもっと甘くて美味しいんだよ」
「なんですってぇ?ヘンリー、それ本当なのぉ?」
「ルイス、余計なことを言うな!」
「まあ、本当なのねぇ。それならそう言ってくれればいいのにぃ」
「いや、本当にリディアの作ってくれるものも美味しいんだ」
ヘンドリックはルイスを横目で睨むと焦って答えた。ルイスとリディアはその慌てぶりに笑い、ヘンドリックもまた一緒になって笑った。
「さて、ルイスはそろそろ帰らないとダメなんじゃないか?」
「あっ、ほんとだ!!ヘンドリック様ありがとうございました。それと姉さんもありがとう!」
「気をつけてな」
ルイスは慌てて駆け出したが、振り返り笑顔で手を振ると、また前を向き、今度は振り返らずそのまま走って帰った。
「フフ、毎朝慌ただしいわねぇ。ヘンリー、ルイスに剣を教えてくれてありがとう。ルイスを学園に行かさないって父さんに言われた時、あたし、ルイスに恨まれるんじゃないかぁって心配だったのぉ。だってぇ、本当に一生懸命勉強してたの知ってるんだもん。父さんも母さんも教育が一番大切だってぇ、一度身につけた知識はなくならないからって言うのが口癖なのよねぇ」
「そうか。素晴らしい両親だな」
「そうねぇ。でもルイスが騎士になりたいっていうのは知らなかったぁ!きっと父さん達もよぉ。たぶんね、マックスが原因だと思うのぉ。マックスも騎士を目指してるんですって!!」
「ほぉ、そうなのか?」
二人は食堂に移動し、用意していた朝食を食べながら話し続けた。
「それでねぇ、昨日仕事の時にマックスに会ってねぇ、ルイスが強くなりたいからヘンリーに夜の訓練を頼むつもりだって言ってるよぉって言ったらぁ、マックスもその訓練に参加したいーって言ってたんだけどぉ。どうかなぁ?だめぇ?」
「マックス殿が?別に構わないが・・・」
「本当?ありがとう、ヘンリー!きっと大喜びするわぁ!!」
リディアは手を叩いて喜んだ。
「なぜリディがそんなに喜ぶんだい?」
ヘンドリックは面白くなさそうに訊いた。
「だってぇ、マックスってヘンリーの事、べた褒めしてたのよぉ!ヘンリーが第二近衛騎士団で一番強いんだぁって言ってぇ。すっごく嬉しかったのぉ。だってぇ、ヘンリーは本当にとっても強くってぇ、かっこいいんだもん。そう思ってくれてるのがぁ、なんかぁ、あたし達の事を認めてくれてる気がしたのぉ」
「そ、そうか。リディ、お喋りはそろそろ終わりにしないと仕事に遅れるぞ」
「あ、いっけなあい!急いで片づけるねぇ。じゃあ、マックスにもヘンリーにやられに来い!って言っとくねぇ」
「リディ、やられに、じゃなくて訓練に来いって伝えてくれ。私も顔を見たら声をかけよう」
「はあい!マックスなんて、こてんぱんにやっつけちゃってねぇ。フフ、じゃあすぐに用意するから待っててねぇ」
その日の朝は、いつもより慌ただしく時間が過ぎた。二人はいつもより少し遅い時間に店に着くと、すぐに分かれてそれぞれの仕事に取り掛かる用意をした。
リディアが更衣室の扉を開けると、まさにロザリンが出ていこうとするところだった。リディアは強引に部屋に入り、後ろ手に扉を閉めた。
「おはようございますぅ、ロザリンさまぁ。顔色が悪いようですがぁ、大丈夫ですかぁ?なんならこのまんま帰られた方がいいんじゃないですかねぇ」
「あ、お、おはよう、ごご、ござい、ます。リ、リディアさん。わ、私は、大丈夫、で、ですわ。し、心配下さり、あ、りがとう、ご、ございます」
「はあ、ロザリン様ってぇ、吃りすぎてて何言ってるかよくわかんなあい。そんなに吃ってぇ、恥ずかしくないのぉ?あたしだったらぁ、恥ずかしくって家から出られないわぁ」
ロザリンは真っ赤になって俯いた。気にしている事をはっきりと口にされ、惨めな気持ちで涙が出るのを、スカートをギュッと握りしめて堪えた。
「す、すす、すみませんが、そ、そ、そこを、退いてく、下さ、い」
「ええ?イヤだぁ。どぉしてあたしが退かないといけないのぉ?あたしはぁ、ヘンリーの婚約者なのよぉ。ロザリン様が避けたらいいじゃない。どぉせ今日もあたしのいい人とずーっと一緒に過ごすんでしょぉ?ああ、イヤだイヤだ!男爵家の娘ともあろう者がぁ、はしたないわねぇ」
ロザリンはリディアの言葉に反論する事が出来なかった。リディアとなるべく喋りたくなかった。そこで仕方なく道を譲った。リディアは勝ち誇った顔をして自分の棚に向かった。ロザリンはその隙にそっと更衣室を出て行った。
ロザリンは更衣室を出ると、堪えていた涙が溢れた。溢れ出た涙は、ハンカチで拭いても次から次へと流れ落ちた。俯いてトボトボと足取り重く事務室へ向かった。
(リディアさんの言う通りだわ。婚約者のいる方と、仕事とはいえ一日中一緒にいるだなんて、ふしだらだと思われても仕方がないわ。もし私に婚約者がいたら、リディアさんと同じできっと嫌だと思うわ。そうよ、お父様に頼んでヘンドリック様と別れて仕事をさせて貰いましょう)
「ロザリン嬢、どうしたんだ?入らないのかい?」
事務室の前で気持ちを落ち着けていると、背後から声がした。ハッとして振り返ると、驚いた顔のヘンドリックがじっとロザリンを見ていた。
「泣いてるのか?」
「えっ?」
ロザリンはハンカチで素早く涙を拭くと、にっこりと笑って挨拶をしようとしたが、気持ちの切り替えが上手くいかず、涙がまたポロポロとこぼれてしまった。
「す、すみません。み、みみ、みっともないところを、ご、ご覧に、い、入れてしまって」
「何かあったのか?」
「い、いいえ・・・」
ロザリンは涙を止めようとハンカチで目元を押さえた。
「まあいい、とりあえず中に入ろう」
ヘンドリックはそっとロザリンの背に手を添えると、扉を開けて中に入るよう促した。中には誰も居なかったが、泣いている少女を放っておくことも出来ず、ロザリンにソファに座るように言うと給湯室でお茶を淹れた。そしてロザリンに飲むようにと手渡した。
ロザリンはさりげないヘンドリックの優しさに、リディアに対しての申し訳なさが増して、なかなか泣き止む事が出来なかった。
ヘンドリックは慰めるでもなく、ロザリンが落ち着くのを静かに見守った。しばらくして、ロザリンはようやくお茶を一口飲むと顔を上げた。そしてヘンドリックと目が合うと、またすぐに俯いた。
「何があったんだい?」
静かだが、服従させるような強い意志のこもった声で訊かれてロザリンは身震いした。
「い、言いたく、あ、ありませんわ」
ロザリンは怖いと思いながらもキッパリと言った。リディアが言っていたのは本当の事だ。自分の方が悪いとロザリンは思った。
「何の事かわからないが、もしかしてリディが何かしたんだろうか?」
「いいえ、わ、私がわ、わ、悪かったんです。リ、リディアさんは、か、関係、ありませんわ。か、考えたんですけど、お、お父様に頼んで、ケ、ケイティの店で、べべ、勉強をしようと思います」
「ロザリン嬢が辞める必要はない。リディが何かしたのなら、それは私の責任だ。申し訳ない」
ヘンドリックは頭を下げて謝った。
「そんな!あ、頭を上げて下さいませ。私、そそ、そんな」
「いや、私の言動がリディを不安にさせてるんだ。ロザリン嬢はそのとばっちりを受けてるだけだ。本当に申し訳ない」
「そ、そんな、こ、と」
「遅くなってすいません」
扉を開けるなり謝罪の言葉を口にして、サーニンとマックスが入ってきた。泣き腫らした目をしたロザリンと、神妙な顔のヘンドリックを見て、二人とも黙ったまま突っ立っている。
「ご、誤解しないでくれ。な、な、何もない」
ヘンドリックが慌てて立ち上がり否定の言葉を口にした。
「何慌ててんですか?却って怪しいっすよ。それよりロザリン様、何かあったんですか?リディアが何かしたんすか?」
マックスはロザリンの泣き顔を見て眉根を寄せた。
「い、いいえ。な、なな、なんでも、ありません、わ」
「まあ、深くは訊かないけどさ、大丈夫ですか?」
「え、ええ」
「なら、問題なし、と」
「マックス、何を言ってるんだ!」
「だあ〜って、首突っ込んだらぜ〜ったいにややこしくなるヤツだって!」
「それでも、ロザリン様については親父に伝えないと駄目だろう」
「あ、あの、い、い、言わないで下さい」
「なるほど。じゃあ、この問題は不問にするって事でいいっすか?」
「え、ええ、マ、マックスの、言う通りでい、いいですわ」
「ではロザリン嬢、ここを辞めるなんて言わないで下さい。私が貴女を全力で守りますから」
ヘンドリックはロザリンの側で立て膝をついて手を取ると、その手の甲に口づけた。
「ま、まあ、へ、ヘンドリック様。そそ、それは、え、え、遠慮、い、致しますわ」
ロザリンはそっと手を離すと、両手を頰に当て困った顔で俯いた。
「貴女が何と仰っても、私の決意は変わりませんよ」
ヘンドリックは神妙な顔で呟いた。